➁

 私は、下駄箱から、上履きを取り出し、履き替えると、自身の教室に行くべく、移動する。廊下を歩きながらも、頭の中は先程鞄に仕舞ったものについて、考えていた。いったい誰が私にチョコを…まだチョコと決まったわけではないのだが、送ってくれたのだろうか? 早く中を開けたい気持ちが私の心を占めているが、今ここで開けるのは嫌だし、せめて一人で心の準備をしっかりとしてから開けたい。

 階段を昇ろうとすると、後ろから声を掛けられる。


「おう、おはよう、兎月うづき

「……おはよう、猪頭いのがしら


 猪頭直樹いのがしらなおき。私と同じクラスで、別段挨拶をするのはおかしい事はないのだが、こいつの方から挨拶してくるなんて、珍しい。いつもは、口を開けば憎まれ口に近い事しか言わないこの男が。


「今日は、お前一人なのか?」

「どういう事?」


 少し辺りを見回すと、私に訊いてくる。その意味が私には判らず、質問を質問で返す形になってしまった。


「いや、ほら、獅子谷ししたにさんと一緒じゃないのかな、と」

「はーん」


 歯切れが悪い。なるほどね、こいつ身の程もわきまえずにまあ、いけしゃあしゃあと。


「今日は一緒じゃないけど、変な期待しないほうがいいんじゃない?」


 私は直接何かとは言わないが、ある種の確信的な言葉を放つ。その、言葉は猪頭にはクリーンヒットしたみたいで、明らかに動揺している。


「ば、バカか、お前。俺が何を期待しているっていうんだよ!」

「その動揺から丸わかり。どうせ、レオからチョコ貰えるかもとか、淡くて叶わない夢でも見ていたんでしょ」

「わ、判らな」

「ないね」


 猪頭の言葉を食い気味に否定する。その言葉に最早隠すことなく、肩を落とす哀れな男がここに一人。流石にこのままでは可哀そうか。


「まあ、レオは去年も誰に渡していないみたいだし。そこまで、落ち込まなくていいんじゃない」


 フォローをしてあげる。


「はぁ、少しはあるからなって思ったけど…。じゃあ、うん」


 落ち込んでいた肩が元に戻ると、私に向けて掌を差し出す。この手はなんだ?


「もう、お前ので我慢するよ」


 私は思いっきり手を引っ叩いて、階段を昇り始める。スパーンと気持ちの良い音が、朝の廊下に響き渡る。それと、同時に「いてぇ!」という声が重なる。


「お、お前何するんだよ!」


 猪頭は私の後をすぐに追って来て横に並ぶと、真っ赤になった掌を見せながら抗議してくる。


「叩いて欲しいのかと思って。綺麗に真っ赤になって良かったわね」

「今までの話から、どうして俺の掌を叩いてくださいって事になる! 普通チョコだと思うだろうが!」

「なんで、私があんたに渡すチョコを持ってるなんて、妄想を抱いたかは聞かなかった事にしてあげるわ。大体そんな態度だから、誰からも貰えないんでしょ」

「うっ」


 私の言葉はもう一度奴の心を抉ったようだ。だが、バカな事を言った報いだ、もうフォローの言葉を掛けてやるつもりは毛頭ない。


「そういえば、阿鶴あつる先輩って進路って決まったの?」

「あれ、お前って阿鶴先輩と接点あるんだっけ?」

「まあ、ちょっとね」


 春の事を思い出したからか、ほとんど親しいわけでもないが、美術部の部長、いや今は元部長か。あの優しい先輩をどうしているのかを思ったわけだ。隣のこいつは美術部所属だし、ちょうどいい。


「そっか。阿鶴先輩なら絵を描きたいからって、美術大学の推薦合格が決まったよ。ほら、去年話をした、あの『約束』を描いた先輩と同じ大学だよ」

「へぇー」

「へぇーってお前から訊いてきたのに、その反応はどうなんだよ」

「いや、薄々そうかもなって思っていたから」

「どういうこと?」

「あんたは知らなくていいから、ありがとね」


 未だに納得できないって顔をしている猪頭はほっとくとして、そうか、同じ大学に行くのか。私は春に会ったあの時の二人を思い出して、にやけてしまう。

 そんな他愛のない話をして、私たちは自分たちの教室でもある2―Aのドアを引く。開けた瞬間に判った事がある。ここには天国と地獄が存在するということが。


 文化祭の時にものあったのだが、クラス内にもカップルは存在する。そのカップルがチョコのやり取りをしている、こっちが天国。そして、その光景を羨ましそうに見ている男子が地獄。これが、今の2―Aである。


 世間では、義理チョコや友チョコというものがある。しかし、この2―Aにおいて、同姓の友チョコはあるかもしれないが、義理チョコに関して言えば絶対に、断言しよう。そんなチョコの存在はない。あるのは、本命だけである。我が2―Aはそういうクラスだ。


 それ故にこの格差社会は生まれてしまった。ちなみに猪頭は入った瞬間に地獄行きとなった。


 そんなのを後目に私は自分の席に着く。私の席は教室の窓際一番後ろの席だ、最高。そして、私の隣の席はレオだ、最高。なのだが、私の隣の席は空席のままだ。珍しい、レオが私より遅く来るなんて。


 そして、そのまま始業のチャイムが鳴るが、レオの姿はまだ見えない。本当にどうしたんだろう? そんな風に考えていると、教室のドアが開き、一人の人物が入ってくる。その人物は私が思い描いていた人物ではなく、このクラスの担任でもある鳩峰先生がいつものダサいジャージ姿で入室してきた。


「ああ、じゃあ、ホームルームするぞ。取り立てて、重要な事はない。じゃあ、授業の準備をして待っていろ」


 うん、いつも通りだ。そう言って、退室しようとする先生はその足を止めると、私たちの方に体を向ける。


「そうだ、忘れていた。今日、獅子谷ししたには休みだ。以上」

 

 そう言って教室のドアを引いて、出ていく、ドアが閉まった瞬間、


「それは、大事は事でしょうが!」


 私はすでにいない、鳩峰先生に対して言う。


 そして、それに共鳴するかのように、男子たちの明らかな落胆が見て取れた。いや、お前ら、絶対なにか期待していただろ。しかも、女子までもが落胆している。いやいや、なんで!


 私はここにきて、改めて親友の人気の凄さを知る事になった。というか、それよりもレオが休みって。私は携帯を見るが、特に連絡は何もない。体調でも崩したのかな? 


 『大丈夫?』私はレオにメッセージを入れる。すぐに返事が来るわけもなく、あっという間に一時間目の授業となった。本当にどうしたのだろう?

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