第3話 一つ目の再会
エミさんに勇気をもらった俺は心機一転、新しく人生をやり直すためにも残りの中学生活を真面目かつ前向きに生きた。
ちょっと前までは引きこもりだったくせに突如として学校生活にやる気を出した俺の姿を見て、「どうしたの?」と言わんばかりの表情で悲しいまでに懐疑的だった両親。
信用ないな。
だけどそんな二人も、最終的には俺の努力を応援してくれた。
また学校に行きたがらなくなっては困ると考えたのか、何か一つ欲しいものをプレゼントまでしてくれるという。お小遣いの増額に後ろ向きだった両親にしては驚きの提案で、せっかくだからと俺はギターをせがんだ。
弾けるようになったらエミさんとの会話が弾むと思ったからだ。
学校の勉強をしながら、合間合間にギターの練習をする。曲にはコードというのがあって、まずはそれを弾けるようにならなければ話にならないらしい。
ということで、張り切って買った教本の真似をして頑張ってみても指が痛い。一つ一つ、正確な指の形を覚えるのも大変だ。
難しいことは諦めて、簡単な曲のメロディだけを弾いていく。
結果、一か月と経たないうちにギターを投げ出した。これからどれだけ熱心に練習しても、エミさんのバンドにいたギターの人と同じレベルで演奏できるようにはなれない気がした。
つまるところ自分には音楽の才能がないのだ。生まれ持った運動神経がなければプロのスポーツ選手になるのが難しいように、今の状況からではエミさんと楽しくギターを弾く未来が想像できない。
その後もコツコツと学校の勉強だけは続けたおかげで成績は徐々に上がっていったが、なかなか友達はできず、どうせ一年もしないうちに卒業するんだからと俺は残りの中学生活をあきらめて高校デビューに期待を託した。
「そうだ。俺は高校から生まれ変わるんだ。……よし!」
これといった将来の目標もないので直近の進路には特にこだわりもなく、親や先生に言われた通り地元の進学校に入った俺は四月になり、ついに始まる新生活を前にして期待に胸を膨らませていた。
ここからが本当の人生の始まりだ。
過去の失敗は忘れて、華々しい再スタートをするのだ。
そんなことを考えつつ迎えた入学式。堅苦しい式が終わって俺が所属することになった一年二組の教室に入ると、今日から始まる高校生活を夢見ながら後ろのほうにある自分の席に座る。
ただ座るんじゃなくて、見栄えがいいようにポーズを決める。ちょっとギターをかじったくらいで凄腕のバンドマンになった気分で、頬杖をつきながら簡単には他者を寄せ付けないクールさを気取ってみた。
かっこいい。もてるんじゃないか。
でも実際には鼻につく態度だったらしく、周りの目には友達のいない俺がボッチで不機嫌そうにしているようにしか見えなかったようだ。
結局その日はクラスの誰からも声を掛けられず、極度の緊張のあまり自分から声を掛けることもできず、肝心かなめの高校生活初日は新しい友達を作るどころか、クラスメイトと挨拶程度の言葉を交わすことさえできなかった。
「……えっとまぁ、よろしくお願いします」
俺がまともに声を出したのはそんな感じ、自己紹介のとき一度きりだけである。
テストの解答欄が一つずつずれていたくらいに失敗した自覚のある初日を引きずってしまったのか、それから数日は誰とも会話がないまま過ぎた。
退屈さと寂しさを感じて休み時間に教室を見渡せば、みんな楽しそうに友達との会話で盛り上がっている。根っこの部分は変わらず人見知りなままの俺と同じく誰とも会話せずに机の上へ突っ伏しているのは残すところほんの数人程度であり、今にも絶滅寸前だ。
ついでに女子の顔と名前を全員確認したけれど、楽しみにしていたエミさんとの再会は叶わなかった。
言葉にできない寂しさと無力感は心の中に降り積もり、日数を重ねるごとに大きくなっていく。
入学式から二週間が過ぎたころ、気がつけば、昼に弁当を一人で食っているのはクラスで自分だけだった。
「このままじゃ駄目だ。なんとかしないと」
だからもう、それは俺にとって火急の課題だった。
こうなれば形だけの友達でもいい、そんなに仲良くなれなくてもいいから、せめて休み時間を一緒に過ごせる程度の話し相手がほしかった。
当たり前の話、学校で一人は寂しかったのだ。
とはいえ、すでに関係性の固まりつつあるクラスの内側に友達を求めることは難しそうだった。無愛想なキャラというレッテルが貼られた俺は無口で気難しい人間だと思われているらしく、それとなく避けられている感じが身に染みた。
積極的に無視されているわけでもないが、あからさまに目をそらされてしまうことさえあった。
そこで、まだ俺という人間が知られていない外部に活路を見出すことにした。
部活だ。
「と、言ってもな……。どこに入ったらいいんだろう?」
新天地となる部活を求めて、大がかりな航海に乗り出すつもりで廊下に設置された掲示板の前に向かう。しかしどうであろう、びっしりと掲示板を埋め尽くしていた新入部員を勧誘する張り紙の多さに圧倒され、深々とため息を漏らした。
いきなり座礁した気分だ。
運動部に文化部、大所帯から小規模な研究会まで、実に様々な部活がある。じっと食い入るように掲示板を端から端まで眺めていても、どこに入ればいいのか見当も付かない。
今日着る下着にも迷う優柔不断な俺のこと、誰にも相談せずに入る部活を決めるのは難しい。
なにせ一つとして詳しい活動内容を知らないのだ。敵を知り己を知れば百戦危うからずと兵法家の孫子は言ったが、その逆で、相手について何も知らなければ失敗のリスクは否応なく高まる。
無知は毒だ。容易に人を腐らせる。
持ち前のネガティブさが呼んでもいないのに扉を開き、これからの高校生活全般に対する漠然とした不安があっという間に心を支配する。突如として湧き上がってきた正体不明の悲しみと悔しさに負けて、思わず泣き出しそうになる。
みっともなくズズッと鼻をすすりつつも寸前のところで涙だけは我慢すると、とっさに自分の左腕を反対の右手で力強く握り締めた。
ああ、まったく、一体俺はこんなところで何をやっているんだろう。
叫びたいほど悔しくなってきては、右手のつめを痛いくらい左腕に突き立てる。
恋人ができないのはもう諦めた。でも、もう友達さえ作ることもできなくなったのか。だとすればこれ以上の傷を負ってしまう前に、誰にも迷惑をかけず静かに高校を去って家に引きこもっているべきかもしれない。
結局、友達になりたかったエミさんとは再会できなかったし……。
そう思っていると、「あっ!」という数年ぶりに出会う知り合いを見つけたような声が飛んできた。
「お前、なんか見覚えあると思ったら吉永じゃないか?」
「え、そうですけど……」
しかもそれは、俺だった。
「小学生振りだっけ、懐かしいなぁ。……お、なんだ? もしかして入る部活を探してるのか? だったらちょうどいいのがあるぜ。今から案内してやるよ」
「えっ」
「ほらほら、ちゃんと前を見ないと転ぶぜ」
ものすごいスピードで話が進んでしまってイエスともノーとも答えられぬまま、あれよあれよという間に手を引かれ、二年生か三年生であろう先輩らしい男子にどこかの部活へ連行されていく。
待て待て、ちょっと待ってくれ。一体どこの誰なんだ。
こちらには見覚えがないけれど、小学生振りということは、たぶん秘密基地を作るために集まっていたメンバーのうちの一人だろう。
そう思って尋ねてみれば予想は当たっていて、一年先輩の大野さんだった。
当時から後輩の面倒見がよく、あまりしゃべっていなかった俺のことも覚えてくれていたらしい。
友達でもない後輩の顔と名前を何年経っても忘れずにいてくれたなんて、おそらくきっといい人だ。強引なのは褒められた点じゃないけれど、あまり不安がることもないだろう。
途中から自分の足で歩くようになって連れられてきたのは、渡り廊下を通った第二校舎の奥深く、放課後になるとすっかり人通りのなくなる廊下の果てにある部室だった。
「ここって……」
「お前が見ている入口のプレートに書いてある通り、ここは新聞部だよ。テニス部がテニスをやって吹奏楽部が吹奏楽をやるように、新聞部というのは校内新聞を作っている部活さ」
「それはわかりますけど……新聞部?」
意外なところに案内されたものだ。
新聞部というからには、この狭い部室で作られているのは漫画や小説などではなく、学校中の生徒に情報を伝えるための真面目な新聞である。もしかしたらゴシップ寄りの明るい新聞を作っているのかもしれないが、どちらにせよ文章能力のない俺は小学生のころ書かされていた作文でさえ苦痛であり、難しい漢字をたくさん使う必要がありそうな新聞記事のために手伝えることなど何もなさそうだった。
正直、すぐにでも逃げ出したい。部活というより苦行だ。
新聞部なんてものに入ったが最後、学校の授業が放課後にも一つプラスされるようなものじゃないか。
しかしここまで来てしまった以上、新聞部なんて興味ないんですみません、なんて話も聞かずに帰るのは難しい。
ためらっている気持ちがどこまで正確に伝わっているのやら、ノックもせずにドアノブへと手をかけた大野先輩が扉を開かずに振り返った。
「先輩たちが卒業してしまったせいで、今は部員が俺と部長の二人しかいなくてな……。よかったらお前に手伝ってほしいんだ」
「なるほど」
手伝ってほしいと頼まれた言葉に対して素直にうなずくかどうかは別として、言いたいことはわかる。どんな規模であれ、さすがに二人で新聞を作るのは大変だろう。
きっと彼は放課後の学校をうろうろして、戦力になってくれる新入部員を探し回っていたに違いない。
で、見るからに暇そうな俺に白羽の矢が立ったというわけだ。
「ただ、のっぴきならない事情があって俺はちょっと中に入れなくてな……」
「え? のっぴきならない事情?」
それってどういうことですか? と尋ねようとした俺は口を開くこともできなかった。
遠慮なくガチャ、と扉を開けた大野先輩が部屋の中も見ずに耳元で小さく叫ぶ。
「じゃあ、頼んだぜ!」
とん、と背中を押されて倒れこむように部室の中に入る。
その瞬間、慌てて身を引いた彼によって外側から扉が閉められた。
何が何だかわからないけれども、どうやら本当に中に入れない事情があるらしい。結果として俺は誰がいるかも知らない新聞部の部室に閉じ込められてしまったわけだが。
なされるがまま、流されるままだ。話を聞くだけのつもりでいても、強く断れない俺だから、このまま入部することになるかもしれない。
すでに足音が遠ざかってしまった大野先輩の他には一人しかいない部員であるという部長が、どんな人かも知らないけれど……。
「カズ君?」
背筋が凍った。
俺の名前を知っていたから、というだけの理由ではなく、あまりに聞きなじみのある声がしたから。
まさかそんなはずはないと思いながら恐る恐る顔を上げれば、そう広くない部室の奥、おそらく部長専用の大きなスペースが用意されている机に座っていたのは、
「ハルナ先輩……?」
鈴木ハルナ先輩、その人だった。
告白が成功して恋人になれたからと喜び勇んで、彼女の気持ちを無視してキスをしたくなって泣かせてしまった先輩が中学校を卒業してから一年とちょっと、こうして直接顔を見るのは初めてだ。
恋人関係が消滅してからはろくに会話もしていないので、どんな表情や口調でしゃべればいいのかもわからない。
非常に気まずい。
名前を口にした後は言葉も出せずに思考停止してしまった俺が前にも後ろにも動けずにいるのを心配したのか、かつてのような優しさで、やわらかく笑いかけてくれた先輩が立ち上がった。
「もしかして新聞部に入ってくれるの?」
期待されているのか、迷惑がられているのかも判断がつかない。
けれど、表面的な声色だけで判断するなら「相手をするのも嫌!」というほど距離を置かれていることもないようだ。
ここは先輩に合わせて、ひとまず普通に返事をする決意をした。
無視をして逃げるのは最後の手段だ。
「あ、いえ、まだそうと決めているわけでは……」
いろいろな部活を見学していただけなんです、お邪魔しました、などと言って背を向けて、すぐにこの場から逃げようと思って扉に手をかけたところで動きを止めた。
驚きのあまり止まっていた思考回路が熱を帯びて働き始める。
やり直したい。
恋人関係ではなく、友達を。
一つの大切な信頼関係を。
そして何よりも、別れる最後の瞬間まで俺に優しくしてくれた先輩への罪滅ぼしがしたかった。
そのために部員として役に立つのもいいかもしれない。
できるかはともかく、頑張るのだ。
ふう、と息を大きく吐き出して、扉に伸ばしていた手を引っ込めてから振り返る。
「先輩さえ迷惑じゃなければ」
「迷惑だなんて、そんなことないよ」
「だったら入ります」
もう逃げるのをやめて俺が覚悟を決めると、先輩も先輩なりに覚悟を決めたのだろう。
うん、と言って手を合わせる。
「ありがとう、手伝ってくれるなら助かるよ。嬉しいな。頼れる先輩たちがすっかり卒業しちゃってさ、今では真面目に活動している部員が私だけだったんだ。堅苦しいイメージのある新聞部なんか誰も入りたがらなくって」
「まあ、そうですよね……わかります」
へたくそな愛想笑いを浮かべて同意しておく。
かくいう俺も強引に連れてこられなければ新聞部の部室になど顔を出さなかった。先輩が部長だと知っていれば、絶対に自分からは足を運ばなかった。
小学校で関係が終わって、中学校では親交のなかった大野先輩は俺たちが一時期付き合っていたことなど知らないから悪気はないのだろうけれど、破局したカップルが同じ部活に入るのはなかなか難しいものがある。
激しくののしりあうような喧嘩別れじゃなかったことが唯一の救いだ。
だから……たぶん、先輩と後輩としての友情ならやり直せる。
普通に、普通に。
少なくとも先輩は過去のことを忘れたふりをして、何事もなかったかのように優しく接しようとしてくれている。
「えっと……それじゃあ、どうしようかな。記事を書くのを手伝ってもらうにしたって、入ったばかりじゃ難しいよね」
「そうですね。どんな新聞を作っているのかも知りませんし」
などと言いながら、いつまでも扉の前に立っているわけにもいかないので部室の中にある長テーブルの前まで歩いていく。
入口のところで止まっていた俺が動いたことでほっとしたのか、かすかに胸をなでおろしたように見えた先輩は椅子に座りなおした。
「だったら毎週月曜日に張り出す校内新聞の文芸欄に載せる詩の作成を頼めるかな。いわゆる口語自由詩なんだけど、だいたい四百字くらい。どうしてもっていうなら千字くらいまでスペースはとれるよ」
「いや先輩、いきなりそんなこと言われても……。詩ですか? 俺が?」
「大丈夫、安心して。他の記事は私がまとめるから。ね?」
「……わかりました。できる限りでやってみます」
一年ぶりに再会したハルナ先輩との部活。
嬉しさや気まずさがないまぜになって自分でも感情の整理がつかないけれど、入部を決めたことに後悔はなかった。
それはきっと、高校に入学して初めて他人とまともに会話することができたからだろう。
それに……やっぱり、こっぴどく振られたとしても俺は先輩のことが人として好きなのだ。
たとえもう二度と恋人関係にはなれないとしても。
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