第5話 主と眷属

「…………?」


 ドラクが目を覚ますと、そこにはたくさんの白薔薇が飾られた現実味のない部屋が広がっていた。


 身体を起こしながら思考して、ここが死後の世界かと想像する。


 しかし自身の中にある最後の記憶を思い返してみると、どうやら自分は生き延びたのだろう。


 だがあの少女との邂逅自体が死に瀕したドラクの見た幻影であれば、間違いなく自分は死んでいるのではないか。


 しかしその思考は部屋に入ってきた少女の声によって掻き消える。


「ようやく目を覚ましたのね」


 その声の主はドラクの記憶の最後に登場した白銀の髪の少女だった。


 彼女は凛とした足取りで、ドラクが座るベッドへと歩み寄ってきた。


「私はエルゼベート・ヴァンピール。【十二血族議会】第一席であるヴァンピール家の当主よ」


 自身の身の上を語った銀髪の少女、改めエルゼベートの言葉に、ドラクは頭の上に疑問符を浮かべた。


「分からないのも無理はないわね……。簡単に言えば、私は吸血鬼の貴族。貴方たち騎士が滅ぼそうとしていた者よ」

「……まぁ、そうだろうな」


 エルザの告白に驚くことがなかったドラクは、彼女が吸血鬼であることを一目見たときから察していた。


 あの古城のテラスに何の武装もせずにいたことから、吸血鬼側の者なのだろう、と。


 加えてドラクは彼女の手によって、自分が吸血鬼になったということも理解していた。


 腹を裂かれ、左腕を切り落とされ、風前の灯火だった命がこうして繋がっている。


 そして自身の身体を見下ろしてみても、怪我なんて初めからなかったかのように傷跡一つないのだ。


「あれからどれくらい経ったんだ? それに、俺の仲間たちはどうなった……?」


 恐る恐る、否、結果は分かっているといったような表情で問いかけたドラクに、エルゼベートは事実を伝えた。


「あの夜から一ヶ月。貴方の仲間たちは全滅……いいえ、貴方の属していた国自体が滅びたわ……」


「ッッ……!!」


 予想していたよりも壮絶な顛末に、ドラク言葉を失った。


 しかし侵攻作戦に向かわせた王国の精鋭が全滅したのなら吸血鬼に対抗する術がなくなり、滅亡を免れることが出来なかったのだろう。


「そう、か……。それで俺は、吸血鬼になったんだろ……?」

「……えぇ」


 エルゼベートはその問いに重々しく頷く。


「貴方は私の眷属として、人間から吸血鬼へと魂の形が変容した。故にこれからは人の血を糧にして、夜を生きることになる」


 覚悟はしていたがエルゼベートの口から事実を聞くと、ようやくその実感が湧いてきた。


「なんで俺を吸血鬼にしたんだ……? あ、いや、俺がお前の問いかけに応じたのは何となく覚える」

「けど、吸血鬼を殺しに来た俺なんかを、どうして……」


「……明確な理由はないわ。けれど、貴方はどこか他の人間とは違うように思えたから……」


 目を伏せながら曖昧な答えを返すエルゼベートに、ドラクはふっと笑った。


 その反応に彼女はどこか不服そうな表情を浮かべる。


「仕方ないじゃない。あの時、貴方をここで死なせてはいけないと思ってしまっただけなのだから……」


「そう、だよな……。行動すべてに理由がある奴なんてそうそういない。俺だって死に体であの場所に行こうと思ったのは気まぐれだし、登り切れたのは奇蹟としか言いようがない」

「気の迷いでもなんでも、命を繋がれたなら、生きるだけだ」


 ドラクは失っていたはずの左手で握り拳を作り、それをすぐさま緩めた。


「それに、お前だって明らかに他の吸血鬼とは違う気がする。人間と敵対しようなんて思ってないんじゃないのか?」

「っ……! えぇ、そうよ。吸血鬼も一枚岩ではないの」


 心の中を読まれたようで驚いたエルゼベートは、しかし正直に自分の立場を明かし始めた。


「さっき言った【十二血族議会】というものは吸血鬼の貴族十二家から成る最高決定機関。そこでの決定が吸血鬼の今後を左右する重要な機関なの」


 エルゼベートの言葉に、顎に手を遣りながら小さく頷くドラク。そんな彼を横目に彼女は説明を続ける。


「吸血鬼の勢力は大別して三つあり、人間を好きなだけ糧とする過激派、人間との共生を望む穏健派、そしてそのどちらにも属さない中立派」

「私が当主を務めるヴァンピール家はこの中の穏健派に当たるわ」


「なるほどな……。けどそんな吸血鬼は少ないんじゃないのか?」


「その通りよ。穏健派に属しているのはヴァンピール家と、ウォーレイ家の二つだけ」

「加えて中立派が二家あるけれど、こちら側に付いてくれる気配は今のところない」


 説明しながら目を伏せたエルゼベートだったが、彼女はすぐさま顔を上げてドラクへと真っ直ぐな視線を向ける。


「私はいつか吸血鬼全体を穏健派にして、人間たちと共生出来る世界を作りたいと思っている。人間側の心理的な壁を取り払う必要もあるし、まずもって過激派たちを説得することが至難の業……」

「それでもいつか叶えなければならない。そうじゃないと吸血鬼は——」



「滅びる。そうだろ?」



「!?」


 エルゼベートの言葉にかぶせる形で断言したドラクに、彼女はどうして分かったのかと眼で問うた。それに対し、ドラクは肩を竦めながら答えた。


「糧である人間を好きなだけ食っていたらいつか絶滅するし、人間の滅亡は吸血鬼の滅亡にも直結する。だからお前は穏健派として共生の道を理想としているんだろ?」


「貴方、察しが良すぎるわね。いったい何者なのかしら……」


 ドラクの頭の回転の速さに瞠目したエルゼベートは、顎に手を当てながら彼を見つめた。


 そんな彼女にいたずらな笑みを返したドラクは自慢げに語る。


「こう見えても王族だったからな、そういう駆け引きには慣れてるんだ」


 そこでふと思い立ったかのようにドラクは手を叩いた。


「ってそういえば名乗ってさえいなかったな。俺は……あれ? 俺の名前は……」


 しかし自分の名前が思い出せず、その顔に焦燥を浮かべ始めた。そんな彼にエルゼベートは真剣な表情で助け船を出す。


「それが吸血鬼となる代償よ……。人間であった時の名が失われ、眷属としての新たな名を授けられる」

「いずれ人間だった記憶も薄れ、吸血鬼として永久に近い時を生きることとなるわ……」


「そういうことか……。まぁ、何の代償も無しに吸血鬼になんてなれないよな」

「人間としての俺はお前が助けてくれなければあの夜に間違いなく死んでたんだ。吸血鬼としての生を始めるのなら、名前くらい変わって当然だ」


 ショックを受けた様子のドラクだったが、彼はすぐに立ち直ってエルゼベートに笑みを向けてきた。


「やけに前向きなのね……。唐突に眷属にされて、これまでとはまったく異なる生き方をしなければならないというのに……」


「まぁ不安がないと言えば嘘になるが、後悔したって仕方ないだろ。というか俺は吸血鬼にならなければあの場で死んでたんなら、こうなったことに後悔なんてあるわけない」

「そう思った方が気楽だろ、エルゼベート?」


「……そう、ね」


 エルゼベートは小さく頷いた後、ドラクの群青色の双眸をじっと見つめた。


 美しい翡翠色の瞳に射貫かれた彼は身を硬直させ、何事かと視線で問うた。



「——エルザ」



「は?」


「エルゼベートは長いし堅苦しいから、エルザでいいわ。近しい者にはそう呼ばせているの」

「近しいってお前、まだ大してお互いのこと知らないだろ」


 エルゼベートは自分のことをエルザと呼ぶようドラクに言い聞かせた。


 それに対して怪訝な表情を浮かべたドラクに、彼女は説明を付け加える。


「貴方は私にとって唯一の眷属なのよ。最も近しい存在といっても過言ではない。そうでしょう、ドラク」

「……? ドラク?」


 そして彼女の口から零れた単語に、彼は首を傾げた。


「貴方の新しい名前よ。ドラク・ルガド。どうかしら?」

「ドラク……ルガド……」


 エルゼベート、もといエルザが名付けた新たな名前を口内で咀嚼した彼は、口角を持ち上げた。そして彼女に笑みを向ける。


「あぁ、気に入った。今日から俺はドラク・ルガドだ。よろしくな、エルザ」


 ドラクはベッドから降りてエルザの前に跪き、彼女の手を取った。


「ちょっ、何してっ……!」

「眷属になるってこういうことじゃないのか? まぁ形式だけでもやらせてくれ」


 エルザの反応に意外といったような反応を示したドラクだったが、ここまで来て引き下がれないとそのまま彼女の手の甲に口づけをした。


「俺の命はお前のものだ。お前のために俺は生きるよ」


 長い口づけの後、ドラクは瞼を閉じたまま宣言した。


 対するエルザは狼狽を引っ込ませ、小さな笑みを浮かべてそれに返答する。


「……えぇ。私の剣になってちょうだい、ドラク・ルガド」




 こうしてとある大国に属していた王族の青年はドラク・ルガドとして、エルゼベート・ヴァンピールの眷属となった。


 この数奇な巡り合わせから、吸血鬼と人間の共存という目的を果たすため、眷属であるドラクと主のエルザは共に奮闘していくこととなったのだ。

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