第6話 銀月の魔刻

 遙か昔の追憶から目覚めたドラクは、昨夜の騒動から一夜明けた今日、エルザと共にカストレアの屋敷に訪れていた。


 その手には昨日、追走劇を演じた人形が握られている。


 ドアノッカーを叩いてからしばし、ドラクは手元の人形に目線を落としながら昨夜のことを思い返していた。


 人形を無力化した後、ドラクたちは宿屋に戻って状況を説明した。

 しかし本当のことを隠しつつだ。


 宿屋の者たちには痕跡が街の北東にある森に続いていて、それ以上の追跡は困難だったと説明した。


 被害者の傷跡の大きさから適当な動物をでっち上げるのも不可能であったため、捕獲できなかったことにするのが無難であったのだ。


 被害者の女性も一命を取り留め目を覚ましたらしい。


 多量の失血によって襲われた時の記憶が混濁しているようで、犯人が人形であることは覚えていないようだった。


 そんな思案の海に潜っていたドラクは、扉ががちゃりと開かれた音によって現実に引き戻される。



「あ、昨日の……」

「こんにちは。連日申し訳ありません、昨夜少し街の方で事件がありまして……」


 何やら少し疲れたような表情をしているカストレアに謝罪しつつ、手早く用件を伝えるためエルザは昨晩起こった事件の概要を掻い摘まんで説明した。


「これ、君の作った人形に似てるけど、どう?」


 そしてあえて戯けたように問いかけながら、ドラクは人形を差し出した。

 それを見たカストレアは瞳を震わせながら人形を受け取る。


「ま、間違いありません……。これは私が作った人形です……」


 カストレアは肩を震わせながら手中の人形に目を落とした。

 その瞳には困惑の念が渦巻いているように見える。


「けれど、どうしてこれが町に……」

「例の行商人とはどのような契約を?」


 カストレアの当然の疑問に、エルザは昨日彼女から聞いた行商人について問い返した。


「売るときは曰く付きであることを説明して、それでも買っていただける蒐集家の方などに売ること。この町では絶対に売らないこと。その二つを条件に買い付けてもらっていました……」


 カストレアは左腕に巻かれた包帯を擦りながら、不安そうな表情で説明する。


「見えてきたな。その行商人から買い付けた布とかはあるかい? 比較的新しく仕入れたものだとありがたいんだけど」

「布、ですか……? 今朝加工して余った切れ端なら隣の部屋にありますね。少し待っててください」


 その言に不思議そうな表情を浮かべるカストレアだったが、すぐに思い当たったように身を翻して隣室へと駆けていった。


「布なんて何に……。なるほどね」


 エルザは怪訝な顔でドラクに向き直ると、彼は自身の鼻先を指さしていた。


 布にはこの屋敷に運び込まれて来るまでに、その行商人の匂いが間違いなくついているはず。


 人間には感じ取れなくとも、吸血鬼であるドラクたちであれば追跡することが可能となるだろう。


「こちらでよろしいですか?」

「あぁ、しばらくの間借りててもいいかい?」

「それは構いませんが、そんな布を何に……?」

「ちょっとした調べ物に。連日邪魔して悪かったね」


 ドラクは受け取った青布の切れ端をひらひらさせながら、街の方角へ身を翻した。

 エルザはため息を吐いた後に一礼し、彼の後を追っていった。


「ドラクさんにエルザさん。あのお二人はいったい何者なのでしょうか……?」


 屋敷から去って行く二人の背を眺めながら、カストレアは小さく首を傾げた。




 カストレアの屋敷を後にした二人は木製のベンチに腰掛け、子供たちを集めて行われている人形劇を遠巻きに眺めていた。


 それを上演しているのはシルクハットを被った紳士である。


「まさかこんな簡単に容疑者が見つかるとは……。てか白昼堂々街の中にいるとか、大胆すぎんだろ」


 今二人がいるのは街の北東に位置する公園で、子供たちの遊び場であるそこで人形劇が行われているのだ。


 それを執り行っている行商人は三十代半ばの優しげな紳士といった印象で、子供たちも楽しそうにしている。


 カストレアは街に降りることはまず無いらしいため、約束を反故にしたところで発覚さえしないのだ。


 そうこうしている内に人形劇が終了したようで、行商人が子供たちに可愛らしい人形を配り始めた。


「あ~、やっぱ配ってんのか……。あれ全部呪い持ちの人形だろ? このまま放っておくことはできねぇな……」

「えぇ、ここは私がやるわ」


 エルザはベンチから立ち上がり、右手を前に差し出した。


 すると彼女の首元から右頬にかけてに、淡く煌めく白薔薇の紋様が広がった。


 瞬間、周囲にどこからともなく白薔薇の花弁が発生し、エルザの周囲を旋回し始めた。


 その美しい光景が子供たちの目を奪い、白薔薇の花吹雪は彼らの元に吹き付ける。


「わぁ……!」

「すごぉい!」


 白薔薇の花弁は彼らの間をすり抜けていく際に一瞬だけ人形に触れ、淡い白光を放って消滅する。


 その神々しい光景に、子供たちの眼は釘付けとなっていた。


「万物を浄化する【銀月ぎんげつ魔刻まこく】、いつ見ても綺麗なもんだな。……壊すだけの俺とは大違いだ」


 エルザの身に刻まれた魔刻の力は『浄化』。


 怪我や呪いなどの、生きとし生けるものを死に至らしめる事象を癒やす力だ。

 加えて呪いに対しては矛と成り得る力でもある。


 昨夜、被害者の命を繋いだのもこの力による応急処置のたまものだ。


 人形の凶爪による傷は非常に深く、人間の医師では手の施しようも無かったものだったが、エルザの力であれば容易く治療することが出来た。


 本来エルザの力は昨夜の被害者程度の傷であれば、一瞬で完治させるほどの効力を有している。


 だが多数の目撃者の前で血溜まりに沈んでいた被害者を目覚めさせるのは得策とは言えなかった。


 そのため人間の医者に対応できる程度の治癒に留め、宿屋の従業員に後を任せたのだ。


「欲しくて得た力ではないけれどね……」


 その言葉に儚げな表情で振り返ったエルザの横顔からは、白薔薇の紋様が引いていくところだった。


 ドラクが絞り出すように付け足した言葉は聞こえていなかったのか、彼女は視線を前方に戻してはっと肩を揺らした。


「奴がいないわ!」


「匂いが森に続いている……。追うぞ!」

「えぇ! ……ってな、なに!?」


 駆け出したドラクに追随しようとしたエルザだったが、いつの間にか眼を輝かせた子供たちに囲まれて身動きがとれない状態となっていた。


「さっきのすごくきれいだった! もう一回やって!」

「おねーちゃん、まほーつかいさんなの!?」


 先ほどエルザが行使した【銀月の魔刻】の力は、見る者から言葉を奪うほど美しい光景を生み出す。


 それを目にしたのが子供であればその感動もひとしおだったのだろう。


「ちょっ、まっ……」


 子供たちに詰め寄られて質問攻めに合うエルザは、しどろもどろになって目を回している。


 森の入り口に差し掛かった辺りで、ドラクはようやく彼女が足止めを食らっていることに気が付いた。


「あ~……悪い、エルザ! すぐ片付けてくるからちょっと待っててくれ」


 行商人を追い始めていたドラクは、振り返った先で足を止めている(止められている)エルザの困惑具合に苦笑していた。


 しかし子供たちをあしらう時間を惜しみ、彼女を置いて追跡を再開した。

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