第9話 邂逅

 漆黒の粒子が満ちる街を眼下に、二人は風を切って飛行していた。


 案の定、街の至る所で先ほどの狂気じみた光景が繰り広げられており、子供たちが中央にある時計塔に幽鬼の如き足取りで向かっていた。


「ドラク、あれ……!」


 空いている方の手でエルザが時計塔を指差した。


「あいつが——」


 その上部に視線を遣ったドラクは、そこに立つ人影を見て眼を細めた。


「【月代つきしろの魔人】……!」


 二人がその姿を認識した直後、魔人はぐらりと身体を揺らし、時計塔から真っ逆さまに落下を始めた。


 しかし地面に叩きつけられる直前、周囲の粒子が旋回して小さな竜巻と化した。


 それが魔人の身体をふわりと浮かび上がらせ、高所から落下したとは思えないほど静かな着地を決めた。


 魔人が地上に降り立った頃、ドラクたちも時計塔の間近にたどり着いており、民家の屋根の高さで滞空して様子を伺っていた。


 すると時計塔の周囲に集っていた子供たちの人形が独りでに動き始めた。


 それに手を引かれた一人の少年が魔人の元にとぼとぼと近寄っていく。


「何をしてくるか分からない。いつでも動けるようにしとけよ」

「当然よ」


 ドラクは右手に【呪壊じゅかい魔刻まこく】を、エルザは首筋に【銀月ぎんげつの魔刻】を浮かび上がらせて魔人の出方を窺っていた。


 少年が魔人の間近にたどり着くと、彼の手を引いていた人形が二人の周囲を旋回し始めた。


 刹那、魔人が少年の首を鷲掴み、そのまま宙へと持ち上げた。


 少年の身体からはぼんやりとした何かが漏れ出して人形に吸い寄せられており、見るからに危険な状況であった。


「エルザ! 俺を吹っ飛ばせ!」


 ドラクの言葉よりも前にエルザは動いていた。


 彼の身体を魔人の方向に放り投げ、白薔薇の翼を羽ばたかせることでさらに加速させる。


 そして自身は民家の壁を蹴ってドラクを追随し、再び羽ばたくことで己も加速した。


 何の打ち合わせも無くドラクは【月代の魔人】本体を狙い、エルザは白薔薇の花吹雪によって少年と浮遊する人形を包み込んだ。


 ドラクの突貫とエルザの花吹雪によって、魔人は少年の首から手を離す。

 すると彼の身体から発生していた青白い靄のようなものが途切れた。


「吹っ飛べ!」


 咄嗟に後方へ飛び退いた魔人だったが、踏み込みによってさらに接近したドラクの拳が仮面を掠めた。


 呪いを宿すものだったのか【呪壊の魔刻】の効果によって亀裂が生じる。


「子供は無事か!?」

「えぇ、なんとか……」


 いったん魔人を遠ざけたことで後方のエルザを一瞥すると、彼女は石畳に膝をつきながら少年に治療を施しているところであった。

 白薔薇の花弁が彼の周囲に浮遊し、柔らかな燐光を放っている。


「この子の魂があの人形に吸われていたみたいね。あと少し遅かったら修復不可能なまで魂が削られていたわ……」

「そうか……」


 少年の安否を確認したドラクは前方で俯く魔人に向き直り、そちらに向かって問いを放つ。


「なんでこんなことしてるんだ?」


 言葉の最中、ひび割れた魔人の仮面が剥落し、その下の素顔を露わにした。



「カストレア……」



 そこには左眼だけを満月のような黄金に煌めかせ、虚ろな表情を浮かべたカストレアが佇んでいた。


 ただ、常とは異なるのは波打つ髪の色だ。


 彼女の髪は紫がかった濃灰色だったのだが、今は夜に溶けるような闇色に塗りつぶされていた。


 喪服のような漆黒のドレスと相まって、彼女の姿はまるで命を刈り取る死神のように見える。


「ぅ……、あぁ……!」


 ドラクに名を呼ばれたカストレアは、痛みを堪えるように呻きながら頭を抱えた。


 それに呼応したかの如く、周囲の子供たちが抱きかかえている人形が漆黒の粒子を纏いながら浮遊し始めた。


 現状時計塔の元に集まってきている子供は三十人程度。


 彼らが持っていた人形十体がドラクの元に殺到し、残りは手足を刃の形に変化させて子供たちに斬りかかろうとしていた。


 先ほどカストレアがやろうとしたように、子供たち殺して魂を奪おうとしているのだろう。


「させるかよ!!」


 人形たちの狙いを理解したドラクは声を上げながらしゃがみ込み、【呪壊の魔刻】を展開した右手で石畳に触れた。


 瞬間、周囲の影から黒薔薇の茨が爆発的に発生し、子供たちに斬りかかろうとしていた人形を一体残らず串刺しにした。


 それによって人形が宿していた呪いが破壊され、漆黒の粒子を大量に撒き散らして動きを止めた。


「落ちなさい……!」


 地面にしゃがみ込んだドラクの元へ殺到する残りの人形に向けて、白薔薇の花吹雪が放たれる。


 それが纏う白銀の燐光は昏き闇夜を照らしながら、襲いかかってくる人形を飲み込んだ。


 漆黒の茨が弾けるように消え、白薔薇の花吹雪が吹き去った直後、内包する呪いが消滅した人形たちが雨あられのように石畳へとボロボロと落下した。


「うぁあぁあぁああぁぁぁ……!」

「っ……!? いったいどうしたというの……?」


 耳を聾するカストレアの絶叫に、二人は顔を顰めながら彼女の方に目を向けた。


 刹那、漆黒の装いが霞むような速度で揺れ、ドラクとの間合い一瞬で飛ばす。


 そして黒の粒子を纏った拳がドラクを打ち抜いた。


 凄まじい一撃によって吹き飛んだドラクは民家の石壁の方向に吹き飛ぶ。


 しかし彼は激突の直前に壁と自身の間に茨を展開し、凄まじい衝撃を殺していた。


「くッ……!」


 なんとか咄嗟に交差した腕で防御したようだった。

 だがそれでも前側にあたる左腕が赤黒く腫れ上がっており、殴打の衝撃を物語っていた。


 ドラクが左の拳を強く握り込むと、腫れ上がっていた部分が徐々に再生していく。



「相変わらず再生速度が遅いようだね」



 声は、上空から降ってきた。


 耳朶を叩いた声音を認識した瞬間、ドラクとエルザは瞠目しながらも声がした方向へすぐさま顔を跳ね上げた。


 視線の先にいたのは漆黒の巨竜。

 ゆっくりと翼を羽ばたかせながら滞空し、こちらを睥睨している。


 よく見ると背中に細身の青年と年端もいかない少女を乗せており、声をかけてきたのは青年の方だと理解できた。


「ずいぶんと久しぶりだね、二人とも」


 竜の羽ばたきがもたらした突風で粒子が払われた。


 それによって空から星光が差し、青年の顔を照らし出した。


 青年は深淵の闇が形を成したような漆黒の髪を夜風に靡かせながら、薄く微笑んだ。


 彼は長めの前髪で片眼を隠した左右非対称の髪型をしており、露わになっている血を零したような深紅の瞳でドラクたちを見下ろしていた。


「あぁ……。十六年ぶりか?」


 【呪壊の魔刻】が脈動しているかのように右手が疼く。


 それを押さえるようにドラクは拳を強く握り込み、不敵な笑みを浮かべながら言葉を返した。



「……ヴラド・バートリー!!!」



 目の前にいる青年こそ、【十二血族議会】第六席バートリー家当主。


 【罪過ざいかの薔薇】を創り上げ、吸血鬼の貴族たちを虐殺した裏切りの同胞。


 ドラクとエルザが追い続けている吸血鬼だ。


「そうだね。あれからそんなに経ったのか……」

「あのとき貴方を討てていればと、この十六年間何度思ったことか……!」


 巨竜の背で自身の胸部を擦りながら口元を綻ばせるヴラドに、エルザは怒気を纏いながら三白眼で彼を睨み上げていた。


 吸血鬼の有力貴族の長たちが集まる【十二血族議会】が開かれたのが十六年前。


 十年に一度開催されるそれは、十二席に座する家々の持ち回りで開催場所が選定される。


 十六年前の議会はヴラドが家長を務めるバートリー家の屋敷で開かれ、集まった貴族が彼の策略によって虐殺された。


 【罪過の薔薇】を刺されて絶命したり、傀儡と化した者が半数近くだったが、ドラクたちも命からがら逃げ延びたため全員の安否は分からない。


 エルザが【罪過の薔薇】の呪いに打ち勝ち、その身に宿したばかりの【銀月の魔刻】の力を暴走させた。


 それによってバートリー家の屋敷もろともヴラドを再起不能にし、なんとか逃げ出すことが出来たのだ。


「吸血鬼での実験は幾度か繰り返してきたが、君の魔刻は別格だ」

「天使に祝福を受けた血統、ヴァンピール家の力があんな形で発現するとはね。【十二血族議会】第一席 ヴァンピール家の力は伊達じゃない」


「皮肉なことだけれど、貴方を倒すためにうってつけの力だったわ」


 ヴラドの言葉に冷え冷えとした声音を返したエルザは、右手を上方にかざしながら首元に【銀月の魔刻】を浮かび上がらせた。


 そして浄化の花吹雪を放つ直前——


「悪いけど今日の相手はボクじゃない」

「エルザ、避けろ!」


 余裕綽々なヴラドの声と、張り上げられたドラクの声が同時に響く。


 それにはっとしたエルザが横に目を向けると、拳を振り上げたカストレアが眼前にまで迫ってきていた。

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