Ⅸ.苦悩の記憶、苦難の呪縛。
あれは小学五年生の時だった。俺は、名簿番号が一つ後ろで、初めてクラスが一緒になった女子、北沢七海と知り合った。明るい性格で、みんなから好かれていた。しかし、俺はどうも好きになれなかった。正反対のようで、どこか似ている雰囲気のある彼女を。
性格の明るさを除けば、昔の俺と、七海は似ている所が多かった。どちらも自信が溢れていたと、当時の担任、二條先生は言っていた。自信があるゆえに、自分を曲げない、主張の強いところも共通していた。
神川君ってさ、なんか趣味とかあるの?
あのさ、零君って呼んでいいよね、みんな呼んでるし。
零君って、好きな人いるの?
新しいクラスが始まるとすぐ、北沢七海は、俺にずっと喋りかけてきた。おしゃべりな彼女にとっては、それは普通のコミュニケーションだったのだろう。だが、俺にとっては面倒でしかなかった。読みたかった本は全然読めない、口を動かすのが面倒だ。だが、それでも北沢七海は俺に話しかけてくる。流石の俺も折れ、少しは話すようになった。そこから、少しずつ俺と七海は仲良くなっていった。
状況が変わったのは夏休みが終わった九月のことだった。俺が廊下を歩いていた時、数人の女子が話していた。俺は何も気にせず通り過ぎようとした時、俺の名前を聞いて立ち止った。
「七海ってさ、絶対神川君のこと好きだよね。」
「うん、いつも話してるし。」
「応援しようよ。」
俺は驚いた。それと同時に、七海と話すのが恥ずかしく感じた。当時の俺は、恋愛など全く知らなかった。そのため、七海と縁を深めるとかそんなこと考えていなかったのだ。
それからは、俺は七海に冷たい対応をした。それでも七海は俺に話しかけるのをやめなかった。
事件が起きたのはそれから一か月後の十月だった。俺は七海に告白されたのだ。
「好きなの、零君が。」
しばらくの間、沈黙が続いたのを覚えている。恋愛という感情を知らなかった、まだまだ子供だった俺は、七海の言った言葉が全く理解できなかった。平均的には女子の方が男子よりも精神の発達が速いというが、その通りだったのだろう。大人だった七海に、俺は追いつくことが出来なかった。疑問だったのだ。何でわざわざ好きだと言うのか。そもそも、人を好きになるとはどういうことなのか。
「それを言って何になるの?」
俺は、その時自分が言った言葉をはっきりと覚えている。精一杯、勇気を振り絞って告白した七海の言葉と気持ちを、俺は知らないうちに一言で捻りつぶしていた。
それだけでやめておけばいいのに、俺はそこに追い打ちをかけた。
「何のために俺を好きになるの?それを言ったところで別に何も変わらないじゃん。」
真顔で答えた俺。希望から絶望に変わった七海の目。鮮明に覚えている。七海は泣き出し、その場を去っていった。だが、なぜ泣いたのか、俺には全く分からなかった。
次の日、北沢七海は学校に来なかった。次の日も、その次の日も。そうして二学期が終わっていった。俺の頭の中には、七海のことなどもう無かった。算数の、魔法陣を描く方がずっと楽しかった。
年が明けた三学期、担任の二條先生が言った。
「北沢さんは、転校することになりました。」
クラス中がざわついた。
「何でですか?」
一人の生徒が聞いた。十一伊織だ。
「いろいろな都合です。」
淡々と、機械的に答える先生。
「いろいろな都合って何の都合?」
生徒たちは聞いていくが、先生は、それ以上は答えられない、というように首を横に振った。その時、俺はやっと気が付いた。俺のせいだったんじゃないか?
そこからの日々は、まさに地獄だった。年を重ねるにつれ、恋愛感情を理解していく。それと同時に、自分の犯した罪の重さを実感していく。中学生になり、周囲の話題が恋愛一色になると、それはまさに火の海地獄だった。俺は日に日に罪悪感に苛まれ、心を病んだ。周りが、いわゆる「中二病」で、お遊びの病みを演じている中、俺は本当に病んでしまった。
忘れれば何とかなる。考えなければ何とかなる。恋愛しなければ何とかなる。そう考えた俺は、誰とも話さなくなった。次第にあの記憶は、心の奥底に封印し、人と話すことはまだ出来るようになった。
そして、今に至る。
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