➁

 私達の高校では学年の割り振られている校舎の階は、一年生が三階、二年生が二階、三年生が一階となっている。最初の頃はどうして学年を重ねるごとに下の階に下がるのかが分からなかった。

 一年生の時にふと、レオにこの話をしたことがある。


「簡単だよ、しずく。義務教育が終わってちょっとだけ成長したけれども、子供であることには変わりはない。学校ひいては社会において約束というものは大切」

「もちろん」

「学校において約束事はたくさんある。社会でいう法律、学校では校則とも言うが。そのなかで一年生である私たちがもっとも守るべきものはなんだと思う?」

「もっとも守るべきもの…勉強することとか…」

「それは不変の前提だよ。その前提を行うためには、しずくはどうする?」

「えーと…学校にくるとか?」

「そう。学生という身分なら学校という場所で勉学に励む。それが今の私達。学校に来る以上守るべきものとは」

「もしかして…遅刻しないってこと?」


 私のその答えに、レオは頷く。時間通りに来る。それは、人間社会で生きていく守るべきこと上位を占めていると思っている。でも…。


「遅刻しないということと、一年生の教室が三階にあることがどうして関係してくるの?」


 未だに私の中で点と点のままだ。レオはいったいここからどう線にするというのか。


「例えば、しずくと三年生の先輩が同じタイミングで昇降口に着いたとする」

「うん」

「あと少しで朝のホームルームの時間のチャイムが鳴る。そして、二人は遅刻しない為に急いで教室に向かう」

「もちろん」

「でも、蓋を開けてみると、しずくだけが遅刻していた」

「な、なんで!」

「なぜでしょう」

 

 ここにきて謎かけとか、どういうこと!聞いているのはこっちなのに!


「せ、先輩が私を妨害したとか」

「ゴールが違うのだから意味ないよ」

「下駄箱に上履きがなかった」

「まさか、そんなことされているの?」

「されていません」

「人的な要因ではないよ」


 人的要因じゃない…つまり、私自身や他人が関わっているわけではない。じゃあ、一体どういうこと?


「もうわかんないよ。教えてよ、レオ」

「もうちょっと頑張って欲しかったけど、いいか。答えは距離だよ」

「距離?」

「そう。三年生は一階に教室が、私達一年生の教室は三階にある。階段を昇るという工程があるしずくの方は距離が長くなり、結果間に合わなかった」

「待って。私の足なら間に合うよ」

「だから例え話だよ。それと、そういうことは遅刻しないようになってから言って」

「ぐっ」


 痛い事を言ってくれるじゃないか、親友よ。確かに私は遅刻することがある。気を付けてはいるが、睡魔には勝てない。これ、真理。


「話を戻すと、ギリギリに学校に来ると一年生は教室が遠い。遅刻の可能性は高まる。そうならないようにするには…」

「余裕をもっての登校」

「そう。ピカピカの義務教育から外れた一年生はしっかりルールを守るようにするためにあえて三階に教室がある。そして、習慣化させることで進級しても遅刻の可能性を減らしたということ」

「なるほど…」


 レオはすごい。私が当たり前に受け入れていることにも、しっかりと答えを持っている。しかし、私がその答えを聞いたからと言って校則を遵守したかといえば、それはまた別の話であった。


「どうしたの、しずく?」


 階段を昇っている途中で去年の事を思い出していた私に、隣から声をかけられ現在に自己が戻ってくる。


「たいした事じゃないよ。ちょっと思い出していただけ」

「恋文の事? 思い出すも何もついさっきのことのはずだけど」

「ち、違うよ! その事じゃなくて、去年の事!」

「去年? どの恥ずかしい事件の事を思い出していたの?あれかな、それとも…」

「ちょっと、そんな恥ずかしい事が私にいっぱいあったみたいな言い方やめてよ!」

 

 ないはずよね……。うん、ない!多分!


「まあ、からかうのはここまでにして。何を思い出していたの?」

「ほら、去年私に言ったでしょ。なんで一年生の教室が三階にあるのかって」

「ああ、あったね」

「私あの話を聞いて、レオはすごいと思った」


 私の称賛をレオは少し口角を上げて、ほほ笑む。


「何もすごいことなんてないよ。しずくにだって私から言わせれば、すごいよ」

「えっ、本当!」


 褒められるのは、嬉しい。しかも褒めてくれる相手がレオなのだから、思わず聞き返してしまうほどに。


「本当だよ。そうやって素直に感情を表に出せるところとかね」

「それは……褒めているの?」


 それは褒められているのだろうか。そんな小学生の通信簿に書かれるような事を言われても、私は高校生である。いくらレオの誉め言葉とは言え、感化できないものもある。いや褒められたこと自体は嬉しかったのだが。もっとこう、なんというかね、いろいろあるのではないでしょうか。


「人は成長すれば知性が身に着く。知性は感情をコントロールする、そうやって人間社会は近郊を保てる。でも、感情を完璧にコントロールすることはできない。だからこそ、コントロールができるまでに感情を殺していく。そして感情を出すのを止め、乏しくなっていってしまう。だからこそ、しずくの自分の感情をストレートに出せるのは好ましいことだよ。そして、物事を素直に捉えるところも」

「そ、そうかな」


 そんな真剣な顔で言われてしまっては、さっきの懐疑的な考えは消えてしまう。て、照れる…。


「去年の話を言葉通りに捉えてくれるからね」

「どういうこと?」

「だって、あれは出まかせだから」

「……」


 今、彼女はなんと言ったのだろうか。出まかせと言ったのだろうか、つまり私を騙したと、弄んだと、まっすぐな心を持つこの乙女を謀ったと、


「ごめん。でも、しずくだって納得はしても信じてはいなかった、そうでしょ?」

「そ、それはそうだけど…。でも、騙すなんて」


 確かにレオの言う通り、私は話を聞いても納得はしたけれども、それを真実だとは認めていたわけではない。だって、いくらなんでもあんな理由で、そうなるとはどうしても考えられないから。


「私は別に騙していたわけではないよ。真実なんてものはいつも曖昧なことなんだよ、人それぞれがどう受け取るか次第だよ。そうして受け入れたものが事実となる、私があの時言ったことは私が考えて提示したもの。それを、しずくは受け入れたその時に私達の間では、もうそれが事実になった。それだけのことだよ、例え真実はまったく違うものでもね」

「そうだけど…。って、結局私に嘘を吐いたことには変わりないないでしょ。そんな難しいこと言ってはぐらかそうとしても駄目だから!」

「成長してくれて私は嬉しいよ。去年のしずくなら言い包められて終わっていたのに」

「私は何も嬉しくないよ」


 いつもそうやって、私をおもちゃにしている節がレオにはある気がする。でなければ、ここまで私をからかうような事はしないだろう。現に今も私に対して言葉だけでなく、頭に手を置き撫でている。しかし、なんて優しい手つきだろう……、じゃなく!


「いつまで撫でているの!」


 私の頭を撫でていた手を払いのける。(優しく)


「痛かった?」

「気持ち良かったです。そうじゃなくて!」

「私前から思っていたけど、しずくは髪を結んでも可愛いって」

「えっ」


 そうなのだろうか、私自身髪の長さは肩口辺りだ。別に拘りがないから特に気にした事はないが。女の子としてそれはどうかとも思うが。さらに可愛くなるのか……。だから!


「いちいち話を脱線させないで!もう脱線し過ぎて何の話をしていたのか分からなくなるよ!」


 朝から無駄に体力を削られてしまった。ただでさえ私にとっての予想外、いや嬉しいことではあるのだが、そういうことがあったというのになぜ全く関係のないところでこんなにも疲れなければいけないのか。私は、はぁと息を吐くと。


「もう去年の事はいいよ。からかわれていたことにはちょっと思うところがないわけではないけど、こういうことは今に始まったことではないし」

「結局しずくは私の話を聞いても遅刻はしていたわけだから、結果的に私の話を信じていようがいまいが変わらなかった。そういう事実だけが残るね」

「もういいって私言ったよね!」


 遅刻はしていた。認めます、認めますとも。だからもうこの話はおしまい!


「じゃあ、話題を変える。しずくはさっきの絵を見た?」

「さっきの絵?」

「やっぱり見てないか。というよりは在っても認識していなかったという方が正しいのかな」


 レオの話を聞いても私は特に引っ掛かるものはなかった。その言い方だと視界に捉えていても私が意識して見ていなかったってことだろうか。


「昇降口と階段の間にある廊下の壁にある絵だよ」

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