第12話 出会いの月夜

 締め切られたカーテンの隙間から陽光が差し込む一室。

 そこでエルザは未だ眠ったままのドラクを介抱していた。


 ヴラドとの邂逅から丸一日経った朝、ドラクの半ばから切断された左腕と、肩口から腰辺りまで刻まれていた深い傷は既に治癒していた。


 吸血鬼の回復力とエルザの【銀月ぎんげつ魔刻まこく】の力を持ってすれば致命傷に思える深手もあっという間に治療することが出来る。


 しかしドラクは外傷に加えて二つの魔刻を酷使したため、膨大な量の血液を消費してしまった。

 そのため丸一日経っても目覚めていないのだ。


「カストレア……」


 眠り続けるドラクから視線を外したエルザは、部屋を見渡しながら小さく呟いた。


 ここは【罪過ざいか薔薇ばら】を刺された人間から生まれた少女、カストレアが住んでいた街外れの屋敷だ。


 ヴラドが彼女を連れて街から去ったことで住民の洗脳が解け、街が活動を再開しようとしていた。


 そのため騒ぎになる前にドラクを抱えてこの屋敷に身を隠したのだ。


 彼に治療を施した後に吸血鬼の視力を用いて街の様子を見てみたが、催眠が解けた住民たちは大騒ぎとなっていた。


 時計塔周辺の破壊痕や散らばる人形、それに街の至る所で倒れ伏している子供たちを発見したのだから当然だろう。


 しかし幸いなことに騒動の疑いがカストレアに向くことはなかったようで、屋敷に近づいてくる者は今のところ一人もいない。


 そもそも人形の作成者がカストレアであることを知っている住民はおらず、あれを配っていた行商人が捜索され始めたようだ。


 だがその彼ももういないため、住民たちが真相にたどり着くことは無いだろう。


「……」


 エルザは部屋を見渡した後、再びドラクが眠るベッドに歩み寄り、彼の顔をのぞき込んだ。


 そして優しく頬に触れながら儚げな表情を浮かべて口を開いた。


「あなたはどうして誰かのために、そんなにも命を賭けられるの……?」


 彼女は目の前で何度も無茶をするドラクを見続けてきた。


 彼は本来吸血鬼の争いになど無縁なただの人間のはずだったのだが、それを気まぐれでエルザがねじ曲げてしまった。


 しかし現在の二人の旅路は吸血鬼としての正道ですらない。


 本来であればドラクはヴァンピール家を筆頭に、吸血鬼社会の変革を望んでいたエルザの補佐をしていたはずなのだ。


 それをヴラド・バートリーがすべて破壊してしまった。


 彼はエルザと初めて出会った頃から、計画の準備を淡々と進めていたのかもしれない。


 彼と出会ったあの日は夜天に浮かぶ満月と、煌めく星々が美しい夜だったことが記憶に残っている。



   ◆ ◆ ◆



 エルザは【十二血族議会】第一席 ヴァンピール家の長女として生まれた。


 序列は一とされているが、それは古の時代に議会が発足された時の名残で、彼女が生まれた頃の実質的な勢力は十二家中六位といった程度のものだった。


 ヴァンピール家は数百年前に人間に救われた吸血鬼が興した家系で、人間を無闇矢鱈に傷つけない穏健派として勢力を拡大したのだという。


 そして魔物の侵攻を受ける人間を救ったことで天使に見初められ、その出来事の後に生まれる子供たちは希有な能力を開花させるようになったという。


 その希有な力を正しく使って人間と同盟を結んだヴァンピール家は、吸血鬼の統率者として【十二血族議会】を発足したのだ。


 しかしそれはまだ人間が力無き種族だった頃の時代。

 文明が発展して人口が爆発的に増加したことで、彼らは凄まじい速度で居住領域を拡大させていった。


 中には勇者と呼ばれる人間離れした力を有する個体も発生し始め、人間の邪魔をする多種族を排斥するようになった。


 中でも人間の血肉を糧とする吸血鬼は人間の天敵として認識され、対立することが多くなったという。


 そんな歴史が積み重ねられたことで、吸血鬼たちは人間に対する悪感情を抱いていた。


 【十二血族議会】の過半数が横暴な振る舞いをし続ける人間を駆逐するべきだと主張する過激派に占められているそんな時代に、エルゼベート・ヴァンピールは生まれた。


 ヴァンピール家を含めて二家しか無い穏健派の影響力は小さく、人間を擁護するような家系の者を過激派の人間がよく思う訳がなかった。


 しかし希有な能力を開花させるヴァンピール家の系譜の中でも、エルザはさらに希少な存在であった。


 それは過去数百年の中で、時折現れた吸血鬼の王の資質を持つ証左。


 絹糸の如く見目麗しい銀髪と、宝石のような翡翠色の瞳を持って生まれたのだ。


 そのため表立って彼女を迫害する者はおらず、家の枠を超えて蝶よ花よと育てられ高潔な吸血鬼として成長した。


 だが元々大人びた性格だった彼女は、周囲の貴族たちが王の資質を持って生まれた自分に取り入ろうとしていることを敏感に察知していた。


 当然の如く当主の座に着いたエルザは、そんな吸血鬼社会に辟易しながら日々を送っていた。


 そして十二貴族の会合の場で、彼女はヴラド・バートリーと邂逅することとなる。




 ある年の【十二血族議会】は第十一席の貴族 ウォーレイ家の屋敷で開催されていた。


 ウォーレイ家は議会の中で数少ない穏健派として活動しており、エルザは当主であるテサリア・ウォーレイと親交が深かった。


 それにウォーレイ家の屋敷は山奥にあって空気が澄んでおり、広々とした庭には美しい草花が生育されている。


 人間の隆盛に伴って屋敷を移す吸血鬼も少なく無かったが、ウォーレイ家は元々山奥に居を構えていたため、昔ながらの美しき古城の景観を保ったままなのだ。


 エルザはそんなウォーレイ家の屋敷が好きで、テサリアと会合を開くときはいつもこの場所を訪れていた。


 ヴァンピール家は人里の近くに屋敷を置いているが、結界を展開することで吸血鬼以外には知覚できない術が施されている。


 こうしてほとんどの吸血鬼が人間の目から存在を隠しているのだ。




 【十二血族議会】における話し合いに小休止が挟まれることとなり、エルザは美しい草花が咲き誇る中庭へと赴いていた。


 そして庭園に設置されているベンチに腰掛け、空に浮かぶ満月を見上げた。


「こんばんは」

「……えぇ、こんばんは」


 背後から気配も無く突然声をかけてきた青年に、エルザは怪訝な表情を浮かべながらも挨拶を返した。


 漆黒の髪で片眼を隠した左右非対称の髪型の青年は、彼女が座っているベンチの横に立って言葉を継いだ。


「キミはヴァンピール家当主、エルゼベート・ヴァンピールだね」


「そういう貴方はバートリー家当主、ヴラド・バートリーね」


「あぁ、覚えていてくれたんだね」

「貴方が私に向ける眼は、他の貴族と違っていたから……」


 大多数の貴族連中は、王の資質を持って生まれたエルザに好奇や畏怖の念が込められた眼を向けてくる。

 しかし隣に立つヴラドの眼にはそのような感情は見て取れなかった。


 故に議会の中でも特に印象に残っていたのだ。


 【十二血族議会】は十数年に一度開かれるが、十二家すべてが揃うことはまずない。


 そのためエルザとヴラドが顔を合わせたのは今回が初めてだった。


「君は吸血鬼の貴族社会に嫌気が差しているんじゃないか?」

「っ……! どうして……」


 自身の胸の内を見透かされたような気分になったエルザは、ばっと彼の方に顔を向ける。


「ボクも同じだからさ」

「同じ……?」

「あぁ、バートリー家もヴァンピール家とは真逆の意味で注目される家だからね」


 その発言の意味が分からず、エルザは目線で説明の続きを求めた。


「元々バートリー家とヴァンピール家は同じ系譜だったんだ」

「そんな話、聞いたこと……」

「あまり楽しい話じゃ無いからね。吸血鬼の歴史の中でもより血なまぐさい昔話だ」


 そう前置きしたヴラドはヴァンピール家とバートリー家の成り立ちを訥々と語り始めた。

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