⑩

「まずは、この手紙に差出人や宛名などの人物を示すものが無い事」

「どうしてそれが情報になるの? だって、無いんだよ?」

「無いからと切り捨てるのは早計だと思う。在るから意味があるように、無いからこそ意味があるものもあるはず」

「じゃあ、この手紙の送り主はあえて名前を書かなかったってこと?」

「そこまで断定する事はできない」

「できないんかい」

「無い理由は色々考えられるということだよ。例えば、意中の相手に想いを伝える為に出す恋文だから、緊張して書き忘れたとかね。しずくだって、もし恋文を出すとした緊張するでしょ?」

「それは…まぁ」


 緊張しないはずがないと思う。だって好きな相手ということでしょ、軽く想像しただけで緊張している自分自身が想像できる。


「でも、この手紙に限ってはその可能性は低いけど」

「えっ、なんで?」


 レオは自分で出したものをあっさりとひっくり返す。

「手紙の差出人…長いから、しずくの王子様(仮)にしようか」

「いや、待って。さらに長くなってるし、言いづらいし、なにより私が恥ずかしい!」

「じゃあ、王子様(笑)で」

「なんで、笑った⁉ しかも、まだ恥ずかしい部分は残ってるし!」

「もう、しょうがないから、Xにしようか」

「最初からそれでいいじゃん…」


 手紙の差出人はXという無難な呼称で落ち着いた。無難かどうかは別としても、そう呼称するとなんだか犯罪臭がすごいな。


「話を戻すと」

「脱線させたのはレオだけどね」

「Xが緊張して名前を書き忘れたとしたら、この手紙の内容に違和感を覚える」

「内容?」

「そう。こういった恋文において重要なのは中身。それが、内容に無い」

「それって…相手への好意、つまり好きって言葉がないこと?」

「しずくなら恋文を書くにあたって一番どの部分が緊張する?」

「それは…」


 もちろん、好きという言葉を書く時だと思う。実際、書いたことはないから想像ではあるが、やっぱり相手に何かを伝える時が一番緊張する。


「緊張する部分は相手への好意を伝えるところ。それが書いてあり、名前がないのなら、書いた安堵から忘れたという可能性は考えられる。でも、このXが書いた恋文にはそれらしい言葉はない」

「でも、恋文の役割ってなにも好きってことを伝える以外にもあるよね?告白したいからその場所に相手を呼ぶ為とか」

「しずくの言う通り、この手紙は相手を呼ぶ為の物だと思う」

「だったら名前がなくても問題はないよね。だって呼んだ場所に行けば誰が出したか分かるんだから」

「その場所が分からないのに?」

「あっ」


 そうだ、その場所が分からないから私は困っていたのだ。


「呼び出す為のものであったのなら、指定した場所へは明確な場所が書かれているはず。でも、この手紙にはその明確な場所は書かれていない」

「Xはなんで書かなかったの?呼び出す為のものだったんでしょ」

「恐らく書く必要がなかったから」

「必要がなかった?」


 どういう意味だろう?相手を呼び出すのに具体的な場所を書く必要がないとは…。


「この手紙の文章…あの場所で。これだけで大丈夫だったということ」

「これだけで…どこが大丈夫なの?」

「Xとその想い人の間では共通認識ができていると考えた時、この手紙を読んだ人が分かればいい。だからこそ、具体的な場所を書く必要はなかった」

「つまり、この手紙を読んで、その人が心当たりを考えてその場所に行く。二人はそれだけ親密だったということだよね。ラブレター出すぐらいだし」

「そう。そして、こんな回りくどい事をするぐらいの人物だから、慎重な性格だと思う」


 レオの言う通りだとするならば、慎重を通り越して、もうなんかめんどくさい。言うならしっかりと言えよ。こんなやり方をするぐらいだ、Xは慎重であり、肝がすわっているのだろう、きっと緊張などあまりしないに違いない、などと勝手に私はXについて考える。でも、それなら…。


「そうなると更なる疑問が浮上する」


 レオは私の心を先読みするかのごとく、言葉にする。


「その想い人であるはずの私に心当たりがないことだよね」


 私の言葉を肯定するかのように、カチッと音がする。沸かしていた電気ケトルの水

がしっかりお湯に変化したようだ。そいて、レオが椅子から立ち上がると用意していた二つのコップにお湯を注ぎ、一つを私の前に置く。私はそのコップに息を吹きかけ、少し冷まして口を付ける。うん、苦みのなかにあるこの適度な甘さ、良いね。レオも同じように冷ましているのだが、その所作だけでもう見惚れてしまう。どうしたら、私もそうなれるのだろうか。レオは口を付けたコップをテーブルに置く。


「そう。でも、手紙にはしっかりと保険が掛けられている」

「保険?」

「あの文章だけ読んでも分からないという可能性だってある。その証拠に、この手紙には言葉以外にヒントがある。それが保険」


 そう言って、レオは私に持っていた手紙の中身を見せる。言葉以外…もしかして。


「この桜模様の便箋のことを言っているの?」

「正解」


 私の答えにレオは満足そうに頷く。私も当たって嬉しい。

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