第28話 気高き太陽

 ひたひたと天井から雨粒が落ちる。


 拭いきれない壁を見つめながら、ひとりの少女が体を震わせていると、部屋の角にある扉が唐突に開かれた。鉄の軋む音を立てながら入ってきたのは、顔に傷のある男と女。その内のひとりである男が、檻の中で座る少女を見て笑う。


「よぉ、お嬢さん。目を覚ましたようだな。どうした? 寒いのか? 毛布でもくれてやろうか?」


 ククク、と喉を震わせる男に対して、囚われた少女——ミネルヴァ・フォン・サンライトは、どこまでも気高く男を睨みつけた。必死に震える体を両手で押さえつけ、掠れる声で言う。


「なにが、目的なの……?」


「あぁ?」


「わざわざわたくしを捕まえて、どうするつもり? お父様に身代金でも要求するのかしら?」


「ほ~? ってことはお前、やっぱり貴族の娘か。メイドも連れていたし、身なりも綺麗だからそうだとは思ってたが……これはいい。貴族の娘ならたんまりと金が稼げるぜ!」


 男が下卑た声で盛大に笑う。狭苦しい室内に男の声が何度も跳ね返り、ミネルヴァの耳を不快な音が刺激する。思わず顔を引き攣らせながらも彼女は続けた。


「わたくしの身元を調べないで攫ったの? あなた、とんだお間抜けさんね」


「そういうお前は、自分の状況が理解できない馬鹿か?」


「いいえ。わたくしは自分の状況くらいは正確に理解できるわ。命の危険があるのでしょう? でも、あなたが最近巷で有名な誘拐犯なら……貴重な商品であるわたくしを殺すとは思えない。けど、わたくしはこの国の貴族。それも公爵家の人間よ? そんな身分のわたくしがいなくなれば、きっと騎士たちが躍起になって捜索するでしょうねぇ。たかだか誘拐犯ごときが、無事でいられるかしら?」


 軽く脅してみせたが、本当はミネルヴァは心の底から恐ろしかった。彼らを刺激することになんの意味があるのかと自分でも思う。もしかすると、激昂した男に殺されるかもしれない。それでも彼女は、由緒正しき法の番人として、父に恥じぬ姿を見せる必要があった。


 男はミネルヴァの言葉にやや思考を巡らせると、やれやれと頭を左右に振ってため息を漏らす。そして、いっそう強くミネルヴァを睨んだ。


「いい度胸だな、クソガキ。確かにお前を殺すのはもったいない。だが絶対じゃねぇ。もう商品はある程度攫ってきてんだ。少しでも生き残りたいなら、口には気をつけろよ? それに……そう簡単に見つかるような場所にアジトは作らねぇ。今ごろ、騎士たちは困ってるだろうなぁ。お前さんが見つからなくて」


「…………そう。ここは地下にあるのね。それもスラム街ってところかしら」


「ほう」


 ミネルヴァの推測に、男はぴくりと眉を動かして反応する。


「どうしてそう思う?」


「簡単よ。王都で人攫いなんてできる場所はスラム街くらい。そこなら騎士も探しにくい。普段の管轄じゃないからね。そして、天井から落ちてくる雫。上に水が通ってる証拠。スラム街にも水は通ってる。あとはそうね……上に隠すくらいなら、地下でも掘ってそこに檻を作ったほうが、叫び暴れる商品を管理し隠しやすいってところかしら」


「……ふん。貴族のわりには利口だな。面白いガキだ」


 ミネルヴァの予想は正しい。


 前々からスラム街に騎士が踏み込むことを見越した男は、ずっと前から建物の床下を掘り進め、そこに商品を隠していた。おかげで騎士が捜索にこようと誤魔化せる自信がある。実際、これまで何人もの孤児やら令嬢やらを攫ってもバレなかった。その実績が、男の動揺をかき消す。


「あら、お褒めにあずかり光栄だわ。でも安心しないことね。悪事というのはいずれバレるものよ。その時、公爵令嬢であるわたくしを攫った罪は……当然死刑でしょうね」


 くすくすと笑ってミネルヴァは口を閉じた。


 攫われた商品の分際でよく喋るな、と男は心の中で悪態をついてから舌打ちを漏らす。だが、自分が優位な状況に変わりはない。確かにいつかはバレるだろう。絶対に見つからない場所など存在しない。けれど、それは今じゃない。腕を組みながら、さっさと王都から出る算段をつける。


「ったく……本当に貴族って奴は……殺したいほど頭にくるぜ」


 愚痴り、踵を返す。男の零した言葉に、そばに控える女は反応しない。ただ部屋を出ていく男の背中を黙って追った。


 先頭を歩く男は、嫌でもミネルヴァのせいで過去の記憶が脳裏にちらついた。忘れることなどできない、あの日のことを。

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