第3話 人形

「彼女、どう思う?」


 カストレアの屋敷を後にした二人は街で食料などを調達し、宿の一室に戻った頃には周囲に夜の帳が降りていた。

 

 隣り合うベッドにそれぞれ腰掛けながら、彼らはカストレアについて言葉を交わす。


 ドラクの問いかけに対し、一瞬だけ足下の床に目線を落としたエルザはすぐに返答する。


「……十中八九呪い持ちだと思うわ。けれどそれが【罪過ざいか薔薇ばら】によるものかは分からない……」


 街の住人からの評判、カストレア本人から聞いた過去、そして何より会ってみて感じた彼女が内に秘める禍々しい気配がその裏付けだった。


 エルザの推測を聞いたドラクは花瓶に挿されている花々を一瞥した後、窓の外の夜空に浮かぶ三日月に視線を移した。


 【罪過の薔薇】とは、とある吸血鬼によって創造された悪しき呪物だ。

 内包されている呪いは刺された者の血を変質させ、その身に呪い由来の特殊な力を与える。そして刺された部位に薔薇柄の刻印【魔刻まこく】が刻まれる。


 しかし誰もがその力を獲得できる訳ではない。

 影の如き漆黒の薔薇は突き刺された者の血を吸い上げ、おどろおどろしい深紅に染まる。


 その際一度花弁を経由することで花の宿す呪いが血液に混交されて全身に行き渡り、それが身体に馴染むことが力の獲得に至る仕組みだ。

 しかし呪われた血の循環はその者に想像を絶する激痛を強いるのだ。


 それはまるで体内の血液が一斉に沸騰し、内側から鋭利な針で突き刺され続けるような壮絶な痛みだ。

 その耐えがたい激痛が、変質した血が全身に行き渡るまで続く。


 永劫のように感じられる痛苦の時間は、まるで魂を陵辱されているようなおぞましい感覚に陥ってしまうほどだ。


 そして痛みに耐えられず魂を蝕まれた者は呪われた血に支配される。

 そして体内に呪いの茨が生え伸び、【罪過の薔薇】の持ち主の傀儡と化してしまうのだ。


「アレの影響であれば、身体のどこかに薔薇の刻印が浮かび上がるはずなんだが……彼女、全身を包帯で覆ってたよなぁ……。それに服の下であれば確認のしようがねぇ」


 ドラクは後頭部を掻きながら声を上げ、お手上げというように両手を上げてベッドに寝転んだ。


「事件が起こるとされている新月の夜は数日後。もう少し待って——」



「きゃぁぁぁぁ!!」



「「!!??」」


 その絶叫は宿の階下から突き抜けるように聞こえてきた。


 咄嗟に視線を交錯させたドラクとエルザは、どちらともなく部屋を飛び出して階段を駆け下りていった。




 五階から下りてきたドラクたちは、三階の角部屋の前に人だかりが出来ていることに気が付きそちらに向かった。


 人混みをかき分け、扉が開け放たれた部屋の前で腰を抜かした女性従業員を見つける。


 ドラクはその女性に駆け寄り、背中を擦りながら問いかけた。


「いったい何があったんだい?」

「あ、あれ……」


 ドラクに背中をさすられて少し落ち着いたのか、女性従業員は真っ青な顔で扉が開け放たれた部屋の中を指さした。


「ッ……!」


 その先には窓から差し込む月明かりに照らされ、自身のものと思われる血だまりの中に倒れ伏す女性が見て取れた。

 エルザは咄嗟にその女性に駆け寄り、周囲を警戒しながらしゃがみ込んで彼女の容態を確認した。


「ゆっくりで良い。発見直前に何があったか教えてくれるかな?」

「は、はい……。私が廊下の掃除をしているときに、この部屋の中から物音とともに何かが割れる音がしたんです……」


 ドラクの柔らかな語り口調に応えるように、従業員の女性は訥々と語り始めた。


「お客様が花瓶などを割ってしまったのかと思い、ノックして訪ねたんですが返事が無く……」


 徐々にではあるが息を整え語りながら、女性従業員は顔に血色を取り戻していく。


「扉に手をかけてみると施錠されていなかったので、お客様の安全を確認するため失礼ながら入らせていただこうかと思ったんです……。そうしたらお客様が……!!」


「ありがとう、つらいものを見てしまったね。ここからは俺たちがなんとかするよ」


 発見時の衝撃を思い出してしまったのか、従業員の女性は顔を覆って泣き出してしまった。

 説明してくれたことに労いの言葉を贈り、ドラクは被害者の容態を看ていたエルザの方に歩み寄る。


「でもお客様にそんなことをさせるわけには……!」

「構わないよ。こういうことには慣れているからね」


 振り返って従業員の女性に笑みを向けたドラクは、すぐにそれを消してしゃがみ込んでいるエルザに視線を向けた。


「エルザ、間に合いそうか?」

「えぇ、応急処置はしたから一命は取り留めたわ」


 その問いかけに被害者の女性を見つめながら答えたエルザは、ゆっくりと立ち上がってドラクに耳打ちをした。


「この部屋に呪いの残滓があるわ。それに血の匂いが窓から外に続いている……」


 エルザの視線を追ったドラクは、窓に人間の頭程度の大きさの穴が開いていることを見て取った。


 そこから血臭が続いているということは、被害者を襲った『何か』がそこから逃げたということだ。


「なるほどな……。エルザ、追いかけるぞ」

「えぇ、きっと【月代の魔人事件】に関係があるわ……」


 部屋の外に聞こえないよう小声で交わされたやり取りを終えた二人は、部屋を出て従業員の女性に声をかけた。


「彼女の応急処置で一命は取り留めたようだから、医者を呼んでもらえるかい? 適切な治療を受けなければ危険な状態に変わりないからね」

「は、はい……!」


 そう言い残したドラクとエルザは人垣を抜け、階下に向かおうとした。


「お、お二人はどちらに!?」

「あぁ、窓から何かが逃げた痕跡があったんだ。傷跡から察するに動物か何かが入り込んで襲われたのかもしれない。血痕を頼りに探してみるよ」


 そう言い残し、二人は階段を駆け下りていった。

 それを見送った従業員の女性ははっとして自らが託されたことを実行に移した。




 宿屋を飛び出したドラクたちは街の北東に向けて駆け出していた。


「絶対に尻尾を掴むぞ!」

「えぇ……!」


 刹那、ひときわ強く石畳を蹴った二人の身体が一瞬で加速した。


 ドラクの群青色の瞳と、エルザの翡翠色の瞳が残像を残して夜の街を駆け抜けていく様は、端から見れば色違いのオーブが高速移動しているように見えただろう。


 しかし現在この街は【月代の魔人事件】によって夜の人出が皆無と言って良いため、目撃した者は誰一人いなかった。




 追跡対象へと一直線に向かうため、ドラクたちは路地から跳躍して建物の屋根の上を駆けていた。


 そして被害女性の血の匂いを纏う『何か』を発見したドラクは、屋根から飛び降りてそれの行く手を阻んだ。


「やっと追いついたぜ」


 街の北東に広がる入り組んだ路地は無辺の闇に満ちていて、相対する『何か』の姿をはっきりと目視することは出来ない。


 しかし大きさや気配から察するに、人間では無いことは理解できた。


 行く手を阻まれた『何か』は進行方向を変えて後退しようとするも、そちらにはエルザが降り立って挟み撃ちの形で動きを封じた。


 だが動きを止めたそれは一瞬で真上に浮かび上がり、二人の追跡を振り切ろうとする。


「飛べるのかよ!」


 視線を上方に振り上げたドラクは驚きながらも咄嗟に石畳を蹴って跳躍する。

 それによって建物の屋根の高さまで浮かび上がった『何か』と同じ高度まで、一気に上昇した。


 そして三日月が放つ淡い燐光によって『何か』の正体が露わとなる。


 その正体に瞠目したドラクは、目の前のそれが攻撃してきていることに一瞬気付くのが遅れてしまった。


 咄嗟に腕を交差させることで攻撃を防いだものの、その威力に彼の身体が後方に吹き飛ばされる。


「ッ……! そのなりでめちゃくちゃ重い攻撃だな……」


 腕を交差したまま屋根の上に着地し、足で勢いを殺したもののかなり後方まで押し込まれてしまった。


「ドラク、あれは……」

「あぁ、見覚えがある」


 ドラクの横に現れたエルザが、視線を前方に向けたまま問いかけてくる。

 それは質問の意図では無く、同意を求めて呟かれたものだろう。



「カストレアの家にあった人形だ」



 二人と相対している『何か』。宿屋の客を襲った『何か』。


 それは可愛らしい作りの人形であった。全く同じではないが、カストレアが手作りしたという人形と系統が似ている。


 しかし目の前の人形の腕は右腕だけが異常に肥大化しており、指先にはまるで猛獣のそれのような凶悪な巨爪が生え伸びていた。


 可愛らしいが人形ゆえの無感情な相貌には返り血がこびりついており、凶悪な爪を見る限り宿屋の客を襲ったのは目の前の人形で間違いないだろう。


「あの肥大化した腕、間違いなく呪いによるものね……。というか攻撃を受けていたようだけど、腕は大丈夫なの?」

「ん? あぁ、問題ねぇよ」


 エルザの問いかけに下ろした自身の腕を見下ろすと、爪によって深々と切り裂かれた右腕の傷から鮮血が零れていた。


「さてと……。あの不気味な人形をとっ捕まえてやる!」


 逃亡を諦めて戦う気になったのか、空中に浮遊する人形はドラクを睨んでいるように見えた。


 それに不敵な笑みを返した彼は、右拳を左の手のひらに打ち付けて戦意を露わにする。


 その瞬間、服で隠れた彼の肩口の方から黒い茨の紋様が広がり、やがて右腕全体へと至った。


 それを開戦の合図としたかのようにドラクは地を蹴って人形へ肉薄する。

 それに対応した人形がひらりと身を躱し、逆に肥大化した腕を振り下ろしてきた。


「二度も喰らうかよ」


 身を躱したことでドラクの左後方から攻撃してきた人形だったが、ドラクは身体を捻って右腕で人形の腕を打ち払った。

 その一撃で肥大化した部分の腕が千切れ飛び、隙だらけになった人形の身体を右手で鷲掴みにした。


 刹那、人形から漆黒の粒子のようなものが噴出し、先ほどまでの挙動が幻だったかのようにそれ以降一切動かなくなった。


「あなたの【呪壊じゅかい魔刻まこく】で呪いが壊れたってことは、この人形は呪物だったのね」

「らしいな。けどこの人形は……」


 エルザの言に頷きを返したドラクだったが、手元の人形から移された視線は街外れの屋敷に向けられていた。


 月と星々に照らされる町外れの屋敷。その光景はドラクに在りし日の記憶を呼び起こさせる。


「ドラク、何しているの? 今日のところは宿に戻りましょう」

「……あぁ」


 そうして呪いの人形との追走劇は終わりを迎え、ドラクとエルザは部屋を取っている宿に戻っていった。

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