⑦
「そ、それで、獅子谷さんは美術部の何を知りたいの?」
流石にこの変な流れが途切れることはないと感じたのか、猪頭の方から話を戻す。でかした!
「いくつか訊きたいことがあるのだけど…まずは、約束を描いた先輩について聞きたいかな」
「ああ…」
猪頭はレオの言葉を聞くと、どこか気の抜けた返事をした。その反応から察するに、きっと他の人からも似たようなことを訊かれているのだろう。
「他の人にも言っているけど、部活の先輩後輩って関係だけでそこまで詳しい事は話せないと思うけど…」
「それでも構わない。猪頭君から見た先輩はどんな人だったの?」
「あの絵を見たら分かると思うけど、めちゃくちゃ絵の上手な人だったよ。部内でもダントツだった。でも、それを鼻にかけるようなことはなかったし、基本物静かな人だけど、部内で話し合っていたりすると、要所で的確な意見をくれたから部内での評価は良かったよ。後輩の俺が質問したりしても、分かりやすく説明して教えてもらったから」
詳しくないと言っていたが、結構知っているな、こいつ。さては、ひそかに憧れているな。その気持ちは理解できなくもない、なにせ私のすぐ近くにも同じような存在がいるから。
「なるぼど、人柄はだいたい分かったわ。それじゃあ、部内で親しかった人とかはいた?」
「三年生、いやもう卒業しているから去年の三年生の人達とは仲良かったし、後輩ともそれなりに交流はあったと思う」
「特に仲の良かった人は?」
「俺が知る限りはいないような…」
「いないはずはないでしょ。同級生の人とは仲良しで後輩と交流があったのなら誰かしらとは仲が良かったんじゃないの?」
「だから、俺が知る限りではって言っただろ。他の人に聞いたら違う話が聞けるかもしれないけど、少なくとも俺にはそう見えた」
うーん…要はみんなに対して平等に接していたということだろうか…。
「友人はいても親友はいなかった…そんな感じ?」
「多分」
「そう。次に、あの絵について聞きたいのだけれど」
「あの絵について?」
猪頭はレオの質問に戸惑いを見せているように見えた。
「あの絵の桜は亀山町の桜がモデルになっていると思うのだけれど?」
「ああ、そうだと思う。あそこは結構ウチの部でも描きに行く人多くて、今年も部員の何人かで行ったし。一つの恒例行事みたいになってる。去年、新入生が入部する前に散り始めいて先輩たちだけだったけど」
「ということは、あの絵は猪頭君が入部した時にはもう出来上がっていた?」
「俺が入部する前から、先輩は制作に取り掛かっていたけど、完成はしていなかった。あの絵は先輩が三年生で制作した唯一の作品だから」
「唯一の作品…ってことはその先輩はあの絵以外の作品を何も描いてないってこと?」
「そうだよ。出来上がったのだって、今年の冬頃だった。だから、あの絵は冬のコンクールに出展されて、そこで賞を獲ったんだ」
「絵を描くのってそんなに時間がかかるものなの?」
私は授業でしか絵を描いたことぐらいしかないが、描く大変さぐらいは想像できる。でも、時間がかかっても数か月ぐらいかと思っていたからびっくりした。
「そこは人によるけど、でも、先輩たちは驚いてた」
「それはどうして?」
「元々先輩は絵をたくさん描く人だったって、実際一、二年生の時の作品はたくさんあるし」
「約一年かけてあの一枚を描き上げた…」
レオはつぶやくと、考えるモードに入る。そして、すぐに思考モードから質問モードに切り替わる。器用だなー。
「それについて先輩達は何か言っていた?」
「詳しいことは特には、本人がすごい集中していたから、聞きづらいっていうのもあったのかもしれないけど。でも、みんなその姿を見てほっとしていた」
「ほっとしていた?」
その言葉に私もレオと同じように疑問を抱く。何に対してほっとしたというのか。
「どういうこと?」
訊かずにはいられないので、レオが訊くであろうことを先に訊く。
「さっき、たくさん作品があるっていったけど、実は先輩、二年の秋頃ぐらいから絵を描けなくなったらしくて、あの約束を描き始めるまで何も描いていないんだ」
「描けなくなったって…怪我とかってこと?」
「そうじゃないと思うよ、しずく。美術部の先輩達がほっとしたという態度や猪頭君の言い方からすると、恐ら身体にではなく、心の方だと思う」
「心の方?」
それって…。
「獅子谷さんの言う通り、先輩はスランプになって描けなくなったらしい」
「スランプ…」
よく聞く話だ。何かに熱中している人には覚えがあるといってもいい、言葉。どんな才能のあるにも必ずどこかで壁にぶつかる。それを乗り越えられる人できない人によって、その先は変わる。その壁を乗り越えて、生み出されたあの作品はより感動的に思える。
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