第2話 逆襲の果てに…
それからの日々はあっという間だった。
件のパーティーで俺はとある人材派遣会社社長を紹介され、そこで正社員となって働けることになった。
派遣社員にならずに済んだのは他でもない。あのチャラい俺のマブダチのお陰だ。
今まで遊んできた俺に唯一残されたもの。それは人の輪だった。
「君には今まで培ってきた人脈をフルに活用してもらいたい」出勤日初日に社長から頂いた言葉に俺は思わず涙した。
それからは怒涛の日々が続いた。何せまともに働いたことのない俺が受注から配置まで任されたのだから……。
トラブルもあった。泣いた日もあった。でも俺は逃げなかった。
真面目に働いてさえいれば、食いっぱぐれることはないのだから。その言葉を信じて。
月日は流れて、俺にもようやく肩書きがついた。
収入もアップした。結婚だって遠くはないはずだ。そうすればいずれマイホームも必要になるだろう……。結婚相手は当分見つかりそうもない、でもそれくらいう夢を見てもいいはずだろ?
そんな妄想を繰り広げながら、少しだけ浮ついた気持ちで仕事をしていたある日。
「今度は産休!?」つい受話器越しの声が大きくなってしまった。
俺の会社は基本的に今まで培ってきた俺の人脈で回している。だから当然社員は俺と社長以外は全員女性社員だ。
「すいみませんが、よろしくお願いします」スズムシの奴がなんの悪びれもなく電話を入れてきた。今月でもう五回目だ。
「ちょっとはこっちのことを考えてくれ。どうしていつも君は急なんだ!?」
「だってぇ仕方ないじゃないですかぁ、彼氏も面倒見るっていってますしぃ」語尾が伸びるその言い方が癇に障るのもあるが一番俺の感情を逆なでしたのは……。
「おい、さっきから受話器の向こうから波の音が聞こえないか?」
季節はすでに七月、浮かれた若者が涼を取るついでに異性交流に向かう場所。かくいう俺も昔は行った。働きもせずに。
「お前、どういう神経してるんだ? みんな今必死に働いているんだぞ? そんな中お前、自分ひとり休んで」
俺の言葉を遮るように受話器がおかれた。
今しがた自分の身に起きた出来事に絶句する。なんなんだあいつは?
この繁忙期に仕事を休んで海に行くその神経。
ふてぶてしい態度で嘘までついて、俺の話を遮るように電話を切りやがった。
「あのーー……、今お時間よろしいでしょうか?」見上げるとセミが申し訳なさそうな居住まいで俺のデスクの前に居た。
「どうした?」
「今月で私辞めます」
「……ど、どうして!?」
嫌な汗が全身から流れる、今ここでセミにやめられてはうちの会社は持たない。それくらいこの人材は「使える」のだ。
「もう螽斯所長のパワハラに耐えられません! みんな言わないだけでもう限界です。もう一か月家に帰ってないんですよ! 所長は収入上がったかもしれませんが、私たちなんて入社の時と同じ給与体系で……、とにかくもうやめると決めたので」
いうだけ言うとセミは一礼して自分の持ち場へ消えていく。俺の机には辞表と書かれた茶封筒が一枚。それを手に取ると、別の視線に気づく。見るとそいつも青ざめた顔で俺を見ていた。
頑張ってきたはずなのに、なんで……。
終電なんてすでにない深夜、俺は当てもなくさまようように街を練り歩いた。いつもならすぐに帰って仕事の続きでもするかもしれない。
でも、今日はできなかった。
「螽斯君、ちょっといいかね?」
その日の午後。社長から呼び出され、俺はすべてを失ったからだ。
余裕のない俺の働き方に、全員が不満を持っていた。言いたいことならいくらでもあるが、今はどうでもいい。後悔したところで、なにも戻らない。
結局はそういうことなんだ。バランスだ。真面目過ぎてもつぶれてしまう。それに気づいたときにはもう誰もいない。
雨が降ってきたことに気が付いたのは、いつも利用していたコンビニの目の前を通りかかったときだった。
「もういい! そんなに家庭に顧みた環境を望むなら二度とうちに来るな!!」
「そ、そんな……私には妻も子供もいるんです」
雨が本降りになっていた。
コンビニから突き飛ばされるように出てきたのは、蟻だった。
はたから見てもパワハラだろう。俺もあんなことを平然としていたのかと思うと胸が痛む。
近づくと蟻は俺に気が付かないようで、うなだれたままぼうっとしているようだった。
「雨、やみそうもないな」
気づけばそんな見ればわかりそうなものを言い訳にして、俺は蟻を傘にいれていた。
「螽斯さん!? どうしてここに!?」
「よぅ! 久しぶりだな」
蟻は久しぶりに見る俺に驚きを隠せないといった表情だった。何せ俺はずぶ濡れではあるが、スーツを着ていたからだ。
「近所に住んでんだ。それより、ひどい奴だな。あれじゃただのパワハラじゃないか」
「いいんです。仕事ができない僕が悪いんです……」
蟻はうつむいてしまう。
「蟻……悪かったな。あんなに必死に働くお前を、俺は見下していた」
「いえ、僕のほうこそ。上の指示や環境のせいにして人生を台無しにするところでした」
俺たち二人の間に、少しの間空気が流れた。そして、
「なぁ、よかったら俺と組まないか?」
俺の頭の中に、何かアイディアがあるかといえば嘘になる。でも、この雨はやまないかもしれないけど、蟻の心の雨だけはどうしても止ませてやりたかった。
蟻と螽斯 明日葉叶 @o-cean
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