第15話 赤き闖入者
そうして行商人と別れた二人は、カストレアたちの匂いと血臭がする方向へ歩を進めていった。
ヴァラノス山脈へ向かう道はある程度舗装されているのだが、匂いの元は森へと続く獣道の先にあるらしい。
「なんだ、これ……!」
生え伸びた草をかき分けて進み、開けた場所に出たドラクは、眼前に広がった光景に絶句した。
そこには三つほど天幕が張られており、何者かが野営を行っていたことが窺える。
しかしその至る所に血痕が残されているのと、不自然に地面から芽吹く真っ赤な薔薇が不気味さを演出していた。
「元々山賊か何かの隠れ場所だったみたいね。それがヴラドと遭遇して返り討ちに合った、といったところかしら」
瞠目するドラクを尻目に、天蓋の中を確認したエルザが冷静に状況を推察した。
そこには金品が隠されている他に、暗器や毒と思しき小瓶なども並んでいた。
それらを認めたことで、普通の旅人や行商人の持ち物では無いと判断したのだろう。
「……」
「彼らはカストレアのように、何の罪も無い人間では無かったはずよ。そんな悪人にまで同情心を持つのはやめなさい。それは正義に満たない偽善よ」
無残に殺された山賊たちにまで同情しているであろうドラクに釘を刺すように、エルザは努めて冷やかに言葉を発した。
「あぁ、分かってる……」
その言葉に軽く歯噛みしたドラクは、視線を彼女から外した。
するとその先に焚き火の燃えカスのようなものがあり、そこに帯状の白い何かを見つけた。
歩み寄ってそれを拾い上げると、それは使い古された包帯の切れ端であった。
「これは、カストレアの包帯か」
一見何の変哲も無い包帯だが、吸血鬼であるドラクにはこれに染みついた匂いから持ち主が彼女であったことを確信できた。
「ヴラドたちがこの辺りにいたことは確定的ね。血痕の乾き方からして昨日、経過していても一昨日くらいに山賊たちが殺されたようだし」
「けどなんでわざわざ山脈の麓に降りたんだ? あいつらには黒竜がいるだろ」
「なんでって、単純に身動きがとれなくなったのでしょう」
「……?」
呆れた様子のエルザの言葉に、ドラクは不思議そうな表情を返す。
そんな彼にエルザはため息を吐いた後、説明した。
「貴方、慣れすぎて忘れているようだけれど、吸血鬼は普通陽光の下に出られないのよ。私たちは例外中の例外、ヴァンピール家の稀有な特性の恩恵を得ているだけよ」
「あ~、そういえば」
「吸血鬼になってから、いったいどれだけ経ったと思っているのよ……」
「ならもうすぐ追いつくんじゃないか?」
呆れ顔のエルザを尻目に、ドラクは木々の隙間から見えるヴァラノス山脈を見上げながら言った。
そして魔刻による探知を行おうとした瞬間——
「ッ……!?」
夜闇が満ちつつある森の奥で紅の炎が灯り、瞬きの間にその炎がドラクの元へ急接近してきていた。
「吹っ飛びやがれぇ!!」
「ドラク!!」
粗野な雄叫びと共にドラクの足下の地面が爆散し、それと同時に紅炎の奔流が立ち上った。
それは周囲の闇を払うと共に、突如現れた闖入者の姿を照らし出した。
大炎に照らされた襲撃者の青年は血を零したような赤い短髪を逆立てながら、血赤色の双眸を歪めてドラクのことを睨みつけていた。
「なんだこいつ!?」
「ぶちのめしてやる!」
突如として現れた青年がどうしてこれほどまでに憤怒しているか見当もつかず、ドラクの視線がエルザに流れた。
「貴方、色々な人から恨みを買いそうだし、その一人じゃないの?」
「いや! 別にそんなことしてないだろ!」
青年の殴打をすんでのところで回避しながら、ドラクは必死に弁明した。
しかし旅の先々で、道化の如き態度で女性に接してきた彼を見ているエルザは、そういったことが原因なのではないかと思ったが、口には出さなかった。
「オラッッ!!」
「なんなんだよ、お前ッ!!」
赤髪の青年が炎を纏った大振りの拳を放ってくる。
回避一辺倒だったドラクは痺れを切らし、自身の影を顕現させて彼の拳を受け止める盾とした。
激突。
そして地面から垂直に展開された影の盾を、紅の猛炎がかけ上る。
しかしすぐさまドラクの盾が燃え盛る炎に侵食され、跡形もなく燃え尽きた。
「なッ……!?」
「俺の炎はなんでも喰っちまうんだ。……特に、てめぇみたいな悪党をなぁ!!」
赤髪の青年は声高に叫びながら、爪のような形に収斂させた紅炎を振り下ろした。
「……?」
防御か回避かの選択を迫られたドラクがあることに気が付く。彼の炎から呪いの気配がするのだ。
刹那、ドラクの判断は先の二択ではなく、攻勢に転じるという第三の手段だった。
「そういうことなら……!」
振り下ろされる炎爪。
ドラクは右腕に【
「そんなもん、喰ってや——」
「できるもんならやってみろ!」
青年は茨を斬り飛ばすつもりで腕を振り下ろし、ドラクはその腕を飲み込むように茨を放った。
激突の瞬間、影の茨が幾本か燃え尽きた。
しかし激流の如く迫るそれが青年の腕に触れるや、漆黒の粒子を伴いながら彼の炎を消し去った。
その現象に瞠目する青年が次の対策を講じるよりも早く、ドラクは影の茨で彼の身体を大木に括りつけた。
「がッッ……! てめぇ、何しやがった!!」
「お前のそれ、【
「クソが! アイツの仲間にはこんな能力持ちまでいるのかよ……!」
呪いに対するドラクの反則的なまでの魔刻に、赤髪の青年は悪態を付いた。
しかしドラクたちが気になったのはそこではない。
「アイツ、というのは誰のことかしら?」
これまで外野を決め込んでいたエルザがドラクの横手から青年に問いかける。
「黒髪の優男だ。確か、ヴラドとか呼ばれてたな……」
「「!!??」」
「てめぇらの親玉なんだろ? 俺の家族を奪ったアイツがよ!!」
その発言に面食らったような反応を返す二人を他所に、赤髪の青年は拘束を破ろうと右腕に力を込め始めた。
「誤解だ! むしろ俺たちはあいつと敵対してるんだよ!」
「嘘吐いたって無駄だ! てめぇからは同胞の血の匂いがぷんぷんしやがるんだからなぁ!!」
「同胞……? いったいなんの——」
その言い分に心当たりがないドラクは怪訝な表情を浮かべるが、赤髪の青年が豹変しつつあることに瞠目した。
青年の露出した肌が鋼のような赤き鱗に変化しており、それが折り重なって全身に広がっていった。
それと同時に、彼が口にした『同胞の血の匂い』という言葉が今になってピンと来た。
「貴方まさか、【
エルザは彼の変化を見て、はっとしたように言葉を零した。
そう、目の前の青年は吸血鬼の亜種とも呼べる竜血鬼の末裔だったのだ。
それは吸血鬼の群れから追われ、竜と共に生きて彼らの血を糧としたことで生態を変化させた種であり、稀有な存在として語られている。
「ぐッ……オォォォォ!!」
赤髪の青年による渾身の抵抗でさえ影の茨はビクともしないが、それが絡み付いている大木の幹がみしみしと音を立て始めた。
「らァァァァッ!!!」
そして大の男三人分程の太さの幹が半ばからへし折れ、青年の拘束が強引に解かれた。
刹那、影の茨が巻き付いたままの彼の拳が地面に叩きつけられ、粉砕された破片が凄まじい衝撃波と共に飛び散った。
その威力でドラクたちは吹き飛ばされ、射程範囲から外れて茨が解けた。
「くッ……! なんて奴だ、拘束ごと木をへし折りやがった……!!」
「竜血鬼は寿命が大幅に短くなる代わり、膂力が飛躍的に上昇した種族。真正面からやり合ったら勝ち目はないわ……!」
吹き飛ばされた二人は並んで着地し、大量に巻き上がった砂煙を睨んだ。
直後、赤炎が渦巻いて煙を吹き飛ばし、その中から全身を龍鱗に覆われた青年が現れた。
「ここからは私も戦うわ。卑怯、なんて言わないわよね?」
「……あぁ。こいつに事情を理解させるには強引にでも無力化するしかないだろ」
「えぇ。まったく、面倒なことに……」
エルザは頭痛をこらえるように額に手を当てた後、【
その隣では右手に【呪壊の魔刻】を浮かび上がらせたドラクが、自身の影から漆黒の長剣を生み出している。
よく見なければ分からないが、殺傷目的ではないため、常とは異なり刃が潰されているらしい。
「かかってこいよ、悪党どもッッ!!」
赤髪の青年が獣の如く咆哮する。
それを合図にしたように二人は同時に地を蹴り、立っていた位置とは逆の方向に展開した。
青年が瞼を閉じていることから、森の闇に消えたドラクたちを目で追うのではなく、音で知覚しているらしい。
そして彼は自身の右手側でどちらかが踏み込んだことを察知した。
「聴こえてんだよッ!」
「吸血鬼なら当たり前だろ!」
「ッ……!?」
ドラクの声がした方に青年が視線を向けると、そちらから投擲された漆黒の剣が迫って来ていた。
強制的に意識をそちらに奪われ、青年は龍鱗に覆われた手の甲で剣を弾き上げる。
刹那、背後から迫り来る気配に対応するため強引に振り返り、彼は振り向きざまに炎を纏った拳を放った。
「遅せぇよ!!」
投擲した剣に青年が対応している間、ドラクは彼の背後に回り込んで突撃していた。
それは青年の応酬よりも一手早かった。
炎を纏う拳に黎明色の髪の毛先を焼かれながらも懐に入ったドラクは、刃が潰れた漆黒の長剣を彼の腹部に叩き込んだ。
鋼と鋼をぶつけたような甲高い音が響き、赤髪の青年の身体が後方へ押し飛ばされる。
「こんなもん、効くかよ……!」
「だろうな」
青年が口角を釣り上げた獰猛な表情で睨みつけると、ドラクは空を指差して小さく笑っていた。
直後、青年の視界に剣の切っ先が過ぎる。
それは先程彼自身が弾き飛ばした、ドラクが投擲した影の剣だった。
赤髪の青年が剣を認識した直後、それは一瞬にして形を変えて彼の頭上を覆い尽くした。
「ッ!!」
変形した剣が取った形は茨の檻。地面を底面として半球の形で広がったそれは、青年の逃げ場をすべて奪いながら地面に突き刺さる。
「こんなもんまたぶっ壊して——」
「いいえ、そんな隙は与えない」
檻に閉じ込められた猛獣の如く青年が暴れ回ろうとした瞬間、凜然とした声音が頭上から降り注いだ。
そこには右手を空に掲げながら、白薔薇の翼で滞空しているエルザがおり、赤髪の青年に温度の低い視線を落としていた。
彼女が掲げた右手の先には淡く光る三日月を飾るように、白薔薇の花吹雪が球形となって渦巻いていた。
「何する気だ、女ァ!!」
「殺しもしないし、傷付けもしないわ」
そう応答したエルザは空にかざしていた右手を、自身を睨み上げている赤髪の青年に向けて振り下ろした。
それと連動するように、渦巻いていた白薔薇の花吹雪が一斉に直下の青年に降り注いだ。
彼は紅の炎をエルザに向けて放つが、それは黒茨の檻にぶつかった瞬間に掻き消えてしまう。
「ざっけんなぁぁぁ!!!」
「眠りなさい……」
檻の中の猛獣も同然の青年に為す術はなく、白薔薇の花吹雪が黒茨の檻ごと彼を飲み込んだ。
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