第26話 異常事態

 下級ダンジョン<暗雲の森>を出る。外はすっかり夕暮れになっていた。


 人通りの少ない道を真っ直ぐ進み、寄り道などはせずに自宅へと直行する。あまり遅くなると帰りを待ってるフランがうるさい。前も、三十分だけ約束していた時間に遅れただけで、ぐちぐちと小言を一時間も言われた。


 三十分の遅刻で一時間の説教だ。仮に一時間ほど遅れれば二時間以上の説教は確定だろう。あの日から、俺は絶対に遅れまいと誓った。どちらかと言うと悪いのはダンジョンに篭ってる俺だろうしね。


 齢十五歳の子供が、両親やメイドから許可をもぎ取ってダンジョンで狂ったように魔物を狩る。放っておくと学校が始まるまで帰ってこない。


 ……うん、どう考えても俺が悪かった。熱中すると周りが見えなくなるのは、前世からの悪癖だな。


 ダンジョン入り口から離れ、ぽつぽつと人影が見えるようになってくる。


 反省しながらも俺の歩く速度は一切落ちない。もはや小走りのような速度で通りを抜ける。すると、ふと気になる話が俺の耳に届いた。それを聞きとることができたのは、本当に偶然だった。




「なぁ、聞いたか? 二、三時間ほど前に女の子が攫われたらしいぞ」


「攫われた? どういうことだよ」


「なんでも買い物に出ていた貴族の令嬢が、急に姿をくらませたらしい。ほら、最近なんだか誘拐事件が多発してるだろ? そのせいで周りは誘拐だなんだって騒いでるらしいぜ」


「うへぇ……王都も物騒になったな」


 視線が、吸い込まれるように壁際で話す少年たちへ向いた。視界に映る男たちは若い。まだ子供だ。恐らく俺と同い歳くらいだろう。足を止めることなく彼らの前を通り過ぎる——


「あ、それ知ってる。攫われた貴族令嬢がウチの生徒だって話だろ?」


 ぴくっ。


 足が止まる。ごく自然に、背後で今もなお聞こえる話に耳を傾けた。


「は? ウチの生徒? マジかよ。誰が攫われたって言うんだ」




「騎士たちが騒いでてさ。偶然聞こえたんだけど、あのサンライト公爵令嬢らしいぜ」




「えぇ!? ミネルヴァ様!?」


 ————は?


「どういうことだ!?」


「うわっ!? な、なんだよお前……」


 唐突に俺が彼らの会話に割って入ったため、三人とも怪訝な目を向けてくる。だが、俺はそんなことは無視して、彼らの胸倉を掴まんとする勢いでさらに迫った。


「ミネルヴァ・フォン・サンライト公爵令嬢が攫われた? 詳しく聞かせてくれ!!」


「はぁ? なんなんだよお前……急に」


「お、おい……この人、もしかしてルナセリア公爵家の……」


「えっ……マジで? あのヘルメス様?」


 遅れて男たちが俺の正体に気付く。三人とも見覚えのない顔だ。きっと伯爵以下の爵位しか持たぬ貴族子息だろう。最高位貴族であるルナセリアの名前に、ごくりと喉を鳴らして萎縮する。おかげで彼らの口は軽くなった。


「じ、実は……」


 三人の中で、ミネルヴァの件に最も詳しいと思われる男が、たどたどしく喋り始めた。俺はただ黙ってそれを聞く。


「——ということで、急にミネルヴァ様が姿を消して、最初にそれに気付いたメイドが誘拐だなんだかと騒いでるんです。騎士たちもその線が濃厚だろうって……」


「そんな……なぜミネルヴァが誘拐に巻き込まれる」


 男の話を全て聞いた俺は、先ほど以上に激しく動揺していた。


 男の話をまとめると、どうやらミネルヴァは休日に買い物へ出かけたらしい。そこでメイドとはぐれ、近くにいた人の話だと、若い男——二十代か三十代くらいの男と一緒にどこかへ消えたとか。


 犯人は誰だろう。目的はなんだろう。本当に誘拐なのか。


 気になることはたくさんあったが、問題はそこじゃない。この事件の最も気になる問題は……




「こんなイベント、ゲームにはなかったのに」




 そう。<ラブリーソーサラー>を完全クリアした俺でさえ知らない、イレギュラーが発生していた。

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