第19話 灰色の蕾

「はッ……!?」


 呼吸さえ忘れていたようで、ドラクははっとして周囲を見渡した。


 そこは三日月が仄かに輝く夜で、いつかの夜の追想は終わったらしい。


 追想の直前、咄嗟に戦闘態勢に入って灯したのか、ヴァンの拳に緋色の炎が燃え盛って周囲を照らしていた。


 それを認識したドラクはすぐさま少女の姿を探し、そちらに視線をやった。


「お前、どういうつもりだ……?」


 カストレアと、その母であろう黒髪の女性の在りし日の記憶。


 きっと過去にこの場所で起きた出来事だったのだろうが、それをドラクたちに見せた眼前の少女の目的は一体何だ。


 どういう理由があってそんなことをしたのか、ドラクは警戒を強めながら彼女の言葉を待った。


「あなたたちに対する敵意はないと証明するため……。そして彼女を、【呪禍じゅかの少女】を救う鍵を手にしてもらうため……」


 一歩ドラクたちに近付いてきた少女の姿を、ヴァンの炎が照らし出す。


「ドラク、こいつはなんなんだ?」

「わからない……。嘘をついてないのなら敵ではないんだが……」


 しかしヴラドと共に居た少女が自分たちの味方だと主張してくるなど、罠としか思えない。


「ドラク……。あの子、ヴラドが連れていた子とは別人よ。髪の質と色が違うわ」

「!?」


 エルザから耳打ちするように語りかけられたドラクは、はっとして少女の特徴を改めて観察し直した。


 言われてみれば匂いも僅かに異なっているように感じた。


 目の前にいる少女が有する波打つ長髪と感情に乏しい表情は、ラスエルという少女と瓜二つだ。


 しかし全体的にくせっ毛であった彼女とは異なり、前髪だけがさらさらとしたストレートとなっている。


 そして最も大きな差異はその髪が銅色にほど近い茶髪であったことだ。


 ヴラドが連れていたラスエルという少女は、エルザよりも少しくすんだ銀髪だったはずだ。


 故に目の前にいるのはあの時の少女とは別人なのだろう。


「ヴラドの仲間、じゃないのか……?」

「えぇ、私はヴラド・バートリーの配下ではない……。ただ、彼から取り返したい大切なものがあるだけ……」

「…………」


 ヴラドの仲間ではないことを明言した彼女は、感情の乏しい表情を一瞬だけ歪めた。


「なんだなんだ、オレにも分かるように説明してくれ……」


 ラスエルと出会っていないヴァンは、いったい何の話か分からないといった様子でぼやいた。


「……貴女、ラスエルという少女と血縁か何かなのでしょう?」

「っ……! そうよ。私、レイエルとラスエル、そしてミラエルは三つ子の姉妹よ……」


 その言葉によって、目の前のレイエルという少女がラスエルと瓜二つである理由に得心がいった。


 ミラエルという名前は初めて聞いたが、レイエルの言葉から察するにヴラド陣営にいるのだろう。


 街で見たラスエルの様子から囚われているという訳では無いだろうが、ヴラドの巧みな言葉に騙されているのかもしれない。


「それで、お前はなんのために俺たちを待ってたんだ?」

「それは……」


 レイエルは逡巡したように一度言葉を切り、しかし外した視線を真っ直ぐにドラクへ向けた。


「ヴラド・バートリーを打ち倒し、ミラエルとラスエルを解放して欲しいの……」


 レイエルは自身の薄い胸の前で拳をぎゅっと握りながら、微かな声を発した。


「カストレアという人間の少女の過去を見せたのはその願いの対価として、そして彼女自身を救う鍵をあなたたちに手にしてもらうため……」

「鍵……?」


 先程からレイエルが口にしている『鍵』という言葉。

 その真意を確かめるため、ドラクが聞き返すとと、彼女は無言のまま何かを指さした。


 その先には深いうろを有する大樹が屹立しており、円形に広がる花畑からその方向にだけ薔薇が生え伸びていた。


「「「……!」」」


 大樹を視界に収めた瞬間、三人の視界に先程追想で見た光景がぴったりと重なった。


 つまりあの大樹は赤子の頃のカストレアが母親と別れた場所なのだ。


 その場所にドラクたち三人が近付くと、うろの中に揺らめく何かが見て取れた。


「灰色の……蕾……?」


 うろの内部で揺れていたのは周囲のものとは色彩が異なる薔薇の蕾だった。

 それは他のものよりも一回り大きく、花開くことなく孤独に揺らいでいた。


 周囲には枯れ果てた薔薇の花弁が散っており、灰色の薔薇だけが開花前の状態を保っている。


「二日前、ヴラド・バートリーがカストレアという少女を連れてこの場所に来た……」


「ここに……!?」

「そして私と同じ力を持つラスエルがこの場所での記憶を彼女に見せた……。少女は言葉を失うほど衝撃を受けているようだったわ……」


 レイエルが語る内容にドラクは顔を顰めた。あんな凄惨な母の死を見せつけられたら誰だって絶望する。


 ヴラドは一体何の目的があってそんなことをしたのだろうか。


「少女に記憶を見せた後、彼らは黒竜に乗って北東へ向かった……。それから少しして、この蕾が……」


 うろの中の蕾に目を落としながら、ドラクたちは神妙な表情を浮かべていた。


 これはきっと、苦しんでいるカストレアのために彼女の母の思念が芽吹かせたものなのだろう。


 呪いの気配は当然あるが、溢れ出る慈愛のような温かさも感じる。


「ヴラド・バートリーの手から彼女を救うのであれば、この蕾も連れっていって欲しい……」


 その言葉にドラクとエルザは数秒思案した。

 果たしてこれを手折ってしまって良いのだろうか、と。


 しかしヴァンがうろをのぞき込んでから、迷っている二人に言い放った。


「この蕾があの母ちゃんの想いなら、苦しんでる娘の元に連れてってやるべきだ。二人とも、そう思わねぇか?」


「……えぇ、その通りね」

「分かった。これをカストレアの元に連れて行く」


 決断したドラクはしゃがみ込んで大樹のうろに手を伸ばし、灰色の薔薇の蕾に触れる。


 そして根元から手折った瞬間、周囲に不可視の波紋が広がった。


「っ……!」

「なんだァ!?」


 突如として起きた現象に驚くヴァンとエルザだったが、薔薇に触れていたドラクだけは動じることなく振り返った。


 するとそこに広がっていた真っ赤な花畑を作り上げていた薔薇がすべて枯れ始めており、夜風によって灰のようにさらさらとその形を崩した。


 そして花畑だった円形の空間を旋回した後、一直線にドラクの元へ、否、彼が持つ灰色の薔薇の蕾に吹き付ける。


 そして灰のような粒子がみるみるうちに吸収されていった。


「これは……」


 ドラクの手の中で灰色の蕾が仄かな燐光を纏いながら開花し、ひときわ強く瞬く。



——カストレアを、助けてあげて……!



 そのとき、この場にいる四人は一人の女性の声を聞いた。


 それは当時赤子であったカストレアを、命を賭して守り抜いた黒髪の女性の懇願するような声だった。


 声の残響と共に目映い閃光が収束し、周囲には夜の帳が下りる静かな森の光景が戻った。


「……あぁ、必ず助けるよ」


 ドラクは灰色の薔薇を胸元に寄せ、祈りを捧げるように彼女の声に応えた。


 そして瞼を持ち上げると、決意を宿した視線を北西の霊峰に向けた。


「行こう。あの山の上にカストレアはいる……!」




「お前はどうするんだ?」

「私は、いけない……。あなたたちの足を引っ張るだけになってしまうし、やらなければならないこともある……」


 申し訳なさそうに視線を地面に落としながら、レイエルは言葉を継ぐ。


「姉妹を救い出すことさえ、私には出来ない……。だからお願い……ミラエルとラスエルも救って欲しい……!」


 レイエルは感情の乏しい表情に感情の欠片を滲ませ、ドラクたちに懇願した。


 その声には心からの想いが込められており、ドラクはそれに応えるため彼女に歩み寄った。


「任せろ。カストレアも、お前の姉妹も、全部あいつの手から救い出してやる」


 そして銅色にほど近い茶髪に覆われた彼女の頭に手を置き、安心させるようにそっと一撫でして笑いかけた。


 その後、ドラクは表情を引き締めて背後に控えるエルザと、竜化したヴァンに振り返った。


「準備はいいか?」


「おうよ!」

「えぇ……!」


 不敵な笑みを称えて笑うヴァンと、真剣な表情で頷きを返すエルザ。

 それを認めたドラクは足に力を込めてヴァンの背に飛び乗ろうとした。


 しかしそれをレイエルの声が制止する。


「待って……! これを……」


 膝を曲げたところで呼び止められたドラクは、直立の態勢に戻って彼女へと振り返る。


 すると月光を受けて煌めく何かが放物線を描きながらドラクの元へ飛んできていた。


「鏡の、鍵……?」


 それは鏡のような材質で造形された小さな鍵であった。


「それを使えばあなたたちが思い描いた場所に転移できる扉が開く……」

「一度足を運んだことがある場所にしか飛べなくて、一度きりしか使えないものだけど、もしものときに使って……」


 ドラクは鏡の鍵を頭上にかざし、月光を反射させてみた。


 そして小さく頷き、それを懐に入れてレイエルに笑いかける。


「ありがとな」


 そう言い残したドラクが跳躍して竜化したヴァンの背に飛び乗ると、エルザもそれに続いて彼の隣に着地した。


 それを確認したヴァンはレイエルに笑みを向けてから飛び立った。



「赤竜の竜血鬼 ヴァン・フィアヴェル……」

「【十二血族議会】第一席 エルゼベート・ヴァンピール……」

「そしてその眷属であり、かつては亡国の第五王子であったドラク・ルガド……」


 北西の霊峰に向かって飛行するヴァンたちを見つめながら、レイエルは小さく呟いた。


 彼女は触れることで対象物に刻まれた記憶を読み取ることができ、さらにはその情景を自身と視線を交わした者に追体験させることが出来る。


 故にカストレアの母親の記憶を大樹から読み取り、それをドラクたちに見せていた。


 そしてほんの数秒の間ではあるが、追想で無防備になった三人に触れて彼らの記憶を読み取ったのだ。


「現時点でヴラド・ヴァンピールの陣営と渡り合うことができる可能性があるのは彼らしかいないけれど……。完全に打倒するためには圧倒的に戦力が足りない……」

「【十二血族議会】に席を置いていた貴族たちの中で、あの惨劇を生き残った者たちを集めなければ……」


 ドラクたちが得た魔刻の力は皮肉にも対ヴラドに最適なものであり、彼を倒す嚆矢となるのが彼らであることは間違いない。


 そのため彼らとともにヴラド陣営に立ち向かう仲間の存在が不可欠となる。


 レイエルは思考を巡らせながら、ドラクに渡したものと同じ鍵を生成した。


 そしてそれを用いて何もない空間に鏡の扉を生成し、どこか別の場所へと転移した。

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