第191話






 身体を拭き、少し大きく感じる服を借りて浴室を出た。出た瞬間にアイラが飛びつく。また髪も乾き切っていない。今もメイドたちが髪を梳かしながらタオルを当てている。


「レイン様!」


 レインはアイラの頭に手を置く。そして近くのメイドに尋ねる。


「ここからもう一つの都市までどれくらい掛かりますか?」


「……馬車であれば1〜2時間くらいで、徒歩ならば5時間ほどでしょうか?ただ途中で休んだり、大人数での移動ですと……1日、2日は見た方がいいかもしれません」


「……そうですか」


 それまではカトレア以上に引っ付いてくるアイラの相手をしないといけないようだ。ただアイラの今の状態はやむを得ない事態だ。しばらくは一緒にいるとしよう。帝国兵は傀儡たちに殲滅させる。


 

◇◇◇



「……以上が簡単な報告になります」


 エルセナ王都王城に勤める執事が街の状況をレインへ伝えている。あれから1日が経過した。


 各地で生き残った兵士や民たちが続々と王都へ到着する。王都の人口も減ってしまった。だから荷物が残された空き家が多くあり、それを王城の使用人たちが割り振っている。外から来た人たちが野宿にならないように身分に関係なく空いている家を与えていった。


 兵士たちは街灯に見せしめのように吊り下げられた亡骸をゆっくり降ろし、新たに王都の外れに作られた集団墓地へと運んでいる。


 早馬からの報告では明日の夕方にはレイナたちも到着するとの事だ。彼女たちが到着すれば、兵士たちを休ませる。壊れた武器を直し、王都周辺を強化する。


 これで王国を救った事にはなる。また帝国が攻めて来る可能性もあるが、それはまた別の話だ。ただあそこまで圧倒的に壊滅させられて、まだ挑んでくる勇気とそれだけの兵士がいるとは思えない。


「レイン様……頭撫でて……」


「はいはい」


「ふふ……暖かくて…気持ちいい…」


 執事との会話の最中もアイラはレインに甘え続けている。レインはベッドに腰掛ける。アイラはレインの膝を枕にし、手を握って自分の頭へ持っていく。


 昨日からこうなっていた。夜寝る時も大変だった。レインも寝たいと思ったが、アイラがずっと自分の名前を呼び続ける。眠りに落ちても譫言のように呟き続ける。


「どこ?どこにいるの?……レイン様」って何度も何度もレインの名前を呼びながら天井に向かって手を伸ばしていた。それも涙を流しながら。


 レインが手を握ると少しだけ目を開ける。そして安心したかのように微笑み、レインの手に頬を擦り寄せながらまた眠りに落ちる。僅かな時間でも手を離すとあのようになってしまう。


「レイン様……申し訳ありません。今しばらく……お嬢様を……お願い致します」


 執事はもう何度もレインに謝罪している。アイラは心に深い傷を負ってしまった。その心が完全に壊れてしまわないように無意識に防衛機制が働いてしまっているらしい。

 レインという存在を心の依代にして精神の安寧を保とうとしている。いずれ落ち着いて症状も快方へ向かうかも……と、王城にいる治癒士がそう言っていた。…………かもってなんだ?と問いたい。


 レインは寝なくても、食べなくても最悪何とかなる。物資がほとんどないせいで全てを節約しないといけない。王族だから、王城に勤める使用人だからといって特別扱いは出来ない。


 だからレインの分は無くしてもらってる。でもアイラは当然食べるが……その時も相手をしている。


「レイン様……食べさせて……」

「はいはい」


「レイン様……ぎゅってして……」

「はいはい」


「レイン様……着替えさせて……」

「それは自分でやれ」


 こんな会話ばかりだ。でも無碍には出来ない。今アイラを助けられるのはレインだけだから。


 こうしてその日も更けていった。


◇◇◇


――次の日の昼過ぎ――

 

「お姉ちゃん!!」


 レインとアイラがいる部屋の扉が、バンッ!――と勢いよく開く。この開け方が何故か懐かしく感じる。


「きゃあッ!!レイン様ぁ!!」


 扉が開く音に驚いたアイラはレインに抱きつく。そんな所を妹に見られた。これはこれでマズいのではないだろうか?


「お姉……ちゃん?」


「アイラさん……レイナさんですよ?」


「…………レイ…ナ?レイナ!」


 アイラはレインから離れて部屋の入り口に立つレイナの元へ駆け寄る。初めて自分から離れる事ができた。流石に妹が来たら話は変わるようだ。


 "これで解放されるかな?"


◇◇◇


「あの…………これはどういう状況なのでしょう?」


 その日も何事もなく終わった。みんなはずっと働き続けている。王都内はずっと兵士たちが捜索をしているが発見の報もない。

 傀儡が激しく動いている気配もない。おそらくだが王国内からは帝国軍を排除出来たのだろう。国境沿いをウロウロしているだけのようにも見える。王都周辺の傀儡も一部を除いて召喚を解除している。見た目も悪いし。


 そろそろ国境周辺に展開している傀儡も戻しても良さそうだ。と、思っていた2日目の夜。


 王族が使う大きなベッドのど真ん中でレインは寝ている。右側には昨日と同様にアイラがいる。違う点はレイナが左側にいてレインの腕を枕にしている事だ。既に寝息を立てている。やはり疲れていたのだろう。一瞬で気絶するように寝てしまった。


 とても軽いからなんとも思わないが、解放されるんじゃなかったのか?いや誰もこれで終わりなんて言ってないけど。


「……レイン様」


 アイラが小声で呟く。左腕を枕にされているから首だけアイラの方を向く。今度は何を要求されるんだろうか。


「…………レイン様、私はもう大丈夫です。お恥ずかしい所ばかりお見せし、煩わしい思いをさせてしまいました。でも……レイナの前では立派な姉でありたいんです。もう遅いかもしれませんが。……だから今日が最後です。明日から私は王位を継承し、女王となります。

 だから……だからこの夜だけは……私を抱いて寝てくださいませんか?……あなたがいると本当に安心する」


 アイラは上体だけ起こし、身を捩ってレインに近付く。そして頭をレインの右肩に乗せて反対側の肩に手を回す。もうほぼ上に乗っかってる。


「………………これが最後なら…仕方ないですね」  


 心の中でカトレアに謝罪しながら右手をアイラの頭に置いた。アイラはすぐに寝息を立てる。こんな体勢で寝られる訳がない。こうして2日目の夜も更けていった。



◇◇◇



 今日で3日目になる。エルセナに侵攻した敵の多くは撃退した。後半に関してはこちらを見るだけで帝国軍は逃げ出した。負傷した仲間を見捨て、我先にと走って逃げた。

 

 やはり一部の帝国兵はエルセナの国民を人質に取る行動をした。しかし普通の兵士程度では傀儡の速度には反応できない。


 その兵士がその民の首を斬る前に、傀儡が兵士を殴り国民を救出。その後にゆっくり殺させた。


 今も解放したエルセナ王都『ネルハ=ダリア』にいる。内部の造りはテルセロに似ているおかげで違和感が少ない。

 ただ国民の顔はまだ暗い。国王も王妃も死に、兵力と財産の大半を失った。まさに壊滅状態だった。復興には何年も掛かるだろう。それなのに攻め込んだ帝国はほとんど無傷だ。数千人の兵士を失っただけに過ぎない。


 またいつ攻撃されるか分からない。次は本当に王国の人間を皆殺しにするかもしれない。そんな不安な毎日に日々疲弊していった。


 神覚者レインが居てくれれば何も怖い事はない。レイン1人で帝国兵を撃退したようなものだ。

 だがその神覚者は別の国の人間で、彼を雇うお金はもう王国にはない。国民たちがお金を出し合ったとしてもレインほどの神覚者を長期間雇う金額には到底足りない。

 帝国軍を国内から撃退するという依頼はすでに完了した。これ以上ここに留まる必要はないとレインが言えば誰も止める事が出来ない。が、みんな不安だった。

 もう少しここに居てほしいと願ったが、それを口に出来る者はいない。


「…………今日で3日目か」


 レインは1人呟く。帝国軍がいなくなってから3日が経った。傀儡たちは生き残った人に余計な恐怖を植え付ける。だから召喚していない。国境沿いに展開した傀儡も昨日の夜の時点で王都近郊まで呼び戻して解除した。


 王都は早急に陥落したという事もあり街並みはいつもと変わらないらしい。ただ人は違う。


 かなりの人数が必要のない拷問を受け、殺されていた。男は街灯に首を吊られ、女は強姦された後に殺されていた。子供は1ヶ所に集められ焼かれたか連れ去られていた。


 この3日間で片付けも進んだ。みんな王城の使用人たちと同じようにがむしゃらに働いて思い出さないようにしている。アイラもレイナも今朝から王族としての務めを果たそうとしている。

 

 ただそれ以前に物資が無さすぎる。王都の外に誰も出ようとしない。そもそも王都より東側に住んでいた人たちはモンスターの襲撃と帝国軍の強襲によりほとんどが死んでしまった。


 王国は兵力だけでなく人口も激減している。今、レインがいる王都が最も安全な場所となっていた。そしてこの侵攻が人々にかなりのトラウマを植え付けてしまった。


 こればかりはレインだってどうする事も出来ない。アイラやレイナが何とかしようとしているみたいだが無い袖は振れない。


 レイナはどうか分からないが、アイラに関しては今も精神的も不安定だ。ようやくレインと離れる事が出来るようになったが、完全に回復したというわけじゃなさそうだ。


 そんな事を考えている時だった。1人の兵士がレインの元へ走ってやってきた。それだけで何か緊急事態が起きたのではないかと周囲に動揺が走る。


「……どうかしました?」


 レインの前で息を整える兵士に問いかける。兵士はすぐに落ち着きを取り戻して話し始めた。


「ご報告申し上げます!ここに向かってくる一団を確認致しました。おそらくイグニス王国軍と思われます。……救援でしょうか?」


「いや……分からない。でも準備はするって言ってたと思うけど……」


 レインが言い切る前だった。強い魔力を放つ者が王都の城壁を飛び越えた。レインはその方向を向く。


「……神覚者…様?」


「…………あー、大丈夫です。イグニスの兵士が来たら門を開けてあげてください。悪いことにはならないと思います。あとこの事をアイラさんたちにも伝えて下さい」


「了解しました!」


 その兵士は敬礼し、王城の方へと走って行った。その兵士を見送り終わるくらいに、その強い魔力がレインの後ろに立つ。その正体は分かっていた。


「阿頼耶……何でここに?屋敷にいるんじゃなかったのか?」


「レインさん!緊急事態です!すぐに屋敷に戻って下さい!」

 

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