第三章 藤花の家の真実

 誠は、大納言子息雅近という人物について少々調べてみることにした。


 放免としての勤めの合間にあちこちで噂を拾って、その情報を総合した結果。

 『彼は優秀で聡明、出自も申し分なし。本来なら出世頭のはずだが、何故か生まれの割に低位の官職に留まっている。人当たりは良いが周囲と馴染まず、仕事はきっちりやるが終えると早々に辞してしまう。まだ若いと言っても既に元服して数年が経っているのに、通う女の一人もいない。そのくせ、酔狂なことに、従者も連れずしょっちゅう出掛けるらしい。一体どこで何をしているのやら』

 わかったのは、こんな、とにかく矛盾に満ちた人物だということだった。

 誠の身分で知り得ることには限りがあり、入ってくる情報の精度は高くない。それでも、嘘や別人の話が紛れ込んでいる訳ではなさそうだった。

 前に会った時に言っていた内容と照らし合わせると辻褄が合う。


 雅近というあの貴族は、なんだか変だ。

 裏で不正を働くような人物には見えないが、関わらないに越したことはない。

 私を従者にしたいなどと言っていたが、気まぐれだろう。次に顔を合わせる時には忘れているに違いない。

 いや、そもそも。どれだけの頻度で一人歩きをしていようと、偶然鉢合わせするなど、流石に三度も起こるまい。


 不思議な縁も、これで終わり。普段通りの日々に戻る。

 それを少し残念に思っている自分から、誠は目を背ける。

 辛いばかりの日々に、さらに面倒事なんてごめんだ。


 が、二人の縁、というか、雅近の誠への興味は、まだ途切れていなかった。


❀ ✿ ❀ ✿ ❀ ✿


 道の先に雅近の姿を見つけ、誠は慌てて身を潜めた。

 出くわすと面倒だ。少し遠回りになるが、別の所を通って行こう。踵を返そうとして、つと足を止めた。粗末な身なりの女が、雅近に背後から迫っていたのだ。

 『危ない!』と誠が叫ぶ前に雅近は女の存在に気づき、少し目を見張る。が、藤の家の際とは違い、彼はいとも簡単に女の手首を掴んだ。

 女は髪を振り乱して暴れるが、誠が忍び寄って首に手刀を入れると崩折れた。

「ありがとう、誠。やれやれ。僕は、この御方に恨まれるような覚えは無いんだけど」

「恨まれている時は、むしろ、当人に自覚がある方が稀かと」

「容赦ないなあ」

 襲われかけた直後だというのに、雅近は軽快に笑った。


 誠は、気を失っている女を手際良く縛り上げる。

 すぐに意識を取り戻したので押さえつけると、彼女はぽろぽろと涙を流した。

 茶色い髪や大きな目は美人の範疇から外れているが、可愛らしい顔立ちをした人だった。


✿ ❀ ✿ ❀ ✿ ❀


「ま〜こと!」

「……雅近様」

 反応の薄さに気を悪くすることなく、雅近は慣れた様子で尋ねる。

「今日は何をするんだい?」


 ……実を言うと、雅近が誠のもとを訪れるのは、ここ数日ずっとのことだった。

 誠が放免として派遣された先に毎日ふらりと現れては、誠の仕事を見届けて上機嫌で去っていくのだ。

 もはや、雅近が誠の動向をかなり把握しているということは、疑いようがない。

 意図がわからず薄気味悪くはあったが、身分差のせいで無下な扱いをする訳にはいかない。

 いつも自然と、誠が雅近に付き従って警護をしているような構図になっていた。


「お帰りください」

 そう言ってもどこ吹く風。

「どこに行くんだい? 案内してくれたまえ」 

 誠がその場を去ろうとすると、今日も当たり前のような顔でついて来た。

「あのですね、私は放免ですよ」

「ああ、知っているよ」

「らしくないと、あなた様がいくら言い募っても、この事実は変わらないのですからね」

「わかっている」

「では、私と行動を共にする危険性もわかっていらっしゃるでしょう! 何故、毎日会いに来られるのです!」

 誠が語気を強めにして言うと、雅近は露骨にしょんぼりとした表情をする。

「嫌かい? 僕と一緒にいるのは」

「う……いや、そういう訳では…………」 

 ほだされそうになるが、踏みとどまる為に誠は、わざと少し怖い顔をした。

「他の者に見られれば、弱みとなります。付け込まれますよ」

「周りを気にして、場所は選んでいるよ」

「とにかく、本日はお引き取りください。此度の任務は、少々危険なのです」

 誠がそう言ってみると、雅近は引き下がるどころか目を輝かせた。

「へえ、どんなの?」

「お連れしませんからね。守り抜く自信がございません」

「大丈夫だよ」

「あなた様は、護身術の心得でもお有りなのですか?」

「いいや。そういった方面にはとんと縁が無い」

 雅近はけろりとのたまう。

「では!」

「君は謙遜するけど、十分強いじゃないか。それに、人を見捨てることは絶対にしない」 

 寄せられた信頼に、喉が詰まる。

「……買い被りでございます」

 そう、買い被りなのだ。

 確かに、誠は人を見捨てるのが嫌いだ。しかし。

 彼が雅近に言われている程強ければ、放免などに成り下がることは。そもそも、罪人のそしりを受けることすら無かっただろう。


 当然、雅近に誠の心中を完璧に推し量る術は無い。そして、誠は目上の者からの命令に逆らうことができない。


 結局、二人は連れ立って目的の場所へ赴くことになるのだった。



「ここって……!」

「お静かに」

 大声を出しそうになった雅近を、誠は即座に諫める。

 しかし、雅近が驚くのも道理である。着いたそこは、二人が初めて出会った荒屋だったのだ。

 藤の花はかなり散って少し殺風景になっていたが、見紛うことはない。

 二人は、茂みに隠れて辺りを警戒しながらこそこそと会話していた。

「……事情を説明してくれるかい?」

 尋問じみた要求に、誠の顔から一切の表情が抜け落ちる。そのまま癖で傀儡に成り果てそうになるが、雅近が今度こそ声を上げる前に我に返った。

「大丈夫かい?」

 雅近のひそめた声を聞きながら、誠は呼吸を整える。

 ここは、獄中ではない。雅近様は、無体なことは決してなさらない……

「一刻も早く、方を付けたいのですが。説明は後でよろしいでしょうか」

 こんな風に目上の要求を突っぱねるのは不敬にあたるのだろうが、雅近は怒らない。

「いいよ、行っておいで」

 誠はほっと息をついて小声で続ける。

「では、雅近様はこのまま隠れていてください。絶対に見つからないように、自分の安全を第一に考えて行動するようお願いいたします」

「わかった、気をつけて」

「行って参ります」


 草陰を走って、荒れ果てた家に向かう。

 身を低くしながら、誠はそれをものともせずに俊敏に駆けていた。

 速度は普通の全力疾走と変わりがない。方向転換に至っては、走っているとすら信じられない程的確だ。音も、獣と勘違いされて捨て置かれるくらいには抑える。

 見張りと思しき破落戸達に見つかることなく、誠はいとも簡単に家への侵入を果たした。

 厨の水瓶を隠れ蓑に、様子を窺う。

 誠が潜む土間から一段高い座敷に、二人の人物がいた。

 一人は、棍を肩に担いだ大柄の男だった。男が落ち着かなげに体を揺らす度に腐りかけた床が軋んで、ぎいぎいと悲鳴をあげる。

 そしてもう一人は、十にも満たない少女だった。腰を縄で柱に括り付けられて不安そうな顔で座り込んでいる。

「他には……いない」

 慎重に気配を探る。誠は誰にも聞こえない声で呟いて、それを合図に飛び出した。

「うわっ!」

 男は誠の姿を見て目を剥くが、あぐらをかいた体勢で、即座に反応できない。

 とりあえずめちゃくちゃに棍を振り回す。

 誠はそれを余裕でかいくぐり、騒ぎが外に伝わる前に蹴りを入れて男を沈めた。


 男を縛り上げて振り向くと、少女がこちらをじっと見ていた。

 怖がっているかと思いきや、その目はやけにきらきらと輝いている。

 縄を解いて抱き上げると、首にしがみついてくる。一片の躊躇もなく。

 気味が悪い程の違和感はあったが、それについて考えを巡らす暇は無い。

 少女を抱いたまま、草まみれの庭に下りる。

「揺れるだろうから、しっかりつかまっていろ」

「うん!」

 少女はえらく良い返事をした。そのせいで見張りに見つかってしまう。

 誠は退却を何より優先させることにした。

「わあ~! はやいはやい! すご〜い!」

 と耳元がうるさかったが、元凶である少女は敵が迫る度に悲鳴をあげるので、攻撃を躱すのに役立つ。

 とにかく逃げ回って、築地塀の崩れ目から庭を出られた。

 それでも追手は諦めないので、人の往来が盛んな通りまで走ろうと決めるが、そこで雅近の存在を思い出す。

 助け出す余裕が無い! このまま置いてくか? 

 『君は謙遜するけど、十分強いじゃないか。それに、人を見捨てることは絶対にしない』その言葉が誠の足を止める。

 だが、その間にも敵は着々と距離を詰めてくる。

 せっかく助け出したこの子を危険に晒すくらいなら……

 申し訳ありません、雅近様。後で必ず助けに行きますから。心の中で謝るが、不安は消えない。

 そう、あの時だって。少し離れているうちに二人は………………!!

 過去の残像を必死で振り払い、逆にそれを原動力にして走り続ける。


 雅近様、どうか御無事で――――!!



 いつの間にやら、目の前に喧騒があった。

 気配を探ってみる。人が多くてわかりづらいが、どうやら追手はまけたようだ。

 少女を下ろす。

「誠」

「うぇ!?」

 見れば、雅近が涼しげな顔で誠の傍らに立っていた。

「『うぇ!?』って……」

「申し訳ありません。それにしても、どうやって……」

「騒ぎに乗っかってあそこを離れただけだよ。君達がここに逃げて来るだろうことは予想出来たから」

「良かった……安心いたしましたよ…………!」

「心配してくれたんだね。ありがとう」

 誠の取り乱しように、雅近は苦笑をのぞかせる。

 が、呆れられても良い。もう、失いたくない。誠は心の底からそう思う。

 もちろんこれは、雅近個人への好意ではないだろう。ただ、自分が守りそこねたばかりに傷つけられる人を、もうつくりたくないだけ。

 それでも。

「…………ありがとう、ございます。無事でいてくださり。本当に、ありがとうございます」

 今回ばかりは素直な気持ちを言葉にする。

「それ程のことでもないよ」

 雅近様は微笑んで温かい声を投げかけてくださった。

 先程まで不安だった反動か。たったそれだけのことで泣きそうになり、堪えようとすると今度は言葉が溢れてくる。

「信頼されるのは、苦手です。向けられる気持ちが純粋であればある程、その人が愛しくなって。失うのが怖くなる。あの時から。失態を犯し、大切な方々を失い、それをきっかけに全てを奪われたあの日から。大切なものをつくるのが、恐ろしくて仕方がないのです。雅近様が私のことを十分強いと、人を絶対見捨てない人だと。そう言ってくださった時、嬉しい反面、信頼に応えられなかったらどうしよう、裏切ってしまったらどうしようと、そんなことばかり考え、怖気づいていたのです」

「そっか。君には、悪いことをしちゃったかな」

「いいえ、雅近様。あなた様の信頼が、嬉しかったのも事実でございますから。私は、信頼していると言っていただいたその日に、信頼を裏切るような真似を。申し訳ありません」

「君は僕の信頼を裏切ってなんかいないよ。ほら。その証拠に、ここでこうやって無事に顔を合わせることができているだろう?」

「……ええ。その通りでございますね」

 はにかんで、その感覚に誠は戸惑う。

 表情筋をこんな風に動かせたのか、私は。笑うのなんて、いつ振りだろう。

「おにいちゃん、だれ?」

 少女が、雅近の衣をくいくいと引っ張る。

 存在をすっかり忘れていた。

 これは誠だけでなく雅近も同じであったが、そんなことはおくびにも出さない。

「お兄ちゃんはね、このお兄ちゃんのお友達だよ~」

 にっこり笑って誠を指差す。

 誠は『友達ではありません!』と全力で抗議したかった。

 放免ふぜいと大納言の子息が友達? 分不相応にも程がある。どんな冗談だ。たちが悪すぎるだろう。

「おとうちゃんの、おともだち……!」

 そんな誠の気も知らず、ぱっと顔を輝かせる少女。

「「お、お父ちゃん?」」

 誠と雅近の声が揃った。

 雅近の方は、

「誠、どういうこと?」

 好奇心丸出しで付け足すのも忘れない。だが、誠にもさっぱり意味がわからない。

「おとうちゃん。あたしのこと、おぼえてる?」

 覚えている訳がない。

「あたし、ましろ。おにいちゃん、よろしくね!」

 真白の顔いっぱいに、あどけない笑みが満ちていた。


❀ ✿ ❀ ✿ ❀ ✿


 とりあえず、雅近の提案で、彼の私邸に真白を連れて行った。


 流石は大納言の子息。邸は広々として、よく管理されていた。

 庭では、白や薄紅の躑躅が溢れんばかりに咲き誇っている。他にも、季節ごとに目を楽しませる花々が沢山植えられているようだ。

「ふふ、素敵だろう?」

 雅近が扇を口元にかざして微笑んでいる。

「うん、きれいだね~!」

 真白の言葉は頷けるが、誠は

「私は一度報告に戻らせていただきます」 

 庭から視線を引き剥がし、検非違使庁に足を向けた。


 誠が戻ると。

「おとうちゃん、おかえり!」

 真白が飛びついてきた。

「早かったね。さあ、座って。真白も」

 雅近に促され、座敷に腰を下ろす。

 真白が当たり前のような顔で膝に乗っかってくるので、驚いて仰け反った。

 反射的に振り落としかけるのを思い留まる。

 体に掛かる重みは温かく、押さえつけるように暴力的なものではない。それが誠には、とても不思議に思えた。

 誠のそわそわした心境を知ってか知らずか、雅近は早速本題に入る。

「それじゃ、真白。なんで、誠をお父様だと思ったの?」

 誠が一番知りたいことだ。

 目の前で緩く波打つ茶色い髪。真白の後ろ頭をじっと見つめる。すると真白がくるりと体ごと振り向いた。

 大きく丸い目。美人と形容されるものとは程遠いが、可愛らしい顔立ち。

 それが誠を無邪気に隅から隅まで眺め、にっこりと笑う。

「おかあちゃんがいってたもん。あたしのおとうちゃんは、ほそくてしろくてちっちゃいけど、つよくてやさしいひとだって。それに、あたしのかみのけはね、いろがおかあちゃんとおんなじで、くせっけはおとうちゃんとおんなじなんだよ」

 誠と雅近は顔を見合わせる。

 確かに、真白が挙げた父親の特徴は、誠によく似ている。ほぼそのままと言ってもいい。

 だが、驚いたのも束の間。誠は真白を膝から下ろした。

 向かい合う形できっちり正座し、硬い顔で告げる。

「偶然だ」

「え?」

 きょとんとしている真白に容赦なく続きを聞かせる。

「確かに私はお前の父親と似ているかもしれないが、絶対にお前の父親ではない。少なくとも、私はお前のことなど知らない」

「ちょっ……誠、その言い方は」

 宥めるような雅近の言葉も、今回ばかりはばっさり切り捨てる。

「ではどうしろと? 中途半端な言い方では伝わらないでしょう。それに、嘘をつくなどもっての外です。後で真実を知った時に、傷つくのはこの娘自身ですよ」

「そうかもしれないけど、さすがに……」

「……ふぇっ」

 雅近がなおも誠を諭そうとしているところに、真白の声が被さる。

「ひどいよっ……おとうちゃん、なんでそんなこというの…………?」

 ふえふえとしゃくりあげるのを眺めていると、誠はなんだかとても冷めた気分になった。

 『酷い、酷いわ……このっ、この、裏切り者…………っ!』奥様の、泣き叫ぶ声が甦る。

 糾弾されるのには、慣れている。目の前で泣いて、喚いて、睨みつけてくるのなんて、いちいち気にしていたらきりがない。これが、誠の本音だった。

 雅近が、初めて誠に冷たい目を向ける。怒ったような、心底呆れたような。

 真白はそのまま泣き続け、泣き疲れて眠ってしまった。


✿ ❀ ✿ ❀ ✿ ❀


 褥を用意し、そこに真白を運んだ後、誠は再び座敷に腰を落ち着ける。

 誠と雅近は互いを視界に入れつつも、目を逸らし、ひたすら黙りこくっていた。

 息をするのも憚られる程の緊張が満ちる。

「…………あの後、どうなったんだい?」

 ふと、雅近がぶっきらぼうに口を開く。

「放免達が突入、捕縛完了とのことです」

「そうか」

 先程のことなどなかったような会話を続けるが、雰囲気は固いままだ。

「そろそろ聞かせてよ。あそこは一体何だったんだ」

「盗賊の、隠れ家です」

「そうみたいだったね。だけど、あのように見事な花の咲く趣深い家が、なぜそうなった?」

 雅近は、やっと誠をまっすぐ見た。

 先程のことを引きずっているからか、探るような視線になるが。

 誠も、雅近に向き直る。

「本当に、申し上げてよろしいのですか?」

「なぜ、そんなことを? いいに決まっているじゃないか」

 誠は重ねて念を押す。

「雅近様には、ご不快かもしれません。それでも、お聞きになりたいですか?」

 雅近はその勢いに押されながらも、

「……そう、だね。大丈夫。聞かせて」

 躊躇いがちに頷いた。

 それをしっかり見届け、誠は話を始める。

「では。雅近様。先日、女に襲われかけたでしょう」

「ああ。でも、それがどうした?」

「あの者は、真白という娘の母親です」

「え?」

 あっさりとした口調で明かされた事実に、雅近も流石に絶句した。

 しかし、そういえば、目鼻立ちが似ていた。そして何より真白が言っていた『おかあちゃんとおんなじ』髪色。思い返してみると頷ける。

「あの者が証言したのです。『娘を人質に取られて、拠点に踏み込んだ貴族を襲うように脅された』と」

「そうか、それで」

「ええ。盗賊達は今までにも子供を攫っては人買いに売りつけるまでの間、その子供を盾に親を手駒として使っていたようです」

「そんな……捕まって、本当に良かった」

「そうですね。あの家では、美しい藤に隠れてこのようなおぞましい企みが実行されていたのですよ。どうですか? 失望したでしょう。思い出の景色を汚されて」

 誠は少し刺々しく言い放つ。

 雅近は放心したように

「ああ……」

 と声を溢した。誠はさらに追い撃ちをかける。

「あの家はかつて、とある貴族の邸だったそうです。無欲でただ風流のみを愛し、花いっぱいの庭を眺めては質素な暮らしを送っていた貴族。周囲から慕われ、庭は近所の名物になっていた。しかし、その御仁が亡くなった後、邸を引き継ぐ者は現れませんでした。家は次第に荒れ、花々も少しずつ咲かなくなり、遂には藤だけになってしまった。時代とともに右京そのものが寂れ、やがて盗賊が住み着き、おぞましい場所と成り果てたのです。私が何を言いたいか、おわかりいただけたでしょうか」

 今のままでは、これがあなた様の末路ですよ。言外にそう示しつつ、嫌味たっぷりに締めくくる。

 雅近はすごい形相で誠を睨めつけた。

「その言いぐさ、いくら僕が寛容だからって、許されると思っているのかな?」

「別にいいですよ、殺しても。私はもう、とっくにそうなっていてもおかしくなかった。今更、命なんか惜しくもなんともありません」

 誠の平然とした返しに、雅近はいらだっているような、悲しんでいるような、もどかしい表情になり、

「…………じゃあ、真白が自分の娘じゃないっていう証拠は? あの子が言ってたの、誠そのまんまだったのに。やっぱり、母親に会ったことが無いから?」

 強引に話題転換を図る。

 しかし、提示した話題が良くなかった。

「確かに、それもありますが。そもそも、私の『細身』『色白』『小柄』は、長い間、日の当たらない所に閉じ込められ、やつれてしまった結果です。私は強くも優しくもありませんし、その他の一致は単なる偶然としか言いようがないでしょう。それ以前の問題です。あの者が真白を身籠った時、私はおそらく、既に獄中でしたから」

 淡々とした声が落ち、再び気まずい沈黙。

「……真白は、ここで預かっておくよ。どこかの冷たい父親の代わりにね」

「父親ではありませんが、よろしくお願いします」

 ぎすぎすした会話の後、誠は帰って行った。


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