第7話 傀儡たち
木々が生い茂る森の中を凄まじい速度で駆けていく行商人。
そんな彼をドラクは樹上を跳躍することで追跡していた。
「なんつー速さだよ。まさかあいつ……!」
眼下の行商人は、吸血鬼のドラクの身体能力を持ってしても一息に追いつくことが出来ない。つまり普通の人間ではないということだ。
そう断じたドラクは加速のギアを一段階上げ、飛び移った木の幹を思い切り蹴りつけた。
鈍い音と共に接地した幹が軋み、身体が弾丸のように行商人の背に向かって跳躍する。
「ッ……!!」
それを察知した行商人は咄嗟に進行方向を転じて横に飛んだ。
ドラクの身体が着地した瞬間に地面を割り砕き、その余波で行商人の身体が大きく吹き飛ぶ。
生じた隙を見逃さなかったドラクが右手を地面に叩きつけると、彼の影から漆黒の茨が急激に生え伸びて行商人の身体を絡め取った。
「捕まえたぞ」
拘束された行商人に歩み寄っていくと彼の頭からシルクハットが落下し、その面貌を明らかにした。
「グルルルル……」
その顔は浮かび上がった黒薔薇の紋様で埋め尽くされており、白目部分が黒く染まり瞳孔は血を零したような紅となっていた。
それに加えて獣のような唸り声を上げており、常軌を逸した状態であることが見て取れた。
「クソッ! 【
罪過の薔薇を刺され、その呪いに耐えきれなかった者は制作者の命令に服従する傀儡となる。
目の前の行商人はその典型で、完全に魂を蝕まれて理性や知性を失っている。
呪いによって変質した血液は常人に化け物じみた身体能力や怪力を与えるため、ドラクとの追走劇を繰り広げられたことにも得心がいった。
「お前、何のために人形を配ってたんだ……?」
「……ヴラド、サマノ、ネガイ……」
「ッ……! あいつはこの街で何をしようとしてるんだ!?」
行商人の口から零れた人物の名に驚きながらも、どこか得心がいったような表情を浮かべるドラク。
ぶつ切れではあるが言語を発することの出来る行商人に対して、彼は矢継ぎ早に問いを重ねる。
この行商人にかけられた支配はそれほど強制力があるものではないのだろう。
「スベテハ……【サイカノジョオウ】、タンジョウ、ノ——」
『ガアァッッ!!』
「ッ……!?」
突然、耳をつんざくような咆哮が轟いたため、ドラクは何事かと思いそちらに視線を遣った。
するとそこには赤黒い鱗に覆われた巨大な竜が、顎を開いて火炎の弾丸を撃ち放ったところだった。
「くッ……!」
唐突に放たれた竜のブレスを回避するため、ドラクは咄嗟に後方へ飛び退く。
刹那、球形に圧縮された火炎が茨で拘束していた行商人を飲み込み、爆散して周囲の木々を薙ぎ倒した。
ドラクはその威力に瞠目する傍ら、行商人が跡形も無く消し飛んだことに歯噛みしていた。
【罪過の薔薇】の呪いに魂を侵蝕された人間が助かることはまずない。
しかし過去に救うことが出来た例は僅かにあり、エルザの【
だがそんな悔恨を思考の隅に追いやり、ドラクは火球を放った赤鱗の竜に向き直って右拳を握り込んだ。するとその腕に黒薔薇の魔刻が広がる。
「こんな街の近くに竜が隠れてたなんてな……」
この竜は行商人の護衛、もしくは口封じのために同行していたのだろう。
見たところこの竜も【罪過の薔薇】に侵されているらしいが経験上、人間や亜人以外はその呪いを解くことが出来ない。
そう判断したドラクは魔刻が浮かぶ右腕を横に薙ぎ、自身の影の上に手の平をかざした。
すると彼の影が蠢き、腕に広がっているものと同じ黒薔薇の模様へと変化した。
そこから一振りの剣が出現し、その柄を掴み取って一息に引き抜いた。
「来い……!」
それは逆十字を思わせる長剣で、光を一切反射しない漆黒であった。
ドラクがそれを横薙ぎにして臨戦態勢に入ると、右腕から黒い靄が発生して剣身に纏わり付いた。
「こんな街の近くじゃ騒ぎになる。さっさと終わらせるぞ……!」
吸血鬼は様々な権能を備えており、不老不死や凄まじい身体能力を有している。
その中に影を操り物質を創り出すというものもある。
今ドラクの手中にある黒の長剣も吸血鬼由来の力による産物だ。
『ガアァァァッ!!』
漆黒の剣が放つ禍々しさに当てられたように赤鱗の竜が咆哮し、翼を羽ばたかせて上昇。
一定の高さに浮上した直後、ドラクに向かって滑空しながら突っ込んできた。
その口腔には再び火炎が装填されている。
赤鱗の竜はドラクに迫りながら、赤々とした火球を放ってきた。
視界を埋め尽くすほどのそれに動じること無く、ドラクは握った漆黒の剣を振り上げた。
瞬間、刀身が纏っていた黒い靄が斬撃と化して火球を両断。
その勢いのまま空を駆る竜の右翼の皮膜を切り裂いた。
それによって体勢を崩した赤鱗の竜は左の翼を羽ばたかせてなんとかバランスを取り、巨爪をドラクの元に叩きつけた。
『グオッ!?』
しかし赤鱗の竜が打ち砕いた場所にドラクの姿は無く、両断された火球の火炎によって左右の草むらが燃え盛っているのみであった。
「どこ見てんだ?」
ドラクの姿を探して竜が長い首を左右に振っている最中、彼の声が上空から届いた。
竜が咄嗟にそちらを振り仰ぐと、跳躍したドラクが剣を構えていた。
「俺がその呪縛から、解放してやる!」
ドラクは漆黒の剣を逆手に持ち替え、落下と共に竜の背に深々と突き立てた。
直後、その巨体に見合った血潮が吹き出してドラクの肩や頬を赤々と濡らした。
『ギャオォォォォ!!』
赤鱗の竜がけたたましい叫び声を轟かせた瞬間、突き刺した剣が脈動した。
そして今にも暴れ出しそうだった竜がピタリと動きを止め、磁器が砕け散るように全身に浮き上がっていた黒薔薇の紋様が消失した。
それに伴い魂が抜け落ちたようにずしんと赤鱗の竜が頽れる。
その身体からは漆黒の粒子が立ち上っており、呪いが破壊されたことを物語っていた。
「悪いな、吸血鬼たちの争いに巻き込んで……」
【罪過の薔薇】による支配から解放された赤鱗の竜を見つめながら、ドラクは漆黒の剣を自身の影に落とした。
それが影と完全に同化した直後、彼の元に白薔薇の花吹雪が吹き荒れた。
それは倒れ伏す竜を飲み込み、小さく発光した後に周囲へ散って跡形も無く消え去った。
「まさかこんなところに竜がいたなんてね」
ドラクの横に立ったのは遅れて現れたエルザであった。
彼が倒した竜の亡骸は彼女の力によって浄化され、光の花弁と化して消滅した。
攻撃の爪痕はあれど、もうそこに竜が存在していた気配など跡形も無かった。
「エルザ……ってお前、なんかやつれた?」
「……うるさい。あなただって血まみれよ」
赤鱗の竜の消滅を見送ったドラクが隣に目を向けると、そこに立つエルザはかなり疲弊しているように見えた。
それはひとえに慣れない子供の相手をしてきたからであろうことは想像に難くない。
苦笑を噛み殺したドラクに対して、エルザも反撃とばかりに忠告した。
彼は竜に剣を突き立てた瞬間に溢れだした血を浴びていたのだ。
「結構派手にやったようだから、すぐに街の人が集まってくるわ。行きましょう」
かなり出遅れてドラクの後を追ってきたエルザは、爆音や咆哮によって彼が戦闘を行っている場所を判別したのだ。
いくら吸血鬼の耳が良いといっても、あれほどの大音であれば街の住人にも聞こえている可能性が高い。
「そうだな。あ~でも、こんなに血まみれだと街に戻るのは……」
「この先に小さな湖があるわ。そこなら人目につかずに身を清められるはずよ」
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