第4話 遠き昔日の月夜

 その日の晩、ドラクは昔日の夢を見ていた。


 民家の屋根から遠目に眺めた、月光と星々に照らされたカストレアの屋敷に遠い日の光景が重なったためだろう。




 今より百年以上も昔のこと。とある大国の王族として生まれたドラクは、王国騎士団に入団して剣術を磨いていた。


 彼には人間としての本来の名があったが、それは吸血鬼の眷属として魂が変容した際に失われた。故に現在はかつての名前を思い出すことは無い。

 

 本来であれば王族が騎士団に入ることなど無いのだが、兄弟が多く長兄が圧倒的な王の資質を有していたため、三男以降は比較的自由に生きることを許されていた。

 

 そのためドラクは民を守る剣として王国騎士団に入団したのだった。


 ドラクの剣の適正はかなりのもので、入団から最速で部隊長にまで成り上がった。


 そんな中、周辺の村落で住民が吸血鬼に惨殺される事件が頻発するようになる。


 その調査が王国騎士団に下され、彼らは度々吸血鬼と交戦しながらその根城を発見するに至った。


 それは山中に聳え立つ、遥か昔に廃棄された古城であった。


 そこには吸血鬼の貴族たちが巣食っており、彼らが王国周辺の人間狩りを行っていたのだ。


 騎士団の装備を整え、傭兵を雇い、入念な準備を重ねた彼らはある満月の夜、その古城への侵攻作戦を実行に移した。


 その中の一部隊を率いて、ドラクも作戦に参加していた。


 情報源として捉えていた吸血鬼に吐かせた情報から、その月夜に古城で晩餐会が開かれるとのことだった。


 晩餐会には城の主である一族が一堂に会しているらしい。


 それを裏付けるように古城の周囲の森に吸血鬼たちの影はなく、入り口まで交戦することなくたどり着くことが出来た。


 しかし古城に進行する直前、どこに隠れていたのか周囲の樹上から吸血鬼の集団が現れ、騎士団と傭兵たちに襲い掛かってきた。


 それによって乱戦状態で古城に踏み入るしかなくなった彼らは、吸血鬼たちに追いやられ散り散りになっていった。


 明かりの灯されていない古城内部では夜目が効き、城の作りを熟知した吸血鬼とまともに戦闘することが出来ず、騎士団たちは次々に殺されていった。


 そんな中、ドラクは部隊から孤立して吸血鬼と戦っており、もう数人は斬り伏せていた。


 しかし血を飛ばされたことで視界を奪われ、その瞬間に腹部を凶悪な爪で斬り裂かれてしまう。


 さらに追い打ちをかけるように左手を斬り落とされるものの、ドラクは感覚だけを頼りにその吸血鬼の首を落とした。


 周囲の吸血鬼たちをすべて屠ったドラクだったが、彼は左腕を失ってしまった。


 そのうえ腹部には重度の裂傷。


 しかし不思議と痛みはなく、傷が燃えるように熱いと感じるだけであった。


 吸血鬼の血が入った瞳を擦ると、赤く色付いていた視界が段々と正常に戻っていく。


 しかしすぐにその視界が歪み、ドラクは地面に倒れ伏してしまう。


 自分の身体から命が溢れ出していることを知覚しながらも、彼はそれをどこか他人事のように感じていた。


 こんなに暗く冷たい場所で生を終えることなど考えてもいなかったドラクは、深く息を吐いて諦めるように瞼を閉じた。



「ラ——♪」



「…………?」


 しかしどこからか美しく耳心地の良い、しかし感情に乏しい寂しげな歌声が聴こえてきたことで、ドラクの消えかけていた意識が現実に引き戻される。


 彼は重い身体を持ち上げて歌声の出所を探り、それが階段の先に続く屋上テラスだということが分かった。


 握力さえ失い始めたドラクは階段を上り始める際に剣を取り落とし、しかし朦朧とする意識の中で歩を進め続ける。


 斬り落とされた左腕の傷口が石壁に赤い線を描きながら、彼は少しずつ上階に登ってった。


「ぁ……」

「誰……?」


 死に体のドラクの体感ではあるがとてつもなく長い階段を上り終えた先で、彼は一人の少女と出会った。


 その少女は眩いほどの白銀の髪を夜風になびかせながら、ドラクの方に振り返った。


 青白い満月と煌く星々を背景に、彼女は宝石の如く美しい翡翠色の瞳で壁にもたれかかる彼をじっと見つめていた。


「……その傷ではもう、助からないわね」


 ドラクの惨状を冷静に分析した彼女は、冷徹に言い放った。

 

 そんな彼女の瞳は揺らいでおり、どこか悔しそうにも見えた。


 何かを思い悩み、しかしそれを諦めたような彼女はドラクから視線を切ってそっと目を伏せた。


 青白く光る満月を背に、夜空に鏤む星々に飾られた彼女の姿はドラクの心からたった一つを残してすべての感情を忘れさせた。


「綺麗、だな……」


 ドラクの霞む視界の中に納まる彼女は、どれだけ言葉を尽くしてもその美しさを語ることのできない絵画のようだ。


 それゆえにたった一言、彼の口から零れた言葉がすべてであった。


「なにをっ……!」


 目を伏せていた彼女は、眼下で死にかけているドラクが発した言葉に驚きを隠せなかった。


 自分が死にゆく中で、どうしてそんなどうでも良いことを口にできるのか。


 彼女はそう思いながら、朦朧とした表情の彼に視線を戻した。


「怖かったんだ……。暗くて冷たい場所で、誰にも看取られず、孤独に死んでいくことが……。けど、歌声が、俺をこの場所に導いてくれた……」


 壁に寄りかかっていたドラクはついに脚からも力が失われたのか、壁に血の縦線を伸ばしながら地面にへたり込み、訥々と言葉を紡いでいく。


「月が煌々と輝き、星々が瞬いていて……ちっぽけな俺の最期を照らしてくれる……。そして女神のように美しい君に、看取られるのなら……もう怖くない……」


 群青色の双眸から徐々に光を失っていくドラクの元に、白銀の髪の少女がゆっくりと歩み寄る。


 そして眼下のドラクに問いかけた。


 たった一言の単純な、けれど彼の運命を決定付ける問いを。


「生きたい……?」

「……?」


 生気を失った瞳で彼女を見上げたドラクは首を傾げた。そんな彼に痺れを切らしたエルザは少しだけ声を荒げる。


「人間じゃなくなったとしても、生き続けたいかと聞いているの……!」


 その言葉が意味するところを理解したドラクは目を見開き、唇を噛み締める。


 そして朦朧とした意識のまま、ほんの小さく頷いた。


 彼の意志を聞き届けた銀髪の少女は自身の手首に鋭い爪を突き立て、一気に切り裂いた。


 そこから紅玉の如き鮮血が溢れ出し、テラスの石畳を赤く染める。


「口を開けなさい」


 銀髪の少女を仰ぎ見ながら、言われるがままに口を開く。


 震えながら上唇と下唇を離すとさきほど噛み締めたためか、ドラクの口内には血が滲んでいた。


 そして彼女はドラクの頭上に手をかざし、手首から溢れる鮮血を細い指先へと垂らした。


 まるで初雪のように真っ白な彼女の指先を赤き血潮が流れていく様は、どこか背徳感さえ感じるほど美しかった。


 それはまるで王女が騎士に剣を下賜する一場面のような神聖さを纏っている。


 そんな光景をぼーっと眺めていたドラクの口腔に彼女の血が一滴、ぽたりと落下した。


 直後、口内を鉄錆の味が埋め尽くし、彼は顔を顰める。


「飲み込んで……!」


 しかし銀髪の少女の声に驚き、舌の上の血をごくりと飲み下した。


 刹那、ドラクの全身に雷が落ちたような衝撃が走った。


 次いで身体の中心が燃えるように熱くなり、それが末端へと広がっていく。


「ぐ、あぁぁぁぁ……!!」


 その熱が左腕と腹部の傷に達した瞬間、ドラクは絶叫した。


 傷を受けた時の比ではない壮絶な痛みが迸り、彼は石畳をのたうち回る。


 しかし当人にとっては無限にも思えるような痛苦は、傍から見ればほんの数秒のことだった。


「あ……ぁ……」


 壮絶な激痛が収まったドラクはうつ伏せの状態で動かなくなった。


 しかし彼の腹部の傷と、階下で斬り落とされた左腕は完全に再生している。


「ようこそ、吸血鬼の世界へ……」


 うつ伏せのまま石畳に顎をついて必死に銀髪の少女を見上げるドラクに、彼女は淡々と告げた。


 それを最後に、この月夜のドラクの記憶は途切れている。

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