episode.2 「ルール」に載っていないルール

「――ソレデハ『ライフゲーム・ポーカーフェイク』、すたーとデス!」



 『方舟』によって宣言される。

 恐怖の遊戯の開始が。

 ……この状況で?



――目の前にはテーブルにもたれかかるように倒れ込んでいる女性がそのままになっているというのに。



 まったく動く気配が……、

 ――っ!

 いいえ、動いた。

 眼が私の方に。

 よく見ると、唇も微かに震えている。

 何かを私に伝えたい、そんな様子だった。


 耳を近づける。


「……自分の思い過ごし、だったら、それでいい……っ。聞き流して、くれ……。だが、もし、自分の所為で彼らのことを良からず思っているのだとしたら、聞いてほしい……っ! 彼らは被害者、だ……っ! 憎むべきは、もっと、他にいる……! どうか、その元凶の、思惑通りには、ならない、で……――」


 そう言うと、彼女はもう二度と喋らなくなった。

 顔を確認すると、目は光を失い、瞬きすらしなくなっていて。

 力なくそこに寄り掛かっていた。


 私は守ってくれなんて言った覚えはない。

 だから、彼女がこうなったのは自己の責任である部分が大きい。

 全てが彼女の責任でないのは、彼女に割って入らせてしまったという点。

 その点に関しては私にも非があるのでしょうね。


 だから、彼女の最期のお願いを聞くことにした。

 別に私は彼らを恨んでいたわけではないのだけれど、彼女に対して何かをしなければ寝覚めが最悪になりそうだったから。

 一応、私を助けようとしてくれたのだし。



 私が『憎むべき元凶』の計画を台無しにする方法を模索するなか、『それ』がゲームにストップをかけた。


「オオット! 失礼シマシタ。犠牲者ガソノママデシタネ。ソレデハ気ニナッテ集中デキナイデショウカラ、彼女ハぬいぐるみニ変エテオキマショウ!」


 そう言うと、女性の姿はその周りに飛散していた液体とともに徐々に薄れていき、彼女を模してつくられたのでしょうけれどかなりデフォルメされたぬいぐるみに置き換わった。

 顔の周りが真っ赤なぬいぐるみに。

 ……そんなふうにつくる必要がどこにあったのかしら。

 悪趣味ね。


 それを見えない力で浮かして、彼女が座っていた位置のテーブルの上に移動させた『方舟』。

 夢なのだから、こんなことができても不思議ではないわね。


 気を取り直したように進める。


「サテ、ソレデハ改メマシテ『ポーカーフェイク』、すたーとデス! ……ア。チナミニマダ、げーむニ参加シナケレバイイ、ナドトオ考エノ方ハイラッシャイマセンヨネ? コレハ人類ヲ守ルタメノモノデスノデソレニ協力デキナイトイウ方ハ、人類ナドドウナッテモヨイトイウ破壊的ナ考エノ持チ主デアルトミナシマス。ソノヨウナ方ニハ、先ホドノ鹿恋サマノヨウニナッテイタダキマスカラ、ソノオツモリデ」


 もう本当にグダグダね……。

 後から後から忘れていた工程を行ったり漏れていた忠告をしたりしていて締まらない。

 ここにいる人たちが恐怖におののいていなくてその部分に先に触れていたら、どうするつもりだったのかしら?

 たらればを言っても仕方がないのでしょうけれど。

 結果的に『方舟』は釘を刺したうえで、ゲームを開始することに成功しているのだもの。



 『方舟』がテーブルの中に沈んでいき、代わりにいくつかの実物ではないデジタルなトランプの束が浮き上がってくる。

 それらには一から十の番号が振られていた。

 これは「あとで全員で話し合って選べ」と言っていた手札となる五枚のカード、ね。

 手元のモニターにも一から十の番号が表示されている。

 ……なるほど。

 ゲームは全てこのモニターで行うということかしら。


 などという感想を持っていたら、あの人が動き出した。



「『一番』は俺様のだ!」



 光っていたタッチパネルの『一番』の部分が暗くなる。

 ……大男。

 『方舟』は話し合えって言っていなかったかしら?

 何を勝手に決めているの?

 まあ、この人はこういう人だと把握していたけれど。

 ただ、これが許されると、この場は荒れる。


「な、何しとるがや!? 話し合うんじゃにゃーのか!? なあ、『方舟』!」


「……」


 返答はない。

 『方舟』はこうなることも見越していたのでしょう。

 黙認していた。


「で、ではワシはラッキーセブンの『七番』を取りますかな……!」


「っ!? おみゃーら! 勝手なことすんじゃにゃーで! う、うちはえっと、えーっと……!」


「こ、このままじゃ選べなくなるぞ!? おれは『八番』にする! おまえも早く選べ!」


「う、うん……っ! じ、じゃあ、『六番』で……! こほ、こほっ」


「ええ!? ど、どんどんなくなってく!? 残りものを押しつけられて犠牲になるのは嫌だよ! えっと、残ってるのでよさそうなのは……! じ、『十番』かな!?」


「は、話し合いはいずこへ……!? こ、こうなったらもう流れに乗るしかないのであります……! さ、『三番』を選択するのでありますよ!」


「うぎゃああ!? も、もう半分も残っとらんがね!? ご、『五番』がマシかや!? 『二番』も『四番』も『九番』もイメージがええとは思わんでよ!」


 危惧した通り、我先にと勝手に決める人たちでごった返した。

 残ったのは私と真正面にいる黒い人。


「……だってさ。残ったのはどれも縁起が良くないらしいよー? どーするー?」


 両手の平を天に向け、肩を一度弾ませた目の前の黒い人。

 やれやれ、といった感じを身体で表していた。


 初めて相談された。

 けれど、ここまで来たら選ばないのが最良の手段のように思えた。


「あなたも先に選んでいいわ。私は余ったもので結構よ?」


「……ふーん。余り物にはなんちゃらー、ってことかなー? それじゃあ、お言葉に甘えて。ボクは『四番』にしよっかなー。好きなんだよねー、この数字ー」


 タッチパネルの『四番』の光も消える。

 余ったのは『二番』と『九番』。

 私は『方舟』に一つ確認を取ってみた。


「ねえ、『方舟』。私の手札を決めてもいいわよ? ……それで、なのだけれど、私の手札にならなかったもう一方はどうなるのかしら?」


 気になったのはもう片方の行方。

 使われなくなるのだとしたら、全部で使用されるカードは五十四枚だとはいえここには九人、もとい十人しかいなかったわけで、それで配られるのが五枚ずつなのだからどうしても四枚が省かれる計算になるというのに、その上五枚も除かれるということになれば計算が面倒くさくなる。

 可能であれば扱えるようにしてほしい、というのが私の望みだった。



「……ホホウ。強気デスネ。ソレデハ『九番』ノかーどヲ鹿恋サマノ元ニ置イテオクコトニシマショウ。アナタサマハ『二番』トイウコトニナリマス」



 それが『方舟』からの答えだった。

 これは、そのカードを使えると見ていいのかしら?

 わざわざ犠牲になっている彼女の手札にした、ということは……。

 犠牲となった者のカードについてはルールに記載がなかったから判断がつかない。

 ……ちゃんとこういうことも想定しておいてほしいものね。



 兎に角、これでようやく手札が来る。

 ようやくモニターのその右部分に項目が表示された。縦に並んでいて上から、


――「手札について」


――「残り人数」


――「残り時間」


――「交換できる権利」


――「猶予」


――「条件」


――「ルール」


――「チャット」



 まず、確認すべきは「残り時間」でしょう。


「……」



――55:47



 ……これ、『方舟』が最初にスタートって切り出してからタイマーを止めていないわね。

 手札が手元に来るまでに四分十三秒も消費されているじゃない。

 あの大男が勝手に取り始めていなければ、手札決めで更に時間を要していた可能性がある。

 最悪、そこに時間を費やされて勝負ができないっていう展開になっていた線も余裕で追えるわ。

 ……だからといって、あの人に感謝をしようとは思えないのだけれど。



 次に確認すべきはみんなの顔。

 私のカードを確認するより優先度は高いのではないかしら。

 変化で大体は読み解けるもの。


 口角が上がっているのは大男に老人。


 首を傾げているのは双子と思しき二人。


 瞬きが増えているのは少女に中年男性、それに青年。


 黒い人は、よくわからない。

 見事なポーカーフェイスだった。



 さて、私のも確認しておかなければいけないわね。

 残りものに福はあったのかしら?

 タッチパネルの「手札について」をタップする。



「……んふっ」



 思わず笑ってしまったわ。

 ……やってくれたじゃない、『方舟』。

 私の手元に来ていたのは


――『スペードのA』


――『スペードのK』


――『スペードのQ』


――『スペードのJ』


――『スペードの10』


 強い役。

 そう、見た目は。

 けれど、画面の上部には構成できている役を知らせてくれるスペースがあって、そこに記されていたのは――



――『ダミートリック』の文字だった。



 『ダミートリック』……。

 手札に『ダミーカード』を含む最弱の役。


 今の私はある一人を除く誰から勝負を挑まれても敗北する運命にある。

 それを覆すには、『ダミーカード』を誰かになすり付けるか、『ワイルドカード』を所持している相手を探すしかない。

 本当、いい仕事をしてくれたわね、『方舟』。


 問題なのは、どれが『ダミーカード』なのかというところ。

 これは、似たような性質を持っているもう一つの特殊なカード、『ワイルドカード』にも適応されているかもしれない。

 手にした瞬間に姿を変えられてしまっていたら、『ファイブカード』でもない限り、それが『ワイルドカード』だと見破る手立てはない。

 この推察が正しいとするなら、今、『ワイルドカード』を持っている人はそれを持っていることに気づいていないということになる。

 私の感覚になるけれど、『ファイブカード』を手にした人がいればもっと顔に出るはずだから。

 従って、今、最強の役をつくれている人もいない、と私は推測している。


 所持している当人にも『ワイルドカード』がどこにあるのか認識できていないとすると、それを私が特定するのは無謀という他ない。

 というか、無理ね。

 手札のこの組み合わせをつくっているのは『方舟』なのでしょう?

 それなら、あの性格からしてあり得ないところに含ませていそう。

 既に犠牲になっている女性の元とか、『ダミーカード』を持っている私のところとか。

 私の元にあるとしたら、それは交換する以外に選択肢がなくなるということになる。


 私が『ワイルドカード』も与えられているとするなら、対処は容易い。



――誰かと手札をごっそり換えてしまえばいいだけだもの――



 そうすれば一枚しかない『ワイルドカード』と『ダミーカード』が相手に渡って『ダミートリック』になるのだから、私はどんなカードが来たとしても勝てることになる。

 ただこの方法は、どれに化けているのかわからない『ワイルドカード』を手元に残すわけにはいかないから五枚全てを交換する必要があり、そうすると相手の手札を全て見た扱いになるためその人と必ず勝負する展開になってしまうのが難点ね。

 一度きりの交換できる権利も使ってしまうから弱いカードが来てしまったら致命的になる。

 そもそも、これは私が『ワイルドカード』を持っている前提の話だし、持っていなかったらできる立ち回りではない。

 『ダミーカード』を押しつけて、奪ったカードの中にもし『ワイルドカード』があったら私はお終いだもの。

 それに私が『ワイルドカード』を持っていたとしても、誰かと勝負をするのはあの女性の願ったこととは違ってきてしまう。

 それでは『元凶』の思う壺になってしまうのだから。

 ……時間がない中でこのことに思考を割くのは無駄でしかないわ。


 『ワイルドカード』が私に与えられていないことだって十分あり得る。

 安全を担保するためには『ワイルドカード』と『ダミーカード』の特定が急がれるわね。

 協力者でもつくれれば、交換で『ダミーカード』を絞り込めるのだけれど。



 交換と言えば、既に犠牲になっている彼女と交換できるのか、は検証しておく必要がある。

 ……というか、それ以前にどうやって交換するのかしら?

 カードは実物ではないデジタル。

 実際に交換しに行く必要はないでしょうし……。

 タッチパネルでできると思うのだけれど、その説明はどこにも載っていない。


 頭を悩ませていると、事件は起こった。



――「チャット」の項目に突如として現れた吹き出しのマーク――



 これは、メッセージが来ている、ということよね?

 触れてみる。

 そうして出てきた文字に、私は固まった。


「――っ!」



【カードを奪われました】



 何よ、これ……っ。

 私はそれができなくて苦心していたというのに……。


 すぐさま「猶予」を確認する。

 52、51、50……。

 減っていっている。

 死へのカウントダウンが……っ。

 ど、どうすればいいの、これ……。


 焦る私の目に、また吹き出しが入ってくる。

 「チャット」を開いても追加のメッセージはなかった。


 まずい……っ。

 わからないことが多すぎて思考が纏まらない……!


 衝撃と焦燥と戦慄と逡巡で視線は下へ向かう。

 下を向いたのは意図したことではなかったのだけれど、それが功を奏した。

 発見する。

 顔のマークを。


 マークは全部で九つ。

 周りにいる人たちを簡略的にイラスト化したもののよう。

 その中の一つ、黒い人に吹き出しがあって。


 考えるよりも先に動いていた。

 マークに触れた。



【『スペードのJ』はいただいたよー? 言うことを聞いてくれたら返してあげる】



 これが展開された文章。


 あの黒づくめめ……っ。

 私を脅す気?

 そんな条件、呑めるわけないじゃない。


 けれど実際のところ、私が不利な立場であるのは事実。

 猶予はあと42。

 これがなくなったら、私はあの女性の後を追うことになる。

 早く取り返す算段を立てないと……っ!


 相手も手札の数が変化しているはずだから、そこを指摘する?

 ……いいえ、駄目ね。

 黒い人は交換の仕方を知っている。

 タイムアップまでに奪ったカードを誰かに押しつければあの人の死の宣告は止まるでしょう。

 対して私は交換のやり方がわからないから、誰かから奪って一時凌ぎをすることもできない。


 それが『ダミーカード』だと言ってみる?

 ……これも駄目。

 私が持っている役は『ダミートリック』なのだから奪われたカードが『ダミーカード』の可能性はある。

 手札を五枚に戻さなければ交換したとはみなされないなら、奪われただけのカードはまだ私の手札という判定になるはずだもの。

 手にしているカードが最弱の『ダミーカード』だとすれば心理的に手放したくはなるでしょう。

 けれど、問題は相手が奪ったカードを『スペードのJ』だと認識していること。

 死にたくなくてでたらめを言っていると捉えられ兼ねない。

 私の言葉を信じさせようにも時間が三十秒では少なすぎる……!


 それにたとえ信じさせることに成功したとしても、この方法ではそのあとが問題じゃない。

 だってそれは、私の手札が最弱であるということに直結するのだから。

 奪ったカードが『ダミーカード』だと言われたのを信じたのに、私を狙わない道理はない。

 勝負を持ちかけられでもしたら、私は一巻の終わり。

 ああ、これは、



――完全にやられたわ。



 きっと、カードを奪われた時点でこうなることは確定していたのでしょう。

 いち早く交換する方法に気づけた黒い人に軍配が上がっている。

 生きるために残された道は一つしかない……。



【返して 条件を呑む】



 このメッセージを相手に送ること。


 私の手は小刻みに震えていた。

 「言うことを聞け」という、たったそれだけの文字に私の心はひどくざわつかされていた。

 どんなことを強請ねだられるというの?

 考えただけで総毛立つ。

 気分が悪くなる。

 せめて可能な限りマシな要求であることを願わずにはいられなかった。


 画面が動く。

 新たなメッセージが届いた。



【なんだか想定してたのと違うなー。落ち着いてたから何かしてくると期待してたんだけど……。これを返したところで、キミがボクの理想を叶えてくれる姿が想像つかなくなっちゃったなー。役に立ちそうもないならいらないかなー。キミは】



 こいつ……っ。

 勝手に私に期待したくせに、その期待が外れたからいらないって?

 何をほざいているのかしら?

 頭に血が上ってくるのを感じる。

 けれど、今は冷静にならないと。

 主導権は相手が握っている。

 生かしてもいいって思わせるように動く、今はそれだけを考えなさい、私!


 兎に角、相手に私への可能性を感じさせ、誤解を正す文章を送らなければ。


【仕方がないでしょう 交換の仕方を知らないのだもの 「ルール」にもなかった それに私は落ち着いてなんていない これでもパニックを起こしているの 表情をつくる筋肉が死んでるとはよく言われる】



「――ぷっ」



 誰かが噴いた。

 声がしたのは真正面の方。

 窺うと、口元を手で押さえながら必死に笑い声にするのを抑えている黒い人の姿を捉える。

 ……私が送った文章でそうなっているの?

 そうだとしたら、ツボにはまりそうなのは私が晒した欠点くらいしかないのだけれど。

 ……最低。


 私が、他人の短所で笑っている黒い人にドン引きしていると、またメッセージが来た。



【キミ、おもしろいねー! 今のに免じてカードを返してあげるよー。今ので少しだけキミに生きる価値を見出せた気がしたからねー。脅威にもならなさそうだし】



 これを見て、大慌てで確認する。

 「手札について」を。


 『スペードのA』、『スペードのK』、『スペードのQ』、『スペードの10』、それに、



――『スペードのJ』



 戻ってきていた。

 奪われていたカードが。


 「猶予」を開いて、死へのカウントダウンが停止していることもチェックする。

 表示されていた数字は4。

 危機一髪だった。


 そして最後に「チャット」のメインページへ。

 更新されているのを確かめる。

 カードを奪われた通知の下に、



【カードを取り戻しました。手札制限違反時の猶予のカウントダウンをリセットします】



 というお知らせがあることを。



 安堵の溜め息が漏れる。

 一件落着かと思ったけれど、またあの人のマークが吹き出しをつくっているのを見てゾッとした。

 本当、何がしたいの? この人は……。

 嫌なのだけれど、見ないわけにはいかないのよね。

 さっきみたいなことが起こり兼ねないもの。


【それじゃー、付き合ってもらうよー?】


 ……げっそりする。

 送られてきたのはたったこれだけ。

 状況から汲み取れば、これから何かをしようとしている自分に協力しろ、ということなのだと思うのだけれど、その内容が一切明記されていない。

 そんな状態で協力できるかどうか判断できるわけないじゃない。

 ここは茶化しておこうかしら。


【付き合うって、あなた、ロリコンなの? 私、まだ中学生なのだけれど?】


 絶対にそういう意味ではないと解釈しているけれど、こう返しておいた。

 何をやらかすかわからないこの人をあまり刺激すべきではないのでしょう。

 それでも、これが一番手っ取り早く内容を聞き出せそうだったのだもの。


「……はぁ」


 私のメッセージを見たからでしょう。

 溜息をつかれた。

 目の前にものすごい呆れ顔をしている人がいる。

 ……わかっているわよ。

 ただの情報を引き出すための手段じゃない。

 だからその顔、やめて。

 無性に腹が立つのよ。


 すぐさま返信された。


【違う違う。そういう意味じゃない。なんでこの状況でわからないかなー? そんなこというわけないでしょ? 付き合うって、実験に付き合ってもらうってこと。大体、ボクの好みは色気のある大人の女性なんだ。キミみたいな幼女は対象外だよ。あんまりボクを幻滅させるようなことを言うと、またカードを奪うからね? その時は返さないから。この意味がわからないほど馬鹿じゃないよね?】


 ……長っ。

 前のメッセージがフェードアウトするくらい長いメッセージが送りつけられてきた。

 これをどうやって二、三秒で打てたのか気になる。


 これからやることは「実験」だと、大層なことを言ったいた黒い人。

 狙い通り聞き出せたけれど、抽象的過ぎて実際にはどんなことをするのかいまいち掴めない。

 これはもう少し追究する必要がありそうね。


【……実験?】


 聞いてみると、得意げな様子で返ってきた。



――【「ルール」に載っていないルールを確かめる実験、さ】



 「ルール」に載っていないルール――黒い人はそれを検証する気でいた。

 これは私も気になっていたことではある。

 この「ルール」は完璧ではないもの。

 いろいろと欠落している。

 それを確かめるというのなら、協力するのはやぶさかではないわね。


 と、私が折角乗り気になったというのに、黒い人は私を突っ撥ねた。


【まあ、それはボクがやるから、キミは何もしなくていい。大人しくしててくれ。馬鹿に動き回られると仕事が増えそうで嫌なんだよ。ああ、キミにもできそうな役目があった。周りの動きでも見張っててよ。怪しい動きをしてる人がいたら報告して。これくらいならキミにでもこなせるでしょ?】


 ……何? この言い方……。

 この人は他人を侮辱する天才なのかしら?

 まさか、馬鹿呼ばわりをされるなんて……。


 私、見逃してはいないのよ?

 いくら私の背が低くて幼い容姿をしているからといって、中学生だと述べたあとに幼女扱いを受けたことを。

 馬鹿呼ばわりされたことも含めて、あなたからの仕打ちを私は忘れないから。



【わかったわ】


 とりあえず今は下手に出ましょう。

 交換の仕方がわからない以上、私が劣勢なのは変わらないし、何か得られるものがあれば棚ぼただもの。

 ただ、何かが判明したとして、あの人が素直に教えてくれる気はしないのだけれど。

 あの人の性格はよくはないから。



 私は黒い人を気にしつつ、周りの警戒に当たった。

 監視だから、盗み見るような形で。

 自分がピンチに陥ってしまってから数分間、意識が逸れてしまっていたけれど然程状況に変化はないように感じた。

 変化は微々たるもの。


 大男や老人、双子と思しき二人がタッチパネルを操作している。


 眼の動きや指の動く速度から察するに、あれは「ルール」を読み返しているのでしょう。


 少女や中年男性、青年に至っては微動だにしていない。


 先ほどまでと全く同じ体勢のまま画面と睨めっこしている。

 変化している個所があるとすれば、それは顔色でしょう。

 明らかに悪くなっていた。

 他の人たちが気にしていないからまだいいのでしょうけれど、気持ちを立て直すことに注力した方が賢明ではないかしら?

 あれでは自分の手札にある役が弱いものだと語っているようなものよ?


 彼らにしばらく違う動きはなさそう。

 やはり黒い人を観察すべきね。

 動きがあるとすればその人だし、警戒する必要性が最も高いのもその人だもの。


 見ていれば何か対処法を思いつくかもしれない、と視界の端にその人を収める。

 すると、先ほどのポーカーフェイスはどこへやら。

 黒い人はにまぁっと笑みを浮かべたかと思えば、急に驚いて焦りだしたりしていた。

 これは予想外の事態が発生しているようね。



 うーん……。

 どうにかして相手の手札の動きだけでも見られないものかしら?


 交換ができるというのだから、相手の手札を見てその中から選択することは可能なのでしょう?

 それに、勝負をするには相手の手札を見なければいけない。

 だから、それができる機能がこのタッチパネルにはあるはず。

 事実、黒い人はあの距離で私のカードを一枚奪えたのだから。


 引っ掛かっているのは「手札について」。

 何故これだけこんな表現になっているのかしら?

 自分の手札を見られるだけなら「手札」でいい。

 他の項目がそうなのだから。

 こう表現しているのはきっと意味がある。

 構成できている役も知ることができるから、という理由だけではなく、もっと他の理由が。


 交換に繋がりそうなのはそのままの文字がある「交換できる権利」か、手札が変化するのだから「手札について」、この二つの項目。

 どちらかに交換を行う機能は隠されている、と私は候補を絞った。


 普通にタップしても駄目だから、長押しとかスライドとかかしら?


「……」


 タッチパネルの「手札について」の上に置いた指をそのままにしていたら、そのスペースが下に伸びた。

 そこに、



――「手札の交換」


――「手札の公開」



 この二つの小項目が表示される。


 ……九秒。

 表示させるのにかかった時間。

 これは流石に、説明しなかった『方舟』に悪意を感じる。

 少し殺意も覚えた。

 ……これはひどいわね。


 こんなところに隠したのは、犠牲者を増やすため?

 交換したくてもその方法に行き着けなければ行えない。

 交換する方法を探すのに時間を消費させれば、勝負する暇がなくなって、結果、交換する方法を提示した時より多くの犠牲者が出る。

 これは、それを見込んで仕掛けたことのように思える。



 「手札の交換」を選択する。

 すると、「チャット」を開いた時のように九人のイラストが現れた。

 とりあえず、見るのは黒い人ね。

 指定するとその相手のイラストが画面の上部に移動して枠が設けられ、その中に五枚の裏向きのカードが表示される。

 黒い人の手札、ということかしら。


 そして、私は目撃した。



――黒い人の手札がゼロ枚になる瞬間を――



 それはすぐに五枚へと戻ったけれど、確かに私は見た。

 交換をしたのかしら?

 最初はそう推測したのだけれど、どうも違うみたい。

 またゼロ枚になったの。

 そして五枚に戻る。

 これを何度も繰り返していた。

 険しい表情で。

 これは……。


 あの人は交換をしたのではないかしら?

 他の人に変化が見られないから、相手は恐らく既に犠牲になっている彼女。

 犠牲者とも交換は行えるみたいね。


 あの人は犠牲者とも交換ができることを確かめた。

 そうして、女性に自分の手札を全て押しつけた。

 手札をゼロ枚にすれば手札を所持している他の人よりも弱くなると判断して。

 交換できる権利が復活すれば自分が元々持っていたカードを取り戻せる。

 カードを取り戻せるなら自分が被るマイナスな要素は最小限に抑えることができるって。

 けれど、そうはならなかった。

 交換できる権利は復活せず、自分の持っていたカードが女性のものになって取り返すことができなくなってしまったのね。

 だからあの人は焦っている。

 私にはそう見える。


 「手札の枚数が変化していた場合でも変化する前の役で勝負することになる」というルールを見落としていたのかしら?

 または、完全にはその意味を理解できていなかったか。

 このルールには、交換が成立しない限り手札は変わらない、という内容も含まれている。

 要するに、いくら手札をなくしたところで最弱にはならないってこと。

 それだけでは交換できる権利は復活しないのよ。

 このことがわかっていれば、こんなことはしでかさなかったのではないかしら。


 ……これが私を馬鹿にした人の実力?

 こんな人に私はマウントを取られていたというの?

 少し情けなくなってくる。



 私が自分を戒めていると、私をそう至らしめた相手と目が合った。

 それを認識した時だった。

 その人の顔は口角がニィッとつり上がる。

 よからぬことを企んでいる、そう悟るのは容易だった。

 おおよそ、私より優位に立とうと目論んでいる、そんなところね。


「……」


 そう考察した二、三秒後、出現した吹き出しのマーク。

 「チャット」を表示させて、メインページに更新された文字に目を通す。


【カードが奪われました】


 ……まさか本当にやるなんて思っていなかったわ。


 「手札について」で調べる。

 今回抜き取られていたのは『スペードのQ』。

 もしかしたら、この行為にはなんらかの特別な意味があるのかもしれない。

 それはきっと愚かな私では考えも及ばないような驚きの理由が。

 だってこの人は、自分のことを馬鹿ではないと言っていたのだもの。


 黒い人に送る。


【なんのつもりかしら?】


 そうして返ってきたのは次のメッセージ。


【くひひっ。いやあ、なに。交換はどのタイミングで交換したってみなされるのかを調べているのさ。】


 ……は?

 何、それ。

 理由になっていない。



 兎に角、これではっきりした。

 推測の通り、この人がルールを把握できていなくて交換できる権利を使ってしまったのが事実だということが。

 この焦りよう、なりふり構わず自分より弱い人をつくりたいっていう心理が働いているところを見ると、元々は強かったけれど交換して相当弱くなってしまったのではないかしら。


 何枚交換したのかは想像でしかないけれど、どうせ戻そうと考えているのなら中途半端なことはしないでしょう。

 カードの所在を把握することもできるって発想になれば五枚全て交換していると見るのが妥当ね。


 あとわかったことは、交換できる権利を消失している状態であっても手札のカードは動かせる、ということ。

 あの人がその状態で手札を女性の元に移せていたのだから。

 これは使えるかもしれないわね。

 まあ、あの人が何回も自分が持っていた手札を取り戻そうとしていたことから、手札の枚数自体は変化できても実際に交換することはできないみたいだけれど。

 猶予の期間内に元の手札に戻す必要がありそう。


 そして、交換できる権利がない状態であっても手札を四枚以下や六枚以上にするだけなら可能であるということは、交換が成立するのは手札の内容が変わって手札の枚数が五枚に戻った時であるということ。

 あの人は、「どのタイミングで交換したとみなされるか調べている」と言っていたけれど、それはこのルールを導き出せていないか、或いは導き出せているけれど私を欺こうとしているかのどちらか。

 自分でやっていたことなのだから嫌というほど思い知らされているはずで、今更それを試すなんて言い出すのはおかしい。

 だから、恐らく後者。

 そうだとすると、私の手札を奪った狙いは、



――安心を得るためってところかしら。



 この『ゲーム』の性質上、誰であっても他人より優位に立てている実感が持てないと不安で堪らなくなる。

 死ぬかもしれないのだから当然よね。

 演技の可能性も疑っていたけれど、その可能性はこの人がこんな行動に出たことから極めて低くなった。

 だって、この人は私を馬鹿だと言ったのよ?

 そんな相手に対して馬鹿を演じて見せるって常人の神経では耐えられないと思うもの。

 プライドの高いこの人ならなおのこと。

 だから、この人は本当に余裕がないのだと思うわ。

 ……本当、最初のポーカーフェイスはどこに置き忘れてしまったのかしら?


 もう少し考えて行動した方がいいと思うのだけれど。

 ……仕方がない。

 少し付き合ってあげましょう。

 相手を分析する材料が増えるかもしれないもの。


【それならもうわかったわよね? 手札に加えれば判明することだもの。返して】


 さて、どう出るのかしらね。

 優位に立ちたいみたいだからすぐさま返してくれるとは思わないけれど。


 猶予がまた刻まれていっている。

 49、48、47……。


【ねえ、どうだったの? 何かわかった? わかったのなら返して】


 ちょっと催促をしてみる。

 それでも応答は一切ない。

 時間だけが過ぎていく。


 黒い人は下を向いたまま動かない。

 ……いいえ、僅かに肩を弾ませていた。

 この状況で愉悦に浸っている。


 39、38、37……。


【お願い! もう返して!】


 時間がなくて焦っている体でこのメッセージを送ると、黒い人からの返信があった。



【ご苦労様! 大収穫だよ! これでキミが死ねば、ボクは勝利したってことになるはずだよねぇ! だってキミはボクの所為で死ぬんだからさぁ! だから、キミにはここで退場してもらうよ!? ボクのために尊い犠牲になってくれ! ボクはキミの分まで生きると誓うよ! ああ、恨まないでよ? 恨むならこんなことを仕掛けた『方舟』でも恨んでくれ。】



 ……なるほど。

 その発想はなかったわね。

 確かにこの方法で犠牲者が出たとしたら、カードを奪った人が勝者と捉えられなくもない。

 問題なのは『方舟』がそう認識してくれるかどうかということ。

 それと、それで犠牲になるのが私だということも。

 認識してくれなかった場合、私は犬死することになる。

 試そうにもハイリスクすぎる方法ね。



 とりあえず付き合うのはここまで。

 私だって無駄に死にたくはないもの。


「……んふっ、んふふふふ」


 私は怪しく笑ってみせた。

 すぐさま反応が返ってくる。


【何が可笑しいんだい? 切羽詰まって気でも触れたか?】


 相手の動揺が見て取れる。

 この様子なら攻めに転じられるわね。


【いいえ。私はおかしくなんてなっていないわ。あなたのその稚拙なやり方で勝てると信じていることが可笑しくって。相手が抵抗したらそれでお終いじゃない】


 黒い人がこちらをキッと睨みつける。

 ……怒った?


【稚拙なんてよく言えるね? 抵抗なんてできないクセに。キミは交換の仕方を知らないんだろう? だからボクの勝ちだと言ってるんだ!】


「……」


 まだ疑っていないのね。

 自分の論理を。


 ここで一度時間を確認しておきましょう。

 29、28、27……。


【そうね。私は交換の仕方を知らなかったわ。けれど、あなたが時間をくれたもの。おかげで見つけ出すことができた】


 相手の眉がぴくって動いた。


【ブラフだね。あれはそう簡単に見つかるものじゃない。死にたくなくてでたらめを言って――】


 途中までの文章が送られてくる。

 誤って送信してしまったのでしょう。

 そうさせたのは私だけれど。

 押しつけたから。



――私のカードを――



【これでわかったでしょう?】


 黒い人は目を見開いて口元が引き攣らせた。

 理解したようね。

 私の言っていることが本当だということを。


 歯を軋ませ、目線を忙しなく動かしていた黒い人だったけれど、何かを閃いたみたい。

 表情が明るくなり、喉を鳴らし始めた。


【やっぱりキミは馬鹿だね! 取り返せばよかったのに押しつけるなんてさ! 気を抜いてた今が最大のチャンスだっただろう!? そして最後のチャンスだった! ボクはもう奪わせやしない! あとは誰かに奪ったカードを押しつけるだけだ! キミはタイムオーバーになって死ね!】


 ドヤ顔……。

 自信は揺るがないって感じ。


 奪わせないとか言われたわね。

 それなら、もう一枚あげましょう。


【くひひっ。わけがわからなくなっちゃったかい? どうにも降参みたいだねぇ!】


 ……鬱陶しい言い方ね。

 時間もないし、そろそろ始めないといけないわね。


【よく見た? 今、あなたの手元にあるカードを】


 私の認識が正しければ、今、相手に渡っているカードは『スペードのQ』、『スペードのK』、『スペードのA』の三枚。


【『スペードのQ』に『スペードのK』、それと『スペードのA』だろう? それがどうしたのさ?】


 わざわざ教えてくれてありがとう。

 ……うん。

 正確に把握できている。

 最大の難関は突破した。


 あと19、18、17……。

 総仕上げに取り掛かりましょう。


【この『ゲーム』って、役は予め構成されているっていうルールだったわよね? あなたが私から最初に奪ったカードはなんだったかしら?】


「――ッ!?」


 ……あ。

 気づいた。

 先ほどまでの元気は失われ、顔面は蒼白に。

 身体も、まるで極寒の地にいるかのようにブルブル震わせている。


【まさか! いや、そんなことあるはずない! はったりだ! 最後の一枚が違うことなんてよくあることじゃないか!】


 確かに一般的なポーカーなら、この人の言う通りよくあることね。

 実際に私の手札もそうだもの。

 どれが役を崩しているのかはわからないけれど。

 けれど、今はそういう段階の話ではないのよ。

 揃っているかもしれないって思わせられればそれでいいのだから。


 無言で『スペードのJ』も送りつける。


【いや、待て! それならどうして勝負を挑んでこないんだい!? そんな強い役を持ってるならさっさと挑んでくるだろ! 最初の時もキミは「返して」と言った! 要するにできないんだ! だからキミの持っている役は『ロイヤルフラッシュ』なんかじゃない!】


 ……まあ、そうくるでしょうね。

 織り込み済みなのだけれど。


【仕方がないでしょう? 交換のやり方を知るまで手札を公開させる方法も知らなかったのだから。まあ、今はただ単に



――楽しんでいるだけよ?】



 考えていたメッセージを送り、私は相手に向けて悪い笑顔を見せる。


「な、なんてやつだ……!」


 こちらを見ていた黒い人は「チャット」をしているのも忘れて呟いた。

 私は下を指して画面を見るように促す。


 さあ、根競べと行こうじゃない。


【あと五秒ね。降参してカードを返すか、私と勝負するか、どちらにするか選ばせてあげるわ。5】


 黒い人の顔が強張る。


【4】


 私はテーブルに肘をつき、笑顔を保つ。


【3】


 黒い人が震えながら汗を滴らせる。


【2】


 私は口パクでも数字を伝えようとする。


【いー――】


 最後の数字を送ろうとした時、



――返ってきた。全てのカードが。



「はぁー、はぁー……っ!」


 息を荒立てる黒い人。

 その眼には涙を湛えているみたい。

 私は少し残念がっておく。



 この立ち振る舞いを通せたからあの人は根負けした。

 本当の勝負では私に勝ち目なんてなかったのだけれど、敵わないって認識を上手く植えつけることができてよかったわ。

 自棄を起こして勝負を挑まれでもしていたら、堪ったものではなかったもの。

 まあ、そうならないために誘導はしていたけれど。



――相手を怒らせたり、私の言っていることが正しいと思わせたりして。



 私のカードが相手の手元に行った時に推測とは違って、そのカードのどれかが『ダミーカード』だと気づかれるようなことがもしあれば、この作戦は失敗に終わっていたから、あの時はとても緊張したわ。

 手札に加わっただけでは交換は成立しないみたいだったから、『ダミーカード』を渡してもばれない可能性は高いって思ってはいたけれど、それでもひやひやした。


 あとは時間との勝負。

 黒い人がメッセージを打つのが早くて助かったわ。

 あと少し遅れていたら危なかった。

 だって、私がしていたあのカウントダウンはあの人の猶予でもなんでもなく、



――ただ、手札制限を違反した際に見逃してもらえる時間の残りを言っていただけだったのだもの。



 だからあと一秒。

 あと一秒で私は死んでいた。

 本当にぎりぎりだった。

 まだふわふわした感覚に見舞われている。


 今回は上手くいった。

 相手の性格を見抜いて次に採る行動を先読みできたし、相手の思考力を削ぐことによって相手の行動パターンを絞り込めた。

 考える隙を与えなかったから、黒い人から他の誰かにカードを渡すという選択肢を忘れさせることができた。

 けれど、次も上手くいくとは限らない。

 だから気を引き締めないといけないわね。



 これで黒い人に私が狙われることはなくなったでしょう。

 それに、ルールの穴もある程度埋めることができた。

 あと、重要なことは一つだけ。

 私は黒い人に確認してみる。


【一つ確かめておきたいのだけれど、あなた、あの女性の元に自分の手札を全て渡していたでしょう?



――条件は満たせたの?】



 このメッセージを見た黒い人に、はあ!? って言いたげな顔を向けられる。


【ボクに聞かなくても自分で確かめればいいだろ】


 こう送り返される。

 それができないから聞いているのよ。

 万が一、あの女性の手札を見て勝負に発展するようなことがあれば、私の手札では負けてしまうのだから。

 けれど、この言い草とあの表情から読み取るに、黒い人が勝利したとはみなされていないみたいね。

 まあ、それができるなら、この『ゲーム』では犠牲者を出さないことが可能、ということになる。

 それは『方舟』が最も望まないことでしょうから、なんらかの対策を打っていると睨んではいたけれど。


 私はさっと確認する。

 女性の全てのカードを手元に寄せて。


 持ってきた時は全てが裏向きだった。

 タップすると表になる。

 『スペードの5』、『スペードの6』、『スペードの7』、『スペードの8』、そして『スペードの9』。

 全てをタップし終えても私に異変は生じなかった。

 これは勝負に発展していないということ。

 ホッとしたような、がっかりしたような、相反するこの二つの感情が合わさったような感覚を味わわされる。

 勝負に発展していたら私は死んでいたわけだけれど、これは犠牲者と勝負ができないことが確実になってしまったということでもあるの。

 「犠牲者を犠牲にする」――それが一番生存率を高められる方法だったというのに。


 これは元々あの黒い人が持っていたカードね?

 これなら取り返そうと必死になっていたのがよくわかる。

 ……というか、よくこれを手放そうと思ったわね。

 どれだけ自分が組み立てた推理に自信があったの?

 実際にはそれは間違いだったわけだけれど。

 ……ご愁傷様ね。



 私はカードを返して溜息をついた。


「……はぁ」


 ……不味いわね。

 一番助かる見込みがある方法が封じられていた。

 また生存への道筋を構築し直さないと。

 私は考えなければいけないというのに邪魔が入った。


【くひひひひっ】


 ……メッセージ。


【どうだった?】


 黒い人から。


【勝負できたかい?】


 連続して……。


【いやぁ、できなかったよねぇ】


【ボクもできてないから、そうだろうとは思ったよ】


【さっきから勝負することにこだわってるけど、何が狙いなんだい?】


【そんなに勝負がしたいのかい?】


【キミ、もしかして戦闘狂か何か?】


【おお、怖っ!】


【これは普通のゲームじゃないっていうのにさ】


【負けたら死ぬんだよ? この『ゲーム』】


【まさか、キミ、人を殺してみたかったとか思ってるんじゃないだろうね?】


【嫌だよ、ボクは。殺人鬼と同じ空間にいるなんて】


 うるさい……っ!

 集中したいのに妨げられる。


 私の溜息に反応した黒い人からすかさず届けられた数々の私を煽る文章。

 この感じからして今の立場を引っ繰り返したいようね。

 今の私にそんなことに付き合っている暇はないのよ。

 作戦を練り直さなければいけないのだもの。


 ……そうね。

 この人が言っていたことを逆手に取って大人しくさせることにしましょう。


【確かに勝負することにこだわってはいたわ。彼女と勝負ができたなら、みんなにいい知らせができたじゃない】


 私から送信された文章に、黒い人は首を傾げた。


【いい知らせ? 血まみれになって亡くなった彼女を更にずたずたにすることの何がいいんだい? ボクにはスプラッターとかグロテスクとかに素晴らしいって思える感性はないから理解できないな】


 ……そう解釈するのね。

 でも、ある意味間違ってはいないかもしれない。

 犠牲者を犠牲にするとは、死者を更に痛めつけることと同義だもの。

 それが許されることなのかどうかまでは頭が回っていなかったわ。

 まあ、できなかったわけだけれど。


【そうね。今考えれば、それは死者に対する冒涜だったわ。できなくてよかったのかもしれない。そこまで考えが及ばなかったわ。流石ね。それなら当然、この『ゲーム』では犠牲者を減らすことが最重要であることも承知しているのよね? 犠牲者と勝負ができて、全員がそうやって勝てたなら、狙われることもなくなるもの。そう考えてのことだったのだけれど浅はかだったわ。……ああ、これを否定したあなたはさぞかし立派な案をお持ちなのでしょうね。私には到底思いつかない、全員が納得して幸せになれるような、そんな最善の案を】


「――っ!」


 黒い人が画面を凝視したまま固まった。

 まるで豆鉄砲を食らった鳩のように。

 あの様子だと、如何に自分だけは生き残れるか、しか頭になかったようね。

 他はどうなってもいいって捉えていたのではないかしら?

 そうでなければ、生存者を増やすことが自分も生きて帰れることに繋がる、という私のメッセージを受けてあんな顔はしないもの。

 従って、全員が納得して幸せになれるような案をこの人は持ち合わせてなんていない。


「き、キミは一体――!」


 感情が昂ったのね。

 声に出ている。

 私は口の前に人差し指を立てて続きを制した。

 周りの目が自分に集まっているのを悟った黒い人は口を噤み、大急ぎでタイピングする。


【キミは何を考えてるんだ!? 一体、どこまで想定している!?】


 驚きと恐怖の混じったような形相でつくってきた文章がこれ。

 ……計画通りよ。

 ただ、上手く事が運びすぎて不安になってくるわね。

 今のあの人に計算があるようには受け取れないけれど。

 慎重に続ける。


 私は返した。


【あなたにとってはなんのためにもならないくだらないことしか考えられないわ。だって私は、



――馬鹿なのでしょう?】



 って。


「……っ!?」


 黒い人が本当に絶句しているのを確認する。

 私は黙らせることに成功した。



 ……さて、と。

 目下の課題は、想定していた「もうこれ以上犠牲者を出さない方法」が潰されていたことね。

 これは早急に同じ方向性の別の案を見つけ出さないと。


 画面の「残り時間」に触れる。

 表示されたのは――48:54。

 これをまだあると捉えるか、もうあまりないと捉えるか。

 ただ、実際に使える時間は表示された数値より少なくなることは覚えておかなければいけない。

 このまま『ゲーム』が進行すれば、いずれ誰かが犠牲になる時が来るのだから。


 急がなければいけない。

 この中の誰か一人でも、正当防衛という大義名分を振りかざすような真似をする前に手を打たなければ、この場は収拾がつかなくなるでしょう。

 自分の身を守るために誰かをやった、なんてことがまかり通ったら、それに続く人が絶対に現れるもの。

 だから本当の期限は、



――黒い人以外の誰かが「手札の公開」を見つけるまで。



 そう踏まえると、やはり時間はないわね。

 ……本当、条件は満たせた、って返ってきていたらここまで頭を悩ませずに済んだのに。



 ……まだあるのかしら?

 「もうこれ以上犠牲者を出さない方法」なんて。


 一番いいのはこの悪夢から自力で覚めること。

 そうなのだけれど、目の前で彼女があんなことになったにもかかわらず、一向に覚める気配がない。

 そもそも私は、夢だとわかった時点で起きてしまう体質なの。

 だから『方舟』が、夢から覚めさせない技術を持っているというのは事実。

 夢であることをいいことに、私に他の人たちも同じ境遇であるように見せているだけだとしても、私にその技術が施されているのはまず間違いない。

 私の家庭は複雑ではあるけれど一般家庭の域を抜け出していないのだから、私だけを標的にして他の人にはその技術を使わないなんてことはあまりにも不自然。

 よって、他の人たちもこの夢を見せられていると考えるのが妥当ね。


 そして、大男に横やりを入れられて聞けなかったけれど、あの時の『方舟』のあの反応からこの夢と現実をリンクさせる技術も有している可能性は大いにある。

 ということは、ここでは犠牲になってはいけないということ。

 犠牲になってしまったら、二度と目覚めない可能性があるということなのだから。


 『ライフゲーム・ポーカーフェイク』での勝負に負けたら、犠牲になる。

 かといって、怖がって勝負を避け続け、設けられた制限時間を切ってしまってもアウト。

 だからって、『ゲーム』に参加しないことも許されない。

 ……本当、『方舟』はどうしても犠牲者を出したくて仕方がないみたいね。

 私たちにはもう、逃げ場が残されていなかった。


 生き残るには制限時間内に一回は勝利しなければならない。

 ……引け分けでは?

 条件を満たせたことにならないかしら?

 引き分けた時の詳細は載っていなかった。

 その両者が勝者として扱われる可能性はなくはない。

 けれど、それに寄り掛かれるほど盤石な作戦ではない気がする。

 希望の光としてはあまりにもか細すぎる。

 その両者が勝者ではなく敗者として扱われた場合、二人が一気に犠牲になるリスクが付き纏う。


 状況は最悪だった。



――『ゲーム』の穴を見つけ出せない。



 今の私たちは、やるか、やられるか。

 犠牲者を出さなければいけない立場に追い込まれつつある。


 ここにいる人たちを纏める時間も考慮しなければいけないというのに、考えはちっとも纏まってくれない。

 今は私が教えを乞いたいくらいだった。

 誰も死なずに帰れる確実な方法を。

 誰か閃いて、と切に願う。

 けれど、ここにいる人たちは皆、自分が生きることで精いっぱいでそこまで考えが至っていないようで。

 ……本当、他の人のことを考えられたあの女性を失ったのは相当に痛い。



 私が試行錯誤していると、あの人が声を上げた。


「――あっ!」


【そうだ! あの女性の手札を、キミを通してボクに返せないかな? ほら! 押しつける形をとってさ!】


 それと同時にメッセージが送られてくる。

 本当に打つのが早い。


 強い手札を失ったことを諦めきれずにまだ執着していた黒い人。

 元々強かったなら元に戻したくなるのは心理よね。

 気持ちはわからなくもないから協力を惜しむつもりはなかった。

 けれど、ふと手が止まる。


【……無理ね。これ、返したら勝負に発展してしまうのではないかしら?】


 私は女性に渡ったカードを全て確認している。

 「ルール」には、交換する際は気をつけろ、とあった。

 それが黒い人の手札になったら、その全てのカードを知っている私はこの人の手札を全て見たと判定されるかもしれない。


【や、やってみないとわからないんじゃないかなぁ? ほら! 発展しないかもしれないじゃないか】


【忘れたのかしら? 私の手札。死ぬとしたらあなたなのよ?】


 強さを取り戻したくて、黒い人は多少の賭けなら挑もうとしていた。

 それを私はこう返して釘を刺す。

 もし勝負に発展したら私が堪ったものではないのだけれど、この人には私が強いと認識させているからこうすればやめるはず。


【そうだった! どうして彼女のカードを見てるんだよ!】


 悔しくて堪らなかったのか、私に当たってくる黒い人。

 けれど、それはお門違いではないかしら?


【自分で確かめろ、と言ったのはあなたじゃない……】


 私のとどめの言葉に、目の前でその人は頭を抱えてテーブルに突っ伏すのだった。


 ……こんなでも、一応感謝はしているわ。

 この人のおかげでいろいろとわかったのだもの。

 それに、この人は他の誰でもなく私を狙った。

 「手札の公開」、「手札の交換」をいち早く見つけたあの時。

 もし、他の誰かを狙っていたら、犠牲者が出ていたかもしれない。

 あの早い段階で。

 そうなっていたら、こうして考えていられる時間もなかったでしょう。

 この空間は殺気と恐怖に塗れていた。


 黒い人に何か労いの言葉でもかけようとしていた時だった。



「おい! 何やってんだよ、テメェら!」



 このあとの一言から彼らは再び動き出す。

 下を向いたまま固まっていた彼らの時が――。

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