⑮
一階に下りると、居間にいたのは、おばあちゃんだけだった。
「あれ? おばあちゃんだけ?」
私はキッチンの方も見たが、誰もいなかった。
「うちの人は、久しぶりに剛さんと飲めて嬉しかったのが、いつもより酔うのが早くて、もう寝たよ。剛さんと純子は外にいるよ」
「外に?」
「今日は、雲一つない空だからね」
そう言って、おばあちゃんは麦茶を啜る。そっか、二人は外か。おばあちゃんにお礼を言うと私は、二人のもとへ向かう。
靴を履き、玄関の引き戸を引き外に出る。夜のはずなのに、そこまでの暗さは感じなかった。外は雲一つなく、星の輝きがたくさん見える。そして、月がこれでもかというほど自己主張を頑張っている。更に、虫や蛙のセッションがそこかしこから聞こえる。
二人はすぐに見つかった。というか、家の前にいたので、そこまで苦労することはなかった。
「お父さん、お母さん」
私の呼びかけに二人は振り向く。
「しずくも来たのか」
お父さんもお酒を飲んでいたはずなのに、酔いを感じさせない。私はそのまま二人の間に割り込む。
「うん。二人は星を見てたの?」
「そうよ。普段はこんな星空は見ることができないから、毎年帰ってくる度に楽しみなのよ。昔は当たり前だったものが離れて初めて、有難みが判ったわ」
二人はまた視線を上に向ける。私も倣うように見上げる。確かに、この光景は素晴らしいものだと思う。今まで気にしたことはなかったが、なんだか感慨ぶかいものがある。
私は、ハッとする。星空に見惚れて本来ここに来た意味を忘れてしまうところだった。
「ねぇ、お母さん」
「うん?」
「これなんだけど…」
私は、手に持ってきた物をお母さんに見せる。
「…また懐かしい物を見つけたのね」
私はお母さんに持ってきた物、あの三通の手紙が入った缶を渡す。お母さんはそれを受け取ると、缶の表面を軽く撫で、優しい声で私に言った。
「中身もあなたは見たのね」
「うん」
私は頷く。厳密に言えばレオも見ているのだが、まあ今はいいか。
「なにか大事な物かい?」
お父さんはお母さんの手の中にある缶を見ながら訊く。
「ええ、とてもね」
お父さんはこの缶の中身を知らない。さて、ここからか。
「お父さんは昔にある人がきっかけで農業に興味を持ったって言ったよね」
「? ああ、そうだけど…」
当然の話の変わりように、お父さんは少し困惑したようだが、私は続ける。
「どんな人だったの?」
「それは…」
お父さんが少し言葉に詰まる。
「あら、そんな人がいたの?」
お母さんもこの話は初耳だったようで、お父さんに訊く。
「あ、ああ。話をしたことはなかったけど、昔にね。ある人の影響で興味を持ったことがあるんだよ」
「その人とはもう交流はないの?」
お母さんの更なる質問に、お父さんは頷く。
「そっか、それは残念ね」
お父さんはそうだねと言って、この話は終わりという雰囲気になりかけるが、私はここで終わらせるわけにはいかないとばかりに、ある意味で爆弾を投下する。これが、誤爆となるかそれとも…。
「その人の名前は犬川雫ってひとじゃないの、お父さん。ううん、幾頭やわら君」
その瞬間だけ、すべての音が搔き消えて、月明かりがスポットライトのように二人を照らしていうるのではないのかと錯覚してしまう。ただ、確かに言えることがあるとするのならば、二人の雰囲気だけがはっきりと変わったことだけだ。
お父さんからのなんでと言う言葉ではなく、視線で訴えられる。私は何を言うまでもなくただ見つめ返す。何か言葉にするのならば、私ではなく隣にいるお母さん、いや犬川雫にであろう。
「それじゃあ、私は先に戻るから」
私はそう言うと、脱兎のごとく逃げ出した。一度も後ろを振り返ることもなく。
私は三和土で靴を脱ぐと、二階に戻ろうとすると、居間の方から話声が聞こえる。なんだろうと覗き込むと、おばあちゃんとレオが談笑していた、スイカを食べながら。
「おかえり、しずく」
私の気配を察してなのか、覗き込んでいる私に向けて言う。私は、ただいまと言いながらレオの隣に座る。
「しずくもスイカ食べるかい?」
「うん」
おばあちゃんはちょっと待ってと言い、キッチンの方に向かって行った。しかし、こんな時間に食べて大丈夫だろうかと、今更ながら心配になってしまう。
「大丈夫。このスイカは別腹だよ」
「いや、何が大丈夫か判らないし、それに勝手に心を読まないで」
美味しそうにスイカを食べるレオにツッコミを入れる。しかし、そんなに顔に出ていただろうか。
「その様子を見る限り、上手くいったという事で良いの?」
レオはきっと判っているのだろうけど、私の口からそれを聞きたいのだろう。なので、私は言葉の代わりに手をグーにして親指をグッと上に向けると、
「バッチグーだったよ」
レオは軽く微笑む。そして、いいタイミングでおばあちゃんがスイカを持ってきてくれた。ありがとうとカットされたスイカが乗る皿を受け取る。
「おや、しずく、何か良いことであったのかい?」
私の雰囲気から何かを察したのかおばあちゃんが言う。
「うん!」
私はきっと百点満点の笑顔をしている。そう返事をすると、甘いスイカを口に運ぶ。うーん、最高だ! 昼間の暑さが嘘のように、夜は涼しい。網戸から入ってくる風がそれをよりそう感じさせる。つい先日までは、春の肌寒い空気はもうなくなり、肌をチリチリと焼くような日の光が眩しい日々の夏になった。でも、この夏も終わり緑色になった葉は赤くなり、秋がやってくる。だけど、
夏はまだ始まったばかりだ。
「しずく、課題もしなきゃね」
「………………………………」
夏よ、どうか終わらないでくれ!
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