エピソード2「厄災の少女」

仮面の護り手


 何者だ。

 その問いを抱いたのは仮面の者たちだけでなく、この場にいる全員だった。

 しかし、あの少女が問うたことでこの少年の立ち位置は大よそ確定した。

 仮面の者たちにとって、敵だ。


ね」


 瞬時、仮面の者が左手の袖から二本目の刀剣を取り出し、そのまま右へといでくる。

 しかし、その動きを見切っている少年――春人は、即座に屈んでやり過ごすと、低い体制のまま左足裏を突き出し、腹部を蹴って仮面の者を突き飛ばした。


「ぬっ……!」


 うめき、吹っ飛ぶ仮面の者であったが、手応えが鈍いうえに悠々と着地している。


(強化の感触……!)


 今しがたの蹴りの感覚、それは『魔力によって強化された肉体』を蹴った感触だ。


(やっぱりこいつら、普通じゃ……)


 後退あとずさって勢いを殺す先程の者と入れ替わるように、二人の仮面の者が接近を開始。片方はククリナイフを取り出し、もう片方はサバイバルナイフを構え、突撃してくる。

 それを見、後方の伴蔵たちへ一瞬だけ視線を向け、敵たちを見据える。


壁際かべぎわに寄って防御ぼうぎょを! ――彼女を護れ!」

「! ……ああ!」


 言うと、風を置き捨てるように仮面の者たち以上の速度で彼我ひがの距離を詰める。ふところに潜り込まれた二人の敵が驚愕きょうがくで身を強張こわばらせ、目を見開く。その異常な身体能力に、指示通り動き始めた伴蔵と少女、流し目で見ていた雛菊でさえも驚く。

 刹那、春人は自由な左の手のひらを、ククリナイフを持つ仮面の者へと向ける。その一瞬、光がきらめいたかと思うと、次には爆裂音。仮面の者は爆炎をまといながら壁へと叩きつけられた。


「おのれ!」


 その様を見て、最初に少女たちを襲ってきた仮面の者が、裂帛れっぱくの怒りと殺意ともにサバイバルナイフを振り下ろす。

 甲高かんだかい音が一度。ナイフが小刀に受け止められていた。


 歯軋はぎしりを一度、それを合図に仮面の者は己の持ちうる最高の速度でナイフを閃かせる。何度も何度も、相手を殺し尽くすために体を激しく動かし、大振りで腕を振る。

 だが、その全てを春人は最小限の腕の動きだけで完全に受け止めていた。最後の一撃すらも、こうして小刀の刀身に軽く阻まれている。

 刃の交差を挟んで、両者の敵意が交わる。


 次の瞬間、春人の視線がぎらりと後方へと向く。

 その目には、少女たちの退路を塞いでいた四人目の仮面の者が、彼女たちへと奇襲を狙っているところだった。


 駆けて来る敵、鈍く輝く刀剣が取り出される様、それに銃口を向け発砲する雛菊。逃げるよう叫ぶ伴蔵。それを避け続け、やがて彼女へ――


(――!)


 受け止めていたサバイバルナイフをその膂力りょりょくのみを持ってして跳ね上げる。仰け反るように体制を崩した敵に追撃を掛けることよりも、今は優先することがある。

 上方へと振り抜いた反動のまま、右へと体制を崩すように身体を傾ける。そのまま『小鴉』の切っ先を視線とともに後方の敵へと向ける。

 瞬時、収斂しゅうれんするのは大気。逆巻くように風が唸る。ただ一点へと収束させ、その全てを小鴉の柄尻つかじりへ。


「舞え、小鴉」


 その瞬間、爆裂した大気が拡散。

 推力を得た小鴉は戦車砲のように滑空し、一秒と満たない先に目標へと命中した。


「ぐ、がぁぁぁ!」


 小鴉の切っ先は、今にも雛菊を殺そうとしていた仮面の者の頭部左、鬼の仮面の左側へ突き刺さり、その下の頬ごと割り砕いた。仮面の破片と流血が中空へと舞う中、小鴉も同様に弾かれて浮かぶ。

 それを見るや、春人が人知を超えた脚力で跳躍ちょうやく。左右の壁を高速で交互に蹴り、加速と共に高度と距離を稼ぐ。そして、呻き、傷を押さえて仰向けに倒れようとしている仮面の男、その上方へときりもみしながら舞い上がっていた小鴉を掴むと、落下の速度をそのままに、その胴を縦に斬り裂いた。


「かっ……」

「っ」


 切創せっそうから鮮血が零れるように落ち、鈍い音が聴こえた。

 悲鳴すら上げず、目の前の男は倒れ去った。その光景に痛みを覚える。だが、止まれない。

 こちらにかまけたことで、サバイバルナイフを持った敵が体制を立て直し、今にも飛び掛かってきそうな様子でこちらを睨み付けている、


(あと三人……)


 血が滴る小鴉の切っ先を向け、軸足をじりじりと据えて敵の挙動に備える。


 見れば、爆炎を喰らった者は恐らくリーダー格と思われる者に助け起こされているところだった。それは最初に春人と刃を交わした者だ。奴は春人に蹴り飛ばされたあと、すぐさま戦線復帰せず、戦闘経過を俯瞰することに切り替えていたようだった。


 その眼が仲間から春人へと向けられる。

 彼はずっと見ていた。彼我の戦力差、そして技量差がどれほどかということを。

 そしてそれ故に、その眼差しには、仮面越しであってもありありとわかるほどの憎悪と憤怒に満ちていた。

 やがてその眼は春人の後方に倒れている仲間へと向けられ、憐れむように細められた。

 そして、


「引くぞ」


 リーダー格の男は声音こそ冷静に言うと、仲間に肩を貸して向きを翻した。

 その背にナイフの男は怒りと不満の呻きと視線を向けるが、やがて春人を一睨みすると、その背を追う。

 仮面の者たちは手負いを抱えているとは思えないほど軽々に、薄暗い路地の向こうに見える通りの光へと消えていった。


 残されたのは、春人、伴蔵、雛菊、そして件の少女。


(……終わった?)


 そう思った瞬間、ずしりと肩と胃に重みが降りかかってくる。息が急激に荒くなり、汗が噴き出してくる。目付きにすら疲れが浮かんでいることが自分でわかる。

 取り落とすように小刀・小鴉を放すと、その切っ先が落ちる先に異空間が開き、吸い込まれるように消えていく。

 長らく実戦から遠ざかっていたこと、防衛対象と数的不利すうてきふりを抱えた戦い。なにより、不安定な精神状態であるにも関わらず仮面による狂化きょうかで無理矢理戦っていたことで、肉体も精神も不調のきざしを見せている。


(危なかった)


 これ以上の戦いはそれこそ命を懸けねばならなくなっていただろう。敵があのタイミングで引いてくれたのは僥倖ぎょうこうだった。


 春人の耳に、くぐもり、湿った小さな破裂音が届いた。振り返ってその発生源を見れば、春人が斬り裂いた仮面の男が、生気の抜けたうつろな眼差しのまま、口の端から血を垂らしていた。

 まだ絶命していない。致命傷だが、まだ生きている。


 伴蔵や雛菊が銃口を向けて警戒する中、春人は無言で男に近寄ると、顔の近くにそっと膝を着いた。

 しかし、仮面の男は春人の姿が見えないのか、虚空こくうを見つめながら段々と弱っていく。傷口から血が絶えず流れ続け、その者の周囲には血溜まりが出来つつある。


 その姿に、誰かを思い出しそうになる。


「恨んでくれて構わない」


 その言葉に、返事はない。


「ただ、あんたが安らかに眠れることを……祈ってる」


 苦痛に耐えるように絞り出された言葉に、変わらず返事はなかった。

 だが、男の口元が水音みなおとともないながらわずかに動き、しかし、それを声にする前にその命が尽きた。目から光が失われ、身体に少しずつ強張りが出来ていく。男が最期に発そうとしたのは恨み言だろうか、呪いの言葉だろうか。なんにしても、もう知る術はなかった。


「……すまない」


 恨んでくれたほうが、よっぽど気が楽だ。

 これ以上の感傷はいらない。春人は堪えるように目を細める。


 振り切るように立ち上がると、男の体が急激に色を失い始め、一回り縮まったかと思うと、その身体が塵芥ちりあくたとなって散っていく。周囲に広がっていた血糊すらも乾き、同様に風に乗って去っていく。

 春人はそれを狼狽うろたえず見守り、反して伴蔵たちは目を見張っていた。


「これはいったい……?」

「身の丈に合わない力を使い続けた結果……。反動だよ」


 伴蔵の疑問に最低限答えると、春人は疲れのためか嘆くように天を見上げた。

 そして肩を息と共に安堵に下げていると、その様子をじっと見ていた伴蔵が突如として銃口を向けた。


「伴蔵⁉」


 少女がその暴挙を静止するように、非難するように従者の名を叫ぶ。しかし伴蔵の行為に呼応するように雛菊は少女の動きを腕で制し、場を見守る。

 春人はそんな光景に慌てるでもなく、ただ感情のない視線を向けるのみだった。


「貴様は何者だ?」


 疑念をふんだんに、しかしそこに敵意は無く、伴蔵はただただ問う。

 春人は伴蔵の眼を仮面越しに見据えるだけで、答えない。


「その服、八咫之高校の物だな」


 答える必要がない。これはただの口頭での事実の確認だ。そもそも否定しようがない。

 その問いは、じっと視線を交差させるだけで終わった。


「貴様は奴らと関わりある者か?」

「違う」


 奴らとはきっと仮面の者たちのことだろう。それならばはっきりと否定できる。奴らが何者で、どこから来て、何を目的としているのか、春人にとって全てが不明なことだった。恨みどころか関わりすら欠片もない。まったくの未知の存在。

 助けたのは、それが約束を果たすために必要だったから。それだけだ。


「ならば何故我々を助けた? 何の目的があってそうした?」


 銃のグリップを握る手に力と敵意が籠ったのがわかる。春人の視線が困ったように細まる。

 どう説明したところで、この三人が納得できる内容になるとは思えなかった。

 あのまま見捨てていたら後悔していただろうから?

 見捨てていたらきっと約束を破ることになっていただろうから?

 そんな説明で誰が納得するだろうか。要領を得ないだとか、わかるように話せだとか、そんな文句を付けられるのが関の山だろう。

 話したところでどうせわかりっこない。この胸を渦巻く気持ちなんて。


(どうけむに巻くかな……)


 これ以上この厄介ごとに関わるつもりも必要もない春人は、面倒そうに視線を斜めに下げて思案し、会話を切る算段を付け始める。

 すると、


「――、ですよね?」


 切り替わったばかりの思考に、完全に油断したところに突き刺さる声が聴こえた。

 すっと春人の眼が見開いていく。脳裏に彼女の笑顔たちがリフレインする。胸に湧き出てきた感情によって眉間に悲しげなしわが寄る。


 その全ては狐の仮面によって覆い隠されているが、それでも彼の雰囲気が変わったことは少女たちに感付かれていた。伴蔵が何かを察するように目を伏せ、そっと銃を下げる。

 春人の視線がその問いを発した者、紅色くれないいろの少女へと向けられた。


 少女は、優しく微笑んでいた。

 ただ感謝のみを湛え、ひっそりと咲く花のように、そっと。


「あなたにとって、とても大切な約束なのでしょう。その約束がどういったものなのか、今、あなたにうかがうつもりはありません。ただ、あなたが助けてくれたおかげで私たちはこうして生きています。――ありがとう」


 少女は自分の心臓に触れるように胸元に手を置き、その手をきゅっと握り込んでいる。

 その様子を見て、体中の強張りがまるで毒気を抜くように消えていくのを感じた。

 折れた心を無理矢理動かし戦ったことは無駄ではなかったのだと、これは決して徒労に終わるものではなかったのだと、そんな確信を得られる声音だった。


(感謝されるのは久しぶりだな)


 少女の言葉は、まるで触れた部分に温もりを与えるかのように温かなものだ。いや、きっと彼女生来の声質も関係しているのだろうが、言葉に込められた気持ち、否、言葉に気持ちを込めるのが上手な子なのだろう。そして、この子はそれだけ周りに感謝して、同時に、感謝せざるを得ない環境で生きてきたということだ。

 そこに至るまでに、この子にはどれだけの過酷があったのだろう。


 だが、もう自分には関係ないことだ。

 春人は同情的な思いを切り捨てて、首を振った。


「礼なんていらない。助けたのは……気まぐれだ」


 少しだけ今しがたの思考を引き摺ったことで、突き放し方が中途半端なものになってしまった。言われた少女は困ったように眉根を寄せている。


(しまった。もう少し言い方が……)


 この少女を相手にしているとどうにも調子が狂う。


 ふと、サイレンの音が耳に聞こえたことでこの場にいる四人は上を見上げた。あれだけ派手に暴れたのだ。当然公的機関は嗅ぎ付けてくる。やがて野次馬もやってきかねない。

 これ以上この場にいるのは無意味。

 そう判断した春人は伴蔵、雛菊へと目を向け、最後に目の合った少女へ、気持ち和らいだ視線を繋いだ。


「すぐこの場を離れろ。目的地は?」

「えっと……、取り合えず――」


 少女はじっと、思案すると答える。


「八咫之高校かと」

「そうか。学校までは陰から護ってやる。だから急げ」


 そう言うと、春人は誰の返事を待たずに壁を蹴り上げて建物の屋上へと姿を消した。


「……また逢いましょうね。きっと、すぐに」


 暗い路地から見上げる青空に、少女の希望の声が昇っていく。

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