第14話 追跡開始
「ッ……!」
在りし日の記憶から目覚め、ドラクは弾かれるようにその身を起こした。
彼は自身の身体を見下ろしたことでヴラドに切り落とされた左腕を始め、先の戦いによる傷が完治していることを認識した。
そしてゆっくりと周囲を見渡し、この場所がどこなのか理解した。
「カストレアの屋敷、か……?」
「えぇ、彼女の屋敷を使わせてもらっているわ」
ドラクが零した言葉に反応したのは、彼が目覚めたことに気付いて部屋に入ってきたエルザであった。
「エルザ、あれからどれくらい経った?」
「丸一日よ。傷はすぐに治癒したけれど、
エルザはベッドの横にある木製の椅子に腰掛け、窓の外に浮かぶ糸のように細い月に目を遣りながら説明した。
「カストレアを助けに行かねぇと……」
「無茶よ。ヴラドたちは竜に乗って去ったのよ。一日も経っていたらどこにいるか見当もつかない」
「いや、あの時カストレアに茨を仕込んでおいたから、なんとなくの位置は分かる。近くまで行ければ後は匂いで追えばいい」
ドラクは右の掌に黒茨を生じさせながら説明し、その先端で自身の鼻先を示した。
彼の用意周到さにエルザはため息を吐くも、冷静な眼差しで彼を見つめた。
「追跡が可能なのは理解したわ。けれど、圧倒的に戦力が足りないことには変わりないのよ。ヴラドだけでも勝てるかどうか分からないのに、あっちには銀髪の少女や黒竜もいる……」
「……」
エルザの言葉にドラクは言葉を詰まらせてしまう。
バートリー家の当主であるヴラドの戦力は言わずもがな。
エルザの花吹雪をいとも容易くはじき返した少女、ラスエルの力も未知数だ。
そのうえ黒竜は昨夜、力の一端さえ見せていなかった。
「……カストレア相手だったから俺は本気を出せてなかったし、お前にもまだ奥の手がある。だから勝算は——」
「それで必ず勝てるのならいい。けれど勝てなかった場合、私たちは力を使い果たして殺されるわ」
「ッ……!」
エルザの的確な指摘に、ドラクは視線を自身の手元に落とす。
「私たちには味方がいない。彼我の戦力差を埋めてから確実に戦わなければ、勝てるものも勝てないわ」
エルザの言葉を咀嚼した後、ドラクは顔を上げて彼女の翡翠色の瞳を見つめ返した。
そして常とは異なる真剣な声音で語り始めた。
「それでも、吸血鬼の都合で運命すべてを呪われた彼女を放っておくことなんて出来ない……」
「自分たちの命惜しさに、手を伸ばせば救えるかもしれない少女を見捨てるなんて、したくないんだ……!」
ベッドのシーツを握り締め、歯噛みしながら零した心からの言葉に、エルザは眼を細めて押し黙った。そして数秒の後、口を開く。
「はぁ、仕方ないわね……」
呆れたようにため息を吐くエルザ。
「貴方、普段は飄々としているくせに、こういうときは自分の意思を曲げないのが厄介だわ。まったく、どちらが主か分からないわね……」
「エルザ……! 愛してるぜ!」
そんな彼女にドラクは抱きつこうとする。
しかし彼女は一瞬でベッドから間合いを取り、空を切ったドラクはベッドから落下してしまった。
「結局道化ね……」
頭痛を堪えるようにこめかみに手を遣りながらエルザは嘆息する。
しかし彼にいつも通りの軽薄な調子が戻ったことに、心の中では少し安堵していた。
ドラクが目を覚ましてから約一時間後、二人は宿屋に荷物を取りに戻った後、出立の準備を整えて屋根に上った。
この場所に再び戻ってきたのは周囲一帯で最も高い場所に位置しており、かつ人目につかないためだ。
「……あっちの方角だ」
瞑目しながら右腕に魔刻を浮かび上がらせたドラクは、北西の方向を指差しながら瞼を持ち上げた。
それと同時に隣に立つエルザが【
「行くわよ」
「あぁ、頼む」
ドラクの手を握って翼を軽く羽ばたかせると、ゆっくりと二人の身体が浮かび上がっていく。
そして彼の脚が完全に屋根から離れるや、エルザは強かに翼を羽ばたかせた。
直後、二人の身体が前方に加速し、闇夜を裂きながら飛行を始めた。
魔刻の力を多用すると精神が疲弊してしまうのだが、ヴァンピール家の血を受け継ぐエルザは月の光から力を得ることが出来る。
そのため月が昇っている夜間に限り、飛行程度の魔刻行使であれば問題なく発動し続けられるのだ。
そのうえ吸血鬼の筋力をもってすれば宙吊り状態でも腕が疲れることがほとんど無いため、夜間は飛び続けられる。
エルザの翼によって彗星の如き白銀の尾を引きながら、二人はカストレアがいるであろう北西の地へ向けて追跡を開始した。
◆ ◆ ◆
エルザの翼で飛び続け、二人は夜が明ける頃に隣の小村に到着した。
そこでここより北西に向かう行商人を探し出し、馬車の荷台に同乗させてもらうことで日中の移動手段とした。
翌日も同じ方法を取り、夜間の飛行と日中の馬車での移動によってかなり北上しているものの、まだカストレアは補足できる範囲にはいないらしい。
「駄目、まだ探知できる範囲に彼女はいないわ」
「あぁ、俺の茨もまだ遠いみたいだ」
荷台の幌から少しだけ顔を外に出して、カストレア匂いを辿っていたエルザは身体を引いて首を横に振った。
ドラクも幌の中で魔刻を浮かび上がらせたが、反応が強まってはいない。
「ここよりずっと北西ってことは山脈の向こう側ってことか……?」
「あの山脈を超えるのは少し骨が折れるわね……」
地図を広げて現在地から山脈越えの経路を指でなぞったエルザは、こめかみに手を当てながらため息をついた。
大陸の南部と北部を断絶するように横たわっているのがヴァラノス山脈と呼ばれる峻厳な山々だ。
馬車だと悪路を避けるため最短経路での登頂は出来ず、かといって吸血鬼の身体能力を持ってしても時間がかかることには変わりない。
「夜の間ならお前の翼で一気に登れるんじゃないのか?」
「ヴァラノス山脈は上に行くほど霧が濃くなるのよ。半分くらい登ったところで月光さえ通さないような濃霧になるから、私の飛行もそう長く保たないわ」
「そういうことかよ……。なら登れるところまで登って、あとは歩くしかないな」
地図に目を落としながら眼を眇めたドラクは、焦燥感を露わにしながら右の拳を握り締めた。
カストレアがどのような扱いを受けているか分からない以上、一刻も早く救い出さなければならない。
だというのに自分たちの道を阻害する壁が煩わしくて仕方ない、といった感情がありありと伝わってくる表情をドラクは浮かべていた。
それから夜になって数人目の行商人と別れて翼による飛行を再開し、明け方頃に見つけた街に降り立った。
そしてまた別の行商人の世話になって進み続け、もうじきヴァラノス山脈の麓にたどり着こうとしていた。
陽が落ち行く夕暮れの空を映すように、山肌が薄らと橙色に染まっている。
しかし高度が上がるにつれて霧が濃くなっており、山頂を見通すことが出来ない。
「……エルザ」
「えぇ、近いわね」
幌から山脈の様子を窺った二人は、同時にとある匂いを敏感に感じ取っていた。
それは探し人たちの匂いと、鼻をつくような濃い匂いだ。
「比較的新しいな……」
ヴァラノス山脈から吹き付ける風が運んできたのはカストレアやヴラドの匂いと、人間の血の匂いだった。
魔刻による探知の反応は未だに悪いため、近くに彼らがいるわけでは無いだろうが、この近くで休息を取ったかなにかで匂いが染みついているようだ。
「ここで降りた方が良さそうだな」
ドラクの言葉に無言で首肯を返したエルザは、御者台で馬を操っている行用人に声をかけていったん馬車を停止してもらった。
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