episode.5 現実に戻る

 ……ああ。

 私はなんて卑しい人間なのかしら。


 私は生きたかったのね……。


 だから彼が先にあのカードを取っていった時、私は喜んでしまった。

 これで生きられるって。

 それから、私の役目を彼に押しつけた。


 ……生きたかったから。


 けれど、私は今、後悔している。

 彼に任せて、全てを放り投げてしまったことを。



「あんら!? ろーらっれんら……っ!?」



 彼は噴き出していた。

 身体の穴という穴から、血を。

 そして、テーブルに倒れ込む。

 ……同じだ。

 最初に犠牲になったあの女性と。



「ひぇっ!? な、なんで……!? どうして!?」


「ぐ、グルだったのと違うのけや!? ど、どうしてあいつだけ!?」


「ん、んぁ? ……生きてる?」


「お、おお!? どうにもなってないですぞ!? き、奇跡ですな!」


「……なんだ。生きてたのか。折角心の準備をしてたってのに拍子抜けだね」


 大男はやっとのことで面を上げる。

 その表情は困惑に満ちていた。

 他の人たちも状況を把握できていない様子だった。



 私は彼の元に駆け寄った。

 そして頭を下げる。

 深々と。


「申し訳ないことをしたわ……! それは私がやらなければいけないことだったのに……っ」


「ひゅー、ひゅー、……な、んだ……? わかるように、言え……っ」


 省きすぎた。

 伝わっていない。

 息も絶え絶えになっていてこっちを向くのも一苦労している彼に、私は誠心誠意説明した。


「私がみんなに回していたあれらのカードは『ロイヤルフラッシュ』などではないの。『ダミーカード』が含まれた最弱の役、『ダミートリック』だったのよ」


「――っ!? ……げふ、げほっ、ごほっ!」


 彼が咳込む。

 居たたまれない。

 その様子は見ていられなかった。


「『ダミーカード』!? なんちゅーもんを押しつけてくれたんだがや!」


「で、でも! それがなかったら僕たち、今頃あのおっきい人に殺されてたんじゃ……!?」


「……っ! み、みんな! 見てほしいのであります! 某、生きられる条件を達成しているのでありますよ!」


「っ! ワシもですな! き、奇跡! 奇跡ですぞ!」


「……そうだね。運よくあのデカブツが突っ走ってくれたお陰だね。ほんと、感謝しなきゃだよ。そうじゃなかったら、ボクたちはあの幼女に殺されていただろうからね」


 周りが騒がしくなる。

 けれど、気にしている暇は私にはなかった。


 一方で彼らの話を聞いていた彼はショックを隠し切れない様子だった。


「な、んだ、よ……。お、れ様は、わざわざ、負けにいった、って、こと、か……? ハンッ、笑えねェ、ぜ……っ」


 私に聞いてくる。

 自嘲するような笑みを浮かべながら。


「……当初の目的は、そうではなかったわ。本当なら、全身から血を噴き出すその役目は私が担う予定だったのよ……っ」


 私は、私の計画を明かした。

 それを、彼に驚かれる。


「て、めぇ……。死ぬつもり、だったのか、よ……。なん、で、そんなこと、しようって、思えた……?」


 私は息を呑む。

 自身の死を計画に組み込んでいたのは間違いない。

 引き分けが失敗に終わった時の最後の手段として。

 けれど、実際にはできなかった。

 生に縋りついてしまった。

 体のいいことを言っておきながら、最後の最後で臆してしまった。

 後ろめたさでいっぱいになる。


「……あの子たちとの約束だもの。二人とも、無事に帰すって。……でも、できなかった。結局私は自分が大事で、自分が死ぬ選択をできなかった。あなたが『ワイルドカード』を持っていってしまった時、止める方法はいくらでもあったのにむしろそのまま進めようとした。助かった、って思ってしまった……! 私は何も、誰も救えてなんていない……っ」


 心の内が溢れ出る。

 止まらなかった。

 それを静かに聞いていた彼は、最後に呟いた。

 ぽつりと、絞り出すように。


「……救ってんだよ……。……テメェが細工してなきゃ全員、やっちまってたわけだからな……。……テメェは、俺様からあいつらを守ったんだ……。……それに――」


 彼の言葉は、途中で止まった。

 眼には光が入っておらず、瞬きすらしなくなる。

 動かない。

 彼が最後に何を言いかけたのか私にはわからなかった。

 そしてそれは、もう二度と聞き出すことも叶わない。



 宴のように大はしゃぎをしている少女、中年男性、黒い人、老人、青年を余所に私は黙って席に戻った。


 彼の死を無駄にしてはいけない。

 残り時間は04:13。

 あとは、あの人たちの手札を五枚に戻させて、制限時間が過ぎるのをただじっと待っていれば私たちは解放される。


 これ以上、犠牲者を出すことなく。


 これまで手札制限での犠牲者が出なかったのはあの妹のお陰ね。

 今回の『ゲーム』において犠牲者を抑えることに貢献した最大の功労者は間違いなく彼女でしょう。


 私は手札のこと、そして妹の功績を他の人たちに伝えようとした、その時だった。



――制限時間のカウントダウンが止まった。



 そしてひどいノイズとともに『方舟』の怒号が響き渡った。


「――ザザアアアアッ! ピガァアアアア! ……コンナノ! コンナノハ認メナイッ! 扇人好オウギ・ヒトヨシ、タッタ一人ノ敗北デ残リノ八人ガ生存デキル条件ヲくりあスルナンテ……ッ! のーげーむダ! 諸君ラニハモウ一回、『ポーカーフェイク』ヲヤッテモラウ!」


 ……ノーゲーム。

 ひどい進行ね。

 私はちゃんとルールに則って攻略法を見出したというのに。

 流石にムカッとする。


 他の人たちは『方舟』の登場にざわついていた。


「そ、そんな……! もう一回だなんて……!」


「せ、折角生きれる条件をクリアできたっちゅーのに……!」


「嫌だよぅ、おうち帰りたいよぅ……っ!」


「糠喜びをさせられましたな……。まさか、無効試合があるとは……!」


「結局のところ、『あちらさん』は一人しか生かす気はないってことなのかねぇ」


「お、お兄ちゃん……っ」


「だ、大丈夫だ……っ。大丈夫、大丈夫……っ!」


 ほとんどの人が歯向かうことをしなかった。

 だから私が対峙することにする。


「何故ノーゲームなのかしら? ルールに基づいた歴とした攻略法だと思うのだけれど? 八人も生き残ったことがお気に召さなかったのかしら? けれど、条件を達成できたら帰してもらえるというルールだったわよね? それを破る気?」


 指摘すると『方舟』は更に声を荒げる。


「黙レ! コンナヤリ方ガアルカ! 一組ノかーどヲ八人デ共有スルナンテ……! ソンナノハ、モウげーむデモナンデモナイ! タダノ示シ合ワセジャナイカ! ソレニ、勝テバ帰スッテるーるハアッタケド、ソレガ一試合シカナイナンテ表記ハドコニモナイ! ダカラ、コッチハるーるヲ破ッテナンテイナインダヨ! 再戦ハ絶対ダ! 参加シナイナラ犠牲ニナッテモラウマデダカラナ!」


 ……呆れた認識。

 これは詰める必要があるわね。


「何回条件を満たせば帰してもらえるのかわからないのでは、次の試合で条件を満たしても帰してもらえない可能性があるってことよね? その時に同じことを言われたら、流石にやっていけないと思うのだけれど。あなたの目的は全滅させることなのかしら?」


 質すと、『方舟』は答えた。



「イイヤ。次ガらすとダヨ。モウ増ヤサナイカラ安心シテイイ」



 ……やけに自信があるわね。

 次の試合で目標数に到達させる算段でもあるみたい。

 慎重に見極める必要がある。

 とはいえ参加しなければ犠牲にさせられるのだから、どのみちもう一戦はしなければいけないのよね……。


「次が最後なのね? ……やるしかないわね。犠牲にされたくはないもの」


 その意思を表示すると、周りの人たちも犠牲にされたくないという気持ちは同じだったようで頷いた。

 それを確認した『方舟』は笑った。


――悪意のある笑みを浮かべているような気がした。


「但シ!



――制限時間ハ、三十分!


――『チャット』機能ノ没収!


――手札制限違反時ハ勝負不可!



ニ、るーるヲ変更シマース! ソノ他ノるーるハ前ノト同ジモノヲ採用スルゾ! コレデモウサッキト同ジコトハデキナイナ! アハハハハッ!」


 『方舟』はやった。

 ルールの変更を。


 周りはどよめいている。

 けれど、私はこの機にすかさず確かめた。


「それで最終決戦なのね? ……えっと、敗者が出た時、敗者を出した人が残っていたらその人が勝者ということでいいのかしら?」


「……? ソウダロ? 何当タリ前ノコト聞イテンノ、コイツ……」


 妙なことを聞いた私を『方舟』は蔑んだ。

 『方舟』には当たり前のことのように聞こえたかもしれないけれど、私にとっては重要なことなのよ。

 だから、馬鹿だと思われても尋ねておく必要があった。



「ワケワカンナイコトヲ言ッテルヤツハホカットイテ、最終決戦ヲ始メマース! 開始早々ニ手札制限違反時ノかうんとだうんガ始マル人モイルト思ウケド、ソコハ鹿恋サマノ元ニ集メラレタかーどヲ回収スルナリシテ対処シテクダサーイ! 一分経過スルト犠牲ニナッチャイマスカラネー? ソレデハ最終決戦、すたーとデース!」



 二回目の『ポーカーフェイク』開始を宣言する『方舟』。

 カードを持っていなかった少女、中年男性、黒い人、お兄さん、老人、青年が大童でカード争奪戦を繰り広げた。

 私はそれが終わるのを待ってからゆっくりと五枚のカードを選ぶことにした。


 本当はスペードのカードが欲しかったのだけれど、一枚も残っていなかった。

 恐らくはお兄さんね……。

 妹の補助をしようとして持っていった可能性が高い。

 妹は始まる時、既に手札を持っていた。ということは、『ダミーカード』を含む束を持っているのは彼女ということになるのだから。

 あの束の『ダミーカード』以外は全てスペードのカードだったのだもの。


 お兄さんが五枚ともスペードのカードを持っていったのだとしても、三枚余るはず。

 ……ああ、これは、お兄さんが余ったスペードのカードを全部持っていったのね。

 その前に五枚のスペードのカードを持っていった人が他にいる。

 そんなことをやりそうな人物に心当たりがあるわ。


 A、K、Q、J、10のカードもなかった。

 それに9のカードも。

 こんな『ゲーム』をやらされているのだもの。

 できるだけ強い役をつくりたいっていう心理が働くのは当然ね。

 だから、残りの四人のうち三人が『ロイヤルフラッシュ』をつくろうとして持っていったのではないかしら。

 ここに大きな落とし穴があると知らずに。

 9のカードがなくなっているのがその証拠よ。


 残っていたカードは見事なまでの揃いようだったわ。

 ハート、クラブ、ダイヤの3と5から8という十五枚。

 4が抜けているからできても『フラッシュ』が限度。

 ……これもお兄さんの仕業ね。

 覚えていたらあとで注意しておきましょう。


 『フラッシュ』程度では私の推理だと妹にしか勝てない計算になる。

 けれど、この段階にきたら手札なんて五枚あれば十分だからこんなものしか残っていなくても何も問題はない。

 ただ、これは妹に押しつける予定のものなので一応ハートでも揃えておこうかしら?



 あと二十九分十七秒。


「さて。それでは、私が犠牲になろうと思うのだけれど……」


 私は切り出す。

 できるだけ多くの人を残すために。


 私の自己犠牲の発言にあの兄妹が強く反対した。


「お、お姉ちゃん!? だ、ダメだよ、そんなの……っ! けほ、けほっ!」


「そ、そうだよ! きみはおれたちを生き残らせようとしてくれたのに……っ!」


 正直に言って止めようとしてくれるのは嬉しい。

 けれど、誰も死にたくないのなら別々の人と戦って四人生き残らせることさえ困難なのよ。


「ぎ、犠牲になってくれるだがね!? あ、ありがたいで!」


「よ、よかったのであります! こ、これで某が死ぬ可能性が僅かに減ったのでありますよ!」


「おお! これで一人は確実に生き残れますな! 誰にしますかな!?」


「くひひっ! やっと死ぬ気になってくれて嬉しいよ! ボクは生き残りたいなぁ!」


 ……こんな思考の人たちがいるのだもの。

 こんな人たちにあの子たちを任せられないじゃない。


「ごめんなさい。けれど、こうしないとあなたたちとの約束を果たせそうにないもの。だから、私のカードを……――っと、その前に、一時凌ぎにしかならないけれど、あなたのカードと取り換えてもらえるかしら? そのカードを持っている状態はあまりいいとは言えないでしょう?」


 私は謝る。

 そして交換を申し出た。

 妹の安全性を少しでも保とうとして。

 けれど、


「嫌です! これを持ったら、お姉ちゃん、死んじゃうじゃないですか! 絶対に嫌です! わたしたちだけじゃなくてここにいる皆さんを守ろうとしてくれたのに、そんなお姉ちゃんが犠牲になるなんて――けほっ、こほ、ごほっ!」


 拒まれた。

 拒まれてしまった。

 そんなことされたら、覚悟が揺らいでしまうじゃない……っ。


 妹だけではなかった。


「そ、そうだよ! きみが必死に考えてたのをおれは知ってる! どうやったら多くの人を生き残らせられるかって! あの手札を回す方法だって、きみが考えた案じゃんか! きみがいなかったら、こんなに残らなかったんだよ!?」


 お兄さんも。


 ……やめて。

 生きたくなる。

 生きたくなってしまったら、ここにいる人たちを、あなたたちを生きて帰らせられる保証がなくなってしまう……っ。


 これは私への罰。

 余計なことを考えてあの大きな彼を犠牲にしてしまった私への罰なのに……。


「……仕方がないのよ。誰も犠牲にすることなく助かる方法が思いつけばよかったのだけれど、思い浮かばなかったのだもの。それに、あなたたちを生きて帰すって約束したのは私。私にはそれを守る義務が――」


「けほっ、けほっ! ――そんなのいいよ! わたしはお姉ちゃんと一緒にいたい! 一緒がいい!」


「お、おれも……!」


 ……本当に嬉しいことを言ってくれる。

 けれど、この展開はよくない。

 この子たちまで犠牲にされ兼ねない……っ!


「え、えっと、これはもしや、三人までなら生き残れるという流れなのでは!?」


「よ、よい流れですな! あ、あと一人決まれば……!」


 中年男性と老人……!

 この大人たちは……っ!


「私だけでいいと言っているでしょう!? あの子たちまで犠牲にする必要なんてないわ!」


 私は声を張っていた。

 こんなに大きな声が出るなんて、自分でも驚く。

 それでも、老人たちには響かない。


「そ、そう言われましても……っ。犠牲にしなければ生き残れないわけでありますし……っ」


「そ、そうですな! ルールが変更された以上、先ほどと同じ手は通じぬのですぞ!? ならば、犠牲になる者を四人選ぶ他にありませぬな!」


 ああ、もう!

 また固定概念に囚われているじゃない!

 どうしてその考えから離れないの!?


 ……こうなったら説明するより見せた方が早い。

 私は少女にカードを押しつけて言った。


「そのカードを右回りで送って! そうすれば――」


 私は行動に移した。

 けれど、少女は固まっていて動かない。


「ど、どうしたの!? 早く――」



「――きない。できないよ……! 君が犠牲になるのは何か違う気がするもん!」



「――っ!?」


 ここへきて少女の意見が変わった?

 さっきまでは自分のことで精いっぱいだったはずなのに……っ。


「あの子たちが言ってた……! 僕たちを生き残らせるためにあの方法を考えてくれたんだって! それって、僕たちが生きてるのは君のお陰ってことだよね!? なのにまた君に一番苦しいことを押しつけて生きるのってズルいって思うの! だから、君が死ぬなら僕も死ぬよ! 君は生きるべきだって思うもん……!」


 カードを戻される。

 あの子たちの言葉が彼女の心に刺さったみたい。

 少女が私の味方になってくれた。

 けれど本当にいよいよまずい……。

 これで向こうが調子に乗り出して――



「や、やったであります! これで勝ち確! 生き残ること確定であります!」


「犠牲になるのはフードの少女、ボロボロの二人、セーラー服の少女! 生き残るのはワシ、太い男性、黒い服の人、スーツの男性ですな!」


「よーし! じゃあ、早速取り掛かろうか!」



 こうなるのよね……。

 もう本当、自分が生き残ることしか考えていないのだから、嫌になる。

 早く止めなければ、って思っていたら、少女が発した。


「ねえ、ちょっと――」



「い、いいのかなぁ!? 僕のパパ、『スカイゴッド』の社長なんだけど!? 僕が死んだらパパが黙ってない! 見殺しにした君たちのこと、調べ上げて絶対に復讐しちゃうんだから!」



 少女は地位を振りかざした。

 これは自分を守るためではなくて私を庇うための行動?

 ……けれど、弱い。


「だ、黙っていれば問題ないのではありませんか……?」


「……え!?」


「そ、そうですな! ここには我々と『方舟』しかおりませぬし……! 黙っていれば漏れる心配はないはず……っ!」


「そ、そんな!?」


「くひひひひっ。脅迫しっぱーい! 残念だったねぇ!」


「うう……っ!」


 大の大人に踏みにじられ、少女の顔が歪む。

 これは気持ちが折れてしまったかもしれない。

 そう判断した私は、自分のやり方で彼らを引かせようとした。

 けれど、測量を誤った。

 少女はまだ屈していなかった。


「……違う! 君たちに言ってない! 僕は君に言ってるんだよ! ホストの君!」


「う、うち……!?」


「僕のこと、あんなに気に掛けてくれてたでしょ!? 僕が死んだらこの人たちのこと、パパに話して! お願い!」


 少女はお願いした。

 ホストの彼に。


 彼女のこの対応は思いの外だった。

 正直、私にはない発想だった。

 それも、この状況におけるこの上ない選択。

 だって、彼はカリスマホスト。

 それを名乗るのなら女の子の話を聞くのが彼の務めなのだから。



 私は思いついてしまった。



「う、うちは……っ!」


 俯いて葛藤している青年。

 死にたくないけれど、女の子のお願いを無下にもできないといった感じね。

 これなら脈はある。

 私は隣にいる彼に聞こえるように呟いて後押しした。


「彼女はあなたを信じているのよ。カリスマホストのあなたを」


「――っ!」


 私の呟きを聞いた青年はハッとして顔を上げた。

 その表情には決意が込められていた。


 少女の決死の行動を黒い人が嘲笑う。


「くひひひひっ! そんなの、聞くワケないに決まってるじゃないか! キミを見殺しにするヤツにあいつも入ってるんだからさぁ! 自ら復讐されに行くような馬鹿はいないよ! それに、万が一あいつがキミに加担するようならここで排除してしまえばいい! 別に必ず四人で生き残らなければいけないルールなんてないんだからさぁっ!」


 自ら復讐されることを望む人が少ないっていうのは理解できる。

 それと、邪魔になりそうなら潰しておくっていうのも余念がない。

 けれど、この人はわかっていない。

 全ての人が脅しに屈するわけではないことを。

 そして、この人が馬鹿にした自ら復讐されにいく人というのは、自分の過ちを償いたい人と言い換えることもできるということを。

 そんな人のことを馬鹿だと呼ぶことなんてできない。


 黒い人が少女を狙う。


「キミたちが臆するようならボクがあの社長令嬢をやってやるよ! 『手札について』を選択して――」


 命の危機に少女は震えた。

 その時――



「待つがや!」



 助けに入った。

 青年が。


「その子は死なせん! 勇みすぎだで! あとがおっかにゃーでかんわ! うちはあのフードの子の意見聞いてからでも遅うないって思うが、どうがや!?」


 少女の思いが青年の心を動かした。

 風向きが変わってきているのを感じる。


「た、確かに『スカイゴッド』を敵に回すのは生きた心地がしない気がするのであります……っ。それに、フードのかたは何か言いかけていたような……」


「ふ、ふむぅ……。それが妙案であるなら聞くのはやぶさかではない気も……」


 中年男性と老人が揺れ動く。

 ただ、まだ、聞く耳を持たない人も一名いるようだけれど。


「何言ってるのさ! そうやって時間をなくす気かい!? 今回はさっきみたいな荒唐無稽な手段は使えないんだよ!? 折角纏まりかけてたっていうのに! ……まあ、いい! ボクがやれば動かざるを得なくなるさ! まずはあんたからだ、ホスト! 邪魔したのはあんたなんだからあんたをやって、ボクは現実に帰らせてもらうよ!」


 黒い人の魔の手が青年に迫る。

 これは阻止しないといけない!

 私は黒い人の手札を抜き取ろうとした。

 その寸前、


「え、ええのけや? おみゃー、うちに勝てると思っとるがね?」


 青年の声が耳に入ってきた。

 結構余裕がありそう……?

 私は一端様子を見ることにする。


「くひひっ! 知ってるかい!? この『ゲーム』、プレイヤーは十人で手札はそれぞれ五枚ずつなのに、用意されていたカードは五十四枚だってことを! 残りの四枚は配られず、この場にないってことになるのさ! そして、その『ないカード』をボクは把握している! あの山(犠牲になった女性の手元に集められていたカード)を真っ先に調べたのはボクだからね! なんのカードがなかったのかは教えてあげない! けれど、ボクの手札は『ストレートフラッシュ』! これがあの山の中からつくれた最強の役だよ!」


 黒い人がドヤ顔で講釈を垂れる。

 ……それ、もう「ないカード」を晒しているようなものじゃない。

 ほぼ全てのカードが女性の元に集められていた。

 それなのに『ロイヤルフラッシュ』が成立させられないということは、ないのはA、K、Q、J、10のうちのどれかでしょう?


 ちなみに私は「ないカード」がなんなのかを知っている。

 黒い人よりも前に漁っているもの。


 なかったのは『ハートのJ』、『クラブのJ』、『ダイヤのJ』。


 ここまでJが揃うと、『スペードのJ』も配られていないように思えてくる。

 従って『ダミーカード』は『スペードのJ』に化けていた可能性が最も高い。


 それで、ドヤ顔を向けられた青年はどんな感じかしら?

 見ると、顔を引き攣らせていた。

 ……いいえ、あれはそのように演じているのね。

 力を、入れているもの。


「そ、そりゃああそこから取ってちゃあ敵わんわ……。けど、どうとでもなるんじゃにゃーか? 勝負する前にすり替えられりゃあそれでええでよ……!」


 青年は作戦を言ってしまった。

 自分が助かる方法を黒い人に教えてしまっていた。

 これはやばいわね。



――黒い人。



 青年には余裕が感じられるもの。

 だから、明かしたのはわざとだってわかる。

 手札をすり替えようとしているって相手に意識させるために。

 そっちに注意を持っていかせて上手く視野から外そうとしているのね。

 彼の本命は違うところにある。


 私は見た。


 大きい彼の手札がなくなっていることを。


 ホストの彼の本命は、



――そのままの手札で勝負すること。



「くひひっ! 馬鹿だねぇ! 目論見を教えちゃうなんてさぁ! 交換なんてさせないよ! その前に手札をあんたにオープンする! どうだ! 『ストレートフラッシュ』だ! くたばれ、好色家!」


 黒い人は手札を公開したらしい。

 私には見えていないから、恐らく青年だけを指定して公開したのでしょう。


 まだ決着はついていないというのに、次の標的へ意識を向かわせる黒い人。


「次はキミだね、社長令嬢! 面倒なあんたを誰もやりたがらないんだ! だからボクがやるしか――



――ごぽ……っ?」



 少女に予告をしている最中、その人は吐血した。

 状況が掴めていないのね。

 目を白黒させて青年と向き直った。


「……なんで?」


 困惑する黒い人に青年は答える。


「ゆうたがや、うちに勝てるのかって。うちはあの山から選んどらんのだわ。もう一か所山があったでよ、そこから拝借したんだがね。おっきいのの手札をそのまんま」


「――っ!? ま、まさか、あんたが持ってるのって……!」


 そう、彼が持っているのは『ファイブカード』。

 この『ゲーム』において最強と言っても過言ではない役。


 確かに、あの女性の手元にあるカードから選ぶのであれば黒い人の言う通り、その人の持っている役が最強になる。

 『方舟』も彼女のところから自身の手札をつくるように勧めていた。

 けれど、それは誘導。

 もう一人の犠牲者である大きい彼の元にもカードはあった。

 それを見逃さなかった青年の勝利よ。


「ごふぁ! ふ、ふざける、な……! こ、こんなのはノーカンだ! は、『方舟』はあそこから取れって言ってた! ち、ちゃんと従えよ! なあ、『方舟』!?」


 黒い人は認めない。

 『方舟』に縋る。

 けれど、


「……」


 『方舟』は応えない。

 黙殺。

 それは青年の行動を容認し、黒い人を見限ったことを意味していた。


「な、なんとか言えよ! ……嫌だ、死にたくない! 死にたくない! こうなったら他のヤツらも巻き添えにしてやるッ! ……畜生! 反応しろよ、タッチパネル! このポンコツが! くそ、くそっ! くそくそくそくそくそくそ――おごぶぁ!?」


 『方舟』に見捨てられ、自棄を起こした黒い人はこの場にいる青年以外のみんなを共倒れにしようとした。

 けれど、タッチパネルは反応することなく、やがて最初の女性にも大きい彼にも表れた惨劇に見舞われることになる。


 全身から血を噴き出した黒い人は、そのままテーブルの陰へと姿を消していった。



竹上鷹視タケガミ・タカミサマあうとー! 残リ七人デース!」



 空気の読めない『方舟』のアナウンス。

 僅かな間、静寂に包まれる。

 それを破ったのは青年を心配する少女だった。


「だ、大丈夫!? ホストくん!?」


 少女が青年の元に駆け寄る。

 彼の顔は蒼褪めているというより黒ずんでいると言った方が適切なほど参っていた。

 ……その気持ちは私もわかる。


「だ、大丈夫! ……って言いたいとこだが、思っとったよりくるがや、これ。なあ、フードちゃん。頼んでえか?」


 その体調の芳しくない顔をこちらに向けて何か頼みごとをしようとする青年。

 私はそれを制した。

 何を言いたいのかわかったから。


「駄目よ。私だって同じことをしているわ。大きいあの人をやったのは紛れもない私なのだから」


 けれど、青年も折れない。


「あれはしょうがにゃーと違うけや? あの男が勝手にやったことだでよ。それに、フードちゃんがやったのとうちがやったのじゃあ、おっきな差があるんだわ。救われた命の数に。だから――」


「あなただって救ったじゃない、その子を。だから差なんて――」


「ね、ねえ! 何を言ってるの!? 僕にもわかるように説明してよ!」


 少女が割って入ってくる。

 私と青年の言い合いに不穏な空気を感じたのでしょう。

 だから私は彼女に説明した。


「……この人は私に何か策があるなら、自分を生贄にしてほしいって考えているのよ」


「――っ!?」


 少女の顔がみるみる強張っていく。

 彼女が青年を捉えると彼はばつが悪そうに顔を背けた。

 その肩を少女は掴んで思いをぶつけた。


「なんで!? なんでそんなこと言うの!? 生きて! みんなで一緒に帰ろうよ!」


 少女の言葉が青年に響いているのは確かでしょう。

 肩が震えている。

 けれど、青年は彼女の方を見ようとはしなかった。


「……そういうわけにゃいかんのだわ。怖え。これで助かったって喜んどる自分が怖くてかんのだわ……! 人を殺しとるのに……っ! 喜んどるとかうち、バケモンじゃにゃーか!」


 青年の危機迫る様子に少女はたじろぐ。

 それでも、説得はやめなかった。


「っ! ……で、でも、それは! こんな状況じゃ仕方ないよ! それに、それは僕を助けようとしてやってくれたんでしょ!? その気持ちはバケモノなんかじゃないよ!」


 少女の気持ちに私は乗っかる。


「そうね。喜んではいけないと思えている分、あなたはバケモノではないわ。バケモノはどちらかといえば私の方。あの大きな人の死を平然と受け容れて無駄にしてはいけないって思考に繋げているのだもの。だから、生贄になるべきは私なのよ」


「っ!? 君まで何を言ってるの!? 二人して変な気を起こさないでよ!」


 キッと睨むような視線が私に向けられる。

 ……わかっていた。

 こうなるでしょうって。

 彼女は青年が生き残ることを望んでいる。

 けれど、私の言ったことは彼女が望む展開ではない。


「みんなで帰るの! どっちも失いたくないんだから!」


 わけがわからないというふうな戸惑う素振りを見せる私に届けられた少女の言葉。

 ……まったく、あなたはいつからそんなに私のことを大事に思うようになったのよ、とは本気で思う。


 少女の言葉を受けて、青年が確認してくる。


「……ちなみに、誰も死なん方法なんてあるのけや?」


 助かりたいって気持ちが芽生えたのかしら?

 ……いいえ。

 彼の顔は確信しているといった様子ね。


 そんな方法はないって。


 この質問の目的は、少女を諦めさせること、なのね。


「……ない、わね。最低でも一人は犠牲者が出るわ」


 私は答えた。

 この回答に青年の顔色は少しだけ血色がよくなったように思う。


「一人だけ……。やっぱすげえわ。そんなこと思いつくフードちゃんは残すべきだがや。うちにはできんもんで。ここはうちが死ぬ。決まりだがね」


 私の言葉は彼に理由を与える。

 与えて、しまう……っ。


 私が止めようとする前に、少女が黙っていなかった。


「待って! どうしてそうなるの!? 一人は犠牲になっちゃうから!? そ、それはみんなで決めようよ! ほ、ほら! あの太ってる人とか、おじいさんとか……!」


「ふぇ!? そ、某!?」


「ふぁ!?」


 どうしても青年を死なせたくない少女が中年男性と老人を巻き込む。

 けれど、それは青年が納得しない。


「いかん。そりゃいかんわ、嬢ちゃん。うちらを生かしたいからっちゅーて、その二人に代わってもらうのは。あの二人は何もしとらん。悪いことは何も。その二人が死んで、人を殺したうちが生きとったら道理が通らんって」


「で、でも……っ!」


 少女も諦めきれない。

 けれど、言葉は見つかっていなかった。


「それなら私が犠牲になるのが道理でしょう? 私は大きい人をやってしまっているし、私が思いついたことなのだもの」


 私が青年を説き伏せようと試みる。

 犠牲になるべき理由を並べた。

 それでも青年は引き下がらなくて。



「もし、『方舟』にケチつけられたら?」



「……っ」


 彼の口から出てきたのは最も懸念していたこと。


「そうなっちゃあ、うちでは対処できんがや。けど、フードちゃん。おみゃーならどうにかできると違うけや? みんなを守れるのはおみゃーしかおらんって」


 確かに、私は想定問答を用意している。

 けれど、他の人たちは準備をしているかどうかわからない。


 私の用意したものをみんなに知らせるのは避けるべきでしょう。

 そんなことをしたら、『方舟』に対策を取られてしまう危険性がある。

 「チャット」が使えればみんなに伝えられていた、なんてことはない。

 「チャット」の画面を『相手』が確認できないとは限らないのだから。

 結局のところ、私が生き残るのが一番効率がいいということになる。


 ……もう私には彼を止められなくなった。



「ねえ! やめようよ、こんな話! みんなで生きて帰ろう!? ね!?」


 少女はまだこれ以上犠牲者を出さないで終えられると信じている。

 妄信している。

 そんな方法はないというのに。

 少なくとも今の私たちの中にはその発想まで至れている者はいなかった。

 残り時間十八分で辿り着けるかと聞かれたら正直厳しいとしか言いようがない。


「それが可能であるなら、私もそうしたいわ。けれど、かれこれ一時間以上考えているけれど、引き分けにすることくらいしか思いつかなかった。結局、それも全員が助かる手段ではなかったわよね……。『ゲーム』に参加しないのも駄目。敗者を出さずに勝利する方法もない。制限時間を過ぎてもアウト。私の案はもう出尽くしてしまったわ。あまり戦意を削ぐようなことを言うのはどうかと思うけれど、それでも下手に期待させて駄目だった、では済まされないもの。だから言わせてもらうわ。全員で生きて帰るのは望み薄よ」


 私は知らせた。

 全員での生還は絶望的な状況であることを。

 反発、されるでしょうね。


「なんで!? 諦めないでよ! 諦めずに考えれば思いつくかもしれないじゃん!」


 私にもっと考えてほしいと強請ってくる少女。

 私が考えたとしても結果は変わらない。

 何か新しい情報でもない限り。

 きっと固定観念に囚われて同じことろをぐるぐる回るだけで終わってしまう。


「無理言っちゃかんわ。この子は前の試合の時から考えてくれとるって。だから、うちらはここまで生きてこれたんだがや。……そろそろ半分になる。もう決めんといかん。このままじゃ、誰も帰れんくなる。ゼロより六人で帰れた方がええってうちは思っとるけど、嬢ちゃんは違うのけや?」


 青年が困っていた私を庇ってくれる。


 それでも、少女はなかなか首を縦には振らない。


「そ、そうかもしれないけど……っ。で、でも……っ!」


 平行線を辿っている青年と少女の願い。

 固い彼の意思。

 その姿を見ると私は胸の奥が痛くて堪らなかった。

 けれど、それでも、意を決しないと……。


「私は生きることにしたわ。あなたが私に生きる価値があるって言ってくれたから。私はなんとしても六人で帰ってみせる。それが私に課された償い方だって思うから」


 私の意思表示に少女は悲観する。


「っ!? それってホストくんを見捨てるってこと!? 嫌だよ、そんなの!」


 そんな少女を青年は宥めた。


「ほしいもの、二つ同時に追っかけると両方なくしちまうんだわ、お嬢ちゃん。なあに、心配せんでええって! うちは二人に感謝しとるでよ! こんなとこに連れてこられて忘れとったことを思い出させてくれたもんで! うちはカリスマじゃんね! 女の子を最高に喜ばすのがうちの役目! 女の子のために死ねるなら本望だわ!」


 彼は笑って言った。

 その顔はとても眩しくて。

 それを見た少女は何も言えなくなっていて。

 彼女を笑顔にさせるために全力を尽くしているとわかって。

 間違いなく彼はその道のカリスマなのだと感じた。



 少女を彼女の席まで送っていった青年に最後の確認をする。


「一応確認なのだけれど、本当に――」


「おお! 思いっきりズバッと頼むがや! ちょびちょびやられると決意が鈍るといかんでよ!」


 最後まで言わせてもらえなかった。

 私の言わんとしていることを察してニカッと輝くような笑顔で被せてくれる。

 ただ、余裕はないのでしょう。

 彼の身体は震えるのを必死に堪えていた。


「あ、あなた、やっぱり――」


「うちは人を殺した重圧に耐えれん。生き残っても自ら死ぬかも知らん。そんなヤツ、誰かを犠牲にしてまで生きる資格なんてにゃーで」


 知らない振りをしていた。

 そんなこと、わかりきっていたはずなのに。

 青年は死にたくて死ぬわけではない。

 自分が許せなくなっていたところに、ちょうどそういう枠があったからはまってしまっただけなのに。



 そうさせてしまったのは私だ。


 私は彼の性格を分析していた。


 彼が人を死なせてしまったらどう感じるのか、その予測はできていた。


 それなのに私は、



 この人が黒い人をやるのを黙って見ていた。



 良心の呵責に耐えられなくなるだろうって判断していたのに。


 私は自分が助かるっていう可能性を見つけて、また飛びついてしまった。


 それを、相手が死ぬことを受け容れているのだからその役を譲るだけ、って正当化している自分がいて、本当、嫌になる。


 最低だ、私……っ。



 とはいえ今更覆す時間はない。

 私にできる罪滅ぼしは、私たちのために身体を張ろうとしてくれている彼の最期の願いを叶えること、ただ、それだけ。



 残り09:09。

 最後の犠牲者が決まった。



 私は彼のカードを一枚奪った。

 そして、妹と交渉し、交換して得た『元スペードのJ』とともに少女に送りつける。


「その二枚を右に回して」


 私が説明するも少女は最初、動かなかった。

 いいえ、動けなかった。

 彼を犠牲にしてしまうことに躊躇っていた。

 けれど、


「うちは嬢ちゃんに生きててほしいんだわ。生きとってくれたらそれだけで嬉しいんだがね」


 青年の一言で心を決める。

 ぶわっと溢れ出す涙を拭い、二枚のカードを中年男性へと送った。


 中年男性から、妹へ。


 妹から兄へ。


 兄から老人へ。


 老人へ渡った二枚を私に戻す。


 そして――



「――うぐぅ!?」



 始まった。

 青年への残虐な処刑が。


「ホストくん……っ!」


 彼の元へ駆けつけようとする少女を抱きとめる。


 私は見届けなければいけない。

 その義務が私にはある。

 私の腕の中で泣きじゃくる少女と、もがき苦しみ変わり果てていく青年の姿を。


 目から、耳から、鼻から赤い液体の飛沫を上げ、座っていることも儘ならなくなった青年。


「いや、いや、いや――っ!」


 少女に呼応して、こちらを向いたその顔は赤く染め上げられていてぐちゃぐちゃだった。

 それでも少女を確認すると笑顔をつくってみせる。


「……生きて……お願い……うちの、分まで……――」


 そう言って彼は床へと倒れ込んだ。

 彼の最期は血に塗れてはいたものの笑顔のままで、とても安らかに眠っているようだった。


 ……痛い。


 私は少女を押さえていられなかった。

 彼女は脇目も振らず彼の元へと走っていった。


 無情にも『方舟』のアナウンスが響いていた。


薔薇園夫太バラゾノ・ユウタサマ、脱落ー! 残リ六人!」



 ……これで本当によかったのかしら?

 彼の亡骸を見て思う。

 彼を犠牲にしたことは間違った選択ではなかったって言えるのかしら?

 ……いいえ。

 言えるようにしなければいけない。

 できなければ私は最悪の殺人犯で終わることになるのだから。


 私は彼から奪っていたカードを彼に返す。

 これで私の死はなくなった。


「……きっと叶えてみせる。残りの人たちを生きて帰らせてみせる」


 決意を言葉に。

 あとは『方舟』との直接対決。

 負けるわけにはいかない。

 いいえ。絶対に勝つ。

 私は『方舟』に呼び掛けた。


「ねえ、『方舟』? もう私たちを戻してくれてもいいのではないかしら? あとはどうせ制限時間が過ぎるまで待つだけなのだもの。そうしたところで結果は変わらないし、時間の無駄でしょう?」


 『方舟』は乗ってくる。

 意味不明だという調子で。


「……ハァ? 何ヲ言ッテルンデスカァ? 戻シテ? アナタサマ方ハ何モデキテイマセンヨー? 時間ヲ短縮シタラ死ヌダケジャナイデスカ。生存デキル枠ニ入ルノヲ放棄シタッテコトデイインデスカァ?」


 『方舟』はわかっていない。

 私はにまぁっと嫌な笑みを浮かべて言った。


「何を言っているの? 私たちは勝ったじゃない。



――この青年をみんなで犠牲に追い込んだのだもの」



「ハ、ハァ!? ソレハ手札制限違反ノ制裁ダロウ!? 薔薇園夫太ガるーるヲ破ッタダケ! ドウシテソレデアナタサマ方ガ勝ッタコトニナルンダヨ!」


 まだ気づかない『方舟』。

 私は突きつける。


「あら? 手札制限違反は敗者と同じ扱いになるって『ルール』に載っていたじゃない。それに私はちゃんと確認したわよ?



――敗者が出た時、敗者を出した人が残っていたらその人が勝者ということでいいのかって。



そしたら『あなた』は、そうだと言った。『あなた』は認めたの。



――手札制限を違反させる要因をつくった人は勝者である――



ということを。私たち全員が彼に手札を返さないようにしていたのだから、私たち全員が勝者。現実に帰れる権利を得たということね」


「――ナッ!?」


 『方舟』が絶句した。

 こうなることは予測できていなかったみたいね。

 それなら畳みかけられる。


「みんながもう帰れるのだから争う必要なんてないもの。わかったでしょう? 時間の無駄ってことが。早く帰してちょうだい?」


「フ、フザケルナ! ソンナノ、タダノ屁理屈ダ! 認メラレルワケナイジャナイカ!」


 案の定、認めないと言ってきた『方舟』。

 だから、そこを突く。


「容認していたのは他でもない『あなた』なのだけれど? 一度決めたことを反故にする気? 器が知れるわね」


 私に器のことを言われてムッとしたのでしょう。

 『方舟』が訂正する。


「……ッ! ジ、ジャア、モウ一回『ポーカーフェイク』ヲヤッテモラウマデダ! 今度ハぽーかーデノ勝負デ勝ッタ者ノミ生存デキル条件ヲ満タスモノトスル! コレデ完璧ダ!」


「……はぁ」


 大きめに溜息をついた。

 ありがとう。

 そう言ってくれて。

 これで終わりにする。


「それも確認していたわよ? 私は。



――さっきのが最後だって」



「……ア。アアーーーーーーーーッ!」


 自らが言ったことを忘れていた『方舟』の悶絶ともとれる絶叫。

 もう言い返せる状態ではない。


 私は『方舟』との言い合いに勝った。



「……そういうわけだから。私たち、帰らせてもらうわよ?」


 時間をおいて、少し落ち着いた『方舟』に催促する。


「ハァ、ハァ……ッ! 小娘ガ! 調子ニ乗リヤガッテ……ッ! ――マ、マァ、イイサ! マタスグニ呼ンデヤルカラナ! ココデ死ンデタ方ガマシダッタッテ後悔サセテヤルカラ覚悟シロ!」


 そんな捨て台詞をはいて、『方舟』の声は聞こえなくなった。



 数秒後、辺りは光に包まれる。

 目覚めるって感覚があった。


 この場所から離れる前に話し掛けられる。


「お姉ちゃん! 生きて帰れたよ! ありがとう!」


「また会えるかな!? おれたち、『しょうぶのさと』って施設にいるから! 待ってる! いつでも遊びに来て!」


「……ええ」


 ……兄妹。

 私はもう会うことはないって思っていたけれど、社交辞令で返した。


 この子たちは、こんな悪い人間にはもう関わらない方がいい。

 私が踵を返そうとすると二人に呼び止められる。


「あ! そうでした! ずっと聞きたかったんですけど、お姉さんは年上ですよね!? ほら! 雰囲気が大人っぽいっていうか! 髪型のツインのシニヨンも素敵ですし!」


「違うよ! きみは年下だよね!? だって栄養不足のおれたちと同じくらいの身長だし!」


 彼らは私の年齢のことでちょっとした諍いを起こしていた。

 彼らが纏っていた光が強まっていくのを見て、私は教えることにした。

 私は彼らに関わるべきではないのだけれど、もう会えないのなら彼らの間にいざこざを残してはよくないって思ったから。


「私は中学生よ」


 伝える。

 すると、妹の方は喜んで私に向かって手を振り、兄の方は仰天したあと私に向かって深く頭を下げた。

 その状態で彼らの姿は消えていき、数秒後、完全に見えなくなった。



「イヤッハーッ! 帰れる! 帰れますぞ!」


「ああ! ありがとうなのであります! ありがとうなのであります、神様っ!」


「……」


 大きな声のする方を見る。

 万歳をして小躍りする老人とひれ伏して神に感謝を伝える中年男性。

 そのままの姿で彼らは消えていく。

 ……。



「薔薇園クン……」


 下の方から聞こえてきた。

 確かめる。

 少女が青年を膝枕していた。

 そういえば、ぬいぐるみにされたのは最初に犠牲となった女性だけで、あとの三人はそのまま残されていたことに気づく。

 彼らは帰れない。

 帰ることができない。

 心が痛む。

 私は言った。


「名前がわかったのだから、弔うことはできるわ。……この夢がもし、現実と繋がっているのだとしたら、お墓参り、行ってあげて……」


 この言葉に少女は頷き、青年を抱きしめる。

 それから青年と私に言った。


「……ありがとう。僕、生きるね。精いっぱい生きるから……!」


 そう言って、少女も消えていく。

 最後に見た彼女は笑顔だった。

 私には眩しすぎるくらいのとびっきりの笑顔だった。



 私の見えている景色もどんどん白んでいく。

 夢の世界が崩壊していく。

 私も消えていっているのだと理解した。


 この『ライフゲーム』で出てしまった犠牲者は四人。

 もっと上手く立ち回っていたらこの数を減らせていたと思うと遣る瀬無い気持ちが押し寄せてくる。

 私は呟く。


「……呼べるものなら呼んでみなさいよ。また『あなた』の計画を台無しにしてしまうかもしれないけれど、ね……」


 直後、コンピュータがシャットダウンするかのように、私の視界は真っ黒に染まった。



 こうして私の『ライフゲーム』は終わった。



……………………

…………

……



……

…………

……………………


 私は気がつくと見知った場所にいた。


 いつもと変わらない天井。


 見渡すと、そこにはいつもと変わらない部屋があった。


 カーテンを開けると、いつもと変わらない街並みがそこには広がっていた。

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