第5話 宣伝依頼

 土日が過ぎて週明けの月曜日、すっかり習慣になった新聞部に顔を出して作業をしていたら、意外な訪問者が扉を叩いた。


「ポエム、ありがとね」


「あ、うん……」


 先週、恋をテーマに詩を書いてほしいと頼んできたエミさんである。今日張り出されたばかりの校内新聞を読んで、約束通り恋の詩を書いた俺にお礼を言いに来てくれたのだろう。

 わざわざ部室まで足を運んでくるなんて律儀なことだ。

 でも先輩がいる前で言われるのは恥ずかしいものがある。

 なので声がいつも以上に小さくなってしまい、まともに会話ができずにいると、奥に座っていた先輩が興味深そうな感じで立ち上がって俺のそばに来た。

 そして負けじと小声で言う。


「もしかしてカズ君のファン?」


 答えを聞く前からそう信じているらしく、とても嬉しそうだ。

 なんだかんだ頑張って詩を作っていた俺の姿を見ていたからか、自分のことのように喜んでくれている。

 苦手だからと言って逃げずに挑戦してよかったな、なんて素直に受け取るのも恥ずかしいので思わず否定の言葉が出た。


「いや、どちらかというと俺のほうが彼女のファンなんですけどね」


「ん、どういうこと?」


 一般的に考えて、普通の友達に対してはファンなんて言葉を使わない。

 さすがに要領を得ず不思議に思ったらしく、小首をかしげながらエミさんを見る先輩。話の流れから、いきなり新聞部を訪ねてきた彼女のことを新進気鋭のポエマー高校生とでも思っているのかもしれない。

 すると二人の目が合ったようで、お互いにペコペコお辞儀をしあって「どうも……」と小声であいさつ。初対面の人間が相手だと緊張して会話がままならない場合が多い俺に負けず劣らず、どっちも人見知りだ。

 というより、最初に俺が小声でエミさんの相手をしてしまったので、そうするのが普通なのかと先輩もエミさんも無意識に声を小さくしてしまっただけだろう。ここが部員二人の寂れた新聞部の部室ではなく、私語厳禁の図書室だと感じているのかもしれない。

 正直、自由にしゃべってもらったっていい。

 だから俺は声を大きくして二人の間に入る。


「えっと、エミさんはバンドをやっていて、そのボーカルなんです。中学生の時にたまたま路上ライブを聞いてから、友達になって……」


 頼まれたわけでもないのに勝手にファン代表になったつもりで紹介しながら、彼女と出会った中学時代のことを思い出して言葉尻が小さくなる。楽しかっただけの小学生時代とは異なり、手ひどい失敗の記憶を共有している先輩の前で中学生のころの話はしたくない。

 自分から会話に入ってきたくせに、ネット回線が切れてしまったかのようにプツリと黙ってしまった俺の代わりか、いやいやと手を振りつつエミさんが俺ではなく先輩を見て補足する。


「正確には高校に入って再会した先日からですけどね。友達になったといっても、一年くらい会ってなかったんです」


「そうなんだ。一年くらい、っていうと……」


 頭の中にあるカレンダーを過去に向かってさかのぼっているのか、遠い目をする先輩。

 これから一緒に新聞部で活動していく俺たちの関係が気まずくなるのを避けるため、かつての記憶に蓋をしているとするなら、いつまでも黙っているわけにはいかない。

 先輩が何かを考え付く前に、意図的に大きな声を出す。


「それよりエミさん、どうして新聞部の部室に?」


 ポエムを読んだ感想やお礼だけならスマホでもできたはずだ。通話やメッセージアプリで足りないなら、休み時間の教室でもいい。

 あえて部室まで顔を見せにきたのには特別な理由があるように思えた。

 実際そうだったらしく、うなずいたエミさんはかしこまって姿勢を正した。

 ごくり、と唾をのむ音まで聞こえた。

 ちらりと俺の顔を見た後、体ごと先輩に目を向ける。


「あの、実はお願いがあるんです。ダメもとで来たので、遠慮なく断ってもらっても全然かまわないんですけど……」


「んー、なんだろ。とりあえず言ってみて?」


「はい」


 もじもじと両手の人差し指を突き合わせ、自信なさげに言う。


「一か月ほど先の六月にライブをやることが決まったんですが、よければ校内新聞で宣伝していただけないかな、と。学校の掲示板に宣伝のポスターを張り出すのには生徒会の許可がいるらしくて、入学したばかりでお願いに行くのもちょっとな……と」


 新聞部なら吉永君がいるので、生徒会長の名前さえ知らない生徒会室に行くよりも顔を出しやすかったから……と付け加えるエミさん。

 頼られてるんだね、とか言いつつ、先輩は近くに立っている俺の肩をパンパン叩きながら答える。


「いいんじゃないかな。頑張ってる生徒の活動を応援するのも新聞部の大事な仕事だよ」


「本当ですか? ありがとうございます!」


 許可をもらえて安心したのか、ぱっと顔を輝かせるエミさん。

 そばで聞いていただけの俺もほっとして胸をなでおろす。バンドの応援をしているファンだからとかいう以前に、大切な友達が残念がる顔は見たくない。

 そんな俺に先輩が顔を向けた。


「でも、ただ文章でライブがあることを宣伝するってだけじゃね。ちゃんと記事にして紹介したいから、バンドのみんなが写っている写真が一枚ほしいな」


「だってさ。エミさん、一枚くらいない?」


「カズ君」


 熱心な部員として、二人の間を取り持つようにエミさんへと話を振れば、彼女からの返事が来る前に先輩が俺の名を呼んで、何かをたしなめる。

 怒られるような気配を察して、即座に気を付けの姿勢をとった。

 小学生のころ、危険な遊びをしようとした俺はよく名前を呼ばれたものだ。

 そのあとで、優しく教え諭される。


「新聞部の部員になったんだから、ちゃんと自分の足で取材に行かなきゃ。楽をしようとしちゃ駄目だよ」


「はい」


「ついでだから簡単にライブへの意気込みとかもインタビューしてきてほしいな」


「わかりました」


 もっともなことを言っているので従順にうなずく。みっともないから言い訳は不要だ。

 それに、かっかいいバンドの写真を撮ってライブの宣伝記事をしっかり書けば、エミさんと先輩のどちらにも役立てるではないか。


「じゃあ決まりだね」


 というわけで、友達としても新聞部員としても俺は頑張ることに決めた。





 週末であり休日、ちまちまと雑談を挟みながらスマホで連絡を取り合ってエミさんと待ち合わせた俺は、彼女が所属するバンドのメンバーと会うことになった。

 校内新聞にライブの宣伝記事を載せるため、バンドメンバーにインタビューをするのである。

 文芸欄や雑用以外で、ちゃんとした取材という意味では部員になって初めての仕事だ。どんなバンドなんだろうと期待して読んでくれた読者だけでなく取材相手の失礼にもなるので、いい加減な態度で仕事に臨んで失敗するわけにはいかない。

 とにもかくにも緊張していた俺は考え得る精一杯のおしゃれをした……つもりでも、選んだのは目立たない地味な服だった。制服で来たほうがよかったかもしれないレベルだ。

 まあ、記者は主役じゃないんだからこれくらい自己主張しないほうがいいと自分を慰める。


「吉永君、こっちこっち! みんな待ってるよ」


 約束していた場所は個人的に思い出深い場所でもある駅前ロータリー。休日だけに、到着客も出発客もいるのか人込みはひどいが、どうやら先に到着して待っていたらしいエミさんが俺を発見して右手を振っていた。

 季節が春だからか、生地の薄い半袖のシャツに短いスカートという出で立ちで、上は萌黄色に下は淡いピンク色。すでに散ったはずの桜が蘇ったのではないかと思えるほど華やかで、なにより儚げな印象だった。

 彼女に比べれば俺は枯れ木みたいなものだ。


「ごめん、待たせちゃったかな? 約束の時間に遅れちゃったらいけないと思って、急いできたつもりだけど」


「待ったには待ったけど時間には間に合ってるよ。手元のスマホでも駅の時計でもまだ五分前」


「そっか。じゃあ次からは十分前に着くように家を出よう。それでも待ってたら十五分」


「次からはって……まあいいか。あと、勘違いさせちゃったならごめんだけど今日はたまたま早かっただけね。それじゃあ私について来て。早速みんなに紹介するから」


「お、お手柔らかにお願いするよ……」


 緊張のあまりぎこちない足つきで案内されたのは、低価格帯ながらも豊富なメニューで知られる全国チェーンのファミリーレストランだった。高校生である俺のために入りやすい場所を選んだのではなく、もともとバンド行きつけのファミレスらしい。

 もし彼女の向かった先が人通りの少ない路地裏とか、怪しい雰囲気のクラブとかだったらどうしようと昨夜のうちから不安だったので、見慣れた店構えを見た瞬間にほっと胸をなでおろした。

 よく晴れた昼下がりの、しかも休日のファミレスだ。お客さんには家族連れや中高生も多いので、顔を合わせるなり修羅場が発生して、いきなり殴られるということもあるまい。

 取材は取材として真面目に取り組むとして、バンドのみんなと仲良くなれて、和気あいあいと食事を楽しめるんじゃないだろうか。

 どうせ頼むなら普段は食べない特盛のパフェにしよう。


「こちら、私が言ってた新聞部の人。同じ高校なんだよ」


 すでにお昼ご飯を食べながら待っていた三人のバンドメンバーたち。

 席に着くなり休む間もなく俺の肩にエミさんの手が乗せられ、食事の手が止まった彼らの視線が集まった。注目されている。炎天下のグラウンドを走らされた直後みたいにのどがカラカラになった俺はごくりとつばを飲む。

 お水以外は喉を通りそうにない。特盛のパフェはお預けだ。


「あ、はい。……えっと、はじめまして。俺は吉永という者で……」


 などなど、少々たどたどしくはあったものの、どのタイミングで口に含むべきか迷ったまま飲めずにいた冷たい水を片手に、簡単な自己紹介を終わらせる。

 どうやらエミさんから最低限の事情は伝わっているらしく、俺が新聞部の部員ということも、ライブの宣伝のために記事を書くので軽くインタビューをさせてほしいということも了承されていた。

 色々と考えた上で、一年前の冬にバンドの演奏を聞いて感動したという話は伏せた。あれはどちらかというとエミさんに対しての感動であって、バンドそのものへの感動とは違うものだ。

 相手に興味を持たれてしまい、彼らの曲や演奏について詳しく尋ねられるとボロが出るかもしれない。


「……というわけで、今日はよろしくお願いします」


 バンドの四人と部外者である俺一人、総勢五人で一つのテーブルを囲む。

 ざっと見たバンドメンバー三人の印象は、向かって右から落ち着いた雰囲気のイケメン、喧嘩が強そうな不良、どこにでもいそうな一般人だった。

 エミさんの話によれば三人とも今年の四月から大学生らしいので、まだ高校生になったばかりの俺からすれば彼らが大人な感じがして緊張しっぱなしだ。

 どうか優しい人であれ。あまりにも馴れ馴れしいと苦手意識が強くなるけれど、冷たくされるよりはましだ。

 リーダーなのか性格なのか、贅沢に一番広いスペースを使って三人の真ん中に位置していた不良っぽい風格の男性が、どっしりと座ったまま口を開く。


「……菅井すがいだ。校内新聞でライブの宣伝をしてくれるってんなら感謝はするが、どうせならお前の高校に在籍している生徒がみんな俺たちのことをかっこいいと思うように書け。写真もいいやつを使え。いいな?」


 有無を言わせぬドスの利いた声は喧嘩腰に感じられたので俺は恐縮して、後ろに下がりたい気分で背筋を伸ばした。


「善処はします。協力していただけるのなら、こちらに文句なんてありません。応援するつもりで記事を書きます」


「ならいい。原稿が完成した後でチェックしてダメだったら突き返す。ちっぽけな校内新聞にしたって、生徒の一人が面白がった途端にネットで簡単に拡散されちまう。バンドイメージは大事にしねえとな」


「おっしゃることはわかります」


 たかが高校生の校内新聞となめてかかると大変な目にあう可能性もある。

 冗談のつもりで口にした発言が顔写真と名前入りで校内新聞の記事になり、それを生徒の一人が軽い気持ちでSNSにアップしたら想像以上に拡散されて、あたかも極悪人みたいな扱いで炎上して叩かれ、明るい未来を閉ざされてしまう危険性もゼロではない。

 それは極端な例であるにしても、リスクがある以上は気を付けるに越したことはないのだ。本格的にプロデビューを目指しているにせよいないにせよ、イメージ戦略を大事にしているらしい彼が危機意識を高く持つのは当然だろう。

 逆に言えば、それくらい大事なことをしている自覚を持たなければならない俺である。

 ハルナ先輩に記事の一つを任された新聞部員の一人として、ますます気合が入る。

 己の人生がかかった試験や面接を受ける気持ちになって居住まいをただすと、あの、と言いにくそうにしながらもエミさんが菅井さんに苦言した。


「菅井さん、お願いしているのは私たちなんです。偉そうにするのは違うと思うんです」


「……あー、はいはい」


 いい加減な返事をした後に、シッシッと追い払うように手を振って露骨なため息。

 ぬくぬく気分でいた俺の感じる室内気温が下がる。


「ったく、エミもなんでこんな小僧に頼るんだか。校内新聞? 馬鹿じゃねぇの。宣伝効果なんてゼロだろゼロ。俺には理解できない」


 態度を一変させた菅井さんはあからさまに顔をそむけると舌打ちして、あえて俺にも聞こえるように大きな声で不愉快そうに吐き捨てた。

 悪態をつく男子大学生。怖い。

 戦々恐々として震えていたことは秘密だ。

 不機嫌さを隠さなくなった菅井さんとのやり取りで気まずくなってしまった場の空気を嫌ったのか、隣に座っていた一般人風の男性が口を開く。

 あまり冴えない感じの印象。この中では一番親近感がある。

 気難しい人でさえなければ仲良くできそうだなと、あえて俺は身構えなかった。


「記事になるのに俺だけ名前がないんじゃ格好がつかないから一応名乗っておくけど、俺は孝之たかゆきだ。中道孝之。そいつの兄な」


「そいつ……というと?」


 目の動きで示された視線の先を確認すべく、ちら、と横に座っていたエミさんの顔を覗き見る。

 どちらも同じ中道さんだ。

 自分の発言がきっかけで機嫌を悪くしてしまった菅井さんのことを気にしながらも、あえて気にしないようにふるまってうなずく。


「うん、私のこと。その人、お兄ちゃんなの」


「へえ、そうなんだ」


 遠慮がちにチラッチラッと見比べてみれば、確かに面影はある。顔つきや雰囲気が似ていると言われて二人が喜ぶのか不満に思うのか判断がつかないから、ここは黙っておくことにしておくが。

 そいつとか、その人とか、他人行儀に感じる部分もあるので仲が悪いんだろうか。

 そう思っていたら、ちょっと恥ずかしそうにエミさんが打ち明ける。


「このバンドでボーカルをやることになったのもさ、もとはといえばお兄ちゃんに誘われたの。ベースやってるんだ」


「なるほど」


 じゃあそっけなく感じるだけで仲はいいのかもしれない。関係性が悪かったら兄に誘われても入らないはずだ。

 もしかするとエミさんに似て優しい人なのかも。

 そう思って顔を向けると、不機嫌そうに眉根を寄せられた。


「学校でそいつと仲良くしているのかもしれんが、それはそれだ。新聞部の取材だからって引き受けたけどよ、男子じゃねえか。バンド活動がおろそかになられると迷惑なんで、うちのボーカルに手を出さないでくれるか?」


 エミさんの兄だという孝之さんの突き放した物言いに、もはや完全アウェーとなった俺は黙るしかなかった。口ぶりから判断すると、孝之さんは俺に対して敵意すら持っているようだ。

 うっかり変なことを言ってしまって喧嘩になったら困るので、そんなつもりじゃないんです、なんていう口答えもできずに、萎縮して固まることしか出来ない。

 完全に口を閉ざしてしまったことで俺が屈したとでも思ったのか、孝之さんは満足そうに胸を張っている。

 だが、威張っていた孝之さんに食って掛かったのは彼の妹であるエミさんだ。


「手を出すとかさ、そんな品がない言い方しないでよ。今日の取材だって私が頼んだんだもん」


「なんだ? またお前は俺に歯向かう気か? 最近は些細なことにも全部、いちいち口答えしやがって。心配してやってんのにうるさいんだよ」


「口答えとかじゃないよ。心配してるとか口では言ってもさ、そもそもお兄ちゃんはバンドとかライブのこととか本気では考えてくれてないじゃん。何を言っても反対ばっかり。今の私が相談できるのなんて彼以外にいないよ」


「だからって、こんなガキに頼ることねぇだろ!」


「ガキって、だからそんな品がない言い方……!」


 ここが公共の場であるファミレスということも忘れてヒートアップしてしまう二人。喧嘩するなら外で、いや兄妹なんだから家でやれ……と誰もが思ったことだろうが、もちろん俺は口にしなかった。

 友達になれたばかりのエミさんに嫌われたくなかったから、というのが一番の理由だ。二番目の理由としては孝之さんににらまれると怖いから、という情けないものだけれど。

 しばらく二人の口喧嘩が続くだろうと諦め半分に身構えたものの、さらに激しく発展することはなかった。


「落ち着け、二人とも。周りの迷惑だぜ。一つ、俺からもいいか?」


 最後に口を開いたのは右端に座っているイケメンだった。

 テーブルの喧騒から一歩引いたように淡々とした静かな口調で、けれど不思議と説得力のある語り方だ。

 その場にいた全員が渋々ながらも黙り込んで聞く姿勢になったのを確認すると、彼は冷静に続けた。


「お前……吉永といったか?」


「はい」


「さすがに校内新聞で宣伝してもらったくらいで目に見える効果があるとは期待できないが、かといって文句もない。わざわざ俺たちのために紙面や労力を使ってもらって当然感謝もある。だけどさ、俺はただ気持ちよくギターが弾ければいいんだ。宣伝記事のことはお前とエミに任せる。インタビュー記事だって俺の部分はお前が適当に書いといてくれ」


「それは……」


 どうなんだろうか。

 こちらへと真っ直ぐ視線を向けられたので、真摯に答えるつもりで俺はうなずきそうになったが、取材を任せられた新聞部員として褒められた行為ではないようにも思える。いくら本人が許可してくれたとはいえ、ろくにインタビューもしないまま適当に書いて終わらせるなんて。

 責任感の強い先輩に言ったら「カズ君!」とたしなめられそうだ。

 悩んでしまって答えられずにいると、目線を下げた彼は誰にでもなくつぶやく。


「最悪、次のライブだってどうなろうといいんだ。このバンドだって……」


 はっきりと言い切る前にエミさんがピクリと肩を揺らして反応しただけでなく、後ろ向きな彼の発言はバンドの仲間にとって不服だったようである。


「岸村ぁ、仮にもリーダーであるお前がそんな態度だから……」


 いかにも文句ありげに口を開いた菅井さん。

 しかし、その続きをはっきりと言い切ってしまう前に反撃を受ける。

 岸村ぁ、と呼ばれたリーダーらしい青年が颯爽と言い返したのだ。


「お前から見て俺がどんな態度に見えようが、いつだって俺は音楽と真正面から向き合っているつもりだ。じゃあ逆に聞くが、お前らはどうだ? どうせお前らは音楽を心から愛してはいない。いつも考えているのはバンドの居心地の良さと、商業的な成功のことばかりだ。呆れてくる」


 この言い分に答えられず、人差し指でテーブルをトントンと叩きながら菅井さんは悔しそうな顔をして唇を噛み締めたが、二人の会話を隣で聞いていた孝之さんは苛立ちを隠さなかった。

 先ほど中途半端に終わってしまったエミさんとの喧嘩の余熱が冷めていないのだろう。

 にわかに立ち上がり目つきを鋭くすると、黙ってしまった菅井さんを間に挟んで、その向こうにいる岸村さんをにらみつける。


「おいおい、こらこら! どっちがバンドをしらけさせていると思っているんだよ! 俺たちん中じゃ一番うまいのは認めるけどよ、さすがにバンド愛がなさすぎるんじゃねえか!」


 その叫び声はファミレスに響き渡った。とっさに俺は周囲をキョロキョロと見渡して、こちらに迷惑そうな顔を向けていた店員さんや他の客の皆様に頭を下げた。

 すみません、すみません。騒がしくして申し訳ないです。

 そんなことをやっていると、どうしようもなく自分が場違いな気がしてならなかった。

 バンドのメンバーでもないのに、外から見れば仲間の一人みたいに座っている。取材のためとはいえ、そんな空気でもない。

 小心者で消極的で何かをやれる自信もないから、どうしてこんなところにいるのか後悔し始めていた。

 喧嘩は苦手だ。

 周りが感情的になっていくほど、何を言っても俺の声は通らなくなるから。


「ちょっとみんな、やめようよ。さっき大きな声を出しちゃった私が言うと説得力なんてないけど、兄妹喧嘩とバンドの仲たがいは全然違うよ。ねぇ、もう元に戻れなくなるよ?」


 落ち着こう、落ち着こうと、両手を使ってみんなをなだめたのはエミさんだ。このままバンドが崩壊してバラバラになる最悪の結末を想像してしまったのか、捨てられた子犬のように不安げで寂しそうな顔をしていた。

 同じバンドの仲間であるはずの彼らが、こんなに激しく口論するまでに至った事情はわからない。バンドとして過ごしてきた経験も、思い出も、詳しいことは何も知らない。

 けれどその瞬間、俺は彼女が、このバンドのことを心から大切に思っているんだと思った。

 同時に、おそらく彼女にとっては、このバンドこそが一番の居場所なんだと思った。

 本質的にはバンドに無関係なはずの俺も、彼女のすがり震えるような声を聞いて少しだけ寂しくなっていた。


「おいエミ、お前は誰の味方なんだよ? ある意味ではボーカル様が一番偉いんだからお前がみんなを引っ張れよ。ギターがうまいってだけで決まったリーダーにバンド愛が足りないんだからな」


「それは……」


「あ? はっきり言えよ。お前はどうしたいんだってよ」


 熱が入るあまり、テーブルに手をついて勢いよく立ち上がろうとする菅井さん。

 それを止めたのは隣に座っていた孝之さんだ。


「やめろ、菅井。こちらとしても兄である以上、そいつに手をあげれば家族を代表して俺はお前を殴る。もっとも、お前に喧嘩で勝てる自信は全然ないがな」


「……いいぜ、そのときは俺も殴り返してやるよ。大体、お前がやろうって言い出したんだろうが、このバンド。ちゃんと責任取れよ。音楽以外はからっきしのリーダーに代わってリーダーシップを発揮しろ」


「うるせぇ。聞いていればさっきから偉そうなことを言っているが、結局お前は女にもてたくて生半可な気持ちでバンドやってるだけだろ。好きでもないくせに俺の妹のことも狙ってんじゃねえだろうな? 正直不愉快なんだよ」


「もう、だからやめてよ二人とも!」


 ハンバーグ、ステーキ、パスタなど、思い思いのランチが広げられているテーブルを挟んで不穏な空気が飛び交う。

 一触即発の殺伐とした雰囲気が穏やかな店内BGMがかかっているファミレスには似つかわしくなく、どこか皮肉のように俺を凍りつかせた。

 この状況をなんとかしなければ、いや真っ先に逃げ出したい、駄目だなんとかしなければ。

 息が止まりそうな緊張の中で、俺はどうするべきか自分に問いかけつづけた。

 そんなときだった。


「なあ、吉永。ここは俺がおごるから、お前は適当に食って、いいタイミングで適当に帰ってくれ。宣伝記事を書いて協力してくれるっていうのに悪かったな」


 俺から見て右の前方に座っていた岸村さんが椅子から身を乗り出すと、テーブル越しに顔を寄せてささやいたのだ。

 心理的な意味での壁を作られているんじゃないかと思っていたのに、あちらからの行動で急に距離が近くなったので、緊張しつつ謙遜する。


「いえいえ。ありがとうございます」


「それと、あの時はありがとうな」


「あの時?」


 はて、どの時のことだろうと思って首をかしげると、覚えてないわけがないだろと岸村さんが微笑む。


「一年前の路上ライブだよ。あんなに感動して聞いてくれた人間を簡単に忘れたりしない。だから俺はお前を信用しているんだ。たかが校内新聞とはいえ、信頼できない奴には何も適当に任せはしない」


 最後に爽やかなウインクをして、岸村さんは俺から顔を離した。もはや同じ人間として憧れを抱くレベルの格好良さだ。

 なんというか、彼とは同じ土俵で戦っちゃいけない別次元の相手だと思えた。

 俺には微笑んでくれてよかった。

 少なくとも彼が敵ではないと思えたから。





 タイミングを見計らってファミレスを出るなり、とぼとぼと数メートルほど歩いたところでエミさんは大きくため息を漏らした。


「はあ……ごめんね、みっともないところまで見せちゃって」


 そして街路樹に手をかけて弱々しくしなだれかかりそうになってしまうので、隣で見守る俺はおろおろした。

 なぜ彼女が一緒にいるかといえば、喧嘩に巻き込まれないように存在感を消して特盛パフェをこそこそ完食した俺のタイミングに合わせて、途中までは一緒に帰ってくれることになったからである。

 きっとファミレスの中では今も三人が言い争いをしていることだろう。あるいはお葬式みたいなムードとなって、黙々と食事を続けている可能性もある。

 そう考えるとエミさんも息が詰まりそうな空間から逃げ出したかっただけかもしれない。

 疲れているのは誰から見ても一目瞭然だ。


「俺こそごめん。バンドの取材のために来たのに、結局インタビューも写真撮影もできず、何の役にも立てないで」


「いやいや、それも本来は私が頼んだことだから……って、そうやって君を申し訳なさがらせちゃうから、ますます悪いことしちゃったなって思うんだけどね」


 はあ、と再びのため息。

 体重かけてごめんね、なんて優しく気遣うように街路樹からは手を放す。


「吉永君もごめん、ファミレスを出たすぐ後に足を止めちゃって。歩こっか。このまま帰るのもあれだし、ついでだからどこかに寄っていく?」


「誘いならありがとう。せっかく二人で会えたから遊びたい気分もあるけどさ、エミさんが疲れたなら今日は解散でもいいよ。どのみち暇だから家まで送っていこうか?」


「疲れたには疲れたけど……解散するなら駅前でかな。家まで送ってもらうのは悪いよ」


「そっか。それじゃあ、ともかく駅前まで行こう」


 そうして歩き始めた俺たちだったが、会話もないままに歩道を歩いていた数十秒後、またしても彼女は突然立ち止まった。

 何かあったのかと隣で同じように足を止めた俺の顔を見ないで、地面だけが友達みたいに、うつむいたまま語り始める。


「本当にごめんね。なんとかライブを成功させたくて宣伝の依頼を出したんだけど、実はそれどころじゃない解散の危機だったんだ、私たち。もしかしたらライブの前に終わっちゃうかもしれないくらいにピンチなの」


「だったらやっぱり俺もごめん。取材の立場を利用して、解散問題を忘れさせるくらいライブに向けてのモチベーションを高められたらよかったのに。せっかく君が頼ってくれたのに力不足でさ……」


「そんなことないよ。感謝してる」


 気休めではなく、彼女は本当に感謝してくれているのかもしれない。でもその感謝を受け取る資格はない気がした。

 まるで役に立てていない。物言わぬ壁と同じだ。

 自分が情けなくなってくる。


「本来はさ、次のライブに合わせて新曲を用意する予定だったんだ。私たちのバンドはまだまだ一緒にやれるんだって気合を入れるために。でも、予定通りに曲は完成したのに誰も歌詞を考えたがらなくって。だから私が作詞に名乗りを上げたの。今まで一度も歌詞なんて作ったことないのに。なんかさ、これが完成しないとバンドが消えてなくなっちゃう気がして……」


「そうだったんだ」


「でね、その曲なんだけど、オリジナルでは初めてのラブソングなの」


「ラブソング……」


 それを聞いて、思い当たるものがあった。

 つい先日の放課後、白い封筒に入った宛名のないラブレターを抱えて、恋心について悩んでいたらしいエミさん。

 同じ日、俺に恋の詩を書いてほしいと頼んできたエミさん。

 それらはすべて、自分の居場所でもあるバンドのために、新しく作るラブソングの歌詞を考えていたからこそなのだろう。


「君が考えてくれたポエム……例の校内新聞のやつだけどさ」


「うん」


「くっつきすぎると重なってどちらかが消えちゃう、二つ並んだ影法師だっけ。すごくよかったけれど、あれって『恋の詩』というか、お互いを思いあう『友達の詩』みたいだった」


「それは……自分でも否定できないな。どんなに相手を好きでいても、不用意に近づきすぎるとお互いの輪郭がゆがむから、気軽に触れることはできないっていうか……」


 臆病なんだよ。

 そう言ったら彼女は横に首を振った。


「でもさ、今の私にはすごく共感できたよ。まぶしい太陽があると相手の影法師も色濃く見えるのに、自信がなくなって夜になると、自分の姿も相手の姿もわからなくなるの。友達の詩みたいだって言ったばかりだけど、それでも『恋心は影かぁ……』って思うと、好きな人を思い浮かべながら苦しんでるのも肯定されてる気分になる」


「どうなんだろ」


 書いた本人としては、そこまで深いことなど考えられていない。

 エミさんの期待を裏切らないためにもなんとか今週分の詩を完成させなければと、いっぱいいっぱいになっていただけだ。一本しっかり筋の通った明確なテーマを打ち立てることも、韻を踏んだり暗喩したりと詩作の技術を盛り込むことも、それらしいことは何一つできていない。

 無力感を重ねて、だましだまし形にしただけだ。

 恋の詩ではなく、意味深な言葉を精一杯に探しては並べて、自分には何かがあると表現したがっている自己愛の詩。

 所詮はそんなレベル。


「私ね、次の曲がラブソングだって聞いたとき、とっても嬉しかったんだ」


「うん、どうして?」


 あまり追及している感じが出ないように優しく問いかけると、少しだけ笑顔を取り戻したエミさんが顔を上げた。


「今までちっとも恋愛に興味なさそうだった岸村さんがね、次の新曲として一人で考えて作ってきてくれたのがラブソングだったから。覚えてるよね、一番端に座ってたギターの人」


「うん、覚えてる。かっこよかった」


「かっこよかったって……まあ、別に否定はしないけど。でね、その曲の歌詞を私が考えるって言った時、それを聞いた岸村さんは嬉しそうに笑ってくれたの。いつもは真剣な表情ばかりしている人なんだけど、その時は照れくさそうにする少年みたいで……。それでね、私さ、馬鹿みたいに舞い上がっちゃったの」


 その先を言うべきかどうか迷うような一瞬の沈黙。

 ややためらってからエミさんは口を開いた。


「ようやく、さ……。やっと私の気持ちがわかってもらえたんだって」


 彼女はそう言い切ると、無自覚なのか、泣きそうなくらい悲しそうに肩をすくめて笑った。

 笑い飛ばせるくらいに余裕があると見せるための強がりなのか、そんなの自分の思い過ごしでしかないとする自嘲なのか、彼女の心の中で渦巻いているであろう感情の判断が難しかったけれど、少なくとも認めなければならないことが一つあった。


「そうか、エミさん……。もしかして岸村さんのこと、好きなんだね?」


「え? あ、うん。わかる? にごして言ったつもりなのにな……」


 きっと、彼こそが偽物ではない本物のラブレターを書いて渡したい相手なのだろう。

 そうか、あの右端に座っていた人か。

 一年前の記憶が確かなら、ギターも驚くほどうまかった。

 俺から見てもかっこよくて、大人びていて、けれども優しくて、彼女が恋をするのもわかる。


「いや、まあ、今の言い方でわからなかったら鈍感すぎるよ。ほとんど自白しているようなものだったから」


「そっか……。ちょっと恥ずかしいな。こんなこと言うつもりなかったのに。悩んでいるとやっぱり駄目だね。……でも、どんなに悩んだって、自暴自棄になりかけたって、岸村さんには自分がどう思っているかなんて言えない。この気持ちを伝えることが怖くて仕方がないんだ。好きであればあるほどに」


「その気持ちはわかるよ。大切だからこそ壊したくない関係ってあるから。……でも、ちょっとくらいは前向きに期待してもいいんじゃない? なにせラブソングなんだし。もしかしたらエミさんのために曲を作ってくれたのかも」


 せっかくできた新しい友達が恋心のために遠くへ行ってしまうような寂しさを感じながら、それを決して悟られぬように彼女を励ます。

 うじうじネガティブなことを言って足を引っ張るのではなく、ポジティブな発言で強く手を引いたり、応援する立場から優しく背を押したりしてあげたい。

 それが友達だ。

 けれど微笑んでいてほしい彼女の顔は、ゆっくりと悲しみの色に染まっていく。


「なのに全然作詞が上手くいかなくて、胸が苦しいの。私の片想いなんだって諦めがついていたころより、もしかしたら片想いじゃないかもしれないって淡い期待を持ってしまった今のほうが、ずっと心が痛いの。初めて岸村さんに認めてもらえるチャンスなのに、バンドが解散しそうになっちゃうし、どうしたらいいんだろう?」


 言っているうちに彼女の目は潤み、今にも泣き出しそうになっていた。

 おそらく俺には、その涙を本当の意味でぬぐってあげることはできない。彼女の悲しみを根本から癒してあげることもできない。

 かといって、切なさに道を見失う彼女を黙って見ているだけなんて無理だ。

 口からでまかせだろうとかまわない。友達として彼女を励ましてあげたい。


「エミさん、安心して。俺を頼ってよ。大丈夫、簡単な話さ。バンドを結びつけるような、解散なんて吹き飛ばすような、最高のラブソングを作ればいいんだよ」


「そうかもしれないけど、私には無理だよ。ただ普通にラブソングの歌詞が作れればいいって考えてるわけじゃない。ハイクオリティなものを求める岸村さんの期待にこたえたいと思ってる。だから……」


「この前さ、悩んでいるからって相談してくれたよね。そして君のラブレターを読んだんだ。なのに、まだ俺は友達としてエミさんの力になれてない。だから、ちゃんと力になりたい。歌詞を考えるのに協力するよ。乗り掛かった舟だ」


 そこまで言えば、ようやく笑顔を取り戻した彼女が照れくさそうに言った。


「うん、ありがとう。頼らせてもらうね」


 作詞だけじゃなくてさ、とつぶやいた声は俺まで届けるつもりもなかったのか、風にかき消される寸前の小さな声でしかなかった。

 岸村さんに向けた恋心。解散の危機を迎えたバンド。そして直近の問題としては、インタビューに失敗して暗礁に乗り上げつつあるライブの宣伝記事。

 彼女を悩ませる原因はたくさんある。

 そのどれか一つではなく、すべての力になりたい。

 それが俺の考える本当の友情というものだ。

 ともかく、この日、俺は友達としてエミさんの歌詞作りに協力することとなった。

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