第27話 共依存
「黙りなさい」
冷然とした声音が降り注ぐと共に、白薔薇の花吹雪がヴラドに吹き付けた。
しかし蹴りの軌道を強引に変えて放たれた赤黒い斬撃は白薔薇の花弁を一瞬で切り裂き、上空のエルザの肩を掠めて空の彼方へ消えていった。
「ッ……!!」
それを見たドラクは影の剣を地面すれすれの位置から、ヴラドの腰辺り目がけて振るった。
だが彼はそれを察知していたらしく宙返りで刃を躱し、ドラクから距離を取った。
「ほら、二人がかり程度でボクを倒そうなんて土台無理な話だったんだ」
腰から右肩にかけての深手を負うドラク。赤黒い影の刃が肩口を掠めたエルザ。
現状ではヴラドの言葉通りになってしまっている。
「もういいだろう? ここで彼女から手を引けば、もうキミたちには金輪際手を出さない。ボクに関わることなく、どこか静かな場所で仲睦まじく暮らせばいい」
「何を……!」
唐突にそんなことを言い出したヴラドに対し、エルザは眉間に皺を寄せた。
それを見て笑みを深めたヴラドは言葉を続ける。
「あぁ、キミたちの関係は愛なんて簡単なものじゃなかったね。キミたちのそれは——」
ドラクとエルザを交互に見遣ったヴラドは、片方の口角を持ち上げて言い切った。
「共依存だ」
「「!!」」
その言葉に二人は目を見開き絶句する。
すぐに言葉を返せなかったのは思い当たる節があるからだろう。
「エルザは穏健派の活動が上手くいっていない中で、気まぐれに作ってしまった眷属であるキミに強い責任を感じている」
「穏健派であるがゆえ、眷属を作ることは一人の人間の命を冒涜する行いに等しいと考えているからだ」
俯くエルザから視線を切って、ヴラドは顔を顰めているドラクに目を向ける。
「たとえそれが死に瀕した者でもね……。人間として死なせてあげるべきだったのではないか、とキミはずっと考えているのだろう?」
「っ……!」
ドラクが眷属になった経緯を知っているヴラドは、エルザの心を読んだかのように的確な問いを投げてきた。
無言を貫く彼女だったが、それは無意識の肯定だ。
「逆にドラクは雛鳥が初めて見る者を親だと思うように、主であるエルザを守ることが己の使命だと思い込んでいる」
「エルザのためならばキミは自分の命すら惜しまない傀儡に成り下がる。キミの命はキミのもののはずなのにね」
「そんなこと——」
ヴラドの言葉を否定しようと顔色を変えたエルザを、冷静なままのドラクが片手で制す。そして頷きを返しながら彼の言葉を肯定した。
「そうかもしれないな」
「ドラクっ……!?」
「俺は眷属になって、エルザを守ることが自分の生きる意味だと思ってるのかも知れない……」
「けどそれが依存だというなら構わない。人は寄る辺がなければいつか倒れてしまう。ひとり孤独に倒れるくらいならいくらでも寄りかかって、依存していい」
迷いのない言葉を紡ぐドラクに、ヴラドは肩を竦めた。
そんな彼に対し、ドラクはなおも言葉を続ける。
「けどそれでも、俺がここにいるのは自分の意思だと思ってる。お前に運命を呪われたカストレアという少女を助けたい、そう強く想ったからお前の前に立ってるんだ……!」
「っ……!!」
ヴラドに対して真っ直ぐな目を向けているドラクの横顔を見たエルザは、目を見開いて驚いた後、ふっと微笑んだ。
「まったく、度し難い主従だね。遊びはもう終わりにしよう……」
ヴラドが両手を広げると、彼の身体から溢れた赤黒い影が左右に広がっていき、次々と何かの形を成していく。
「何を言っても無駄なら、二人揃ってこの場所で潰えてくれ」
それはこれまでドラクに幾重もの創傷を刻んだ赤黒い影の剣で、それが視界いっぱいに広がっている。
これを使わなかったことから、二対一の戦闘でさえ手を抜いていたことが窺えた。
「ドラク、あれを使うわ。このあと大怪我しても治療できなくなる。これが最後よ」
「!! ……あぁ、決着をつけるぞ!!」
首筋から頬にかけて白い魔刻を浮かび上がらせたエルザの言葉に応じ、ドラクは影の剣を握る力を強めながら一歩前に出た。
その際、彼女の周囲に渦巻く白薔薇の花弁によってドラクの負傷が完全に治癒し、万全の状態へと戻った。
「花よ……」
瞼を閉じて右手を前方に突き出したエルザが小さく呟くや、渦巻く白薔薇の花弁が加速度的に増加していき、やがて彼女の姿を覆い尽くすほどの竜巻と化した。
「いったい何を——」
エルザの意図が読めないヴラドはそれに目を奪われた。
その一瞬の隙を縫ってドラクは彼の懐に入り込んで影の剣を振るう。
「ッ……! 鬱陶しいな……」
しかしその刃は赤黒い影を纏った脚に受け止められ、甲高い音を周囲に撒き散らすだけとなった。
ヴラドが脚を振り抜くとドラクの体勢が崩れ、周囲の影の剣が彼の元へと殺到する。
歯を食いしばって強引に体勢を戻したドラクは、降り注ぐ剣を悉く打ち落としていく。
「何をするつもりかは知らないが、無駄な——」
影の剣を迎撃しているドラクに追撃を試みたヴラドの元に、突然白銀の光条が降り注いだ。
前方への推進力を殺して咄嗟に後方に飛び退くと、彼の眼前の地面が光に穿たれる。
その地面がどうなったかを見届ける前に、後続の光条が連続してヴラドに襲いかかった。
彼は後退しながらそれを躱し、往なし、そして最後の一条を蹴りつけて消滅させた。
「なんだ……?」
ヴラドは光を蹴りつけた右脚に目を落とすと、怪訝な表情を浮かべていた。
脚に纏っていたはずの赤黒い影が灰のようにさらさらと崩れ落ちているのだ。
よく見てみると白銀の光条が穿った地面も同じように崩壊している。
それを放ったであろうエルザの方に目を向けると、彼女の姿は一変していた。
光で編まれたような純白のバトルドレスを身に纏っており、薔薇の花弁の如き裾の先には黄金の装飾が鏤められている。
そして頭上には白光で形成されたティアラが浮かんでおり、背から生え伸びる一対の白翼と相まって神々しさを演出していた。
「随分と洗礼された姿だね。忌々しいあの夜の記憶が蘇ってくるようだ」
ヴラドはエルザの風貌をそう評しながらも光のティアラが、あの三日月の夜に暴走した彼女が行使した力に似通っていることに気が付き、軽く毒づいた。
「あのとき暴走したキミの一撃を受けてから、ボクは新月の夜にしか【
ヴァンピール家の血を受け継ぐエルザの希有な能力は太陽を根源としている。
そのため彼女の一撃をまともに受けたヴラドは、月が顔を出している期間は【罪過の薔薇】を生み出すことが出来なくなった。
月の煌めきは陽光の反射であるため、【罪過の薔薇】の生成は月さえ顔を出さない新月の闇夜にしか叶わないというのがその理由だ。
「そう……。では今度こそ、この矛で貴方を終わらせてあげるわ」
「出来るものならやってみるといいよ」
エルザの発言を一笑に付したヴラドは、脚を振り上げて極大の斬撃を飛ばしてきた。しかしそれは彼女の光条に貫かれたことでいとも簡単に灰へと帰す。
それによって極大の刃が灰へと変わり、ヴラドの姿を覆い隠した。
そして次の瞬間には彼の姿が消えていた。
「どれだけ強い力だとしても、何もさせなければ脅威にすらならない」
瞬間移動じみた速度でエルザの横手に現れたヴラドは、彼女目がけて蹴撃を放つ。
隙を突かれた形の彼女だが、その顔からは一切の焦慮さえ見て取れなかった。
「主の前に、まず眷属の俺だろ」
エルザとヴラドの蹴りの間に滑り込んできたドラクは、影の剣によって彼の脚を受け止める。
その瞬間、背後のエルザが手中に白銀の光を収斂させ、それをヴラドに向けて突き出した。
光の軌跡を描きながら即座に形を成したそれは流麗な光の細剣で、ドラクの顔すれすれの位置からヴラドの首を狙っていた。
「!」
「逃がすかよ」
その刺突を回避せんと間合いを取ろうとしたヴラドは、自身の脚が影の剣から生え伸びる黒茨によって拘束されていることに気が付いた。
瞬間、エルザの細剣が強く煌めき、ドラクの顔の真横を通ってヴラドへと迫った。
強引に首を傾けることでそれを躱した彼の漆黒の髪の毛先が灰と化した。
そして細剣が秘めていた光が放たれ、彼の背後遠方にあった反り立つ岩壁を穿つ。
満月のような大穴の向こうには夜空に煌めく星々が見えた。
「文字通り矛だね。先ほどの発言は撤回しよう」
ヴラドはエルザの凄絶な一撃を見て、『近接戦闘になると弱い』とした彼女への評価を改めた。
言葉の後に薄い笑みを称えると、彼は黒茨に絡みつかれている方とは逆の脚を振り上げドラクの首を狙う。
「くそッ……!」
蹴撃を強引に躱したことでドラクの手から影の剣が離れ、ヴラドが拘束から逃れた。
右脚に絡まった茨を空中で切り裂いた彼は、影の剣の柄を蹴りつけ、ドラクたちへと飛ばしてきた。
一瞬の判断でドラクとエルザが入れ替わり、光の細剣の刺突で影の剣を消し飛ばす。
その間に着地したヴラドは赤黒い影を纏った脚で地面を叩くことで、影の剣の波をドラクたちへと放ってきた。
それを認識したエルザはドラクを抱えて飛翔し、地面から突き出した剣山を寸前で回避する。
そして空中でドラクを手放し、白翼の羽ばたきによる烈風で彼の身体をヴラドの元へ加速させた。
空中で影の剣を生成したドラクはそれを振りかぶってヴラドに斬りかかる。
剣を容易く躱されたドラクは、地面を反射するように再びヴラドへと突っ込んでいった。
彼の背後からは、エルザが放った流星の如き幾筋もの光条が迫ってきている。
前方から影の剣、後方から崩壊の光条。
ヴラドは一瞬で判断を下してドラクの剣をギリギリまで引きつける。そして受け止める寸前で身を翻し、光条の直線上から逃れた。
それはつまりエルザの攻撃を、ドラクに向けた攻撃へと転用したのだ。
「ちッ……!」
ドラクが迫り来る光条を影の剣で相殺した瞬間、横手から赤黒い影を纏ったヴラドの蹴撃が襲い来る。
「味方同士で攻撃してどうするんだい?」
「構わねぇよ、お前を斬るのはこっちだ……!」
「!!」
影の剣を失ったドラクに放たれた蹴りの向こうで、彼は左手の中に白光を収斂させ、横薙ぎに振るった。
その軌跡に斬撃が残り、それが長剣の形を取ったことにヴラドは後から気が付いた。
「やられたね……」
その光の剣が切り裂いたのはヴラドの左足。
蹴りを繰り出した方の脚だが、赤黒い影を貫いてふくらはぎから太ももにかけて裂傷が走っていた。
白光が傷口から侵蝕し、その周囲を僅かに灰化させている。
意識的に再生させようとしてもその傷が癒える様子はない。
脚主体の戦闘スタイルを行使するヴラドにとっては致命的な痛手のはずだ。
ドラクはエルザと共に空中へ飛翔したときに、彼女の血を取り込んで【
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