⑧

「でも、どうしてスランプに?」

「俺も気になって、他の先輩に聞いたことがあって、なんでも描きたい気持ちが湧いてこないみたいなことを本人が言っていたらしい」

「おお…」


 そんな勉強をしない子供のような理由か…とは言っても本人にとっては余程のことだったはずだ。今まで湯水のように湧いたものが無くなったのだ、きっと周り以上に本人が困惑しただろう。だからこそ、あの絵は自分のすべてをかけたものだったのか。


「正直俺はあの絵を描いた時の先輩しか知らないから、スランプだった時を知らいないけど相当だったらしい」

「だから、他の人たちはほっとしたのか…それで、そのスランプを乗り越えて、あのすごい作品ができたのね」


 私の言葉を聞いた猪頭は、何を今更と言わんばかりの顔をする。おい、なんだ、その顔は!


「あの絵が賞を獲った時は、すごい騒ぎだったよ。そこそこ、有名なコンクールだったし。俺たちもあの絵が先週飾られて初めて見たときは、感動したよ」


 まるで、自分のことのように誇らしげに語るなあ、こいつは…うん?


「先週初めて見たということは、猪頭君はあの絵が出来上がったところを見ていないということ?」


 レオは私が気になったところを質問する。


「てか、美術部のみんな出来上がったことすら知らなくて、だから、先輩が賞を獲って、学校にその絵が飾られるって知ってびっくりしたよ」

「待ってよ!あの絵は部室で描かれたものじゃないの?」

「いや、部室と言えば部室だけど…」


 私の勢いに圧されたのか、言いよどむ。


「もしかして、美術準備室の方で描いていたとか?」


 冷静なレオの言葉に、猪頭は頭を縦に振る。


「美術準備室って、確か美術室の隣にある教室だよね?」

「あ、ああ、そうだよ。一応あそこも美術部の部室の一つだから…」


 美術準備室。あの教室は数えるぐらいしか、入室したことはない。確か、絵具やらキョンバスとかの部材が置いてあったから、どちらかと言えば倉庫みたいって印象だったけど…。


「あんな場所で絵が描けるの?」


 以前見た記憶を掘り起こして訊いてみる。とても絵を描けるような場所ではないように思うが。


「準備室を整理する代わりに、あの教室で絵を描かせてもらえるように、先輩が顧問に頼んだんだよ。もともと、必要最低限の整理しかされていなかったけど、先輩が整理してくれたから今では見違えたよ」


 そうか、そんな事情があったのか…というか、その顧問の先生、ちゃんと整理しろよ! その先輩が提案をして、渡りに船とか思ったに違いない…姑息な!

「でも、いくら準備室で描いていたとしても、人の出入りはあったはず」


 そうだよね。レオの言う通り、部室の一つだとしたら部員の誰かが入っていても、おかしくはない。


「先輩が他の部員にお願いしたんだよ。絵を描くのにどうしても集中したいから、一人にして欲しいって。あまりにも必死に頼み込むから、そのお願いを聞いたらしい。後から入部した一年生の俺たちにも、わざわざ頼みにきたぐらいだし」

「そこまで…」


 そこまでして、あの絵を描きたかったということか。今まで描くことが出来なかった分それだけあの絵に対する想いが、強かった証拠だろう。


「ちなみに、あの絵は何かしらのコンクールに出すつもりで描かれていたものかどうかって分かる?」

「いや、あの絵が今回の賞を獲ったコンクールに出したのは偶然だと思う」

「どうして?もしかしたら、何かしらの結果を残すために描かれたものかもしれないじゃない」


 部活というものである限りは、何かの大会やコンクールで結果を残すことを求められるものじゃないのだろうか。だとしたら、私が所属している部活はなんなのとなってしまうだろうが、今は脇に置いておくことにしよう。


「あの絵は、部活の顧問がたまたま見て、本人を説得して出すことにしたって言っていたから」

「とういうことは、描いた本人に出す気は最初からなかった」

「だと思う」


 じゃあ、もしあの絵をその先生が見ていなければ、賞を獲ることも、もしかしたらあの絵が他の人の目に触れることもなかった可能性があったということか…まあ、そこは考えすぎか。


「美術部では、そういったコンクールに出すことは部員全体で義務化されているの?」

「ウチの部はそこまで厳しくないよ。希望を取って出したい人が出す感じだし」

「その先輩がスランプになる前に描いた絵で、コンクールとかに出したものってあったりしたの?」

「いや、なかったと思う。他の先輩が薦めても断っていたらしいし、だから今回は驚いてたよ。いくら薦めても出さなかったのに、って」


 それだけ、あの絵に自信があったということだろうか、それにしては何か言いようのない、違和感のようなものだろうか、いったいなんだろう?


「その事について本人は?」


 レオの問いに対して、猪頭の答えは首を横に振った。


「聞いてない。そもそもあの賞を獲ったことを知ったのは、二月頃で先輩は自由登校になっていて学校にもあまり来てなかったし、他の先輩なら何か知ってるかもだけど…」


 本当に最近知ったのだろう。しかし、なぜその先輩は完成したこと、コンクールに出したことを言わなかったのだろうか。聞いた限りでは、特に孤立していたわけではないのだろうし、周りに心配をかけていたことは分かっていたはず、なのに言わなかった。完成した絵を報せれば安心させることは、私にも想像できる。それでも教えなかったのは…なぜだろう? 分からん! まあ、タイミングとかが合わなかっただけかもだし、深く考える必要はないか。ふと、レオの方を見ると、レオは相変わらず思考の海にダイブしているみたいだ。そして浮上する。


「なら、先週の集会で言った事についても分からないということ?」

「集会で?」

「未来の為、と彼は言っていた事」

「ああ…あれは俺達も何だろうとは思ったけど、後輩の俺達や部活の事かなって思うけど…」

「その言い方だと、本人に訊いてはいないのね」


 猪頭は首を縦に振る。


「集会が終わった後に、部室に来てくれたけど簡単な挨拶だけですぐに帰ったから…」


 なるほど。だとすると、レオが気にしていた言葉の意味は誰も知らないのか。やっぱり、美術部の人達も思っている通りなのかな…。でも。レオはきっと納得しないよね。レオは少し思考の海を泳いでいたようだが、すぐに戻ると、教室の時計を確認した。


「ありがとう。じゃあ、最後に一つ…」


 レオが最後にした質問の意味が私には分からなかった…レオ、その質問にどんな意味があるの?

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