⑤
のりと白米の相性の良さを改めて知ったところで、そろそろお昼休みが終わる時間になってきた。結局もらった手紙については何一つとして答えはでていないのだが、学生として学校にいる以上は授業を受けるのは仕事なのだから致し方なし。私は被服室を出て、教室に戻るべく廊下を歩いていた。やっぱり、レオに相談しようかな。そんな事を漠然と考えていると前方に人の壁ができていることに気付いた。この表現だと私の目の前に壁があって通れないというような風に捉えられてしまうが、実際は廊下の壁を人が取り囲むような感じで、壁が出来ていた。なんだろう? 野次馬根性がでてきて私はその壁に近づく。
壁とはいっても芸能人を取り囲むファンのような人数ではなかったので、みんなが何を取り囲んでいるのかはすぐに分かった。それは、今朝話題になったあの絵だった。
「これが……」
綺麗という言葉が頭の中にすぐに浮かんだ。その絵に描かれているのは桜の木だけだった。それなのにこの絵にはなに人の目を惹きつけて止まないなにかが込められているかのように、目が離せない。美術センスがない私にもこの絵がすごいということはわかった。レオの言う通りだ、例えどんなに絵の事を知っていなくてもそれを感じることはできる。少ない時間で私はそれほどまでにこの絵に心を掴まれてしまった。
「どう、実物を見てみて」
心を掴まれ、心ここにあらずという状態だった私は、背後から声を掛けられ声の主の方を振り返る。
「レオ」
「まあ、答えは聞くまでもないかな」
そう言うとレオは私の隣に来ると、その視線を絵に向ける
「そんなに分かりやすかった?」
「それはもう」
恥ずかしい。私は両手で顔を覆う。そんな行動すらも分かりやすさに繋がってしま
い、さらに恥ずかしい。こんな私の羞恥心を隠すベールか何かで覆ってくれ。
「そういう素直なところがしずくの良いところだよ。それに、私だってこの絵の事に心惹かれているしね」
「その割にはいつも通りじゃない」
「私は感情を出すのが下手くそだから」
「そう? 私にはそうは見えないけど」
確かにレオはよく冷静とかクールとか言われている。そして、それが同年代と比べてどこか大人びているから人を惹きつける要因の一つだろうと思う。でも、私から見ればレオだって感情豊かだと思うけれども…。その横顔を見ると、絵になるような横顔だった。心なしか薄っすらと笑みを浮かべている。
「家族を除けばしずくぐらいだよ。私の事をそんな風に言うのは」
「それだけ付き合いも長いしね」
「高校からだけどね」
「す、過ごした時間が」
「私と立ち上げた部活も、サボるか来ても寝てるかで、バッドコミュニケーションだしね」
「……」
私は無言で頭を深々と下げた。流石に土下座はこんな人が多い場所でできるわけもなく、このくらいしか私にはできない。まあ、この行動自体端から見れば奇怪にしか見えないのだが、今の私には頭を下げるという選択肢しか出なかった。
「はぁ」
レオは一つ息を吐くと、ストンと下げている私の頭に手刀を下ろしていた。当然例の角度を守って。
「流石に私が恥ずかしいからやめて」
「グッドコミュニケーションですか?」
「ノーマルだね」
好感度が変わることはなかった。私の唯一の選択肢はどちらともつかない選択だったらしい。何をすればグッドになるのか分からない、だれか教えて。
「戯れはここまでにして」
「戯れなんて言葉を実際に言う人初めて見たよ」
レオにとっては、戯れだったらしい。そう言うと私に向けていたその視線をあの絵に向ける。私も改めて絵に目を向けるが、描かれているのは満開の桜で、風が吹いているのだろうか、桜の花弁が舞っている。絵なのに躍動感を感じる。それにしても、この絵の桜に既視感がある。どこかの場所がモデルになっているのだろうか。
「ねぇ、レオ。私あの絵の桜をどこかで見たことがある気がするのだけど、どこか分かったりする?」
「多分、
「ああ、なるほど」
亀山町は、私達が通うこの
「絵のモデルにするにはとても美人ぞろいだからね、あそこの桜たちは」
「でも、そのまま描いているわけではないと思う」
「どういうこと?」
「あの絵に描かれているのは、亀山町の桜の一本だとは思うけど、どこか幻想的な印象がある。見たままを描いたというよりは、自身の世界の中を描いている気がする。けど、表現というのは自由だから、別に不思議なことはないと思う」
「だったら」
「私は、その世界の描き方が何を伝えたいのかがすごく気になる」
伝えたいこと? レオはすごく真剣な雰囲気でその絵を見つめている。レオはあの絵には作者の心が描かれているみたいなことを言っていた。
「レオは言っていたよね、感じること大事だって。レオはあの絵から何を感じ取ったの?」
きっとレオはあの絵から、何か思うところがあるのだろう。私が感じもの以上のものを何か。私にはそのことの方が気になる。
「現実の桜の美しさ、そしてその桜の花弁がもたらす桜を取り巻く周囲への現実から、幻想的な世界への移り変わりが冬から春へと変わるのを代弁しているかのよう。そして、その幻想的な絵を私達が見ることで、現実へとまた変わる。」
「……」
芸術って難しいね。見る人によっていろいろな感じ方があるということがよく分かったよ。
「レオがどう感じたかはなんとなく分かったけど…」
本当になんとなくだが。
「どうして、作者の意図が知りたいの?答え合わせがしたいとかってこと?」
私の質問にレオは絵に向けていた視線をまだ私に向ける。
「しずくに言ったように感じることが大事。それは、作品を見て感じる事はそれを見たその人だけの答え、それを見つけることが楽しみだと私は思っている。だから私は作者の答えは大事だけど、そこまで重要視はしていないよ」
「だったら…」
「あの言葉がなければね」
「それって」
そう、今朝レオに聞いていた。あの絵を描いた作者は先週に言葉を残している。
未来の為
「そう、私はあの言葉を聞いて余計に興味を持った」
「でもさ、確かウチの高校の美術部って春になる亀山町の桜を描きに行くのが恒例だよね。絵を描いている人を見たことがあるし」
「みたいだね」
「だったら、やっぱり部活に対しての言葉だったってことはないかな」
「どうして?」
「だって、あの絵のモデルになった桜は部活動で行ったときに描かれたものだったわけでしょ、だったらそこで描いた絵が賞を獲ることになったわけだし、激励と感謝なら分りやすいと思うけど」
「そうだとしたら、今朝話をしたと思うけどもっと直接的な、それこそ分かりやすい言葉で伝えればいいはず」
「シャイな人だったとか、私と同じで」
「え、何?」
「なんでもないです」
ちょっと真剣な話があまり続くものだから少しふざけただけですよ、レオさん。うん、ごめんなさい。話の腰を折ってしまって。
「仮に、あの先輩がそういう性格だったとして、見知った部活の人達に言うならまだしも、あんな全校生の前で意図が伝わりにくい事を言えるとは思えない」
「知らないから言えたとか」
「それをシャイとは言わないと思う。むしろ、あんな大勢の人の前でああいう発言できる人は肝が据わっている人」
まあ、いくら賞を獲ったからってわざわざ卒業した学校に登壇して挨拶なんてするような人がシャイなわけもないか。少なくとも私なら断る、ただ私は面倒なだけだけど。
「そんな人が言ったあの言葉の意味、そしてこの絵の意味、気になるの」
レオは本当に気になるのだろう。なにせこういう真剣な表情を見るのは久しぶりだからだろう。しかし、レオがあの絵のことが気になるように、私には別に気になることがある。私に届いたあの手紙の言葉の意味が分からず、気になっているのだから。
「というか、そろそろ午後の授業時間になるから戻ろうよ」
絵の前にいた生徒たちもそれぞれの教室に戻り始めていた。モヤモヤした気持ちがあるのは、消化不良だが授業に遅刻するわけにもいかないしね。私たちも戻っていく生徒たちに続いて歩み始める。そういえば…。
「レオ」
「何?」
「あの絵のタイトルってなんていうの?」
生徒たちの壁があって絵は確認できたが、けれどもタイトルまでは確認することができなかった。
「約束」
なるほどレオが興味を惹かれる理由がなんとなく分かった。なんとなくだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます