第17話 北東の森
「で、これからどうすんだ?」
「あぁ、カストレアの気配はこの山脈の向こう側に続いてる。だから山越えをしなきゃならないんだが……」
ヴァンの問いに答えたドラクは、言葉を濁してエルザに目を遣る。
それを受けて、続く説明を彼女が引き継いだ。
「貴方に攻撃した時に見たと思うけれど、私は
「でもあれは月の光が届く夜間にしか恒常的に発動出来なくて、このヴァラノス山脈は高度が上がるにつれて霧が深くなるから私の力では途中までしか登れないのよ」
「なるほどなァ……」
「お前、ホントに理解してるか……?」
「いやなんだ、エルザが飛んで山越えを出来ない理由は分かったんだが……。さっきからお前らが言ってる魔刻っつーのはなんだ?」
「は? ……あぁ、でもヴラドがご丁寧に解説してくれなきゃ、俺らも詳しくは知らなかったか」
ドラクは遙か昔の赤い三日月の夜、運命のあの日にヴラドが嬉々として語っていた【
しかしすぐに気を取り直してヴァンへの説明を始める。
「魔刻っていうのは【罪過の薔薇】による激痛を耐え切った者に刻まれる刻印のことで、これは薔薇を刺された者によっていろいろな能力を発現させる」
ドラクは説明しながら自身の首の右側面を見せた。
「例えば俺なら呪いによる現象を壊す効果を自分の力に上乗せするんだ。お前の炎を消したのも俺の【
そこには黒薔薇の刻印が刻まれており、ヴァンは濃密な呪いの気配を感じ取ったらしくほんの少し顔を顰めた。
「私には呪いを浄化したり、怪我を治癒させる【
しゅるりという衣擦れの音と声に反応してドラクたちがそちらを見ると、エルザが衣服を緩めて胸元を軽くこちらに見せていた。
そこには白薔薇の刻印が刻まれており、ドラクのものとは異なりどこか神聖さを感じる。
「ななな、なにやってんだ! 女が簡単に肌を見せるもんじゃねぇよ!」
自身の魔刻を見せているエルザを直視しないよう、片手で自身の視界を塞いでいるヴァンの顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
「……お前、いくつだ?」
「アァ? 今年で十五だけど、それがどうしたんだよ?」
彼の反応に違和感を覚えたドラクがそう問いかけると、視界を塞ぎ続けながらぶっきらぼうに答えた。
「はー、マジか……。いや、ならまぁその反応も納得だよ。エルザ、もういいぞ」
納得したような様子でエルザに言葉をかけたドラクは、未だに赤面し続けているヴァンを見て小さく笑った。
彼は見た目からして青年だが、竜血鬼は成長が早く寿命が短い。
そのため少年期には容姿と精神の成熟が伴わないのだろう。
「こんな反応久しぶりすぎて、逆に新鮮だわ」
「まぁ見た目は変わらないけど、俺らもう百歳超えてるからな。てか眷属の俺がそうなんだから、お前はもっと……」
ニヤつきながらエルザに視線を遣ろうとした刹那、白薔薇の花弁がドラクの顔面の真横を高速で駆け抜けた。
それによって彼の頬にほんの小さな切り傷が刻まれ、しかし吸血鬼の再生能力ですぐさま治癒した。
「黙りなさい」
「はい……」
底冷えするような声色を向けられたドラクは、顔を青ざめさせながらぎこちなく頷いた。
「も、もうしまったか……?」
「あ、あぁ。もう大丈夫だぞ」
「ったく、いきなり胸元を見せるなんて痴女かよ……」
「ちっ……!?」
「待てエルザ、あいつは子供だ大目に見てやれ」
先程ドラクに放った高速の花弁を再び振るおうとしたエルザを、ドラクが早口で制する。
閑話休題。
「なるほどなぁ。ならオレのこれも魔刻ってやつだったのか」
納得した様子のヴァンは自身の右腕の袖を捲りあげ、肩に刻まれた薔薇柄の刻印を見せつけてきた。
それはドラクのものともエルザのものとも異なる、燃え盛るような紅色をしていた。
「っと悪ぃな、そういえば話を遮ってた。この山を超える手段がねぇって話だったよな?」
「無いというか、地道に登っていくしか——」
「だったら大丈夫だ。このオレ様が……」
山登りをしなければならないと諦めていたドラクの前で、ヴァンが不敵な笑みを浮かべて地面に四つん這いになった。
「「!!??」」
彼の行動に怪訝な表情を浮かべていた二人だったが、目の前で起きた現象に絶句した。
ヴァンの全身に鋼の如き赤い竜鱗が重なり合うや、それを突き破りそうなほど彼の四肢が膨張していく。
膨張に比例して全身が膨れ上がっていき、やがて見上げるほどの巨体へと変化した。
「乗せてってやるぜ!!」
みるみるうちに姿を変えたヴァンは、先程までの赤髪の青年の姿とはかけ離れた体躯を有する、赤鱗の巨竜と化してドラクたちを見下ろしていた。
口角を釣りあげて笑う様子は少年のようで、やはり目の前の竜がヴァンであることを証明している。
「竜血鬼は共生する竜族の力を継承することがある……。知識としては知っていたけれど、まさか竜化まで出来るとはね……」
「かっかっかっ! 竜血鬼でもそうできるヤツはいねぇぞ、これは強ぇヤツの証だ!」
ヴァンは誇らしげに大笑したが、如何せん巨竜と化しているため笑い声だけで周囲が鳴動し、木々から驚いた鳥や小動物が逃げ去っていた。
「分かった分かった。その図体で大声出すな、頭に突き抜ける……」
ドラクとエルザは苦悶の表情を浮かべながら耳を塞いでいた。
「悪ぃ悪ぃ、つーことで乗れよ。一刻も早く人間の女を助けてぇんだろ?」
声を潜めたヴァンは真剣な眼差しをドラクたちに注ぎ、彼らもまた同種の眼差しを返して小さく頷いた。
◆ ◆ ◆
ドラクとエルザを背に乗せたヴァンは山肌に沿って上昇していき、やがて霧を抜けた頂上へとたどり着いた。
そこで向こう側に下山する前に寄りたい場所があるとエルザが口にしたため、それに従ったヴァンはその方向に向かって霧の中へと突っ込んだ。
そうして用事を済ませた一行は再びヴァンの背に乗って霧を抜け、今度こそ下山を開始した。
「匂いが強くなってきたんだが……」
「アァ。よく分かんねぇが、別の方角からもカストレアって女の匂いがするな……」
「ドラク、貴方の魔刻は?」
「いや、それもダメだ……」
ドラクは匂いに加えて魔刻の気配を察知できるのだが、それさえも複製されているように二箇所で反応があるのだ。
「どちらかが罠かしら……」
「どうするよ、ドラク」
「…………」
匂いと気配がするのはここから北東の森と、北西の高山の頂上付近。
近いのは北東の森だがそんなところに一体何があるというのだろうか。
一方、高山はこの周囲で最も高い霊峰で、何か事を成すつもりであればそちらのような気もする。
しかしあのヴラドのことだ、何を考えているか見当もつかない。
故に思考の推察をしたところで彼の目的にたどり着くことは出来ないだろう。
「よし、まずは北東の森だ。もし北西の方が罠だったら時間のロスが痛い。森なら近いうえ、罠だった場合すぐに戻れる」
故にドラクはそう結論づけた。その合理的な判断に否やを唱える者はおらず、ヴァンは北東に進路を変えて加速した。
竜化したヴァンの飛行能力はエルザの比では無く、彼方に見えていた北東の森の上空にすぐさま到着してしまった。
「この辺りのはずなんだが……。ヴァン、あの花畑に降りてくれ」
ドラクが指差した方角には、森の中に穴が開いたかのように広がっている薔薇の花畑があった。
その指示を聞いたヴァンは花弁を散らさないよう極力風を巻き起こさずにゆっくりとそこへ着地し、竜化を解いた。
「マジで助かった。お前がいなかったら今頃まだ山登りをしてたところだ」
「いいってことよ。オレも目的は同じだからな」
笑みを交わした男二人を尻目に、エルザは真っ赤な薔薇が咲き誇る花畑を眺めて顔を顰めた。その理由は目の前の薔薇にあった。
「この薔薇、呪いの気配がするわ……」
「あぁ……。けどカストレアに近い匂いがするのはいったい何だ……?」
薔薇からは呪いの気配もするが、カストレアの匂いに極めて近い香りが微かにするのだ。
それが何なのか確かめるために、ドラクは花畑の中に踏み入った。
「それはここが、彼女に縁のある場所だから……」
「「「!!??」」」
幽鬼の如きか細い声が聞こえる寸前、ドラクの眼前の空間で鏡にひび割れが入ったような現象が起きていた。
そして声と共に景色が砕け散って、一人の少女の姿を映し出した。
その少女の姿には見覚えがあるような気がした。
ベルアレの街に現れた、ヴラドと共にいたラスエルという吸血鬼の少女だ。
「彼女は救いを求めている……。その鍵はこの場所にある……」
少女が微かな声でそう言うと周囲を疾風が駆け抜け、彼女の前髪を吹き上げた。
そして露わになったのは光を乱反射する白銀の鏡眼。
吸い寄せられるようにその双眸を見てしまった三人の視界が砕け散り、周囲の景色が高速で流れ始めた。
目にも止まらぬ早さで季節が幾度も逆再生され、やがてそれが緩やかになっていく。
そしてある秋の月夜で景色の激流が止まった。
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