第10話 ウィクトーリア・フォン・ラナキュラス
ウィクトーリア・フォン・ラナキュラスの人生は、酷く退屈なものだった。
変わり映えしない人生。ごまを擦る格下の令嬢たち。権力と体めあてのゲス。公爵家という恵まれた環境に生まれた彼女は、しかし心底そんな自分の人生に辟易していた。
両親は愛してくれる。満ち足りた想いを伝えてくれる。けれど、それ以外のものが醜く彼女の目には映った。誰も彼もが信用に値しない。社交界は魑魅魍魎たちの巣窟だと両親に言われたが、貴族社会そのものが魔境だった。
そんなある日、休日に暇を持て余した彼女は、なんとなく家を出た。両親には秘密で、メイドとともに家を出た。
貴族社会は面白くもなんともないが、それとは別に平民の暮らしは興味が尽きない。彼らほど人生を正しく謳歌してる者はいないと思っている。だから、時折、こうして平民たちに混ざって街を歩く。
王都はそれなりに治安のいい所ではあるが、大きい街には大きな闇がつきものだ。いつの間にかいなくなっていたメイド。それに気付き、はぐれたのだと理解した時には遅かった。
下卑た笑みを浮かべる男が二人、ウィクトーリアの背後にいた。
舐めまわすような視線を感じた彼女は、彼らが自分を見てるのだと気付くと、急いで彼らから距離を取って逃げる。
普段は馬車での移動ばかりしていたから、ウィクトーリアはあまり王都の道に詳しくない。それが凶と出た結果、彼女は道に迷い、追い立てられるように路地裏の角、行き止まりへと追い込まれた。
しまった。まずい。早く戻らなきゃ!
そう思った時には、すでに背後に男たちがいた。彼女はそれなりに魔法が使えたので抵抗しようとしたが、箱入り娘が勝てるはずもなく、あっさりと掴まってしまう。
男たちはウィクトーリアの腕を掴み、華奢な体をわずかに撫でる。欲望に染まりきった瞳を前に、彼女は強い恐怖と嫌悪感を抱いた。
嫌だ。嫌だ嫌だ。こんな所で、こんな男たちに辱められるのは、嫌だ!
暴れ、喉が裂けそうになるほど叫んだ。しかし誰も彼女の声には応えない。
とうとう男たちが「さっさとアジトへ運ぶぞ」と言い出した時、ウィクトーリアの心が絶望に染まる。
——そんな時だった。彼が現れたのは。
全身を、鉄製の装備で固めた若い少年。薄暗闇の中、少年の黒髪が怪しく揺らぐ。飢えた獣のごとき金色の瞳は、どこか冷たくどこか強い意思を持って男たちを睨む。
突然の乱入者に、敵か味方かなんて考えてる暇はなかった。ウィクトーリアは最後の想いを込めて、痛む喉を震わせた。
「た、すけて……!」
と。
少年は即座に答えてくれた。
「任せろ」
と。
そこから先は一瞬の出来事だった。
地面を蹴った少年が、男と剣を交えたと思ったらすぐに男が倒れる。続けてウィクトーリアを拘束していた男まで魔法の力で倒し、あっさりとウィクトーリアを救ってしまったのだ。
あれだけ感じていた恐怖もどこへやら。体はまだ覚えているが、ウィクトーリアの意識は目の前の少年にのみ注がれている。紅玉のような瞳で、ジッと端正な顔を見上げた。
最初は気付かなかったが、恐怖が薄れるとハッキリ少年のことを思い出す。自分を助けてくれた少年が、パーティー会場や王宮で見たことのある大貴族のひとつ、ルナセリア公爵家のヘルメス・フォン・ルナセリアだと。それがわかると、途端にウィクトーリアの世界に色が走った。
その後は、ヘルメスが男たちを縛りあげて通りに戻る。
ヘルメスが倒した男たちはどこかへ消えてしまったが、彼のおかげでウィクトーリアは無事、家へ帰ることができる。
迎えに来てくれた馬車に乗り込み、彼女はようやくホッと胸を撫で下ろした。
「……ヘルメス様」
ぽつりと呟いた言葉は、対面のソファに座るメイドにすら聞こえない程の声量だったが、人生で一番の熱をウィクトーリアに与えた。
この出会いが終わりにならないように。クラスメイトでもある彼にまた会えるのが、不思議と彼女は嬉しくなった。
それが好意か感謝か。幼い彼女には、まだそれがわからない。
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