それ忍びの本は正心なり

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それ忍びの本は正心なり

 中心街の商店街というのは、毎日が祭りのようだ。

 地方の田舎町では、人通りは少なく店の数も少なかった。

 だが、中心市街は違うのだ。

 人の数が違う。

 そして、店が違っている。

 人がいるから店があり、店がたくさんあるから、人はそこに集まる。

 人が多ければ多いほど、商品も売れるし、お客さんも増えていく。

 だから、街には活気があるのだ。

 そこに一人の少年が歩いていた。

 年の頃は10代半ばくらい。

 背は高くないが、ひょろっとし印象は無い。

 短髪で細身ではあるが、引き締まった筋肉質な身体つきをしていた。

 周囲に溶け込むような平凡な顔立ちをしているが、落ち着きながらもどこか自信に満ちているように見える。

 服装はどこにでもいそうな普通のシャツとズボンに、パーカージャケットを羽織っていた。

 少年の名前を真堂しんどう裕貴ゆうきという。

 手には商店で購入した荷物があり買い物帰りだ。

 裕貴は今日は何やらいつもと様子が違うことに気づいた。

(何だろう? この雰囲気……)

 それは街の空気だった。

 普段よりも騒々しい感じがする。

 特に大通りは顕著であった。

 何かイベントでもあるのかと、裕貴は不思議そうに首を傾げていたが、流行り物に興味のない裕貴にとっては全く知らないことだった。

 通りの端に、スマホとパンフレットを手にしている少女の姿があった。

 そこかで見たことのある顔のような気がした。

 だが、知り合いではないはずだと思い直す。

 少女の方も裕貴の存在に気づいていないようだった。

 裕貴はそのまま横を通り過ぎようとしたのだが―――。

「裕貴!?」

 突然声をかけられた。

 聞き覚えのある声で……。

 裕貴は振り返ると、そこには先程の少女がいた。

 綺麗な茶髪を後ろで束ねたポニーテール姿。

 瞳は大きくクリッとしており、鼻筋が通っている。

 唇はやや薄めであるが、それがまた彼女の可愛らしさを引き立てていた。服装は上下ともに白を基調としたワンピースであり、胸元には小さなリボンがついている。

 清楚感あふれるその出で立ちからは、大人びた雰囲気を感じさせた。

「裕貴でしょ」

 彼女は裕貴の顔を見ると嬉しそうに声をかけてきた。

 どうやら裕貴のことを知っていたらしい。

 しかし、残念ながら裕貴の記憶の中に彼女の存在は残っていなかったが、記憶が蘇って来る。

「もしかして、森下もりした理沙りさ?」

 思い出したのは小学生時代の友人の名前である。

 当時は仲が良くよく一緒に遊んでいた相手だ。

 しかし、中学に入ると同時に疎遠になってしまった。

 そのため連絡を取り合うこともなかった。

 久しぶりに会うためお互いの見た目が大きく変わっていることもあり、気づかないのも無理はない。

「久しぶり! 元気にしてた?」

 理沙は笑顔を浮かべる。

 対して、裕貴は戸惑った表情を浮かべていた。

「親の都合で地元を離れていたんだけど、帰って来てね。まさか、偶然にも裕貴を見かけるなんて思わなかったわ」

 理沙は驚きつつ喜んでいる様子だった。

「こんなところでどうしたの?」

 裕貴は尋ねる。

 理沙とは疎遠になっていたものの、そこまで距離がある訳ではなかった。

「よかったら道案内を、お願いできない? 私、方向音痴で……」

 今度は裕貴が苦笑する番だった。

 どうやら目的地まで連れていって欲しいらしい。

「いいよ」

 裕貴が、それくらいなら構わないと了承すると、理沙の顔がパァッと明るくなった。

 裕貴にとってはこれも日常茶飯事だ。

 慣れたものである。

 裕貴は快く引き受け、二人は並んで歩き始めた。

 目的地までの道中、人の流れが多くなって来る。

 群衆という程ではないが、まばらながら通行人が増えていった。

「何だ。この人の多さは?」

 裕貴が呟いた言葉に反応するように理沙が口にする。

「自分の地元なのに知らないの? 織田信長よ。ほら来月公開時代劇映画の。これは、その宣伝パレードよ」

 裕貴は、その言葉に反応する。理沙は気が付かなかっただろうが、裕貴は今にも唾を吐き捨てそうな顔をした。

 通りの先を見れば、槍を持ち足軽姿に扮した人達が練り歩いて来る。

 先頭には綺麗な衣装を着た女性がおり、その周りを甲冑を纏った武者が取り囲んでいる。

 その奥に馬に乗った、織田信長に扮した映画俳優が見えた。

 イケメンで知られる俳優だ。

(冗談じゃない)

 裕貴は心の中で毒づく。

 理沙は嬉しそうにしスマホをカメラモードにして撮影していた。

 その姿は、とても楽しそうだ。

 だが、裕貴は気分が悪くなる一方だったが、それをあからさまにする程、子供ではなかった。人々の注目がパレードに集中している。

 だからこそ、裕貴だけが気がつくことができた。

 自分達の真後ろの脇道から一台のスポースカーが進入してこようとしていることに。

 スピードが尋常ではない。

 車両のドライバーは、人が居るにも関わらず無理やりパレードが行われている通りを横切ろうとしている。

 このままでは轢かれてしまうのは確実だ。

 裕貴は考えるよりも早く身体が動いていた。

「逃げろ!」

 理沙の手を掴むと、そのまま引っ張り道の端へと移動させると共に、裕貴は全長35cmの苦無を取り出す。


 【苦無くない

 忍者が使用した平らな鉄製の爪状になった両刃の武器兼道具。

 全長35~45cmの大苦無。全長18cmのものを小苦無と呼ぶ。

 質の良い鋼でできており苦労が無いと書くように、武器として使用するだけでなく、手裏剣として打つこともできた。

 また、穴を掘ったり塀を壊す壊器かいきとして石垣に穿うがって手がかりとする登器として、さらには火打ちがねとしても使えた。

 後部が輪状になっており、紐や縄を通して使用したり、水を張ってレンズ代わりにするなどの使い方もあった。

 小型のものは縄を付け高所に打ち込み登る飛苦無とびくないとして使われた。

 

 裕貴は前輪のタイヤを狙って苦無を打つと、車両はバランスを崩し建物の壁面に突っ込む。

 大きな衝突音が鳴り響いた。

 エアバッグのお陰か、運転者は意識を失っているようだ。

 そして、パレードを行っていた人々は騒然としている。

「理沙、大丈夫か?」

 裕貴は理沙に声をかけた。

「痛……。何よ突然」

 理沙は突然の出来事に戸惑いながらも、痛みで顔を引きつらせている。

 どうやらケガはないらしい。

 裕貴は安心した。

 それもつかの間――。

 更にもう一台のスポースカーが侵入してくると、裕貴達の脇を抜けて行く。

 しかし、アクセルは踏みっぱなしであり、速度は落ちるどころか加速していく。

 このままでは危険だと判断した裕貴は、走った。

 車が時速何km出ていたのか分からないがタイヤが悲鳴を上げるような速度だったはずだ。

 しかし、それでも裕貴は追いつく。

 忍術に縮地という修行がある。

 板を傾斜させて立て掛け、その上を全力で駆け上がる。傾斜は上達につれて角度を増して行く。

 強靱な脚力による超高速移動ができるようになり、達人ともなるとまるで瞬間移動したかのような速さであったという。

 忍者の飛神行ひしんぎょうの一つで、隠形おんぎょう遁身とんしんや忍込み等に必要な身軽さを習得するための修行だ。

 裕貴は車両の運転席側のサイドドアに飛び乗った時には、車両はパレードの正面に位置していた。

 パレードの人々は、先の車両衝突の件で散った状態になっていたが、馬に乗った信長役の者は動くことができなかったようだ。

 裕貴はポケットに手を入れ、右手の指に角手をはめる。

 

 【角手かくて

 角指かくしとも呼ぶ。鉄製の指輪に棘が1鋲、2鋲、3鋲、4鋲、5鋲、6鋲と色々な種類がある。

 主に忍者が暗殺用に使用している他、捕り物としても使用された。使い方としては、突起針(角)を手の内側に向け、指輪のように装着し、刃で敵の顔面、首、手首、腕、足首などを強く握ると針が肉に食い込んで、敵の動きを封じることができた。

 平行に2、3筋の傷がつくことで、一方の傷をふさぐと他の傷口が開くため、ダメージが大きい。特に体の小さい女性には護身用として好まれた。捕り物では、相手の両手首をつかみ角をくいこませ、相手が痛みでひるんでいる隙に捕縛する。

 

 車両のガラスはフロントガラスは合せガラス、ドアガラスは強化ガラスの為、割ることは難しい。

 合わせガラスは2枚のガラスの間にフィルムを挟み込んだ仕様になっており、強化ガラスよりも割れにくいのが特徴だ。

 だが、強化ガラスはガラスは1箇所に一定の深さのキズを付けることにより全体が粉々に割れる構造になっている。

 裕貴は、ドアガラス越しに運転手に視線を向ける。

 こっちを気にしてはいるが、正面を見ていない。

 裕貴は角手をはめた拳でドアガラスを突き破ると、ハンドルを掴む。車はスピードが緩まない。

 被害を最小にするには、どこかへ衝突させるしかない。

 裕貴は信長が居る手前の電柱に注目すると、ハンドルを操り、そのままの勢いでぶつかる。

 凄まじい衝撃音と共に車体はボンネットが電柱の形に変形し、裕貴は投げ出されて地面に叩きつけられた。

 車からは煙が立ち上り、辺りは騒然となる。

「裕貴!」

 叫ぶ理沙の顔色は悪くなっていた。

 無理もない。

 車の暴走速度で投げ出されたということは、その速度で高所から落ちたのと変わらない。

 裕貴はゆっくり身体を起こす。

 頭は守っていたが、接地した時の背中と肩にはダメージがあるし、サイドガラスを破った右手には切り傷があった。

 裕貴は立つ。

(身体中が痛むな……)

 裕貴は身体の節々から感じる痛みを感じながら、理沙の元へと向かう。

 理沙の方からも迎えに来てくれる。

「裕貴。動いちゃダメよ 」

 理沙は裕貴を心配そうに見つめている。

 裕貴は笑顔を作ると理沙の頭を撫でた。

「心配ない。そんなヤワな鍛え方はしてねえよ」

 裕貴の言葉を聞いた理沙は少しだけ微笑んだ。

 しかし、裕貴は気を引き締め直す。

 裕貴は周囲を見渡す。

 パレードを行っていた人々や見物客は突然の事故に騒然としていた。

 警察車両のサイレンが聞こえて来た。

「悪い。一足先に帰らせてもらうよ」

 裕貴は理沙に言うと、荷物を拾い苦無を回収して、その場を離れた。

 振り返り、パレードの信長を見る。

「まさか俺が信長を助けるとはな。天正伊賀の乱のことは忘れていねえぞ」

 裕貴は苦言を口にした。


 【天正伊賀の乱】

 伊賀国(三重県北部)で伊賀の忍者・地侍などからなる「伊賀衆」と織田家が戦った、二度にわたる戦の総称。

 信長は、忍びがもたらす情報の価値は認めていたものの、忍びそのものは神出鬼没で奇怪。どこに属することもなく敵にも味方にもなることから、その存在を嫌った。天下統一を目指す信長にとって、忍びの持つ力は利用するものではなく、徹底的に排除するものだった。

 戦国時代、各地の大小名は伊賀者、甲賀者の腕を見込んで一時的に金で雇い、諜報、時に敵の暗殺を委ねていた。

 元亀元年(1570年)、信長が越前(福井県)の朝倉氏攻めに失敗し、岐阜城に戻るべく甲賀から伊勢(三重県)へ抜ける千草越えを通過中に狙撃され暗殺されかかっている。甲賀の鉄砲の名手・杉谷善住坊すぎたにぜんじゅうぼうによるもので、六角氏の要請に応えたものだった。

 天正六年(1578年)、伊勢を押さえる信長の二男・信雄のぶかつは、伊賀を攻略すべく、丸山(三重県伊賀市枅川)に拠点の築城を始める。城は三層の天守を備えた大規模なもので、ついに山間部の伊賀にまで信長の手が及ぼうとしていた。

 しかし完成間近となった同年十月のある日。丸山城は突如、大爆発を起こし炎上。夜明け前に忍び込んだ伊賀者たちが、城内のあちこちに火薬を仕掛け、一斉に火を放ったのだ。城内が大混乱に陥ったところへ、さらに数百人の伊賀勢が乱入し、信雄の配下は逃亡、城は半日ともたずに落ちた。

 これに怒った信雄は、翌天正七年(1579年)九月、父・信長の許しも得ずに8000余りの軍勢を率いて伊賀に攻め込む。

 伊賀の地侍は数では劣るものの、百地丹波ら上忍の指揮のもと、信雄軍を山中に釘づけにして軍の展開を封じ、奇襲、夜襲のゲリラ戦の連続で散々に翻弄する。結果、信雄は甚大な被害を出して伊勢に逃げ帰った。

 その後、天正九年(1581年)に第二次天正伊賀の乱が起こり、織田信長が大軍を率いて伊賀衆を攻め落とし、伊賀は壊滅状態に陥った。

 織田軍は、伊賀(三重県西部)へ至るあらゆるルートから侵攻。集落や寺院はことごとく焼かれ、逃げ場のない人々は殺されていった。

 当時の文献によれば、第二次天正伊賀の乱は織田軍によるかなり一方的な殺戮だった。織田軍は伊賀各地の神社仏閣や城砦などとともに、拠点を次々と焼き払った。約2週間で伊賀全土が焼き尽くされ焦土と化したという話も伝わるほどで、まるで国中が燃えているようだとする記録がある。伊賀側は最終的には、非戦闘民を含め全人口の3分の1にあたる3万人強の人々が命を落とした。

 伊賀衆の拠点は織田軍により焼き払われたため、当時をしのばせるものは石碑や郭跡などの遺構がほとんどとなっている。それら以外に現存するものがほぼないことから、織田軍の凄まじさがよく分かる。

 あまりにも多くの血が流されたことで、《ち》が血に通じることを嫌って、百地(ももち)という姓を持つ一族は「ももち」の読みを「ももじ」に改めたとされ、現在でも百地氏は「ももじ」と名乗っている。

 信長の蛮行は、これだけではない。

 元亀二年(1571年)比叡山焼き討ち。

 この時、全ての堂宇は放火され、寺の僧侶はおろか山麓の町から避難してきた一般信徒も含む多くの人がことごとく殺害されたと伝えられる。

 死者数は『信長公記』で数千人、宣教師フロイスの書簡では約3000人、貴族の日記にも3000~4000人とあり、多くの人命が失われたと記されている。

 天正二年(1574年)長島一向一揆殲滅。

 この討伐に乗り出した信長軍は、籠城した一向宗徒に兵糧攻めを行い、一向勢は餓死者が続出したため全面降伏を申し出る。表向きはこれを受け入れた信長だが、約束を反故にし投降者を殺害。

 さらに生け捕りにした2万人の人々を数珠つなぎに集めると、生きたまま火あぶりの刑にした。非戦闘民である女性や子供も多く含まれていたことから、家臣達の間からも信長をいさめる声が出たが、信長は耳を傾けなかった。

 一向宗徒の周りには薪が積み上げられ、人々は生きながら猛火に焼かれた。灼熱地獄の中で阿鼻叫喚の地獄絵が繰り広げられ、つんざくような悲鳴が上がった。巨大な炎の人柱は、風にあおられて大きく燃え上がり、2万人という人々を一度に火あぶりにした臭いは、いつまでも消えることがなかったという。

 天正三年(1575年)越前一向一揆殲滅。

 朝倉氏滅亡後の越前(福井県)では一向一揆が台頭し、信長の支配が及ばなくなっていたため、再び越前を取り戻すべく、信長は侵攻を開始。

 信長は、命令出す。

 一人残らず探し出せ。そして女・子供構わず、すべて斬り捨てよ。

 と命じる。

 こうして一揆勢は2万以上が討ち取られた。捉えられた人々は、奴隷や女中、妾として尾張や美濃に送られ、その数は3万から4万人に上るとされる。

 明智光秀というと主君の織田信長を討った「天下の謀反人」というイメージが強いが、信長の死を知った伊賀の人々はとても喜んだ。

 世間では、英傑と呼ばれ天下統一を目前にし家臣に裏切られた悲劇の武将・織田信長であるが、しいたげられた人々はそうは思わない。

 400年の時を経ても、今もなお信長への憎悪の念を持ち続けている。


 裕貴は自宅に帰る。

 薄闇が迫る時間だった。

 田園のある、少しのどかな場所にある一軒家だ。

 祖父母が住んでいた古い家屋ではあるが、まだ十分に住めそうな状態を保っている。

 裕貴が帰ると母親が迎えてくれた。

「お帰り。ん? 何かあったの」

 母親は、裕貴の顔と服の様子を見て心配する。

 普段、感情表現が乏しい息子が、珍しく苦笑いを浮かべていたからだ。

 母親の問いに対し、裕貴は笑顔で答えた。

「テレビでニュースやってない? パレードで事故があったてさ」

 それを聞いた母親もテレビをつけた。

 ちょうどニュース番組で、パレードでの出来事が放送されていた。

 しかし、アナウンサーは淡々と事実だけを読み上げている。

 2台の車両がパレードのある通りに侵入し、事故を起こしたというものだ。2台の車両は、職務質問中に突然逃走しパレードのある通りに逃げ込んだのが、事件のあらましだった。

 どうやら、あまり大きな出来事ではなかったらしい。

 それはそうだろう。

 通行人や映画俳優にはケガ人や死亡者は出ておらず、沿道の見物客が転倒して軽い打撲傷を負った程度だったのだから。

 とはいえ、裕貴にとっては大事件だった。

「もしかして、現場に居たの?」

「まあね。暴走車両を防いで、信長を助けちまったよ」

 母親は絶句する。

 まさか、こんなことを言いだすとは夢にも思ってもいなかったのだ。

「裕貴。あれは映画俳優よ。信長じゃないわ」

 母親の言うことはもっともだった。

 しかし、裕貴は首を横に振る。

「それでも。信長は信長だ。俺達の祖先が、信長にどんな虐殺を受けたか忘れた訳じゃないだろ。女子供も問わず殺され、生き残った者も奴隷や妾にされたんだぞ。何が英傑だ!」

 興奮気味に語る息子の言葉に、母親は息子に正座を求めて、自分もその場に座る。

「裕貴、忍術秘伝書『万川集海』のあの言葉を言いなさい」

 裕貴は黙ってうなずくと、ゆっくりと口を開いた。

「それ忍の本は正心なり。忍の末は陰謀・佯計ようけいなり。これゆえにその心正しく治まらざる時は、臨機応変の計をめぐらすことならざるものなり」

 母親は裕貴の言葉を聞くと、静かに諭す。

「そう。《正心》という心が忍びの根本であり、この心がなければどのようなことも成し遂げることができないの。何が正しくて何が正しくないのか。絶対的な正義があるわけじゃない、同時に絶対的な悪もあるわけではないので難しいけど、それを決めるのは忍び自身ということ。自らさまざまな判断が求められる忍びは、高度な倫理観をももっていなければならなかったのよ」

 裕貴は、この母の姿を見て、自分の間違いに気付いた。

 自分が間違っていた。

 母が教えてくれたのは、歴史を学び怨みを募らせることではなく、祖先の想いを受け継ぐことなのだ。

 消せない存在、怨みがあったとしても。

 裕貴は、姿勢をただし、深々と頭を下げた。

 そんな裕貴に、母は優しく微笑む。

 その笑みは、まるで天使のように優しいものだった。

「でも、裕貴が助けてくれてよかった。ありがとう。あなたが止めなければ、多くの人々は死んでいたかもしれない。あなたのしたことは正しいことよ」

 裕貴は、思わず涙ぐむ。

「じゃあ裕貴、明智さんに、お灯明をあげて」

 母親は頼むと、裕貴は今日購入した明智桔梗紋入りの提灯を出すと、玄関と縁側に吊るし火をつける。

 火のついた提灯は、ゆらゆらと揺れながら、辺りを照らし出した。

 現在も、天正伊賀の乱で戦地となった三重県名張市にはお盆に、

「明智さんに、お灯明をあげる」

 といって、本能寺の変で信長を討った明智光秀に感謝し弔う為に、玄関や縁側に明智提灯を灯す風習がある。

 また京都府南部や周辺の奈良県の一部地域にも盆提灯を表入口や縁に吊る所があるが、これは非業の死を遂げた明智光秀の菩提ぼだいを弔うためとの伝承がある。

 裕貴が見守るなか、明智家の家紋である桔梗の花が燃えるように赤く浮かび上がる。

 その光景を見ながら、裕貴は先祖の魂の安らぎを願うのだった。

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