第24話 災禍の女王

 雷の柱が立ち上る少し前——。


「く、ぁ……!」


 赤黒い影から生成された武器が墓標のように突き立てられている中、ドラクは膝をつきながら影の剣を地面に突き刺し、なんとか倒れずにいた。


 彼の全身には武器による裂傷が幾筋も刻み込まれており、流れる血が地面を赤く染めている。


「あれを防ぎきったのか。腐ってもヴァンピール家の眷属だね」


 満身創痍のドラクに白々しい拍手を送りながら、ヴラドはゆっくりと歩み寄ってきた。


「けどやはりその程度の傷もすぐに治癒出来ない不良品のままか」


 彼の言うとおり、ドラクは眷属の吸血鬼としての欠陥を抱えている。


 本来吸血鬼としての能力を十全に得た者は時が経つにつれて人間の頃の記憶を失っていく。


 しかし彼は名前以外のそれを失うことなく今の今まで生き続けている。


 それが原因なのかは定かではないが、治癒力を含め様々な能力が中途半端な状態の吸血鬼として、持ち前の戦闘感のみで戦い続けているのだ。


 どうにかして立ち上がらなければならないが、受けたダメージが大きすぎてドラクではすぐに修復することが出来ない。


「キミ如きがバートリー家の当主であるボクに勝てるはずがないだろう?」


 歩み寄ってきたヴラドは地面に数多突き刺さっている赤黒い影の剣を一本抜き去り、その切っ先をドラクの眼前に突きつけながら告げる。


「亡国の王子であるキミを、かの国の民たちと同じところへ導いてあげるよ」


 ヴラドが赤黒い直剣を振り上げた瞬間、彼の背後遠方で黒紫色の雷の柱が立ち上った。


 その衝撃は遠方にいるドラクたちの肌さえビリビリと揺らすほどの威圧感を放っていた。


「レヴロトルムはずいぶん派手にやっているようだ。こちらは終わりに——」


 背後から視線を戻したヴラドは剣を握る手に再び力を込め、しかし何かの気配を感じ取ってすぐさま頭上を振り仰いだ。


 そこにはカストレアが閉じ込められている深黒の真球があるだけだ。


「ひび……?」


 ヴラドの視線を追ってそれを見上げたドラクは、その球体に小さな亀裂が生じていることに気が付いた。


 それは徐々に全体へと広がっており、硝子が砕け散るような音と共に全体が砕け散った。


 転瞬、その内側から夥しい数の深黒の魔手が全方位に解き放たれた。


 濁流のようにのたうちながら驀進するそれが山頂の崖に触れるや、一瞬でその部分を消失させた。


「なッ……んだあれ……!?」

「【災禍の女王】が完全に目覚めたようだ……!」


 そう呟いたヴラドの元にいくつかが束になった巨木の如き魔手が迫り来る。


 彼は後方に跳躍することでそれを回避し、目的を見失った魔手は地面に大穴を穿って消滅した。


 しかしその魔手が消えても、ヴラドの元には無数の魔手が殺到する。


 吸血鬼持ち前の凄まじい身体能力と動体視力でそれを回避しながら彼は何かを探していた。そして目的のものを見つけて声を上げる。


「ミラエル!」


 しかし彼女はエルザの力によって昏睡し続けている。


 ヴラドは顔を顰めながら手中に赤黒い影のナイフを生成し、それを彼女に向かって投擲した。


「痛った!! なんなのよっ!?」


 それはミラエルの背で腕を縛り上げていた白い茨を断ち切り、その際に彼女の手首も切り裂いた。


 ヴラドは彼女の目を覚ますために、あえてその位置にナイフを投げつけたのだ。


「すまないミラエル、今は何も聞かず力を使って欲しい!」


 器用に魔手を躱しながらミラエルの元にたどり着いたヴラドは、彼女の小さな身体を抱き上げながらそう告げる。


 その言葉の間にミラエルの手首の傷は煙を上げて完治していた。


 ヴラドの様子と迫り来る魔手の異様さにすぐさま冷静さを取り戻したミラエルは、魔刻を発動させて行く手に大鏡を出現させた。


「クロはどうするの!?」

「彼ならなんとかするだろう。まずはボクたちが距離を取るべきだ」


 レヴロトルムを一瞥したミラエルは、ヴラドの言葉に納得して口を噤んだ。


 その直後に大鏡の鏡面へと吸い込まれるようにして入っていったヴラドたちの姿が消え、すぐに鏡も消失した。




 数十本が束となった極太の魔手がヴァンと鎧の白竜の頭上を通過し、やがてエルザの頭上も過ぎ去った。


 そしてそれはレヴロトルムに向かって一直線に突き進んでいく。


「これがあの嬢ちゃんの力か? どんなもんなのか、試してみるか」


 右の拳に凄まじいほどの黒紫の稲妻を収斂させ、レヴロトルムは迫り来る魔手に向かって放った。


 それは雷鳴を轟かせながら魔手を突き抜け、球体があった空間を掠めて崖の一部を撃ち抜いた。


「なッ……!?」


 しかしレヴロトルムは自身の右腕を目にして驚愕した。


 否、そこにあるはず拳はなくなっており、彼の腕は二の腕から先が完全に消失していたのだ。


 そのうえ切断面に当たる部分を始点として黒薔薇の刻印が広がり始めており、これが全身に広がることはまずいと直感的に考えたレヴロトルムは残った左手の手刀で残った腕を肩口から切り落とした。


「ちッ……! これが【災禍の女王】とやらの力か……!」


 切り落とした右腕は地面に落下しきる前に漆黒の粒子と化して消滅した。


 あのまま侵蝕を許していたら間違いなく全身が消し飛んでいただろう。

 その様子を見た彼は顔を顰めて魔手の出所に眼を向けた。


 そこには癖のある漆黒の髪を揺らしながら浮遊する少女がおり、彼女は髪と同色のロングドレスを夜風になびかせながらぼんやりとどこかを眺めていた。




「カストレア……!」


 頭上の気配を感じ取って再び上空を仰いだドラクは、少女の名を口にする。


 魔手の放出は終わったらしく、彼女は何もせずただただ空中に浮かんでいる。


 その瞳からはおよそ感情と呼べるものが一切感じられず、悍ましい呪いの気配だけが周囲に撒き散らされていた。


 ヴラドが語っていた【災禍の女王】とはこれほどのものだったのか、とドラクは思わず唾を飲み下した。


 彼女が内包している呪いの総量と純度は、【罪過ざいか薔薇ばら】の力を宿した者たちの比では無い。


 災禍の名を冠するに相応しい彼女を、ヴラドはどうやって御するつもりだったのだろうか。


「絶対助けてやるからな……!」


 頭上に浮かぶ少女を助けるために満身創痍の身体に鞭打って立ち上がったドラクは、地面に深々と突き刺していた影の剣を引き抜いた。


 魔手がヴラドたちを追っている間に致命的な傷は治癒したため、先ほどよりは動作が楽になった。


 先ほどの魔手がドラクを狙わなかった理由は判然としないが、宿す呪いの大きさや生命力の強さなどを自動的に追尾するようになっているのではないだろうか。


 それならばヴラドや、遠方にいる黒竜だった大男 レヴロトルムを狙ったことにも頷ける。


「…………」


 眼下で動いたドラクを認識したのか、カストレアは幽鬼の如く緩やかな動きで首を曲げてドラクを見下ろした。


 その瞬間、彼女の背から一本の魔手が真下へと放たれた。


「くッ……!」


 頭上から迫り来る絶死の魔手に対して、ドラクは咄嗟に影の剣を振るった。


 激突の瞬間、両者の間に漆黒の衝撃波が発生して空間が歪んだ。

 直後、影の剣と魔手が同時に漆黒の粒子と化して消滅する。


 その隙にドラクは地面を蹴り、一瞬でカストレアの真下から遠ざかって様子を窺う。


 彼女は追撃の魔手を放ってくる様子はなく、ゆっくりと空から下降して霊峰の山頂へと降り立った。




 ドラクたちから遠く離れた崖の上、ヴラドとミラエルはそこから霊峰ティリスベルの戦況を俯瞰していた。


「カストレアとかいう人間の女、放っておいていいのかしら? あなたにはあの呪いの化け物を制御する方法があるのでしょう?」


「そうだね。けれどこのまま待っていればドラクを殺してくれるかもしれないだろう? そうしたら彼女はもっと力を強める可能性もある」


 ミラエルの問いかけに薄い笑みを称えながら答えたヴラドは、【災禍の女王】と化したカストレアを見つめていた。

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