第三章 秋の本

 ①

 さてさて、木の葉が緑から紅に変わり、その葉が木から離れて、地面へと舞って落ちている。ちょっと前まで、朝のこの通学の時に歩くだけで汗をかいていたのに、今ではその暑さはなくなっている。

 夏休みに崩れた生活リズムを元に戻すのに、滅茶苦茶苦労をした私だが、九月の終り頃になってこうしてなんの問題もなく登校出来ている。裏を返せば、こうなるまでに約一か月もかかっていることは触れないでいてくれると助かる。


 夏のあの出来事から、私はレオや他の友達と遊びまくってしまい、怪物退治がとてもギリギリになってしまい、救世主レオの監視下のもとなんとか退治する事に成功した。ちなみに、夏のあの一件からお父さんとお母さんの距離が更に近くなった気がする。いや、気のせいではない、これ以上ないくらい近い。やれやれだ。


 校門まで来ると、装飾された看板が目に入る。看板はまだペンキで塗られたところと塗られていないところがあり、まだ制作中であることが判る。昇降口まで、行くと同じように装飾中の物が所々に存在する。この現状が意味するところは一つ。我が雲鷹うんよう高校は文化祭のシーズンに入ったのだ。

 

人呼んで、雲鷹祭うんようさい! などと言ったが、普通か。なんの捻りもない。だからなのか。最近の校内はどこか浮ついた雰囲気だ。だから、きっと私の心もどこか浮ついていたんだ。

 

だから、狼乃森ろうのもり先生、見逃してください。


目の前にいる男性教諭、狼乃森雄ろうのもりゆう先生にとっくに始業のチャイムが鳴り終わった後に登校してきた私は見つかってしまった。狼乃森先生は私の姿を見るなり、先生はため息を吐いて、待ちなさいと、いつもの心地の良い低音ボイスで私を呼び止めた。


「狼乃森先生、違うんです。悪いのは、あの私を温かく包んでくれる布団が悪いんです。あいつがあんなに優しくしなければ、私は遅刻などすることなく登校出来ていたはずなんです」


 私は必死に弁明する。私のそんな熱弁が功を奏したのか、先生はため息を盛大に吐く。


「兎月さん。布団に罪はありません。布団はしっかりと仕事をしていたのと思われます。ならば、兎月さん、あなたがするべきことはなんでしたか? 布団の優しさを受け入れつつも、しっかりと自分がすることをしっかりとしなくてはいけなかったはずです。そう、学校に遅刻することなく登校して勉学に励むという仕事を」

「はい、すいません」


 狼乃森先生の言葉に私は返す言葉の選択肢は一つしかなく、謝罪と頭を下げる以外はなかった。


「判ればいいです。もう一時間目の授業が始まってしまっています。今から教室に入るのは、気まずいですね。兎月さん、一時間目が終わるまで、図書室で過ごしてください」

「いいですか、ありがとうございます」


 狼乃森先生の後を私は追いかける。狼乃森先生は司書教諭としてこの学校に赴任しているの。だから、授業の無い時は基本図書室にいるのだが、こうして時折お世話になっている。


 狼乃森先生はこの学校に結構長い間勤めている。真面目な性格と丁寧な口調、四十は過ぎているがそれが雰囲気と合っていてと落ち着いた大人という感じだ。短く切り揃えられた髪の毛に、いつもピシッとした紺色のスーツを着ている。とっつきにくいと生徒たちの間では言われているが、一部の生徒にはファンがいるとの噂もある。


 私も最初はどちらかといえば苦手な方だったのだが、狼乃森先生と接していくうちに、印象が変わっていった。ファンがいるのも納得。

 図書室は基本的には鍵がかかっており、図書室が開錠されるのは昼休みと放課後に開放されている。昼休みと放課後の限られた時間にだけ、この知識の部屋は開かれる。その知識の部屋の主でもある、狼乃森先生は鍵を開けると中へと入っていくので、私も続く。


 開放されている間は、受付カウンターに図書委員の生徒がいるのだが、今は昼休みでも放課後でもない、当然誰もいない。狼乃森先生はカウンターに入ると、そのまま奥の図書室に併設されている図書準備室に消えて行った。では、私も自由にさせてもらおうかな。


 窓際の長テーブルの上に鞄を置くと、左右に二脚ずつあるイスの私から見て、右側のイスの一つを引くと、そのまま座る。一時間目が終わるまで、後三十分ぐらいか、どうしようかな。ここで、教科書を出して勉強するなどという考えは私にはなく、というかそんな優等生なら遅こんな時間にこうしてここにいるわけがない。


 携帯は……流石にそこまで不真面目な私ではない。ここは、図書室だ。なら、するべきことは一つだろう。私は座ったばかりではあるが、立ち上がると、適当な本を取りに、本棚に向かう。

 雲鷹高校の図書室は他の高校に比べれば、広いし、本の種類も豊富だと思う。まあ、他の高校がどうなっているのかなんて判らないけど。さて、なんの本読もうかな。

 本棚を眺めているが、イマイチ私の興味を惹く本に巡り合えない。この限られた時間を有意義にさせてくれる本はこの空間にはないのだろうか。レオに言ったら、なんて贅沢な事言っているのと怒られそうだ。


 うーん、何を読もうかな。文庫本のコーナーを見ている時にふと空間があることに気が付いた。本が一冊か二冊ほどの空間がある。作者の五十音順のうの所で、少し目線を下げる必要があったのだが、ここに本があったのを誰かが抜き取ったのだろう……あれ?


 私はそのまま次の棚を見ようかと思って視線を上に戻そうと思ったのだが、私の視線がその空間に白い物体があるのを捉えたのだ。なんだろう。

 私は少し屈み、その白い物体、よく見れば白いメモ用紙だった。指でつまんで、それを取る。その紙は二つ折になっており、ちょうどこの空間に収まるようになっていた。


 えっ、なにこれ。明らかに人が何かの意図を持って置いたと思われるのだが、この中身を見ていいのだろうか。などと悩んだのは一瞬で自分の好奇心には勝てずに、二つ折りになったその紙を開く。絶対にレオの影響だな、これは。

 開く時に私は、春と夏の出来事がよぎり、もしかしてこれは手紙なのではと思って開けてみたのだが、中には誰かが誰かにあてた手紙などではなかった。そこには、ただこう書かれていた。


『四季恋』 啄木鳥きつつきシン

『定番のお弁当おかず百選』 牛島海斗うしじまかいと

『中高生の文化祭特集』 おまつり社

『よく判る哲学 プラトン編』 猿追勉さるおいつとむ


 メッセージではない、本当にメモ用紙としての役割とばかりに単語が書かれていた。

 書かれている内容を見る限り、本のタイトルとそれを書いた人だよね。でも、なんだか、ジャンルがバラバラ過ぎる。どれも、読んだことがない本ばかりだ。


 しかし、なんでこんなものがこの場所に置いてあるんだろう。内容と状況だけを見るなら、借りたい本をメモしたという事だけど。つまりはこういう事だろうか、誰かがこの図書室にこのメモ用紙に書かれた本を借りに来た。でも、その人はこのメモ用紙を落としてしまった。で、それを誰かが拾って、たまたま空いていたこの空間に置いた。


 うーん、少し無理があるかな。拾ったまではいいとしても、そのあとこの空間に置くというのがよく判らない。ここで拾ったという事は、つまりこの図書室が開いていたという事になる。つまりは、人が、図書委員がいるはずなのだ。なら、拾った人物はその人に預ければいいわけだし。それをたまたまそこにあった空間に置くというのはどうもしっくりこない。


 そんな風に頭を悩ましていると、一時間目の終了を告げるチャイムが図書室に備わっているスピーカーから響いた。いつの間にかそんな時間になっていたのか。そのチャイムが鳴る中、図書準備室の扉が開く音が聞こえる。


「兎月さん」

「は、はい」


 狼乃森先生が私を呼ぶ。私はとっさに先程拾ったメモ用紙を制服の上着ポケットに仕舞い、先生の方へと向かう。


「今行けば気まずさもないでしょう。ちなみにですが、あなたをここでサボらせてしまった事は他の先生方には内密にお願いしますね」


 先生の言う通り今行けば、ちょうど休憩時間だから授業中に入っていく、あの気まずを味わわなくて済む。


「判りました。先生、ありがとうございました」


 私は、テーブルに置いてある鞄を手に持つと、図書室を出て、自分のクラスに行こうすると、先生が私を呼び止める。まだ、何か?


「しっかりと遅刻届を担任の先生に提出するんですよ」

「……はい」


 そこも見逃してくれないのか、さっきまでの優しさをここでも発揮して欲しかった。くっ、あれを提出する度に担任から笑われてしまう。最初は怒っていたのに、段々と私が遅刻する事を面白がり始めたあの担任に。いやだー。


 2―Aのプレートがある教室の引き戸を開ける。ちなみに、雲鷹高校は各学年AからFまでの六クラスで構成されている。私のクラスはAクラスである。

 引き戸の扉を引いた瞬間、廊下からでも判っていたクラス内の喧騒がピタっと止み、クラスのみんなが私に注目する。えっ、止めて、見ないで、私の事なんて気にせずどうぞ騒いてください。


 一瞬の静寂の後に何がくるのかドキドキしていた、私に対してクラスのみんなは拍手し始めた。な、なにごと⁉

 そして、そんなクラスを代表するかのように、レオが入口で立ち尽くす私の元へ来る。そんな、レオも当然拍手している。


「おめでとう、しずく」

「え、は、なにが?」

「雲鷹高校遅刻回数歴代トップだよ」

「…………」


 言葉が出ないのだが、レオは今なんと言った。遅刻回数歴代トップって言った? 


「雲鷹高校の歴史においてこの記録は破られることは決してないと言われていたのに、しずくは今日その記録を塗り替えたんだよ、おめでとう」


 レオの言葉に呼応するかのようにクラスのみんながおめでとうと口にする。みんな本心からおめでとうと言っているように聞こえる。


「遅刻大魔王から遅刻神に昇格だね」

「ありがとう…………なわけあるか‼」


 その叫びに呼応するかのように、今度は笑い声が響く。ちきしょうなにが、大魔王から神に昇格だよ、とんだ不名誉な昇格だよ!


「し、しずく、お、落ち着いて。こ、これはとても名誉なこと、ぷっ」

「もう、笑い堪えられてないよね、レオ!」


 うがー! 今にも暴れ出しそうな私の頭の上にポンと軽い擬音が出たであろう、何かが触れる。

 なんだろうと思い後ろを振り返ると、そこには我らがAクラスの担任であり、二時間目の授業を担当する鳩峰巳音はとみねみおん先生が、立っていた。


「何を騒いでいる、遅刻神。さっさと席に着け」


 すごくクールな口調で私に言う。パッ見れば容姿も整っていて大人な女性の雰囲気なのだが、それらのプラスをすべてを台無しにする本人のやる気のなさとだらしなさの象徴でもあるダサいジャージ姿でなければ絶対モテるはずなのに…ではなく、今なんと?


「早く席に着け、遅刻神」

「あんたのせいかー!」


 どうやら私の不名誉な名付け親は目の前の担任教師だったらしい。抗議する私の言葉に自業自得だの一言に私は返す言葉もございません。


「よし、全員席に着いたな。猪頭いのがしら

「はい。起立、礼、着席」


 授業の始まりと終わりにはこうして挨拶をするのだが、その担当は当日の日直が務めることになっている。今日の担当は猪頭か。


「さて、では今日も前回と同様に羊佐和先生がする。では、羊佐和ようさわ頼む」

「はい、鳩峰先生」

 鳩峰先生が教壇から降りて、窓際に移動する。そして、残ったスーツを着て、肩まである黒髪の女性は、先週から教育実習生として雲鷹高校に来ている羊佐和砂月ようさわさつき先生、大学生だ。元々ここの卒業生で、年齢が近くて飾らない性格をしているからか、すでに多くの生徒と打ち解けていて、みんなからは下の名前で呼ばれている。それに、教え方も上手なんだよね、砂月先生。本人は先生と呼ばれる事に抵抗があるみたいだけど。


「じゃあ、前回の続きから、教科書の九十六ページを開いて」


 先生は色々な授業を担当するが今日は国語を担当するのか、前回のところだと。ああ、この昔の小説か。正直この話はあんまり好きになれない話なんだよね。

 だからか、どうもこの話に出てくる登場人物に感情移入ができない。レオにその事を言ったら、しずくには確かに合わないかもって言っていたっけ。

 そんな好きになれないこの物語を聞きながら、私は二時間目の授業を受けたのであった。ちなみにだが、この授業の終了後、鳩峰先生から遅刻届を出すように言われた。もう、判ってますよ。

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