噛みつきエビデンス

渡貫とゐち

嘘か嘘か

「あれ? 探偵さんじゃないですか」

「あ、どうも……しばさん」


 扉をノックしたのは若い男だった。


 ついつい、『探偵さん』と呼んでしまったが――

 それっぽい立ち回りをしているだけで、探偵ではないのだろう。


 警察関係者でなければ探偵見習いでもない。

 一人旅をしている大学生だ。


 私とお揃いの浴衣姿である。彼も東奔西走しているのだろう……、だから着替える余裕もなかった。膝についている血くらい、拭き取ったらどうだと思わないでもないが。


「さっきあんなことがあった後で、すみません……。お話を聞かせてもらっていいですか?」


「構いませんよ。君も大変ですね、みんなのところに聞きに回っているんですか?」


「はい。一応、しないといけませんからね……、

 疑っているみたいになってしまうんですが、気を悪くしないでください」


「疑っているみたいって……『疑って』いるんでしょう?

 疑っていないのに聞き込みをされた方が嫌ですよ。まあ、どれだけ疑われようとも、やっていないのだからこっちは胸を張って事実を言いますけどね」


「はは……、じゃあよろしくお願いします」


 愛想笑いだ。若者って感じ。

 昔の私も、年上の相手をする時はこんな感じだった。


 嫌いじゃないけど対応に困る、というのが若者の本音である。


 探偵さん(――で今後は通してしまおう)が、メモ帳とペンを取り出して質問を始める。


「アリバイを聞きたいと思います」

「どうぞ」


「先日の夜……、十九時から二十二時半まで、どこでなにをしていたのか……教えていただけますか?」


「この旅館の銭湯で、サウナに入っていましたね。

 他に利用者はいなかったので、私一人で、貸し切り状態でした」


「そうですか……。

 つまり芝さんが銭湯に入っていたことを証明する人はいない、ということですね?」


「それは……、だと思いますよ。私も一人で旅館に泊まっていますし、隣の部屋の人と親しいわけでもありませんから。

 職員とすれ違ってもいませんし……、あ、でも、風呂上りに買い物をしたので、そこの店員さんなら証明してくれるかもしれません」


 風呂上りにコーヒー牛乳を飲んだ。これに関しては部屋に空き瓶が残っている。

 習慣なのだが、銭湯に入った後のこれは絶対に外せない。


「分かりました、ありがとうございます。その店員さんにも聞いてみますので」

「あ、探偵さん」


 立ち去ろうとした彼が、はい? と振り返る。


「どうしました? 思い出したことでも……、それとも言い忘れたことでも?」


「今の私の証言……信じました?」


「………………」


 探偵さんの時が止まった。

 そりゃそうだ、つい今された説明を、丸ごとひっくり返されたのだから。


「えと……どういうことですか?」

「今の証言、信じましたか?」


「いえ……、これから、その真偽を確かめます」


「つまり、私の言い分を、一度持ち帰った上で、真偽を確認する――、

 一旦持ち帰るくらいには飲み込めたんですね」


「さっきの証言は嘘なんですか?」


「いえ。ですが、ここで私が『嘘ですよ』と言っても、それが真実とは限りませんけどね。私の名前も、あの場の流れで名乗りましたけど、嘘かもしれません。

 私を人殺しの犯人だと疑っているのに、口から出てくるあれこれは一旦飲み込むくらいには受け入れているのは、なんとも不思議です」


「……全てを疑って切り捨てていたら、話が進みませんよ。

 だから一旦飲み込むんです……たとえ偽名だろうと、嘘の証言だろうとね」


 嘘を重ねても、真実はいずれ掘り起こされる……と思っているのかな?


「それに、証言が嘘でも構いません。旅館には多くの監視カメラがあります。当然、犯行現場は監視の目がないので、犯人は分かりませんが……。

 しかし、カメラは絶対に犯人を映しているはずです。

 どのカメラにも映っていなければ、それはそれで怪しいですし」


「犯人である『疑惑の証拠』がなさ過ぎても怪しい、ってことですか?」


 適度に疑いの目を向けられているくらいが安全なのか。


 明らかに怪しくても、しかし決定打には欠ける。安全地帯にいる人間も、それはそれでその状況こそが『犯人が仕組んだこと』だと思えば、最も怪しいとも言える。


 中間地点か。


 証拠一つで、どちらにでも転べるような立ち位置が最も安全――。


「監視カメラ、ですか」


 そう言えば銭湯の更衣室にもあった……、最も盗難が多い場所だからか?


 男性はともかく、女性の方にもカメラがあるのだろうか? 私的な利用はしません、という前提で設置しているとは言え、本当に守っているのかは不明だ。


 よく実名や住所を明かすことを躊躇う人がいるが、そもそもあらゆる場所で書いているし、打ち込んでいるのだ、今更である。

 役所が管理しているわけで――もちろん職員が自由に、プライベート目的で閲覧することはないとしても……部外者にはそれが分からない。


 実はこっそり見ているんじゃないか?


 それに配達員など――、一日、何百件と人の名前と住所を見ている。

 その人の頭の中に個人情報を収めている。いつでも悪用できるわけでもあるのだ。


 当たり前のように思い込んでいることも、実は『嘘』かもしれない……。


 監視カメラだって……犯人が映っていたからと言って、その人が犯人か?


「それは……どういうことですか? 監視カメラの映像が、作られたものだと?」


「逆に、どうして信用できるのですか? 加工するのが当たり前の時代です、監視カメラが真実を映し、真実だけを見せていると、どうして言えますか?

 人が作ったものですよ? その後、人の手が入らなかったとしても、人の思惑で機械は動きます。犯人でない人間を犯人として仕立て上げることくらいできるでしょう」


 それはカメラに限らない。


 ネットニュースが最たるものだろう。

 真実のように書いてはいるが、事実は違っていた、なんてざらにある。時系列の一部を切り取って、時代が離れた独立した話も、一連の流れに乗って『おこなわれた』ことであると誤認させることもある。文字でこれだ、映像でもできるだろう。


 飲食店で出された料理が絶対に安全か?


 車の速度メーターが表示させている速度は、実際の速度と一致しているか?


 真実だと最初に言われたからこそ、当然のように信じているけど……実際は違うかもしれないのだ……疑うのなら全てを疑わなければ、安心したところで足をすくわれる。


 だからこそ『あいつ』は、死んだんだよ。



「芝さん、まさか、あなたが、殺したんですか……?」


「ああ、私が殺した――」


「どうして……ッッ」


「だからさ……探偵さん」


 私はあらためて、彼に聞く。



「どうして信じるんですか?」



 ―― 完 ――

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噛みつきエビデンス 渡貫とゐち @josho

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