第23話 黒雷の竜王

「なんだなんだ、急にしゃべり出したぞ?」


 ヴァンが怪訝そうに黒竜の様子を見ていると、彼はすぐに大笑を笑みにまで収めて鋭い視線をエルザたちに注いだ。


「まぁ、初めからこうしておくべきだったな。つい戦いを楽しもうと悪い癖が出た」


 刹那、夜天を切り裂く黒紫の迅雷が黒竜に降り注ぐ。


 それが彼に命中すると周囲に黒の閃光が迸り、エルザたちの視界を奪った。


 根源的な恐怖を誘う雷の轟音が止むと、先ほどまで黒竜がいた場所に一人の男が現れていた。

 

 男は紫が混じるたてがみのような灰髪を腰まで伸ばしており、岩石のように筋骨隆々な色黒の肉体は羽織一枚で申し訳程度に隠されていた。


 胸部には何かに貫かれたかのような大きな十字型の古傷が刻まれており、爛々と輝く黒紫色の瞳がエルザたちを射貫いていた。


 そして二人は彼から放たれる凄絶な威圧感に肌を粟立たせる。ヴァンは生唾を飲み下し、エルザの頬からは冷や汗が滑り落ちていった。


 その雫が地面を叩くまでの僅かな間隙に、二人は注視していたはずの男の姿を見失う。



「「!!??」」



 そして遅れて地面が爆ぜる爆音と、ぱちりと迅雷が迸る音が二人の耳朶を叩く。


 刹那、ヴァンの視界を灰髪の男の巨拳が埋め尽くしていた。


 思考。

 そしてヴァンは状況を理解する。


 眼前の拳に秘められた壊滅的な力を理解し、死を覚悟した。


 圧縮された時間は、しかし秒針が時を刻むように無慈悲に進んでいく。


 転瞬、ヴァンと灰髪の男の間に黄金の槍が突き刺さった。


 それにより男は後方に跳躍してヴァンから距離を取った。

 というよりも槍の一撃を躱すために退避したのだろう。


「……ハァッ!!」


 死を覚悟したヴァンは完全に停止させていた呼吸を再開させた。

 そうして時間の体感が通常の状態に戻った瞬間、彼の全身から脂汗が吹き出した。


「大丈夫か!?」


 そんなヴァンの頭上から焦ったような声音が聞こえた。

 見上げてみると声の主は、北方で傀儡の竜たちと戦っていた鎧を纏う白竜だった。


「あ、あァ……アンタのおかげだ……」


 今にも崩れ落ちそうな身体を、膝に手をつくことでなんとか堪えていたヴァンは、鎧の白竜に心からの感謝を伝えた。


 彼が投擲した槍の一撃がなければ、ヴァンはあの男の拳の一撃によって跡形もなく消し飛んでいたかもしれないのだから。


「お前、白竜の一族か!」

「……そういう貴様は【黒雷の竜王】レヴロトルムだな?」

「アァ!? あいつがあのレヴロトルムなのかよ!?」


「ほぅ、我の名は未だに轟き続けているのか。見たところ竜の方は三百歳程度、竜血鬼の小僧の方は生まれたばかりのようだが」


「……?」


 鎧の白竜の口から出たレヴロトルムという名に、ヴァンが目を見開きながら声を張り上げた。その反応にエルザは怪訝な表情で説明を求めた。


「あぁ、白竜と少ししか交流がなかったオマエは知らなくても無理ねぇか……。アイツ、レヴロトルムは竜族と竜血鬼すべてが畏怖するとんでもねぇ化け物だ……」


 ヴァンが冷や汗を拭いながら語り、その後を鎧の白竜が引き継いだ。


「かつて黒竜の一族はその残虐な性質から、竜族の中でも最凶と恐れられていた」

「奴はその黒竜の一族というわけね」


「いや、奴は人間だ……」

「っ……!?」


 鎧の白竜の発言にエルザは耳を疑った。


 巨竜の姿に変化でき、あれほど強大な力を宿しておきながら、あの男が人間ということが信じられなかったのだ。


「遙か遠い昔、奴は人間の身でありながら最凶と謳われた黒竜千体を単騎で滅ぼした。その際に浴びた夥しい量の血によって自らも黒竜に変化できるようになったらしい……」


 彼の説明を聞いたエルザは、信じられないといった表情で鎧の白竜に視線を向けていた。


 人間がたった一人で千体もの竜を相手取ることなどあり得て良いのか。


「それから奴は暴虐の限りを尽くし、数多の竜族が命を落とした」

「しかし我ら白竜の長との一騎打ちによって互いに致命傷を負って以降、この世界から姿を消していたはずなのだが……」


 視線の先にいる灰髪の大男、改めレヴロトルムは口角を釣り上げた凶悪な笑みを浮かべていた。


 確かに彼の放つ凄まじい威圧感は、鎧の白竜が語った過去が事実であることをありありと伝えている。


「懐かしいな。お前らの長はまだ生きてるのか? もう野垂れ死んだか?」

「くッ……! 我らが長は存命だ。貴様との戦いの傷によって、里から一歩も出ることが出来ぬほど弱っているがな……」


「かかッ! そうか、奴は無様にも生き続けておるのか!」

「貴様……!」


 自らの長を侮辱された鎧の白竜はぎりりと歯噛みし、地面に突き刺さった黄金の槍を抜き放った。

 しかしそれを制してエルザがレヴロトルムに問いかける。


「貴方はどうしてそれほどの力がありながらあの男、ヴラド・ヴァンピールに付き従っているの?」

「あぁ……我も本来なら白竜の長と同じく、自由に動くことが出来ないくらいの傷を負っていた……。そんな俺の前にヴラドが現れ、あの【罪過ざいか薔薇ばら】とかいう呪いの花を差し出してきたんだ」


 レヴロトルムは過去を懐かしむように語りながら、身体の向きを反転させて羽織を脱いだ。


 そして露わになった背に刻まれた黒紫色の魔刻まこくをエルザたちに見せつける。


「呪いに負けて死ぬか、適応すれば不治の傷が癒える可能性があるとな。我が呪いになど負けるはずもない、すぐに【罪過の薔薇】を受け入れ、呪いの力をねじ伏せた」

「そして今こうして忌々しい不治の傷から解放され、奴の目的のため手を貸してるといったところだ」


 ヴラドと共にいる理由を語り終えた彼は羽織を纏い直し、遠くを眺めて小さく呟いた。


「それに奴が相手取ろうとしている敵と戦えるのであれば、いくらでも協力してやるわ……」

「敵……?」


 なんとか聞き取れる程度のレヴロトルムの声に、エルザは問いを重ねようとした。

 しかし視線の先の彼から爆発的な威圧感が放たれ、彼女は言葉を失った。


「昔話はこの辺でいいだろう。さっさと続きといこうぜ、今度は真っ正面からな……!」


 レヴロトルムが両の拳を握り締めると、彼の全身を黒紫の雷条が駆け巡った。


 力の高まりを前に、エルザたちも自然と臨戦態勢に転じて彼の挙動を窺っていた。


「すぐにくたばってくれるなよ?」


 彼の拳が大地を割り砕いた直後、雷を迸らせた破壊の波が地面を割り砕きながら驀進してくる。


 エルザとヴァンは左に跳び、白竜は右に飛翔。先ほどまで三人がいた場所に雷条が立ち上り、その周囲を焼き焦がした。


 それを視界から追いやったヴァンは地面を蹴って跳躍し、皮膜翼を羽ばたかせて加速した。


「おらァッ!!」


 紅炎を纏ったヴァンの拳がレヴロトルムに向けて放たれる。


 彼はそれを左腕で受け止め、右腕を振り抜いた。

 

 咄嗟に翼を羽ばたかせて間合いを取ったヴァンの眼前をレヴロトルムの拳が掠める。


 黒紫の雷の軌跡がヴァン目がけて迸るも、それは彼の紅炎によって喰らい尽くされる。


 拳を振り抜いた体勢のレヴロトルムの横手から、鎧の白竜が黄金の槍を目にも留まらぬ速さで突きつける。


 しかし右腕を振るった勢いのまま回転したレヴロトルムは、彼の槍を受け流して左の裏拳を叩き込もうとした。


「ッ……!」


 しゃがみ込むことでそれを間一髪躱した鎧の白竜は、突き出した槍を斜め上のレヴロトルムの脇腹へと薙いだ。


「ガァッッ!!」


 がら空きとなった脇腹を狙った一撃は、しかしレヴロトルムが口腔から撃ち放った雷弾によって鎧の白竜ごと吹き飛ばされる。


「まずは一人」


 宙を舞う白竜に一瞬で追いついたレヴロトルムは、牙を剥いた獰猛な笑みを称えながら拳を引き絞った。


「させないわ」


 凛とした声。そして吹き荒れるのは白光纏いし白薔薇の花吹雪。


 レヴロトルムは拳の狙いを横手から吹き付けてきた白薔薇の花吹雪へと修正し、突き抜けるような雷閃によってそれを消し飛ばした。


 しかし中心部を突き抜けたことで花吹雪が二股に別れ、彼の左右から激流の如く迫った。


 その間に鎧の白竜が体勢を立て直し、ヴァンと共に翼を羽ばたかせて加速することでレヴロトルムの前後から同時に迫った。


 前後左右から迫り来る攻撃に、レヴロトルムは好戦的な笑みを深めた。

 そして雷を纏った右脚で地団駄を踏むように地面を踏み抜いた。


 刹那、彼を中心とした黒紫色の雷の柱が天を貫き、周囲に凄まじい衝撃波を放った。


「ぐァッ!!」

「ぐッ……!!」


 それによってヴァンと鎧の白竜は吹き飛ばされ、エルザの花吹雪も一瞬で燃え尽きる。


 柱は衝撃波だけでなく、凄まじい質量の雷も放っており、エルザたちを感電させていた。


 そのためヴァンと鎧の白竜は地面に墜落し、少し離れた位置にいたエルザも膝をついて歯を食いしばっていた。


「動け、ねェ……!」


 地面に落ちたヴァンと鎧の白竜は必死に起き上がろうともがくが、迸る黒紫の稲妻が身体の自由を奪っている。


 全身に迸る稲妻によって灰髪を逆立てるレヴロトルムが、自由を奪われ膝を屈しているエルザの元へと歩み寄っていく。


「エ、ルゼ、ベート、様……! 逃げ……!!」

「くっ……!」


 遠くで鎧の白竜がエルザの身を案じてこちらに手を伸ばしている。

 しかし彼もエルザも身動きが取れず、その間にレヴロトルムは彼女の眼前で立ち止まった。


 黒紫の雷を纏って髪を逆立てる彼は、見る者を絶望させる圧倒的強者の風格さえ纏っていた。


「……なんだ?」


 しかしその笑みを収めたレヴロトルムは、エルザの遙か後方、つまりドラクとヴラドが戦っている方角を見つめて怪訝な表情を浮かべた。

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