第38話 やるべき事は

 ルナセリア公爵邸に帰ると、着替える暇すら与えられずに父の部屋へと通された。


 荷物は使用人たちが自室に置いておくとのことで、俺は気兼ねなく対面のソファに座る両親へと向き合う。


「改めて、ただいま戻りました。しばらくはこちらでゆっくりさせてもらいますね」


「ああ。おかえり。せっかくだからね、夏休みのあいだは私の仕事を手伝ってもらうよ。なに、それほど仕事は多くない。まずはお試しと言ったところだ」


「わかりました。微力ながらお手伝いさせていただきますね」


 本格的に忙しくなるのは来年や再来年だろう。それまでに出来るだけレベル上げと熟練度上げを頑張らないとな。すでに十分すぎるほど高くはあるのだが、今後、さらに危険なダンジョンへ潜りたい俺としては、いくら上げても安心できない。それに、強くなるのは楽しいからやめられない。


「あなた、もういいかしら? そろそろ私もヘルメスと話したいわっ」


 俺が部屋に入ってくるなりずっとうずうずしていた母が、たまらず父へ声をかける。やれやれと父は苦笑を浮かべてこくりと頷いた。できれば頷いてほしくなかったが、しょうがない。


「いいよ。私はまた後でたっぷり会話を楽しむとしよう。今は、君が話したいだけ話せばいい」


「ありがとう。では……ヘルメス! 先ほどの件だけど、母は聞きましたよっ。試験での結果! 学園創設以来初めてのことだと。母はどれだけヘルメスが誇らしかったか……!」


 あ、またさっきの話が始まった。


 こうなると母の話は長い。大袈裟に両手を動かしてこれでもかと自らの感動を示す。


 父はすでに諦めているのか、窓の外の景色を眺めながら紅茶を飲んでいた。俺も父のように現実逃避したかったが、繰り返し母が俺に質問や感想などを求めてくるため、現実逃避はできなかった。


 そして母の話は、夕方過ぎまで続く……




 ▼




「つ、疲れた……」


 母とのあまりにも長すぎる会話を終えて、俺はヘロヘロになりながらも自室のソファに腰をおろす。紅茶を持ってきてくれたフランが、どこぞのボクサーのごとく俯いた俺の姿を見て、くすりと笑みを零した。


「お疲れ様でした、ヘルメス様。ずいぶんと長いあいだ、話し込んでいたようですね。昼頃に帰ったきた事を考えると……三時間以上は喋っていましたね」


「ああ……母上の話術は凄いよ。同じ話が何度もループした。しかも話のほとんどが俺を褒める言葉で埋め尽くされていた。正直、嬉しいやら恥ずかしいやら複雑な気持ちだったよ……しかも、父上は仕事があるからと途中で逃げるし……」


 あれはずるいだろ。仕事を休んでわざわざ俺を迎えてくれたんじゃないのか?


 それとも、あえて俺が帰ってくる時間帯に休憩をとり、母の話が長くなる頃を予測して仕事に戻った?


 どちらかと言うと後者の可能性のほうが高そうに思える。俺なんかよりよっぽど母と過ごした時間は長く親密だろうからね。


 けどやっぱり許せない。息子を助けずに見捨てるなんて、父親の所業とは思えない!


 ……いや、そこまで恨むことでもないんだけど、それだけ疲れている。このあと、今度は食事の席で息子自慢が始まるのだろう。


 それを考えると地味に憂鬱だった。ルキナがいないからまだマシだが。


「ヘルメス様のお気持ちも理解できますが、私としてはより強くユーリ様のお気持ちのほうが理解できますが。ヘルメス様はそれだけ誇れる結果を残したのです。ヘルメス様を愛するユーリ様が、それを聞いてジッとしていられるはずがありません」


「一応、フランを雇ってるのは父だけど、俺の専属だよね君。もっと主人を立てて慰めるなり防波堤になるなりしてくれないの?」


「主人はあくまで当主様ですよ。確かにヘルメス様の命令に従うよう言われていますし、私自身ヘルメス様を深く敬愛しておりますが……」


「だったら——」


「しかし! それ以上に、一介のメイドでしかない私に、権力に逆らう術はありません!! ヘルメス様の情報を喋ると給料が増えたりするんですよたまりませんね!」


「えー、解雇で」


 人の言葉を遮ってまでこの女はなにを言ってるのだろうか?


 というか給料が増えるほどの情報って、一体なにを母上に告げたんだ? むしろそっちのほうが気になってきた。目線で「吐いた内容を教えろ」と睨みながら伝えるが、フランはすんっと瞼を閉じて無言を貫く。


 そう言えば昔、俺の人格が表面に出る前、まだヘルメスがヘルメスだった頃。やたらヘルメスの恥ずかしい出来事を母が知っていたのは……この女のせいか!?


 記憶を探ると、どう考えても秘密にしていた内容まで母が知っていたような気がする。幼少期の頃の記憶なので不確かではあるが、先ほどの言葉から察するに……どうやら俺の推測は間違いないようだ。


 グッと手に力をこめて、デコピンの準備を始める。




 ▼




 赤くなった額をさすりながら涙を流すフランを横目に、俺は明日からの計画を立てる。


 そろそろ食事の時間なのであまり余裕はないが、すでにどうするべきかは事前に決めていた。


 いまはとにかく経験値が欲しい、と。


 なので明日からの予定は、いかに夏休み後半で起こるとあるイベントまでにレベルを上げられるかが重要になる。


 さしあたって、まず真っ先に俺がやるべきことは……




「上級ダンジョン<十戒>でのレベリング、か」




「え? なにか言いましたか?」


 小声でぼそりとそう呟くと、未だ額を撫でる手を止めないフランが首を傾げる。


 彼女に「上級ダンジョンでレベル上げしてくるね!」なんて言おうものなら、鬼の形相で「危険ですやめてください行かせません!」とか言われそうなので、俺は適当に言い訳を考える。


「なんでもないよ。夏休み、やりたいことが多くて楽しみだなぁって」


「……怪しい」


 ぎくり。


 嘘はついてないけど本当のことも言ってない。そんなあやふやな俺の言葉の裏を感じ取ったのか、フランの目付きが鋭くなる。


 このあと、食事の時間までフランの鋭い視線は消えることがなかった。


 気まずい空気の中、それでも俺は隠し通す。

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