ちょっとドSな新妻を喜ばせたくて

冬場 春

第1話 いってきますのキス

 窓を開けるには肌寒い季節。

 まだ人肌恋しくなる寒さの中、八王子颯太はちおうじそうたはベッドに入りながらを立てていた。

 それは隣に眠る妻・八王子明里はちおうじあかりこと愛称『あーちゃん』にいってきますのキスをしてもらうこと。

 新婚生活が始まって数週間。ハネムーンこそまだだが新婚夫婦といったら、いってきますのキスはお決まりの行為。

 颯太は在宅の仕事で明里は小学校の先生。

 毎日玄関先まで送り出す際にキスサインを送ってはいるが、まったくと言って無反応で明里は行ってしまう。

 そこで颯太は考えた。

 夜遅朝早の仕事の為に夕飯は颯太、朝は明里が作ることになっている。

 朝も作ってあげれば、感激した明里はご褒美にキスしてくれるはずだと。


「よし。スマホのアラームも切ったし、朝ごはん見たらビックりす――」

「っ……ソウくんうるさい」


 可愛い寝息をたてる妻明里の言葉に颯太は平謝りしては口に手を当てて息を潜める。

 ここで明里に気付かれたらすべて台無しになってしまうからだ。

 そして計画を実行するべく、ゆっくりとベッドから抜け出そうとする……が。


「う~さむい。わたしの湯たんぽ……」


 まるで抱き枕を抱く様に明里の足や手が颯太の身体を逃さず強く抱き締める。

 明里の柔らかい胸が二の腕に押し付けられ、颯太の大事な場所は膝裏で挟まれた。

 おまけに温かくもくすぐったい明里の吐息が颯太の耳を温める。


「〇▲✕〇▲✕っ!?」


 無意識な明里のスキンシップに颯太の意識が飛びかけ思わず抱き締め様と腕が回るが我慢。

 ゆっくりかつジリジリと腕を引っ込めて深呼吸。


「あぶない危ない。色々な意味で天に召されるところだった……」


 未だ明里に湯たんぽ兼抱き枕状態の颯太は間近で眠る妻の寝顔をつい見つめてしまう。

 黒髪ロングヘアからは寝る前にシャワーを浴びたのか花の香りがするし、目を閉じているとまつ毛が長いのが一層際立っている。


(相変わらずあーちゃん寝顔可愛い! この寝顔を是非写真に収めて家宝に……くッ!)


 頭上に置いてあるスマホに手を伸ばすが、明里の抱き枕スイーパー技で手が動かない。

 もぞもぞと動くがまったく動かず、むしろ抱き締める力が強くなっていく。

 二の腕にあたる明里の柔らかな胸の感触。これはこれでありと思っていた矢先。


「イタタタッ!? あーちゃん……ぐるじい!」

「ん……ごめんソウくん」


 抱き枕スイーパーから解放された颯太。

 明里は再び夢の中に堕ちていき可愛い寝息をたて始めた。


「ふぅ……危うく心停止して除細動器が必要になるところだ」


 ある意味美味しいシチュエーションだったが、これもいってきますのキスの為に奮い立つ。

 ゆっくりとベッドから這い出ては、明里に被さる掛け布団を調えて冷気を遮断。

 いくらエアコン暖房をつけても冷えは女性にとって大敵。

 静かにドアを締め、忍び足で冷蔵庫があるダイニングに向かう。

 リビングの遮光カーテンの隙間から僅かな光が入り込み、新聞配達をしているバイクの排気音が微かに聞こえる。

 いつもと変わらぬ音に日常を感じながら、颯太は冷蔵庫の扉にある貼り紙に釘付けになった。


『開けるな! 開けたら踏んづけまくる!!』


「え……?」


 謎の脅迫文に颯太はたじろぐ。

 明らかに脅迫文は明里の文字。

 しかも冷蔵庫の扉にkeepoutと丁寧にテーピングされ、まるで刑事ドラマの証拠現場だ。

 普通だったら開けるのを躊躇するが、颯太は開けた場合を想像してしまった。

 気が強い明里が女王様みたいに颯太を奴隷の如く踏んづける姿を。


「やば……想像したら楽しそう」


 きっと実家の家族が見たらドン引きする笑顔を浮かべる颯太だが仕方がないのだ。

 颯太の仕事上、その手の想像が働いてしまうから。

 そんな颯太は迷いなくkeepoutのテーピングを剥がしては扉を開ける。

 白色のLED照明に照らされる冷蔵庫内。

 颯太が見つめる先には綺麗にラップで包まれたお皿にタッパー、それと小さな貼り紙。

 昨日颯太が作った夕飯の残り物の他に、見知らぬ料理が幾つもタッパーに。

 小さな貼り紙に書かれた綺麗な文字で直ぐに明里の文字とわかった。

 達筆ながらも所々に癖字みたいな〇文字に、向上心の高さを現すような右肩上がりの文字を書くのは明里しかいない。

 しかも書かれた内容は颯太を思いやる言葉が書かれていた。


『野菜多めに油もの少なく。颯太は嫌がるけど、やるんだ私!!』


 不意に颯太は自分のお腹を触りながら食生活を思い出す。

 在宅ワークをいいことに、明里を見送ってからは仕事の合間にお菓子やジュースを飲んだり食べたりの自堕落生活。

 パソコンに送られた編集からのリテイクに応えてはお菓子を食べ。

 良いネタが思いつかないからと散歩せずにお菓子を食べる始末。


「流石にヤバいよな……」


 ぽっこり出そうなお腹を触り、危機感を感じてしまう。

 メタボリックになろうとする夫を敬う妻明里に颯太の胸は熱くなる。


「よし! お菓子を抜いて今日からダイエットだ!!」

「ふ~ん。じゃあ帰りにお菓子は買って来なくて大丈夫ね」

「っ!?」


 背後から温かくも冷たい声に颯太の身体に電気が走る。

 ゆっくりと冷蔵庫の扉を締めては振り向く。

 視線の先にはさっきまで寝ていたルームウェア姿の明里。

 その表情は可愛い寝顔ではなく笑顔。

 夫だからわかる。

 笑顔だけど声色が確実に怒ってる。


「お、おはようあーちゃん。今日はまだ早いんじゃない」

「今日は課外授業があるから早いのよ、


 スマホの目覚ましは確かに切ったのに、いつもより早く明里が起きている。

 混乱する颯太に明里は置き時計を見せ。


「スマホの目覚ましはサブで、今日はこっちがメインなの」

「そ、そうなんだ」

こそ何してるのかな? いっつもお寝坊さんで『あーちゃんの目覚めのキスがなくちゃ起きない』って言ってるのに」

「い、いや……喉が渇いたから水を飲もうかなって」

「水? 水ならどうして冷蔵庫を開けるの? は日本語わかる? わかるわよね。開けるなって確か書いてあったと思うけど」


 間違いなく明里に怒られると察した颯太。

 朝から可愛い明里に怒られるのも得といえば役得だが、床に落ちていた貼り紙を勝手に足が動いて隠そうとした瞬間。


「痛ッ!!」


 足先の指を思いっきり明里に踏まれる。


「痛い? 痛いじゃなくて踏まれて嬉しいでしょ」

「ご、ごめんなさい! 踏まれて嬉しいです!!」

「よろしい。ちょっとソコに正座しなさい」


 リビングを指差す明里。颯太は踏まれた足をさすりながらフローリングの上に正座。


「ソウくん、あれは何かな」

「あれって……あっ!?」


 リビングに置かれたテーブルの片隅にはノートPCやらタブレット。

 それに印刷された紙が数枚。


「私だってソウくんの仕事は理解してるし、それを承知で結婚したわ」

「はい……」

「でも私だって先生でもあり女性なの。だから……あ、ああいうエッチな物を置かれても困るの!」

「誠に申し訳御座いません!!」


 指先まで綺麗に揃えて土下座する颯太。

 なにせテーブルの上にある印刷物は薄い本ならぬ薄いイラスト。

 華麗な土下座をしながら颯太は弁明した。

 明里の帰りが遅いと分かりながらも一緒に夕飯を食べようとして、時間の合間に溜まっていた仕事を片付けていたら寝てしまった。

 今朝は今朝で、いつも帰りが遅くて疲れてる明里の為に朝ごはんを作ってあげようとしたと釈明。

 明里も明里で、学校から帰ってきたらテーブルに広がるタブレットやノートPC画面から薄いイラスト全開状態を見ては静かにテーブルの隅で夕飯を取り、テーブルでうつ伏せ状態で寝る颯太を着替えさせたと。

 まるで幼稚園児みたく万歳しながら着替えさせたらしい。

 そして寝惚けた颯太をベッドに連れて行ったと。


「大変ご迷惑をおかけしました!」

「いいわよ別に。着替えさせてる時のソウくんちょっと可愛いかったし」

「え?」

「何でもないわよ! バカ颯太!!」

 身構える颯太。きっと明里のことだからお腹を軽く殴るか、足を思いっきり踏まれるに違いないからだ。

 だけど痛みは感じない。

 もはや明里にヤられ過ぎて感覚が麻痺したのかと思った。


「何やってるの?」

「え、殴るか踏まれるかなって」

「しないわよ。やったら颯太喜ぶじゃない」

「え~」


 何故か残念がる颯太に明里は呆れながら「朝ごはん作るから、さっさとテーブル片付けて」と言い残しダイニングに向かう中、やる気の無さ全開でテーブルにある薄い仕事道具を片付けていく。

 そのやる気の無さを見た明里は溜息混じりに言った。


「もし早く片付けたらご褒美あげるんだけどなぁ」


 その瞬間突風がリビングに吹き荒れ、直立不動の颯太がテーブルに手を添えて。


「片付けておきました明里さん」

「は、早いわねぇ……」

「もちろんです。明里さんの為なら薄いイラストなんか部屋のゴミ箱にポイです」


 本能に忠実な人間と言うべきか、自分の夫ながら半ば呆れてしまう行動の速さ。

 スタスタとダイニングに向かう颯太。

 たじろぐ明里の手を握り。


「明里さん」

「な、何よ」

「ご褒美は裸エプロンで――痛っ!?」


 颯太の悲鳴。足を見ると明里に踏まれている。


「しないから。あとこれがご褒美よ、踏まれて嬉しいでしょ」

「イタタ……はい、踏まれて嬉しいです」

「それと今日はソウくんも朝から出版社で打ち合わせじゃないの?」

「はっ!?」


 すっかり忘れていた。急いでスマホのスケジュールを確認すると青ざめる。


「わかったら早くシャワーを浴びてきなさい」


 着替えとバスタオルを洗面所に持っていくなり颯太が「あーちゃん、一緒にシャワーを浴び――」「浴びません」と冷たい返事が帰ってくるのみだった。


 ◆◇◆


 その後はカラスの行水並みの早さでシャワーを済ませては、明里が用意した朝ごはんを食べる颯太。

 結局朝ごはんを作ってキス作戦は失敗したが、これはこれで良いと思った出来事があった。


「ねぇソウくん。ちょっと口開けなさいよ」

「え?」


 突然言われて何の事かわからないでいると、ちょっとイラついた声色で。


「いいから黙って口開けなさい。私に開かせるつもり」


 それはそれで役得だと思った颯太だったが、明里が持つお箸にはパリッと焼かれたタコさんウィンナー。

 この光景から導きだされる答えは一つだと察して、まるで親鳥からエサをもらう雛鳥みたいに口を開けた。


「……ど、どうかしら」


 ちょっと不安そうな表情を浮かべる明里に颯太は満面の笑みで返した。


「うん。いつもながらあーちゃんの作るご飯は美味しい」

「そ、そう。ならよかったわ」


 子恥ずかしいのか、微かに頬を赤くする明里。

 それに気づかずに颯太はご飯を食べていく。


「ソウくん、ほっぺたにご飯粒付けてるわよ」

「うそ、どこどこ」


 ほっぺたを触る颯太に明里は苦笑いしながら。


「仕方ないわね。とってあげるから目を閉じて」

「あ、ありがとう」


 ジッとする颯太の頬に柔らかくも温かな感触を感じてしまう。

 その感触がもたらす、くすぐったさに思わず出してはいけない声が出そうになってしまった。


「もう開けていいわよ」


 明里からの言葉にゆっくりと瞼を上げていく。

 すると目の前に座る明里は口唇に人差し指を艶やかに当てながらいう。


「私の為に頑張ってくれたご褒美だからね」

「え……」


 暫く脳がフリーズしていたが、次第に頬の感触を思いだしなから結論を導く。

 そう、ほっぺたにキスされたんだ。

 名残惜しそうにする颯太。


「な、なによ。二回はないからね。今回は特別よ。そう……特別なんだからね」

「い、いや。出来れば口唇――」

「は? 殴られたいの?」

「ごめんなさい! 顔はやめて!!」


 握り拳を見せる明里に、瞬間的に謝ってしまう颯太。

 和気あいあいとしながらも颯太は打ち合わせの為に明里より早く支度する。

 車通勤かつ近場の学校と違い、颯太と契約している出版社は家から遠い為だ。

 玄関から出た瞬間、明里が小走りに近寄って。


「ほら颯太、お弁当持ってくの忘れてる」


 小さいながらも、そのお弁当からは温かさと優しさを感じずにはいられない。


「ありがとう……でもどうして」

「颯太言ってたじゃん。出版社の近くに飲食店が全然ないから、いつもコンビニだって」

「あ……覚えていてくれたんだ」


 以前何気ない会話で言っていたことを覚えていてくれたことに朝から涙腺が緩んでしまう。

 それを見た明里は恥ずかしそうに。


「当たり前でしょ。颯太の事なら何でも覚えてるわよ。なにせ私は颯太の愛する妻ですから」


 思わず涙ぐむ颯太に、ちょっと自慢気にいう明里。

「俺も……明里の夫になれてよかった。これからも思春期の少年達がワクワクするエッチな小説をいっぱい書か――っ!?」


「外で言わなくていい! ご近所さんに聞かれたら恥ずかしいから!!」


 咄嗟に颯太の口を押さえて黙らせる。

 エッチなイラストや小説を仕事にしてると、ご近所にしれたら恥ずかしいからだ。

 明里が作ってくれたお弁当を鞄にしまい、二人見つめては。


「じゃあいってくるよ、あーちゃん」

「うん、いってらっしゃい颯太。気をつけてね」


 颯太が歩き出した刹那、明里が「待って、忘れもの」といい。

 次の瞬間、颯太の口唇に温かくも優しい感触が重なる。


「もう……いってきますのキス忘れてる」

「……」


 微動だにしない颯太だったが、両手が明里に伸びては。


「どうしたの?」

「いや、明里のことを急に抱き締めたくなってきて」

「いいけど、仕事は間に合うの?」

「たぶん無理……絶対無理」


 どうやら明里にキスをされて火がついてしまったらしい颯太。

 やれやれ男ってやつはと思い、明里は颯太の背中を押しながら耳元に囁く。


「じゃあ早く帰ってきたらキスの続きをしてあげる」


 その囁きに颯太は目の色を変えて走っていく。


「今日は昼には帰るから!! 絶対に!!」


 颯太を見送っては「はあ~っ! いじらしく我慢するソウくんめっちゃ可愛いんだけど!!」と感想をいいながらドアを締めようとした瞬間。

 隣の部屋に住む高齢のお婆ちゃんと顔が合ってしまい。


「若いっていいですわねぇ」

「……」


 それだけを言い残してはドアを締めるお婆ちゃん。

 見られ聞かれていた明里は顔を真っ赤にして叫ぶのであった。

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