第24話 小さな歪み

 薄暗い地下室の扉が開く。


 小さな炎がゆらゆらと不規則な形で照らすのは、湿って汚れた部屋の一角。そこに設けられた鉄製の檻の中には、何人もの女性が鎖に繋がっていた。目元を赤く腫れさせた彼女たちを、部屋に入った男が一瞥する。後から続いた女に、男は声をかけた。


「なんだか商品が少ねぇな。これじゃあ大金にはほど遠いぜ?」


「しょうがないわ。例の貴族令嬢の誘拐に失敗した末端のせいで、騎士の目が厳しいのよ。しばらくは王都での仕事は控えたほうがいいと思う」


「チッ。グズどもが役に立たねぇ。何のために金を払ってると思ってんだ? その馬鹿どもはどうした」


「次こそは必ず役に立ちますって。見せしめにひとりは殺したけど、さすがに手駒が減るのはね。なんでも、途中までは上手くいってたそうよ? 若い男に邪魔されたんですって」


「若い男?」


「ええ。十代くらいの男の子に」


「ハッ!」


 それを聞いてランタンを持った男は盛大に笑った。狭い石造りの地下に、男の声が響き渡る。鎖で拘束された女性たちはその声に体を震わせて、一斉に檻から離れた。壁を背に、おそるおそる男を見上げる。


「ありえねぇ……ガキにやられるなんざ本当にグズばっかりだな。無能はいらねぇよ。残った男も処分しとけ」


「ダメよ。ただでさえ今は人数が少なくて困ってるの。せめて王都での仕事が終わるまでは我慢してちょうだい。その代わり、終わったら好きにしていいから」


「……チッ。しょうがねぇ。少しでも利益を上げるために、俺たちも何人かめぼしい女を捕まえるか」


「そうね。無能な子たちに留守を任せるのは怖いけど、仕事も大切だし、ね」


 くるりと檻に背を向けた男は、表情を険しくしたまま入ってきた扉から出ていく。女も男の後ろに続き、二人がいなくなった途端に捕らえられた女性たちはホッと息をついた。


 ここは地獄だ。誰もがそんな共通認識を持っている。そして、先ほどの会話からその地獄に新たな仲間が加わるのも、そう遠い話ではないと悟った。




 ▼




「もう、遅いわよ!」


 所狭しと露店が並ぶ通りにて、太陽のごとき金色の髪を揺らす美少女が、慌てて走ってくるメイド服の女性に厳しい言葉を投げる。


 メイド服を着た女性——ランは、釣りあがった目をギラギラと向ける自分のご主人様……ミネルヴァ・フォン・サンライトへペコペコと頭を下げた。


「申し訳ございませんお嬢様。これだけ人が多いと、さすがに移動が大変で……」


「言い訳はいいわ。今日はせっかく護衛の騎士を撒いて来たのよ? 殿方がいないうちに遊び尽くさなきゃ!」


「そもそも私は護衛の騎士を置いていくのには反対して……」


「嫌ッ! あんな無骨な男たちに囲まれていたら、心の底から買い物を楽しめないわっ。それに、殿方がいると入りにくいじゃない」


「入りにくい? どこに?」


「洋服屋よ。下着とかあなたは見せたいのかしら?」


「したっ!?」


 どストレートなミネルヴァの言葉に、ランの顔は真っ赤に染まる。ぱたぱたと自分の手で顔を扇ぎながら、ジト目で主人を睨んだ。


「お願いですからこんな所で変なことを仰らないでください……誰に聞かれるのかもわからないんですよ?」


「別に下着の話くらいなら構わないわ。わたくしそこまで子供じゃありませんもの!」


「子供か大人以前に、淑女としての自覚をですね……」


「はいはい。ランは相変わらず一言多いわ。わたくしのメイドなのだから、常にご主人様を立てなさい。給料減らすわよ」


「理不尽……」


 そう言って歩き出したミネルヴァの背中を、変わらずジト目のまま追いかける。


 内心、ウチのお姫様は自由で身勝手だなぁ……とか思ったり思わなかったり。それでも根は優しく善人だとわかっているからこそ、彼女、ランは主人を見捨てたり心の底から軽蔑したりはしない。文句を言いながらも常に彼女のそばに控える。


 そしてミネルヴァ自身もランを信頼してるからこそ、何でもかんでも本音を口にできる。傍から見ると、意外と良好な関係に見えるのだった。


 しかし、そんな二人を建物の間からひっそり眺める者がいた。獣のように鋭い視線をミネルヴァ達に向けながら、にやりと口角を歪める。


 その顔には、純粋な欲望と微かな怒りが満ちていた。


「いい獲物を見つけたぜ……クク」


 男の呟きを拾えたのは、隣に立つ女性だけ。彼女はなにも言わない。最初こそ僅かな抵抗はあったが、慣れた今ではただ男に従うだけだった。




 二つの邪悪イレギュラーが、ヘルメスのよく知る世界を狂わせようとしていた。

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