彼女との約束


 王都では戦勝祈願として祭りが行われており、近隣の村や町からも招集がかかり、それは盛大なものとなっていた。

 戦時下であるがゆえに物資は不足していたはず。なのに紙吹雪と思いきや本物の花びらが絶えず宙を舞っているし、どこに行っても飲食系の出店はあるし、対抗して王都の飲食店も出血大サービスしているし、祝砲は深夜まで定期的に撃ち続けられていたし、それはもう限度を知らないはしゃぎ様だった。

 知り合いの町民たちにはあれ食えこれ食えと構われたし、遠慮するなとばかりに土産物を持たせてくることを断り、バタバタと一日中歩き回ることになった。


 そんな祭りをほどほどに楽しんだ後、王都の外れにある小高い丘の展望台に向かい、そこの手すりに手を着いて景色を眺めているときだった。当時伸ばしていた後ろ髪、それを縛り紐ごと揺らす悪戯風が、気まぐれに声を届けてきた。


「やっほー、こんなところでなに黄昏たそがれてるの?」


 片手を挙げ、そう茶化しながら近づいてきたのは彼女だった。

 その出で立ちはまさしく魔女だ。トレードマークのとんがり帽子や魔導箒まどうぼうきこそ外しているものの、服装は魔女のローブ。腰には大き目の収納鞄。小さな星型のイヤリングを左耳に刺していて、そちらの耳の前の髪を編み込んでいる。

 プラチナブロンドの長い髪があの日のように夕日に照らされて、黄金のように輝いていた。


「レイアとオルテンシアは?」


 疑問を訪ねると、彼女は一瞬うっと詰まった後、照れくさそうに頬を掻いた。


「いやー、それがさ、レイアはこれからガルドと、……ふ、二人で過ごすとかでさ。で、オルテンシアはその、なんていうか……いい加減早く行きなさいとか言うしさ……」

「あー、だからガルド、うっきうきでどっか行ったのか」

「うっきうきだったの? ガルドが?」

「いや、いつも通りの仏頂面」


 ちょっとした冗談だった。

 ガルドはガタイの良い男で、無口で思慮深く義理堅い。まさしく堅物を絵に描いたような男で、だから色恋沙汰とはいえ仲間の前で表情を崩すということがない男だった。レイアが度々ちょっかいを掛けてもそうだったので、間違いない。

 だから、仲間であるからこそわかるその絶対にあり得ない『あの仏頂面が浮かれる様』を二人して想像してしまい、同時に噴き出してしまう。


「アハハ、ちょっとー。変なの想像しちゃったじゃない!」

「ハハ、変なのとか酷いな。仲間なのに」


 一頻ひとしきり笑った後、彼女は踊るような軽い足取りで移動して春人の隣の近い距離に陣取り、景色を眺め始めた。春人はそんな彼女に笑みを向けて、同じように景色を眺めた。


 美しい景色だった。

 水の都と呼ばれる王都。

 神の山と呼ばれる山岳地帯の裾野すそのに居を構えた王国であり、神の山から流れ出す清廉な水が川となって海に流れ込むために聖域の次に神に近い場所と呼ばれる。周囲には広大な草原が広がり、肥沃。至るところに水路が張り巡らされ、しかしその水源自体が神聖を帯びているために邪悪なものは容易には近付けない。そんな自然の要塞がこの王都だった。


 ここを統治する王は見識が広く、知識も豊富。そして邪悪な者から侵略を受けた際には率先して民を護るために動き続けた胆力まである。そのため、一部の民の間では賢王と呼ぶ流れまであるという。

 そしてここに住む者たちは王に倣うように、清廉な心を備えたものたちが多かった。

 そう、ここは護る価値がある景色だと、間違いなくそう思える場所だった。


「ねえ」


 彼女が視線をこちらに向けずに、そう遠慮がちに声をかけてきた。


「明日の戦い、勝てると思う?」

「勝てるよ、絶対」

「根拠はあるの?」


 そうわざとらしい口調で突っかかってくる彼女へ春人は笑みを深め、流し目で見ながら、


「君がいる」

「っふン⁉」

「ガルドも居るし、レイアも居る。オルテンシアだって居るし、……あいつ一番おっかねえからな。首輪でも付けとかねえと目を離した隙に――の首を取ってきちまいそうだ」

「ん、んん! そうね。確かにあの子、――への怒りは人一倍だものね」

「だろ?」


 咳払いで照れを隠す彼女を見て、春人は益々楽しげに笑った。

 その様子を見て、彼女はうーっと恨めしく悔しそうに半眼を向けていた。


「まったく、いつからあなたって『そう』なったのかしら?」

「『そう』って?」

「私を揶揄からかうように、ってことよ。初めて会った時は初々しくて可愛かったのにねー」

「そりゃ美人に慣れてなかった頃だからな」

「えふんっ」

「……今のはマジで揶揄からかってねえぞ。狼狽うろたえんな」

「わ、わかってるわよ!」


 ムキになって叫ぶ彼女をどうどうと制する。


「ま、あれだよ。三年も一緒にいれば気心だって知れるし、人となりだってわかる。その上でこれくらいなら大丈夫だってことが測れたんだと思うよ」

「つまり、『これくらいなら馬鹿にしてもいっか』って匙加減がわかったってこと?」

「君、馬鹿だろ」

「馬鹿じゃないわよ!」


 真剣な顔で真理を悟ったかのように言う。あまりにも馬鹿馬鹿しい光景だった。

話が堂々巡りしそうだったため、春人は強引に話を進めた。


「まあともかくな。俺はそれだけ君のことを信頼してるし、好きだってことだよ」

「よ、よくそんな恥ずかしいこと平気な顔して言えるわね。顔から火が出そうだわ。恥を知りなさいよ」

「俺にどうしろってんだ……」


 あーもーやだ、と春人は頭を抱えた。

 人が素直に気持ちを伝えればあれこれ言って照れ隠ししようとする。そんな対応ではなく、そのまま素直に気持ちを返してくれれば何も問題はないし文句も出ないのだが。

 頭を抱えた春人へ、彼女は何かを言おうとして、けれど喉から出掛かった言葉を飲み込むように口を噤んで、そしてもう一度躊躇いがちに口を開いた。


「ごめんね」

「なにが?」


 春人が不思議そうに面を上げると、彼女は潤んだ瞳で都のほうを見つめていた。

 その横顔からはいまいち感情が読み取れなかった。ただ、悲しんでいるということ以外は。


「あなたには沢山迷惑をかけてきたから」

「迷惑って例えば?」


 伸びをしながら春人は都へと目を向ける。


「えっと、初めて会った村で……」

「連携なんてクソ喰らえー、って感じで滅茶苦茶だったな。あれはお互い悪い」

「じゃあ、魔物の群れを吹き飛ばすときに途中でガス欠になって……」

「俺とガルドで片付けた。そもそもあれは街の傭兵団が調査ミスってただろ」

「妹がごめんね?」

「問題児だよな」

「うーん、……あっ、妖精族の森に行った時、レイアと水浴びしようとしたら……」

「俺とガルドが年甲斐もなく水遊びしようとしてたら裸の君たちと鉢合わせしたんでしたっけね。これは確かに君らが悪い。俺たちが先だったのにいきなり吹き飛ばすとかね」

「その節はどうも……じゃなくて!」


 そうじゃないとばかりに手と首を振る。


「そ、それじゃああれよ! 天穹のハランと戦った時に私のせいで右腕が!」

「俺の傷は魔力さえあれば全部治る。君が死なずに済んで良かったよ」

「あぅ……」


 もう打つ手がないとばかりに彼女は呻いた。そのまま腕を組んでうんうんと唸り出す。

 いや、もっと小さいことを挙げていけばきっと何かしらあるはずなのだろうが、彼女は何も思いつかないようだ。


 例えば、彼女が照れ過ぎて走って逃げ、それを慌てて追い掛ける春人が自警団に悪漢として取り囲まれたことだとか。


 あるいは、落ち込んだ彼女を励ますために持ち得る語彙ごいを総動員して褒め称えると、照れ隠しに背中を延々と叩かれることになって、背が真っ赤に染まったことだとか。


 もしくは、もっと始まりの記憶を手繰れば、躓いて転んだ彼女を受け止め、不意に顔が近付いた時、顔を真っ赤に染めて、荷物も何もかも放り出して慌てて逃げ去られてしまったことだとか。無言の拒絶は地味に傷付くのである。


(色々あったなぁ)


 ぱっと思い付くだけでもこれだけあるというのに、なぜ彼女は思い付かないのだろうか。

 思わず遠い目をしてしまう。

 これでも故郷では『次代の大魔道』として持て囃されつつあるというのに、これでは魔法都市の今後が心配になる。


「結局なにが言いたいの?」


 春人が問うと、彼女は腕組みをやめて、思案するように目を伏せる。やがて自身の胸の前で左手首をそっと掴んだ。

 そして春人のほうへ顔を向ける。

 濡れた瞳、紅潮した頬、稲穂のような色の髪、それらが地平線に落ちつつある夕日に照らされ、そんな光景が春人の視界に映り込む。


「私は、あなたに何かしてあげることができたかな?」


 その真剣な言葉に、春人はじっとその澄んだ翠色の瞳を見つめた。

 そして、


「できたよ。俺が旅を続けることができたのは、旅が始まった頃に君と出会えたからだ。君と出会うことができなければ、きっとどこかで心が折れてた」


 嘘偽りのない本音だった。

 久那原春人は決して強い存在ではない。旅の最中、辛いことも苦しいことも沢山あった。

 心が折れかけたことなど一度や二度では済まない。それほど過酷な旅路だった。

 そんな自分がどうしてこの旅をここまで続けることができたのか。どうして使命を捨てずにここまでたどり着けたのか。そんなこと、知れたことだった。


「君を好きになったからこそ、みんなを救いたいって思えたんだよ」


 彼女がすぅっと目を見開いていく。彼女もきっと思い出したのだろう。

 出会ったばかりの頃、自分自身が語って見せた夢の一つ。救える人を全て救いたいという、ほんの少しだけ傲慢な願い。


 子どもが見るような浅ましくも、シミ一つない美しい絵空事。


「覚えててくれたんだ」


 か細い声に、春人は応える。


「当たり前だろ。……あの頃から、ずっと好きだったんだから」


 言いながら、ぷぃっと顔を逸らす。

 これまで余裕綽々だった春人だが、いい加減に限界だった。さすがに何度も何度も好き好き言い続けて許容量をオーバーし、頬はしっかり色付いている。

 そしてそんな様子を目敏く発見するのが彼女である。何事かと、ひょぃっと彼の顔を覗き込んで、照れているのを確認すると満面の笑みを浮かべた。


「おー照れてる照れてる。やっぱり可愛いとこあるじゃない」

「うるせえ」


 覗き込んできた彼女からさらに顔を逸らすと、あはは、と楽しそうな声が耳に届く。

 揶揄からかわれるのは嫌だが、それでも、彼女が楽しいのならば少しくらいはいいか、と春人はそう思えた。


「よーし、お姉さん気分が良いからこれをプレゼントしちゃうぞー」


 満足した彼女はそう言うと腰の鞄を漁って何かを取り出した。

 見てみると、それは狐の仮面だった。

 きっと近隣の村で作られたものだろう。作りは決して丁寧というわけではない。塗りも最低限売り物になれば、とでも言いたげな出来だ。恐らく魔除けの品なのだろうが、切れ長の目穴付近の涙のような縦線が縁起でもない。


「これは?」

「ただの仮面!」

「嘘つけ。なんか感じるぞ」


 そっと端に触れてみると、微かだが呪いの類を感じる。この仮面には何かしらの力が付与されているのは間違いない。

 しかし、彼女は満足そうににっこり笑う。


「ご名答ー。現物自体はさっきお店で手に入れたんだけどね、これに込めたまじないは私が込めたものなんだ」

「どんなまじない?」

「うーん、簡単な肉体強化と強壮効果かな? まあ術法自体は狂化なんだけど。あと、弱いけど自己修復効果と認識阻害が……」

「ちょっと奥さん? 聞き捨てならないことが――」

「ま、まだ奥さんじゃないでしょ私⁉」


 一部の文言だけ切り取って覿面てきめん狼狽ろうばいし始めた彼女に、春人は困ったように唸った後、まあいいかと息を吐いた。


「貰っていいんだろ? ありがとな」

「あ……、うん」


 そう言って春人が仮面を掴んで受け取ると、彼女は少しだけ寂しそうな顔をした後、それを隠すように笑みを浮かべた。


「それはね、もし私が傍にいない時に前に踏み出せないなー、怖いなー、って春人が思った時に使ってほしいの」

「怖い時かぁ……。お化けが出た時とか?」

「春人、浄化できるじゃないの」

「そうだった」


 これは盲点だった、と呆気に取られる。そんな春人を見て、彼女はくすりと笑った。

 そして名残惜しそうに手すりを撫でると、春人へ視線を向けずに言う。


「ねえ、春人」

「なに?」

「一つだけ、約束してほしいの」

「ああ、いいぞ」


 春人は異空間に仮面を仕舞い込みながら、そう答えた。

 しかし、彼女はやはりやや躊躇ためらいがちに視線を彷徨さまよわせ、そして、左手で手すりをきゅっと握り込んでようやく口を開く。


 この時、その目が先程までとは違った意味で濡れているのだと、どうして気付けなかったのだろう。


「これから先、どんなことがあっても、……あなたはずっと、優しいままでいてね」

「……そんなんでいいのか?」

「うん、これがいいの。……これじゃないと、駄目なんだ」

「よし、じゃあ約束な」


 そう言って小指を差し出す。指切りだ。

 初めてこれを提案した時、もし疑問を抱かれたらどうしようかと思ったものだが、こちらの世界にも同じような風習があって良かったと心底思う。


 指と指が絡み合う。長く外にいたからか、ほんの少しだけ冷たいけれど、それでも、彼女の体温を感じる。彼女の存在を感じる。それだけで、たったこれだけで、十分だった。


 


「約束よ」


 彼女はそう言って、満足そうに微笑んだ。



――――



「そうだ」


 凍っていたかのように止まっていた身体がぎりぎりと動き始める。指先が動く。縫い付けられていたかのように重たく動かなくなっていた身体が、ようやく動くようになっていく。

 膝を着いていた身体が、徐々に立ち上がっていく。

 歯を食い縛る。

 面が跳ね上がる。

 瞳に意志が宿る。

 涙の跡は乾きつつある。

 腫れた瞼はまだ治らない。


 その全てを覆い隠すように、春人は約束の仮面を被った。


「――約束なんだ!」


 バキン、と全身で何かが砕けるような音がした。

 だが、構わなかった。そんなことはどうでも良かった。

 今は救うべきものがある。果たすべき約束がある。戦わなければならない理由がある。

 ここで彼女たちを見捨てたら、きっと優しい人間ではいられないから。

 今の自分がたとえ何者であろうと、どれほどの愚者であろうとも、それすらも定まらない虚飾の存在であろうとも、それでも、成さねばならないことがここに有る。

 なぜなら自分はまだ生きている。ここにいるのだから。


 走れ、助けを求める者はすぐそこだ。今ならまだ間に合う。救える命がそこにある。

 駆け出した春人はそのまま建物の間に飛び降りていった。

 やがて、


「チィ」


 誰かの忌々いまいまし気な気配がそこにはあった。



 ◆



 仮面の者たちにとって、少女に纏わり付く護衛二人を排除するのは簡単なことだった。

 少なくとも、この時点では。


 三人の仮面の者、その中心に居た者が右袖より取り出した剣に薄光はくこうひらめかせ、駆ける。

 その鋭い切っ先は、少女たちへ向けられている。


「お嬢! お逃げください‼」


 右手で小銃を構え、左手で拳を作り、伴蔵がやや前屈で絶対的な死である脅威に備える。


 その声を聴いて、少女は死に呑まれつつある従者の名を叫ぼうと口が動く。


 雛菊は、相棒にして婚約者の最期の時を悟り、それでも決して彼へ目を向けずに、胸中の感情とともに奥歯を嚙み締めた。


 全てが一瞬だった。


 発砲音と、一閃。


 硝煙。ほこりが舞い、砕かれて宙を舞うアスファルト。


「なっ……!」


 仮面の者と伴蔵が驚愕に眼を剥く。


 誰も死んでいない。ただ困惑して動きを止めている。


 二人の間に割って入るように、いつの間にか何者かが現れていた。


 それは狐の仮面を被った少年だった。


 あの瞬間に閃いたのは短刀の斬撃。それが剣を上から叩きつけ、アスファルトに剣先を減り込まさせていた。そのまま鍔まで刃先を移動させ、鍔迫りで動きを封じている。

 雛菊は伴蔵が無事なことには安堵しながらも、予断を許さぬ事態であるがゆえに前方の敵に目を向け直す。


 そして少女は、伴蔵を挟んで見えるその背に、自身が纏う学生服と同学の物を纏うがゆえに異質なの者に、困惑と共に問う。


「あなたは……?」


 少年は仮面と肩越しに少女の姿を捉え、愛おしむように目を細めた。


 しかし少年は答えない。いや、答えようにもわからなかったのかもしれない。自分が何者であるかなどとうの昔に見失い、暗闇の中を彷徨ってきた身だ。

 ただこの身に残っているものもある。掠れ切って摩耗したこの身と心にも、まだくすぶる想いが確かにある。


「……護る」

「え?」


 必死に喉の奥から絞り出したかのような一言に、少女は聞き間違いかと問い返す。


 だが、答えは変わらない。


 前を向く。

 少女たちから命を奪おうとするその者たちへ威嚇するように、宣言するように、声を上げる。


「俺が必ず、護ってみせる!」


 なぜならこれは――


「――約束だから‼」


 今ここに、少年は再び歩み出した。


 苦難に満ち、苦痛に苛まれ、泥の中を這うことになろうとも、たとえ何を代償に差し出すとしても、それでも、約束を果たすための道を。

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