第4話 二つ目の再会
新聞部に入部してから俺は教室で暇つぶしのためのスマホを取り出すことがなくなった。代わりに授業が終わって休み時間になると机からノートとペンを取り出して、うんうんと唸りながら必死になって創作活動に取り組んだ。
もちろん先輩に任せられた詩を完成させるためだが、これがまた厄介なものだった。
なにしろ詩である。小学生のころから漫画が友達で小説を遠ざけていた俺は詩なんていう高尚なもの、自分で考えることはもちろん、わざわざ読もうとしたことだって一度もなかった。
そもそも、学校にいる暇な人間を全員集めたって素通りされそうな校内新聞において、おそらく一円の価値もないどころか、逆にお金をもらっても読みたくないであろう俺が作ったつまらない詩の掲載なんて必要だろうか?
たかが一生徒に過ぎない俺には、そこがまず疑問だった。
「校内新聞に載ってるポエムなんて、そもそも存在さえ知らない人が大半なんじゃないですか? 一生懸命書いたところで誰か読んでくれるんですかね?」
何はともあれ勉強のために図書室から借りてきた詩集を片手に俺が問いかけると、資料などが山積みにされた部長専用のデスクに座って自分の作業に集中していた先輩は顔を上げた。
「一人くらいはいるんじゃない? ほら、廊下や教室の掲示物を意味もなく隅々まで眺めちゃうときってあるじゃん」
「ありますね。じゃあ手を抜けませんね」
「うん。もしかしたらファンになってくれる人もいるかもよ」
そんな人がいるのかな……とは思いつつも、先輩に言われたからには頑張ってみることにした。
今まで一度も作ったことがないとはいえ、挑戦する前から出来ないと言って先輩を落胆させるわけにはいかない。好きでもないのに付き合ってもらった罪滅ぼしのため、なにがなんでも役に立つと決めたのだ。
一日後、二日後、三日後と、時間を経るごとに少しずつノートは埋まっていく。
四日目あたりで作り始めて一週間が経過するのを前にして、なんとか一つは形になった。
下手でも下手なりに最低限のレベルのものを書き上げることはできるようで、結果として露見してしまった自分の才能とセンスのなさには辟易するものの、ひとまず今週分の仕事を終わらせることが出来たのである。
面白いかどうかは読む人間が勝手に決めてくれればいい。そもそもプロの詩人として本にして出版するわけではないのだ。形にさえなっていれば先輩も許してくれるだろう。
部長である先輩が認めてくれれば誰も文句は言わないはず。
いや、もしかすると顧問の先生が鬼かもしれない。
「そういえば先輩、新聞部の顧問って誰ですか? 入部してから一度も顧問の姿を見たことがないんですけど、まさか幽霊とかじゃないですよね?」
今週分の締め切りを前にして忙しそうにしていた先輩の仕事が一段落したのを見て、暇を持て余した俺は取り留めのないことを口にした。
まだ距離感を測りかねているのか、昔から怖がりな先輩は平気なふりをしてそっけなく答える。
「ちょっとやめてよ、この世界に幽霊なんていないんだから。この新聞部のことなら顧問もいないよ。……あ、えっと、部室に顔を出さない幽霊部員なら一人いるけど」
先輩が言っている幽霊部員というのは事情があって部室の中に入れないと言っていた大野先輩のことだろう。
あの日以来、部室では一度も姿を見ていない。学校には来ているのだろうが、おそらく新聞作りは手伝っていないに違いない。
先輩の前に顔を出せないほど悪いことでもしたんだろうかと思えば、彼について詳しく尋ねるのもはばかられた。
幽霊部員がいると口にした瞬間の先輩が気まずそうな表情にも見えたので、ここにいない人間が原因で空気が悪くなるのは避けたい。
「そもそも部員の数が足りなくてさ、この新聞部って正式な部活じゃないんだ。学校には部室と校内新聞の掲示場所を借りているだけだよ」
「そうだったんですか。……じゃあ、もしかして学校からは部費も出ていないとか?」
「その通りだよ。だからこのパソコンも印刷機も机も椅子も、卒業した先輩たちが自費で工面したの。メディアは権力から自立して独立性を保つべきだーとか盛り上がりながらさ、生徒会や先生の目を離れて自分たちだけのアジトを作っていた気分だったのかな。なんか秘密基地みたいだよね」
と言って、小学生のころを思い出したのか楽しそうに微笑む。
大切で、素敵な、懐かしい思い出を話すように。
「はい。そうですね」
恋人として好かれていなかったとしても、友達や後輩としてなら大切に思われている。
そう感じて俺は素直に嬉しく思った。
だから俺はこの時、ますます先輩のために部活を頑張ろうと思えたのだ。
しばらくは文芸欄に載せる詩を考えるのを中心に、こまごまとした雑用を買って出る日々が過ぎた。
詳しくは聞かなかったけれど個人的な用事があって先輩も行けないからとのことで、今日は部室に顔を出さなくていいとの連絡を受けていた放課後。
早く帰ってもすることがないため図書室で時間をつぶしてから校舎を出ようとすると、誰もいないと思っていたところに人影が見えたので足を止めた。昇降口にある下駄箱に背中を預けて、物憂げな雰囲気で寄りかかって立っている少女がいたのだ。
どうせ知り合いでもないだろうが、うつむいていて顔を見ることはできない。
けれど、どう説明すればいいだろう。
前髪で顔を隠す彼女の姿が視界に入った瞬間、名状しがたい「運命的な出会い」を予感して心が脈を打った。
放課後、すぐには帰らず一人たたずむ彼女の姿に、強く胸を打たれる何かがあったのだ。
悩みとか、迷いとか、孤独を抱えた弱さとか、ある種の孤高とか、誰にも頼らぬと決めた覚悟とか……。
こっそりと他人の着替えを覗くよりもずっと、何か「いけないこと」をしてしまったかのように思えた。心の強さと弱さを同時に目の当たりにしてしまったようで、彼女の内側にある魂をあらわにしてしまったようでもあった。
「……いやいや、さすがに考えすぎかもしれないな。最近、慣れない詩を作るために頭を使ってばかりだから何を見ても”物語”を感じてしまうんだ。実際には友達を待っているだけかもしれない」
勝手に運命を感じて立ち止まってしまったのが馬鹿な行為に思えて、ぶつぶつとつぶやいて歩きを再開する。
それほど長くない前髪で目元が隠れていた少女。関わらないように足音を消して近寄ってきた俺の姿に気付いたのか、チラッと確認するように顔を上げた。
靴に履き替えたいだけで邪魔するわけじゃないですよ、と伝える気分で顔をそらす。
「あっ。もしかして、君って……」
「ん……?」
まさか向こうから声を掛けられるとは思っておらず、完全に油断していた俺はびくりと肩を揺らした。大野先輩の時は強引に手を引かれて新聞部まで連れていかれたこともあり、同じように何かされるんじゃないかと警戒して首をすくめる。
また小学生のころの知り合いだろうか。当時は何人も秘密基地計画に参加していたから、俺が知らない人間がいても不思議ではない。男子に比べれば女子は珍しかったが、親切にしてくれたハルナ先輩以外はよく覚えていないのだ。
呼び止められた気がして足を止めてしまったものの、こちらから会話をしたいわけではないので顔はそらしたままにしておく。
最悪の場合、誰ですかそれ人違いですよ、と言って逃げよう。
さて、彼女はどう出るか。
「もしかして君って……。えっと……うーん、誰だっけ?」
「え? 誰だっけ……?」
これまた驚いた。
わざわざ声をかけてきておいて、こちらの名前も知らないとは。
変な人だな、と思って顔を上げた俺の目はさらなる驚愕に見開かれた。
「エミさん!」
そこにいたのは小学生時代の知り合いではなく、失恋して落ち込んでいた中学時代に一度だけ会って話をしたエミさんだったのだ。
駅前のロータリーで路上ライブをやっていたバンドのボーカルだった少女。
新聞部の部室で顔を合わせたハルナ先輩に続き、中学二年生の冬以来、およそ一年ぶりの再会である。
「うんうん、やっぱり君だった。名前は……知らないけど。ファンレターにちゃんと書いといてよ。あれから何回も読み返したのにどこの誰だか全然わかんなくって」
「驚いたな。同じ高校だったんだ」
「そうみたいだね。私も驚いたよ。びっくりして心臓がドキドキしてる」
本当なのか冗談なのか、これ見よがしに胸を手で押さえるエミさん。
その手が何かを握っていたので目を凝らすと、白い封筒だった。
「それは……?」
特に理由もなく気になったので尋ねると、慌てて両手を背中に回して封筒を隠す。
ちょっと顔が赤くなっているので、あまり教えたくないものらしい。
「それより、君の名前は? あの時は路上ライブを聞いてくれた君にどこまで踏み込んでいいのか迷っちゃったけど、同じ高校に通ってるなら話は別。教えてくれてもいいんじゃない?」
「もちろん。吉永一志だよ」
「よしなが、かずし……いい名前だね。サインもらっとけばよかったかも」
「いきなり呼び捨て?」
「はいはい、吉永君、吉永君。スマホは持ってる?」
「小学生の時に買ってもらった古い奴だけど、それでいいなら持ってるよ。さすがに四年くらい使ってるからバッテリーはへたってるけどね。動画見てるとゴリゴリ減ってくんだ。でも学校ではほとんど使わなくなったから前日の夜に充電しておけば放課後まで使えるよ」
「そうなんだーって返事はしておくけど、聞いたのはもってるかもってないかだけ。……まあ、じゃあ連絡先を教えてよ。クラスは別だけど、いい?」
こそこそと隠すように白い封筒を肩にかけていた通学カバンにしまって、代わりにリンゴのマークがついたスマホを取り出したエミさんが不安そうにする。断られたらどうしようとでも思っているのだろうか。意外に心配性なのかもしれない。
俺としては断るどころか、むしろ喜んで教えたいくらいだ。
なのでこちらも画面に傷がついた使い古しのスマホを出す。
「もちろんオッケーだよ。違うクラスだけどさ、いつでも気軽に連絡してくれていいよ」
「そっちもね……っと」
慣れない行為なのでお互いに手こずりながらスマホの電話番号にメールアドレス、そしてメッセージアプリのIDと、今後必要になるかもしれない一通りの連絡手段を教えあう。
さて、これで彼女といつでも連絡が取れるようになった。クラスや部活が違う人と連絡先を教えあうのなんて先輩以外には初めての経験だ。その先輩と別れてからは事務的な連絡装置に過ぎなかったスマホが大事な宝物に思えてくる。
壊れてしまう前に新しいものを買っておこう、と思うくらいに。
ともかく、これで一安心だ。同じ高校に通ってもいるので、今日が終わって次に会うのはまた一年後、ということもあるまい。
「また君に会えて嬉しいな。あの後、路上でもライブハウスでも何度かライブをやったけど一度も見かけなかったから、もう会えないんじゃないかと思ってた」
連絡先を交換したばかりのスマホの画面を眺めながら彼女は顔を輝かせる。
こんな俺と再会できたくらいで喜んでくれるなんて大げさな反応にも思えるけれど、それがちっとも不快ではない。
だから俺も普段なら口にしないようなことを素直に言えてしまう。
「俺こそ嬉しいよ。俺はあの時、君の歌に元気をもらったんだ。あれから何度か駅前に足を運んでみようかとも考えたけれど、それはできなかった。また会うときは、もっとちゃんと勇気を持って会いたかったから……」
「……勇気だなんて」
「必要なんだ。それくらい君は特別だった」
あの日、あの場所で、思わず感動して泣いてしまうほどの力でエミさんに教えてもらったのだ。
優しさや希望に満ちた世界もあるのだと。明るい未来もあるのだと。
それは失恋が原因で諦観と絶望に塗りつぶされつつあった俺の小さな世界にとって、小さな一歩ではあったけれども、まさしく革命にも等しい出来事だったのである。
「だから俺はね、歌には力があるんだと思うよ。バンドって練習とかライブとか色々と大変そうだけど、今日から俺は改めて君のファンになって応援するよ。がんばって!」
「そっか、ありがとう。あの日も今日も。でもなんか他人事じゃない? ものすごく距離を感じるんだけど……」
「距離?」
距離を感じるというのはつまり、そっけないとか、心がこもってないとか、そういうことだろうか。
実際のところ俺はバンドの関係者ではないので、何を言っても他人事のように聞こえるのは当たり前だろう。
むしろファンとして彼女の活動を応援しているわけで、こちらから歩み寄って近づいているつもりの彼女に距離を感じられてしまうのは不服にも思えた。
いやいや、聞かなかったことにして、と彼女。
右腕を使ってゴシゴシと額の汗をぬぐうジェスチャーまでしてみせる。
「ごめん。高校生になったばかりで友達が欲しくて無理言っちゃったかも。ちょっと悩みがあってさ」
「友達……そうか、今の言い方だと一線を引いたファンって感じで」
「あ、いや、それが嫌ってわけじゃないんだよ。もちろん嬉しいんだ。でもさ、あまりにもファンですって感じで来られると、私としては普通に相手をしにくいっていうのかな……」
わからなくもない。特別さが嫌いなわけではなく、普通の関係として、普通に仲良くなりたいという気持ちはよく理解できる。
それに、それは喜ばしい感情にも思えた。
とっくに忘れられていてもおかしくない一年ぶりの再会で、しかも会ったのは二度目で、それでも彼女は俺と友達になろうとしてくれている。
バンドでボーカルをやっている彼女を応援する一人のファンとして、最低限のファンサービスを意識しながら相手をするのが恥ずかしさもあって大変だから、学校で会う時くらいは必要以上に気を遣わなくていい友達のほうが関係性としては楽、という消極的な理由かもしれない。
それでも俺は言いようがないくらいの嬉しさを感じた。
だって、そもそも俺は一年前に会った時からずっと、彼女と友達になりたかったから。
「悩みがあるって言ったよね? いい機会だからさ、俺でよかったら話してみてよ。力になれる自信はないけど、言える範囲でいいから悩んでることを全部吐き出してほしい。友達として聞くよ」
力強くドン! ではなく、控えめにトンッ! くらいの力で胸を叩く。
「……え? あ、うん。ありがとう。実は誰かに相談したかったんだ。一人で考えてても難しくって……」
「難しいことなんだ。言ってはみたものの俺で役に立てるかな。不安になってきた」
何をするでもなく話を聞くだけのつもりで軽く請け負ったけれど、さっぱり期待外れで残念がられる可能性が出てきた。
あいにく他人の相談に乗って無事に解決策を提示できた経験なんてない。よかれと思って口出ししたアドバイスも迷惑がられてばかりだ。
むしろ悩みや不安を先輩に相談してきた立場である。
思い切って打ち明けられた後であいまいな返事しかできず、がっかりされなければいいが。
話に集中するためか、スリープ状態にしたスマホをしまって、カバンに手をかけた彼女がやや上目遣いになって俺を見た。
「まず約束してほしいんだけど、絶対に笑わないでね」
「わかった。笑わない。お笑い芸人を目指していて自分が考えてきた渾身のネタを見てほしいっていうなら、これ以上に難しい観客はいないぞってくらい笑わない」
「それはそれで……って感じもするけど、馬鹿にして笑いそうな感じはないから信じてもいいかな。あと、それだけじゃなくって、これから話すことを誰かに言いふらすのも禁止」
「それなら大丈夫。さっきと違って約束するまでもないよ。言いふらしたくたって言いふらす相手がいないから」
自虐的にならない程度にテンポよく口にすれば、へーそうなんだとは聞き逃せなかったらしくエミさんが少しだけ目を見開く。
「……言いふらす相手がいないって、もしかしてボッチ?」
「うっ……」
危ない。これにうなずくと友達のいない寂しい奴だと馬鹿にされて失望されるかもしれない。今から相談しようとしている相手が自分の人生さえうまくいっていない人見知りのボッチだとわかれば、じゃあ他の人に相談するね、と言ってサヨナラされるかもしれない。
誰だって不幸続きの頼りない占い師に人生の助言をもらおうとはしないはずだ。
なので、張らなくてもいい見栄を張る。
「いや、一人はいたな。先輩。でも先輩は誰かの悩みを軽々しく言いふらすような人じゃないから、万が一にも俺の口から漏洩したって大丈夫。むしろ心配して相談に乗ってくれるかもよ」
しかも俺なんかよりずっと頼りがいあるよ、とは事実であるにしても言わずにおく。
本当に俺じゃなくて先輩のところに行かれてしまったら悲しい。
「ふーん……。まあ、なら大丈夫かな。なんとなく君のことは信用できるし」
すんなりとはいかずとも最終的には信頼してもらえたらしく、いそいそとカバンから取り出したのは先ほど隠した白い封筒だ。
やはりちょっとだけ耳が赤くなっている。
封筒の中には何が入っているのやら、相談するのも恥ずかしいらしい。
ので、明るい感じで冗談を言って場を和ますことにする。
「唯一の懸念があるとすれば先輩も俺も新聞部ってことだけど」
「新聞部……」
取り出したばかりの封筒をしまった。素早い手つきでチャックまで閉めてしまう。両手でカバンを抑えて体もひねった。
鉄壁のガード。
新聞部の部員なんてものに相談したら、あっという間に相談した内容が広まってしまうと考えたのかもしれない。
俺が見てきたアニメやドラマなんかでも学校の新聞部は噂好きで、あることないこと簡単にしゃべってしまう印象があるのは事実だ。
とはいえ、常識的に考えれば現実の新聞部はそんなに情報通じゃない。
あと、生徒の私生活を暴くような週刊誌じみた新聞はさすがに学校から注意されるので発行できない。
非合法な盗聴や強奪もしない。
つまり安心してほしいということだ。
「いやいや、さっきも言ったけど先輩は他人の悩みを言いふらすような人じゃないし、うちの新聞は真面目な校内新聞だから生徒のプライベートやプライバシーをちゃんと守るよ。それに、新聞部員といっても俺が書いてるのは記事じゃなくて文芸欄の詩だからね」
「詩?」
「そう。貴重な紙面の邪魔にならないように左下の隅っこにあるやつ」
記事の量や充実具合に応じてスペースが小さくなったり大きくなったりする文芸欄である。
いっそのことなくしてもいいんじゃないかとも思うが、一応は代々の新聞で続いてきた伝統のある文芸欄らしく、今年度から部長となった先輩としては廃止したくないらしい。
なんでも、一時は生徒からの投稿も受け付けていたくらい人気があったとか。
今では見る影もないが。
「あ、あのポエム!」
「えっ? あのポエムって……その口ぶり、まさか読んでくれたの?」
「うん、すっかりファンだよ!」
マジか……と心の中だけでうろたえる。
あろうことか、よりにもよってエミさんに読まれてしまっていたとは。
しかもファンだとまで言ってくれるとは。
よかったとも悪かったとも詳細な感想を聞きたくないので耳をふさぎたい気分でいると、ほらほらあれあれ、と言いながらエミさんが手を合わせて目を輝かせる。
「なんだっけ、『力いっぱい羽ばたくことで飛ぶ鳥もいるけれど、翼を広げるだけで滑空して飛ぶ鳥もいる』みたいなさ。『自分で輝く太陽と、その光を反射して輝く月』とかさ。人それぞれに生き方が違っていいんだって感じのメッセージ」
「えっと、お世辞や冗談じゃなくて本当に読んだんだ。……驚いたっていうか、やっぱり自分が書いた詩のことを目の前で口にされるのは恥ずかしいな。本当は誰かに読まれるのも恥ずかしい。部活でポエムを書いてるなんて誰にも言えないし」
「どうして? 全然恥ずかしくないよ。私が知ってる歌だってポエムみたいな歌詞がいっぱいあるんだから。君はそんな世界に足を踏み入れたんだ」
「……確かにね。ポエムみたいな歌詞といえばさ、実際にバンドでボーカルをやっているエミさんが声に出して読んでくれると、俺が作った稚拙なポエムもすごくいい歌詞みたいに聞こえてくるよ。音楽に乗せて歌っているときだけじゃなくて、こうして普通にしゃべっていても聞き入ってしまいそうなくらいで」
他の人に声を出しながらポエムを読まれたら馬鹿にされているんじゃないかと卑屈になるのに、エミさんが言えば、すべてを肯定されている気分になれる。
ボーカルの時の歌声や歌い方というより、すんなり胸に入ってくる君の声そのものが好きなのかも、と口にすると、それを聞いたエミさんがんんっ、とわざとらしくのどの調子を整えた。
「お世辞?」
「何が?」
「何がって……いや、そこを疑う必要はないのかな。他意もない感じだし」
「他意って?」
「えっとぉ……」
質問攻めにしたら彼女が言葉に詰まった。
そんなつもりでもなかったのに困らせてしまったかもしれない。
あまりしゃべりたくないことに触れてしまったのなら、こちらから気を利かせて話題を変えるべきだろうか。
そう思っていると、すんなりカバンを開けたエミさんから白い封筒を渡された。
「ちょっと読んでみてもらえる?」
何かと思って封筒の中に入っていた紙を取り出してみれば、黒一色ではなく、カラフルに赤や青のボールペンも使ったエミさんの手書きの手紙だった。折りたたまれた便箋は一枚だけだけど、三十行から四十行くらいあるスペースの半分以上は埋まっていて、それなりに長い。
あの時もらったサインほどではないけれど、かわいさを意識したような字も丁寧だ。書き言葉ではなく話し言葉で書かれ、難しい単語や表現は使っていないので文章だって読みやすい。
ただ、途中で「好き」、という字が見えてドキリとする。
最後まで全文を読むまでもなく理解した。これは恋心を伝えるために書かれたラブレターだ。
それも、彼女が誰かに向けた恋心の……。
「これ、俺が読んでもよかったの?」
まずはそれが疑問に思えた。
どのように都合よく文面を解釈しても俺に向けたラブレターではなかったので、完全に部外者である俺が読んでもいいものなのか心配になる。ここまでして想いを伝えようとしている相手がどこの誰なのかは知らないけれど、もしも彼女たちが相思相愛の関係だったら、好きでも嫌いでもない第三者の俺が間に入るのはまずいかもしれない。
あることないこと変な風に誤解されて、うまくいくはずだった話がこじれてしまう危険性だってあるではないか。
「大丈夫だよ。試しに書いてみただけだから」
「試しに書いてみただけって言ってもね……俺みたいなのが先に読んじゃったら、本来渡すべき相手の人がよく思わないんじゃないかな」
「大丈夫だよ、って言ったよ。それ、誰かに渡すわけじゃないんだ。もう一度言うけどさ、試しに書いてみただけだから」
「……どういうこと?」
さっぱり話が見えず馬鹿みたいに問い返す。
てっきり誰かの下駄箱に入れる寸前だと思っていたけれど、緊張感もなく落ち着き払った彼女の反応を見るに違うようだ。
――誰かに渡すわけじゃない。
どういうことだろうと不思議に思ってもう一度手元のラブレターに目を通すと、どこを見ても肝心のあて名が書いてないことに気づいた。
そう意識して読み返せば文章が空っぽに思えてくる。
焦がれるほどの熱意も具体性もなく、ただ漠然と「好きです」と書いてあるだけだ。
あなたが、君が。
そこに誰の名前でも当てはまりそうな気さえする。
「ラブレターを書いて、放課後にこっそり好きな人の下駄箱に入れる。そういう気持ちがどんなものなのか、実際に真似して雰囲気だけでも味わってみようと思って。だけど駄目だね。本物じゃないと意味ないよ。君の感想を聞きたかったけど……やっぱりいいや」
それ、返して。
沈んだ声でそう言われたので、新しい折り目や傷をつけないように気を付けながら手紙を封筒に入れて彼女に手渡す。
落ち込んだ声のまま「ありがとう」と言って封筒を受け取った彼女はため息を漏らした。
「みんなが持ってる恋心って、どういうものなんだろ。私が持ってる恋心って……」
と、そこまで言った彼女は慌てて口を閉ざすと首筋を赤くした。
誰かに恋をしているんだな、と、はっきりわかるくらいに。
おそらくきっと、彼女には偽物でない本物のラブレターを書きたい相手がいるのだ。
「校内新聞のポエムだけどさ、次は恋をテーマに書いてみてよ」
何も言えずに黙っていれば、簡単に言ってくれる。
先輩との恋愛で失敗したから恋はもうしない、できないと思っている俺が恋をテーマに詩を書けるとも思えない。たとえ書けたとして、誰かを感動させたり共感してもらうことなど至難の業だろう。
なのに切なげな表情でラブレターを胸に抱えた彼女の言葉を聞いた俺は一度くらい挑戦してみるのもいいかな、と思えたのだ。
「私、君が考える恋の詩が読みたいな」
それとなく聞けば家は反対方向にあるらしく、靴に履き替えた後は校門まで一緒に歩いて別れた。
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