天埜朔耶
少女たちは春人に言われた通り、迅速かつ慎重に道程を進み、目的地である公立八咫之高校に辿り着いた。道中、特段再襲撃を受けることも、その他のトラブルに見舞われることもなかった。
三人は今しがた校門をくぐり、春人はそれの様子を近くの建物の屋上、そこにある
時刻は騒動もあったためか、すでに七時四十五分過ぎ。登校するには早い時間、とはさすがに呼べなくなってきているため、辺りにはちらほらと登校する生徒たちの姿が見える。
そんな中を黒服二人にがっちりと護衛されながら登校してくる少女が居たものだから、とてつもなく視線を集めていた。加えて、その少女の見目が良いものだから余計に注意を引く。
三人が学校の玄関へと姿を消していくのを見届けて、春人は肩を撫で下ろした。
「……これで終わりだな」
自分の役目は終わった。これできれいさっぱり後腐れなくお別れできるというものだ。
あの少女が何者で、なぜ狙われていたのか、あの襲撃者たちはいったい何なのか。気になることは山ほどあるが、しかし、これ以上あの少女に関わる理由がない。
これで終わり。命は救ったのだ。それで十分な結果のはずだ。
「……」
言い聞かせるように反芻してみても、消えない懸念が胸に刺さった棘のように疼いてくる。
(もし次襲われたら、切り抜けられるのか……?)
結論としてはノーだ。
ただの人間が襲ってくるのであれば、あの鍛えられた護衛たちさえいれば何とか潜り抜けられるだろう。しかし、先程の仮面の者たちが再び襲ってきたならば太刀打ちできない。
「……だからって、俺にどうしろってんだ」
苦々しく吐き捨てるように言うと、春人は建物から路地に降りて、やがて通りに出ると、他の生徒たちに混じって高校へと入っていった。
◆
携帯端末で、今しがたの出来事がニュースになっていないか確かめてみると、『通り魔事件が発生』という
おそらく、今朝の少女たちによる情報操作だろう。世情に余計な混乱を与えないために、そして自分たちのことを詮索されないために行ったと思われる。
(犯人確保ってことになると、せいぜい放課後即帰宅ってぐらいか)
その予想は一応当たり、朝のホームルームで担任が、念のため部活動は休止で真っ直ぐ帰宅するようにと通達していた。
やがて始業時間を迎え、授業が始まった。あれから何らかの騒動は耳に届く範囲では起こっていない。ということは、あの少女たちは取り合えずは無事なのだろう。せっかく助けたのに目を離した途端呆気なく死なれては徒労になってしまうところだ。安堵に胸を撫で下ろす。
春人にとって学校生活とはつまらないものだった。
特に親しい間柄の者が居るわけでもないし、友人と呼べる程度の存在も居ない。
こうして授業中であるというのに机に頬杖を着いて窓の外の景色を眺めていたところで、特別教員に注意されることもなく、かといってこの行為が有意義かと問われると唸ってしまうところで、然り、彼は学校生活に意味を見い出せないでいる。
ふわりと微睡んだ風がやってきて、前髪をさらりと撫ぜていく。目に映るのは、風に乗って舞う緑の葉と、そこに混じる少しの花びら。
(あの子、何者なんだろ)
そう思うのは、何も今朝だけのことに限らない。
胡乱な眼差しで見ている窓の外の景色、それを少しばかり目を凝らして見てみると、映る景色がほんの少し、映像ブレを起こすように揺れ動いた。
(結界か)
違和感は校門をくぐる前から。確信したのはこうして精神を落ち着けて感覚を研ぎ澄まして探査してからだった。この高校の敷地全体をドーム状の不可視の力場が覆っている。
(効果はごく限定的。だから気付きにくい、か)
恐らく特定の存在のみを弾く結界だろう。元々特異な能力者以外には結界というものは認識されないものだが、指定されている禁則の数が少ないために、その護りの存在感はほとほと希薄で、能力者ですら起点としている場所を探りづらくなっている。
(金曜まではなかったはずだけど)
ならば、恐らく二日間の休みの内に張り巡らされたのだろう。そして、この守護結界はその名の通り誰かを傷付けるためのものではなく、護るためのものだ。であるなら、その護る対象と言えば、つい先刻それらしき人物に出会ったばかりだった。
春人は景色を相変わらず眺めながら、難しそうに眉間に皺を寄せた。
(あの子を護るための結界……)
それほどまでの重要人物、ということなのだろう。護衛が二人も付いていたのだし、きっと良家の跡取り娘といったところで。この世界で結界術を持っていることから血筋としては特異な
「はぁ……」
考えれば考えるだけ、関わるのが
無論、こちらから積極的に関わるつもりはないし、こちらの素性も仮面の認識阻害のおかげで露見していないはずだ。バレているのは同学であることぐらいで、学年や氏名などは知られていない。余程の失態を踏まない限り、ここから先厄介事に巻き込まれることはないはずだ。
それでいい。それでいいはずだ。
(十分だよな)
瞼に焼き付いた彼女の笑顔に、そっと問い掛ける。
気まぐれに、シャープペンシルを指先で弄び、くるりくるりと回してみる。
「あっ」
回していたペンが勢い余って飛んで、乾いた音を鳴らした。
◆
「またお逢いできましたね」
その柔らかく笑んだ声音、言葉に、春人は思わず足を止め、片頬を引き攣らせる。
(なんで……)
時刻はすでに午後四時前。部活動に勤しまない者たちにとっては下校の時刻。
昇降口で靴に履き替え、外へ出た瞬間、なにか赤いな、という思考が
なぜかと言えば、昇降口を出た直後に視界の右側に、下校し始めた生徒たちを一人一人見定めるように視線を送る件の少女の姿を見つけたからだ。加えてその左右には例の護衛が脇を固めるように陣形を組んで仏頂面で佇んでいる。学び舎にしては異様な光景だ。皆、美しい少女へと視線を向けるが、護衛の二人にギラリと睨まれて、そそくさと逃走を図っている。
まだ学校に居たのか、とか。でも自分がここに在籍しているのはわかっているのだから、ここに居たほうが安全と判断するのは当然か、とか。どうでもいいことが脳裏を過りながらも関わらないという初期方針を思い出す。
ここまでは良かった。ちらりと視線をやって「うげっ」と一瞬の動揺
そして眼前を通り過ぎようとしたとき、少女の口元が笑みを浮かべたと思うと、丁寧な御挨拶をくれたというわけだ。
こうも簡単に看破されるとは思っていなかったため、内心では酷く混乱しているが、表では努めて冷静に対処を心掛ける。
「えっと……どこかでお会いしましたか?」
にこやか、かつ困った調子で問うと、少女はこちらの心境を察するように笑みを深める。
「ええ。あれはとても言葉では言い表せない劇的な出逢いでしたね」
少しばかり周囲へわざと聞かせるような声量に、周囲の注目が集まるのを感じる。ゆえに、思わず口を挟んでしまう。
「おい、
「あら、語弊とは。つまり『お逢いした時のこと』を覚えていらっしゃると?」
「……」
言葉に詰まって閉口する。
(嵌められた)
随分
(性格悪いな、こいつ)
まんまと乗せられた悔しさもあり、じとりとした視線を少女へ送ると、彼女にとってそこまで不平を煽るとは思っていなかったのか、慌てた様子で身振り手振りする。
「あ、あの、そこまで嫌そうな顔をされると、私も困るといいますか……」
「……別に嫌ってわけじゃない。ただ、性格悪いな、って」
「それは嫌なのでは⁉」
ショックを受けた様子で少女は嘆く。が、少々オーバーな感じを受ける。しかしそれも仕方ないだろう。
(今朝、あんなことがあったんだ。空元気だろうな)
春人は溜息を吐くと、少女の左右に控える二人へと視線をやり、少女へと視線を戻す。
「とにかく場所を変えよう。良いところとか、ある?」
少女へ訊くと、代わりに護衛の男、伴蔵が答える。
「屋上を確保している。靴を履き替えてこい」
「わかりましたよ」
素っ気ない返答に特段思うこともなく、春人は再び下駄箱へと戻って、靴を履き替える。
付いてくるように動いた少女も靴を履き替えている。靴箱の場所的に、彼女はどうやら一学年らしい。そして護衛の二人も来客用スリッパに履き替え、合流した。
そしてふと、
(わざわざ屋上ねぇ……)
胸中に嫌な予感を抱えながら、春人たちは階段を上って屋上に向かった。
◆
階段を上り終えて、塔屋の踊り場に着くと、伴蔵がポケットから鍵を取り出して、長らく閉鎖されていた扉の開錠を行う。軽く回すと、鍵は簡単に開いた。
(どこで手に入れたんだか)
屋上は原則立ち入り禁止。扉も常々施錠済みで、学生側から屋上の解放という要望が幾度か提出されたながらも答えは決まって否決。鍵自体も予備はともかくとして『屋上扉』というネームタグの付いた鍵は職員室で管理されていたはずだ。
それを持っているこの男、ひいてはこの三人は随分学校側と仲が良いようだ。
扉が開くと、少し傾き始めた陽の光が射し込み、埃っぽく淀んでいた踊り場の空気が、開けた扉から流れ込んだ外気に押されて下の階へと去っていく。
伴蔵、少女の順で扉の先へ。視線で伺うと、雛菊が頷いて促した。その後、胸元のマイクへ何事か告げている。C班、人払い、と断片的に聞こえた。誰も屋上に来ないように見張らせるのだろうか。
春人が指示に従って扉をくぐると、雛菊も続いて屋上へ。
「わぁー、これが学校の屋上!」
屋上の状態へ意識が移る前に、少女のそんな感激した声が聴こえた。
見れば、少女は幼気な子供のように両手を広げてくるくると上機嫌に回っている。そんな彼女へ「お嬢、行儀が悪いですよ」と伴蔵が言葉とは裏腹に柔らかな声音で注意する。
(綺麗な髪)
少女が回る動きに合わせて、長く艶のある紅髪が流麗な線を描いている。それは動きの
やがて四人は周囲をぐるりと背の高い柵に覆われた屋上、その最端付近に辿り着くと、伴蔵と少女が足を止めた。どうやらここで話をするらしい。
「さて」
そう切り出したのは、紅の少女。くるりと身を翻して、春人の眼を見つめる。
「改めまして。――今朝の件、本当にありがとうございました。私の名前は天埜朔耶。一同を代表し、お礼申し上げます」
前後を礼で挟まれるという何とも居心地の悪い空間に、春人は焦って口を挟む。
「い、いや、いいから。やめてくれ。言ったろ。気まぐれだって。だから礼を言われることはないんだって」
「ですが」
言って、少女――朔耶は顔を上げ、所作を正す。
「あなたが介入してくれなければ、私も、彼らも命を落としていたでしょう。……何より、犠牲になった者たちに報いることさえできなかった」
暗くなった表情から、意識せずに視線が外れる。
「そして、あなた」
その言葉が指すのは自分だと理解して、外れた視線が朔耶を捉える。その眼と表情に、言葉に乗っていた以上に暗い影を感じ取る。
「私たちを助けるために、その手を血で汚さざるを得なかった。一般人であるあなたに、そのような重荷を背負わせることになってしまったこと、深くお詫びいたします」
一般人、本当にそう思っているのだろうか。
「まあ殺されそうになってたわけだし。緊急避難なり何なり、適当に誤魔化しといてくれればそれでいいから」
「ですが」
「それに死体は残ってないわけだから。そう気にすることはないだろ」
「……」
「ああ、そうだ。あんたたちってさ、色々融通が利くんだろ? もし監視カメラとかに俺が映ってたら消しといてくれよな。一応バレないようにしてたつもりだけど、背格好でバレるかも――」
「あの!」
唐突に、朔耶が唇を噛み締めたかと思うと、空気を張り裂くような声を上げた。
春人が困惑して目を向けると、少女は憐れむような眼で、こちらを見ていた。
「どうして……」
「なに?」
俯いて言い淀み、黙り込んでしまった朔耶へ、春人は心配げに問う。
すると、
「どうしてそんな悲しげな顔で、……強がるのですか?」
はたと右手が自分の顔を覆う。今、自分はそんな顔をしていたのだろうか。口が軽快に動いていた時、はたしてそんな表情を浮かべていただろうか。自分では飄々と語っていたつもりだったのに、本当はそんな顔をしていたのだろうか。
(おかしいな)
命を奪うことには慣れている。そうしなければ生きられなかった、救えなかった。助けられなかった。護れなかった。
この手が血で汚れたことなど数えきれないほどあった。魔物の血、あるいは魔に与する
そうせざるを得なかった。そうしなければ、護れなかったのだ。
剣を振ることを一瞬躊躇った時、怪我を負った仲間がいた。
魔法を撃ち込むとき。甘さゆえに加減をし、危機を招いたことがあった。
いつしか護りたい誰かを救うため、それ以外の者へ剣を振るうことを躊躇わなくなった。もちろんその行為に慣れたためでもある。生きる術が他になかったためでもある。
だがそれ以上に、そこには『使命』があったからだ。
世界と、命を護るという、使命が。
だけど、
(ずっとそんな顔してたのかな)
輝かしい未来を夢見ていた頃は、きっとそうではなかった。
旅を共にしたみんなと、そして協力してくれた大勢の人々と、そんな沢山の人たちと共に同じ夢、同じ未来を見ていた頃は、きっと、そうではなかった。
なにより、彼女が隣で笑いかけ、同じ歩幅、同じ速さで歩んでいた頃は、きっと……。
(ッ)
口の端を噛みこんで、その想いを振り切る。それに囚われれば、一歩も動けなくなる。
冷静さを取り戻した春人は、右手を顔から除けると、小さく笑みを浮かべた。この朔耶と名乗る少女へ、『自分のせいで』という枷を背負わせたくはない。
「強がってないよ。大丈夫」
「……本当ですか?」
「本当だよ。職業柄慣れてるというか、さ。まあ大丈夫だから」
「職業柄?」
一応高校生でしょうに、という呟きが聴こえる。確かに公的な書類上はそうなっているし、何の間違いもない。ただいつか、そこに記せない経験をしたことがあるというだけで。
しかし、だからといって馬鹿正直に全ての経歴をつらつらと認めたところで、信じてもらえるわけがない。
世界を救いました、なんて言おうものなら、頭が可笑しい奴らの仲間入りだ。
(……そもそも、胸張って言えねえしな)
自分ほど無様な――は居ないだろう。護りたい者を護れなかった、愚かな――など。
「ではあなたは、戦うことに忌避感はない、と思って差支えはないのですね?」
「まあ、そうだな」
念のため、とでも言うかのように朔耶が確認を取ってくる。それに応えると、朔耶は伴蔵へと顔を向けて、互いに小さく
すると、伴蔵が一歩前に出て、春人を見据える。
「朔耶嬢の専属護衛を務める
「はあ、どうも。久那原春人です」
気のない返事をするも、伴蔵はさして気にも留めない。話を続ける。
「今回は貴殿に礼を伝えるためだけに呼び出したわけではない。貴殿に申し出がある」
「申し出、ですか」
面倒なことになった、と内心で愚痴る。そんな心情も表情も知らずか無視してか、伴蔵は朔耶を指し示すように手を恭しく向けた。
「こちらにおわす朔耶嬢、その専属護衛に名を連ねていただきたい」
やっぱりそうなったか、と春人は心中で頭を抱えた。
今朝の襲撃を受け、襲撃者たちとの圧倒的な戦力差を鑑み、といったところだろう。
本来なら彼らは全滅していた。それはつまり護衛対象を護る護衛組織としてはすでに戦力不足という致命的な破綻を来しているわけだ。
そこに春人という不確定要素が降って湧いたために何とか窮地を脱したものの、依然状況としては最悪の一言。壊滅必死である状態は変わらず、首の皮一枚で繋がっている状態だ。
次の襲撃を凌ぐことは万が一にも不可能。
ならばどうするか。
簡単な話だ。その不確定要素を自軍に取り込んで戦力にしてしまえばいい。
(けど、こんな見ず知らずのガキをねぇ……)
それだけ切羽詰まっているということだろう。
仮にも自分は書類上はただの一般人だ。素行こそ恐らく問題視されているだろうが、経歴上は清い身。しかし、なのに戦闘技能など身に付けた経歴は見受けられないはずなのに今朝の派手な立ち回り、というチグハグさ。照らし合わせるとかなり、いや、大分怪しい存在だろう。
そんな相手すら取り込まなければいけない
もしくは、そうしてでも護らなければならない存在が、この少女。
じっと見詰めると、朔耶はぴくりと身を震わせた後、にこりと微笑んで見せた。
(胆力あんなぁ……)
ここでこちらが断ると言えば自身の身はほぼ終わりだというのに、緊張の欠片も見せはしない。常人ならもっと取り乱してもいいだろうに、並大抵の精神力ではこうはいかない。
「この子があいつらに狙われる理由は?」
「目下調査中だ。経過報告もあるにはあるが、部外者に漏らすことはできない」
知りたければ仲間になれ、ということか。
「出自は?」
「機密事項だ」
「敵の規模は?」
「不明だ」
「……」
これでよく今まで生きてこれたものだ。いくらか情報を隠されているようだが、それでも敵の大よその規模くらいはわかっていないと真っ当な対抗策の試算すら出来やしない。
これは元から
(どちらにしても、状況を知るには潜り込むしかない、か)
もう一度朔耶のほうを見ると、ぱちりと目が合い、まるで何も教えることができないことを詫びるかのように眉根を寄せた。毒気を抜かれて思わず鼻で息を吐く。
悪い子ではないのだろう。
護ってあげたいとは思う。
(俺はどうすればいい?)
暮れ行く大空へ目を向け、誰にでもなく訊けば、いつだって答えるのは彼女の影。
――あなたはずっと、優しいままで。
(……そうだな)
悲しげな笑みが浮かぶのを、自分でも感じた。それでも、きっとこれでいい。
これで、ようやく目的を果たせるはずだから。
「やるよ」
春人が空を見詰めながら答えると、朔耶は笑みを深め、雛菊はほっと息を吐く。しかし伴蔵だけは訝しむように眉根を寄せていた。
「意外だな」
「何がです?」
これからは所謂同僚になるのだからと、とりあえず丁寧に言葉を返す。伴蔵が探るような視線を向けてくる。
「お前はもう少し渋るかと思っていた。その時のための交渉材料もいくつか用意しておいたほどだ。なのに、こうもあっさりとな……」
「軽い男で何よりでしょう?」
「仮面でわざわざ正体を隠していた男が軽い、だと?」
追及の視線に、春人は素知らぬ顔で視線を逸らす。
「ほら、警察にしょっ引かれても面倒ですから」
「お前なら逃げ切れるだろう。――それにあの仮面、何かしらの呪法を纏っているそうだな。それで目を欺いているとか」
「……誰がそれを?」
ぎっ、と身体が警戒で強張る。愛想笑いがふっと消え、伴蔵の射貫くような視線を正面から迎え撃つ。ピリピリと、空気が張り詰めていく。
もしそれに気付いた者が悪意あるものなら、対処しなければならない。物珍しい力だとて、この世界において益を齎す技術だとしても、彼女の遺産を利用させはしない。
「わ、私です!」
険悪な雰囲気を放ち始めた二人へ、朔耶が身を滑り込ませるように慌てて割り込んできた。
「私が『そうだ』と思ったんです! 後で二人に聞いても『外見をあまり覚えていない』、『背丈や格好もぼんやりとしか』と言っていたので! だからこれ見よがしに被っていたあの狐の仮面が怪しいかなと! そういう力があれにはあるんじゃないかと!」
「お、おう」
「ちなみにあなたを『あなた』だとわかったのは私だけです! 理由とかは訊かれても、私自身よくわからないので困るのですけど……。とにかく! そのことを吹聴する気は私たちには全くありません!」
「そ、そっか」
朔耶が春人の眼前で、必死という様子で捲し立てた。あまりの勢いに気圧され気味で、背が仰け反る。大暴れする朔耶に、護衛二人は呆れるように頭を抱えていた。
「お嬢、別に本気で喧嘩を売っていたわけではありません」
「え?」
「お嬢様、伴蔵は彼が本当に信用できるかどうか、反応を見ていたのですよ」
「えぇ?」
そんな紛らわしい、と朔耶は嘆いて肩を落としていた。
(馬鹿正直な子だな……)
だが、悪くない。狡賢い子よりはよっぽど好感が持てる。なにより、こんな子だからこそ、彼らは護りたいと、命を賭してでも救いたいと思うのだろう。
たとえこれが台本通りで、こちらが騙されているのだとしても、それで良いと思えた。
いつの間にか雛菊が春人の背後から動いて朔耶の元へ行くと、その頭をぽんぽんと撫で付ける。朔耶は満更でもなさそうにわざと不機嫌そうな表情をしているし、伴蔵は呆れ笑いを浮かべながらその様子を眺めている。
その光景は、なかなかに悪くない。
(これでスナイプ待機状態でさえなければなぁ……)
春人はこの屋上に達した直後から自身が銃口に狙われていることに気付いていた。
場所は二つで銃口も二つ、視線は四人分。狙撃手本人とスポッターだろうか。間違いなくこの護衛部隊の所属だろう。
屋上という場所を話し合いの場に選んだのは、狙撃ポイントが確保しやすいためであり、こちらが敵であった場合に狭い部屋で戦闘状態になるよりは朔耶が生存しやすいからだ。
恐らく、彼らはこちらが何か敵対行動を取った際、即座に胴を撃ち抜くつもりだろう。
心温まる光景を眺めるには、それは少し無粋な殺意の視線だった。
(もうお仲間なんだし、仲良くしようなー)
ふと気まぐれに、視線を感じた方向へとそれぞれ視線を向け、小さく手を振ってみる。
すると明らかにあちらの視線が蠢いたのを感じ取れた。酷く動揺しているようだ。
(いい気味)
狙う時はもっと殺意を抑えるんだぞ、と内心で教鞭を振るう。
この世界に数十キロメートル単位で殺気を感じ取る敵はいないだろうが、それでも対象が気付かないとも限らない。影に潜む暗殺者の如く命を付け狙う凶矢、それがスナイプの理想だろう。殺意の発露など、彼我が相対するその時だけで十分だ。
伴蔵の耳元の通信機に何かしら連絡が届いたようだ。聞いて、溜息を吐いて、じろりと春人を見据える。逆に春人はその視線に、にっこりと笑んで応えてみせる。
まあいい、と伴蔵は抱えたものを吐き出すと、手をくいっと動かし、朔耶たちから離れていく。こっちへ来い、ということだろう。
指示に従ってフェンス近くまで寄ると、声量を落とした伴蔵が訊く。
「お前を雇うにあたって必要な金額はいくらだ」
「うーん」
非常に返答に困る質問だった。別に金に困ってはいないし、かといって無償奉仕するつもりもなかった。もし伴蔵たちから何の申し出も無いようなら異議申し立てをするつもりだった。
しかしいざ突き付けられると、どれほどが相場なのか、自分のこれからの働きにいくら出して貰えば適切なのか、そこがわかりづらい。
「ちなみに伴蔵さんたちは幾ら貰ってるんです?」
「命相応の値段だ」
「なるほど」
つまり、高い、ということだろう。むしろそうでなければ逃げ出す。
(だったら問題の一つはクリアだな)
あとは、それをうまく取り計らうだけだ。
「でしたら、俺には月五万ほど俺の口座に。残りの分は……母か父の口座に振り込んでもらえますか」
「ふむ。何やらややこしい真似をさせるな」
「ほら、もしかしたら護衛中に俺も死ぬかもしれないでしょ。そうなったら育ててくれた親に申し訳ないなー、って。あ、もしそうなったらある程度纏まったお金を振り込んでくださいね。働き損は断固お断りですから」
「……いいだろう。そう取り計らっておく。正式な契約は御前と御頭首の立ち合いの元で行うため、少し時間を――」
そこでふと、伴蔵は疑問を抱いたのか春人に問う。
「お前の両親はまともなのか?」
「訊き方……。まあまともですよ。俺みたいな力は持っちゃいませんし、知りもしません。俺がこうなのは、……まあ、色んな巡り合わせの結果ですから」
この手には力が有る。誰かを護るための力が、きっとある。少なくとも、そう信じていた。
「久那原春人」
唐突に名を呼ばれ、すっと伴蔵を見る。
その手には端末が握られ、画面に映っているだろうものにざっと目を通している。恐らく、こちらの個人情報だろう。
「顔さえ割れればすぐに調べが着く」
「怖い世の中ですねー」
「調べ自体は昇降口でお嬢がお前を特定した段階で着いていたし、内容的に『白』だと判断できていたのだがな」
つまりその時点で顔認証でこちらの個人情報は別の誰かによって洗い出され、問題なしとの判定が伴蔵には届いていたのだろう。情報化社会とは闇の一歩手前だ。
「お前はこれから、四六時中お嬢の護衛に付くことになる」
「ええ」
「つまり元の家には滅多に帰れず、お嬢の傍に控えることになるということだ」
「わかっています」
「それを踏まえると、両親がまともであるというならば、すぐに話を通す必要があるだろう」
「必要ないと思いますが」
「いいえ」
と、伴蔵ではなく、歩んできた朔耶が突き付けるように否定した。
「あなたはこれから間違いなく危険な目に逢うのです。ならばたとえ全てを詳らかに出来ずとも、ご両親にお話しすべきです」
「でもなぁ……」
「ご安心ください。私たちも同行しますから」
「でもなぁ……」
「それでも不安ですか……」
くっ、と口惜しげに歯噛みする朔耶であったが、春人としては別段彼女たちが頼りないということでなく、どう説明したところで高校生の息子がどこぞのお嬢さんの護衛に付きます、などという荒唐無稽な事態に納得してもらえないだろうという思いだった。
ただ、
(それでもちゃんと、お別れはすべきだよな)
別れを告げられないのは、辛い。それを自分はよく知っているはずだ。それは癒えることのない痛みとともに、この胸に刻み込まれているのだから。
それにきっと、彼女もそうしろと言うだろうから。
春人は諦めるように肩を下ろすと、朔耶へ
「じゃあご説明は任せますよ。お嬢様」
「ええ、それなりにはお任せを。もちろん伴蔵と雛菊もいますし。……ああそれと、私のことはこれからは『朔耶』でどうぞ、春人さん。敬語も結構ですよ」
満面の笑みで紡がれた言葉を聞いて、朔耶の後方に控えていた雛菊が露骨にむっと不服そうに表情を険しくする。朔耶にはそれが見えていない。
その様子を見て、春人はまずいと思って
「ご主人様?」
「朔耶です」
「朔耶お嬢様?」
「朔耶で」
「朔耶様?」
「朔耶」
逃れられない。粘るたびに笑顔に凄みが増していく。背筋を嫌な冷や汗が流れていく。
「……質問。俺と君の関係は主従になるの?」
「いいえ。あくまであなたは一族の者ではなく、外様の戦力です。なので、指揮系統としては表向き護衛として組み込まれますが、情報共有は当然として、それ以外の立場としては独立遊撃部隊……のようになるかと。ね?」
「はい。そのほうがこちらとしても都合が良いかと」
朔耶に確認された伴蔵が肯定で頷く。それは
「じゃあ別に君の命令を聞く筋合いはな――」
「――タダ働きがお望みでしたら良きに計らいますよ?」
「これからよろしく! 朔耶!」
笑顔であるのに、我慢の限界だとばかりに頬を引き攣らせながらの最後通告だった。どうもよっぽど譲れないところらしい。こうなったら諸手を挙げて降参するしかない。
まあいい。多少の我儘は訊いてあげるとしよう。自分は年上なのだから。
(けど、そんなに重要かなぁ……)
要求が通ったからか、上機嫌な様子で朔耶は身を翻し、「では行きますよ、久那原宅へ」と先導して屋上出口へ歩いていく。それを追い抜き、伴蔵は先んじて前を行き始めた。
不用心だな、と春人が呆れて額を撫ぜつけると、雛菊がこちらを見ていて、すっと手を出口のほうへ向けた。お前も行くぞということらしい。
二人合わせて歩き出すと、雛菊が視線を向けずに口を開く。
「自己紹介が遅れたが、わたしは
「ええ、よろしくお願いします」
雛菊は頷いて、
「今朝のこと、わたしからも礼を言わせてほしい。あなたが居なければ、お嬢様も……伴蔵もわたしも死んでいただろう」
「……」
「たとえあなたの言うように『気まぐれ』だったとしても、あなたの行為はわたしたちの命を救ったということ、努々忘れないでほしい」
「……ええ」
少しだけ寂しそうで自嘲ぎみな笑みを浮かべて、春人は屋上を後にした。
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