第8話 新月の夜
エルザの案内に従い湖にやってきたドラクは周囲に気を張り巡らせ、人気が無いことを確認した。
「……覗くなよ?」
「はぁ……。浄化されたいの……?」
呆れたようにため息を吐いたエルザは、温度のない翡翠色の瞳でドラクを見下しながら【銀月の魔刻】を首元に浮かび上がらせた。
それよって白薔薇の花弁が彼女の周囲を旋回し始める。
「待った待ったうそうそ! 呪い持ちにお前の力は効き過ぎるから!」
後退りながら必死にエルザを宥めようするドラク。
そんな彼から視線を外して魔刻を納めたエルザは、太い木の幹の裏に腰を下ろした。
矛を収めた彼女にドラクは深いため息をつき、服を脱いで湖の水で竜の血を流し始めた。
「昨夜の人形、カストレアは魔刻持ちだと思う……?」
「……そうだなぁ。魔刻の力じゃなきゃ考えられない精度の呪物だったけど、彼女の様子から察するに無自覚だったよな」
魔刻が宿す力は個々人で千差万別だ。
その力でカストレアが呪いの人形を生み出しているのだろうが、彼女にはその自覚が無いように見えた。
魔刻を宿すことが出来るのは吸血鬼でさえ五割程度といったところで、【罪過の薔薇】の支配に打ち勝てる人間は一割にも満たない。
そんな強靱な精神を備えている者であれば魔刻の力を認知していないことなどあり得ないのだ。
「何かこれまでとは違う雰囲気があるな……。それも奴に直接繋がるような何かが……」
「【十二血族議会】第六席バートリー家当主。【罪過の薔薇】を創り上げ、貴族たちを虐殺した悪しき吸血鬼 ヴラド・バートリー……」
それがドラクたちの追っている因縁の相手の正体であった。
エルザの姿は木の幹に隠れて見えないが、ヴラドの名を口にした彼女が放つ氷刃のような気迫はドラクの元まで届いていた。
「さっき追ってた行商人の口からあいつの名前が出たよ。それに【災禍の女王】がなんとかって言ってたな……」
「っ……!」
ヴラドの名前を聞いたエルザは肩を揺らし、しかしすぐにもう一つの単語の意味を思案し始めたようだった。
「【災禍の女王】……? いったい何のことなの……」
木の幹の向こう側でエルザは神妙な表情を浮かべ、その言葉の意味を記憶の中から探っていた。
しかし彼女の中にもドラクの中にも【災禍の女王】なる単語に関する記憶は無く、現状ではその正体を解明することは能わなかった。
「ま、この事件を追ってけば分かるだろ」
竜の血を洗い流したドラクは湖から上がりながら、気楽な声音で思い詰めるエルザを諭した。
それから二人は宿屋に戻って今後の方針を話し合い、カストレアには行商人が人形を配っていたことを正直に話すことにした。
その上で【罪過の薔薇】のことは伏せ、かの行商人は街から去ったという嘘を交える方針となった。
加えて先日のようなイレギュラーも考えられるため、ドラクたちは夜半に街の様子を監視することにした。
日ごとに夜空に浮かぶ三日月の弦が細くなっていく。
【月代の魔人事件】が起こるとされている新月の夜まで——あと数日。
◆ ◆ ◆
「……っ!」
街外れの屋敷の庭先で、灰髪の少女ははっと目を覚ました。
顔以外の全身を包帯で覆った少女 カストレアは、周囲が外であることを理解して立ち上がった。
そして汚れた衣服を見下ろしながらため息を吐く。
「私、また……」
彼女は衣服の胸元をぎゅっと握り締め、困った表情を浮かべながら登り始めた朝日に視線を遣った。
「寝ている間に外に出てしまうなんて、病気ですよね……」
カストレアは昔から目が覚めたら寝室以外の場所だった、というようなことを時折経験していた。
いわゆる夢遊病というものなのだろう。
それに悩まされながらも手を替え品を替え、改善を試みてはいるものの悉く失敗していた。
屋敷の者たちがいなくなってからは頻度が減ってきていたのだが、ここに来てまた少しずつ再発しているように思える。
彼女は深いため息を吐きながら、屋敷の浴室へと向かっていった。
◆ ◆ ◆
ドラクたちが山海の中継地 ベルアレに来てから十日目。
昨夜まで夜天に浮かんでいた三日月はすっかり鳴りを潜めていた。
地上を淡く照らすのは黒蒼の空に鏤む星々のみである。
「住人の証言が正しければ今夜、【月代の魔人】が現れるのか」
「その魔人がヴラドに繋がる手がかりを持っているかもしれない……」
ドラクはベッドに寝転がりながら、エルザは窓際に立って壁に背中を預けながら窓の外に広がる夜空を見つめていた。
暢気に寝転がっているドラクとは対照的に、エルザは腕を組んで人差し指で何度も自身の二の腕を叩いて焦燥を露わにしていた。
「そんなに焦ったところですぐさま現れるとは限らないだろ。まだ日が落ちて間もないしな」
宿敵であるヴラド・バートリーにたどり着く手がかりかもしれない存在を前に、気が逸るのも理解できるが焦ったところで何も変わらない。
ドラクは窓枠の中の夜空から視線を外し、瞼をそっと閉じた。
◆ ◆ ◆
時計の針が直上を示す頃、ドラクとエルザは二人同時に街の異変を感じ取った。
「街の至る所で呪いの気配が突然沸いたな……」
「えぇ、それに外の様子が……」
窓から街の様子を窺っているエルザの隣に並んだドラクは、街のすべての建物から明かりが消えていることを見て取った。
この街に来てから似たような時間に外を眺めることは幾度かあったが、建物から明かりがすべて消えるようなことは一度も無かった。
明らかな異常事態である。
二人が街の異変に気付いたのは、肌を撫ぜる嫌な気配を敏感に感じ取ったためだ。
その気配はこれまで幾度となく経験してきた【罪過の薔薇】による呪いを根源としているものだったため間違えようが無い。
「呪いの気配が一斉に動き出した……? ドラク、外に出るわよ」
「はいよ」
そう言い残して窓から真上に跳躍したエルザを追い、ドラクは窓枠を掴んで逆上がりの要領で屋根まで跳び上がった。
「なに、これ……?」
先に宿屋の屋根に立って周囲を見渡していたエルザが、眼下に広がる光景に瞠目していた。
それもそのはず。漆黒の粒子が霧のように漂い始め、闇深い深夜の町中をさらに仄暗く演出していたのだ。
ドラクが自身の元にまで漂ってきた粒子に右手で触れると、極小の破砕音を伴ってそれが消滅した。
それはつまりこの粒子一粒一粒に微弱ながらも呪いが付与されているということだ。
「こんなもんを常人が吸い込んだらただじゃ済まないぞ……!」
「あれを見て」
ドラクが漆黒の粒子の正体を掴んでいる中、エルザは周囲の様子を探り続けていたらしく、眼下にとあるものを見つけた。
それは件の人形を抱きかかえた小さな子供たちであった。
彼ら彼女らはまるで魂が抜け落ちてしまったかのように虚ろな表情を浮かべ、それぞれの自宅から出てくるところだった。
「ッ……!?」
そして二人はさらに驚愕する。
子供たちに続いて現れた両親と思われる男女が、虚ろな表情ながらも小さく微笑み、彼らを見送っていたのだ。
これが早朝の光景であれば何の違和感も無く微笑ましいものだったろう。
しかし日が沈みきった真夜中、それも不気味な粒子が漂っている中で繰り広げられていることが狂気じみた茶番にしか見えなかった。
我が子を見送った両親は満足げに振り返り、家の中へと戻っていく。
真夜中に子供を外に放り出すという異常な行動が、眼下の光景の中では正常となっていた。
街の至る所でこの光景が繰り広げられていると考えると、二人の背筋に怖気が走る。
「あの人形をなんとかすれば……」
どこかに向かって彷徨する子供たちを救うため、屋根から飛び降りようとするエルザの肩をドラクが掴んで制止する。
「ダメだ。これが街の全域で起こってるんだとしたら、目につくとこにだけ手をつけても焼け石に水だ」
一度言葉を切ったドラクは視線を持ち上げて街の中央へと向けた。
そこにはひときわ高い時計塔が屹立しており、その周囲を漆黒の粒子が旋回してある種、台風の目のような状態になっていた。
「子供たちもあの時計塔の方角に向かっているみたいだ」
「……そうね。一刻も早く大元を絶たなければこの街の人たちが危ないわ」
ドラクの言葉で冷静さを取り戻したエルザは、街の中央の時計塔に視線を遣りながら凛と言い切った。
「元凶である【月代の魔人】が、間違いなくあそこにいる……!」
◆ ◆ ◆
同刻、夜天に聳える時計塔の上に、怪しい人影が立ち尽くしていた。
その人物はまるで喪服のような漆黒のドレスを夜風に靡かせながら、時計塔に集まりつつある子供たちを見下ろしていた。
ふと何かの気配を察知して顔を上げると、ドレスと同色の紗が風に吹かれて翻る。
その下には左眼だけが露わとなる特殊な仮面を被っていた。
露出している左眼は目映いほどの黄金で、月の無い夜の中でより際立って見える。
つまり、この人物こそ【月代の魔人】であるのだ。
魔人は二つの特殊な気配がする方角に金色の左眼を向け、小さく微笑んだ。
◆ ◆ ◆
「子供たちを集めて何をするつもりかは分からないけれど、一刻を争うかもしれないわ」
そう言ったエルザの身体から白い燐光が溢れた。
直後、その背に白薔薇の花弁が寄り集まって出来た一対の翼が出現する。
「掴まりなさい」
白翼を羽ばたかせて宿屋の屋根から浮かび上がった彼女は、自身を見上げるドラクに向けて手を差し伸べた。
夜天を背に白翼を広げる彼女の姿はまるで天使のようで、ドラクは一瞬言葉を失っていた。
しかしすぐに我を取り戻して差し出された手を取った。
それを確認したエルザが白翼が強く羽ばたかせると、まるで重力が弱まったかのように二人の身体がふわりと浮かび上がった。
「普通逆だよなぁ……」
美少女に運ばれる男の図を客観視して、ドラクはひとり小さく苦笑していた。
しかし陶磁器のように美しい細腕とは言え、エルザは吸血鬼だ。男一人を運ぶなど難なくこなしてしまう。
「適材適所よ。あなたに出来て私に出来ないことだってあるわ」
「子供への接し方とか?」
「……」
その発言にエルザは眼を細め、ドラクの手を掴んでいた右手をあっさりと放す。
「うおぁっ!」
しかし落下を始めようとしていた彼の手を、すぐさま左手で掴み上げた。
「おま、ホントに落とそうとするやつがあるか!」
「手が滑ったわ」
そんな茶番を繰り広げながら、二人は中央に屹立する時計塔へと一直線に向かっていった。
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