第22話:お帰りなさい(完)

「一樹、うるさい。私は疲れているんだから、もう少し寝かせてちょうだい」


 カーテンの向こうから聞こえるみおの声。この声と同時に、下を向いて必死に笑いを堪えていたしゅう柚希ゆずきが大きな声で笑い出した。


みお、なんでここにいるんだ? 宇宙船ソフィアには量子テレポーテーションを可能にするエンタングルメントマットは1枚しかなかったはずだ」


 うろたえる一樹に対しみおはカーテン越しでもわかるような大きなため息をつくと、あきれた声で一樹の質問に答える。


「何いってるの? こんな仕掛けを考えているくらいなんだから、事前にもう1枚準備してあったに決まっているじゃない。なんなら予備も含めてあと4枚あったのよ。あのマット」


 そう面倒くさそうに答えるみおに対し、一樹の口調は怒気を含んでいた。


「なら、なんで、あんな思わせぶりな言動をしたんだ。みお


「あぁ、あれは……。その、一樹が観測者になってしまっては量子テレポーテーションは成立しないし、ちょっと特殊な薬だったし……」


 みおは、一樹の問いにしどろもどろで答えるが、要領を得ない。


「俺は、みおがちゃんと説明してくれなかったことに怒っているんだ。俺はみおに渡された薬なら何の疑いもなく飲むし、みおだって俺がそうすることくらいわかっていたはずだ?」


「いや、だって、ああした方がロマンティックだし、なんというか、私がああしたかったというか、4光年という距離で量子テレポーテーションが成功するとは思ってなかったというか、倫理的な問題があって、1度も実験で検証していなかったというか……。とにかく、今回は理論検証だけの技術による一発勝負だったの。だからあそこで死ぬ可能性の方が高かったし、あれが最後の賭けだったの。ごめんね、一樹」


 みおが申し訳なさそうに話を終えた瞬間、一樹は荒々しく隣のベッドとのしきいにあるカーテンを開ける。するとそこには、顔を真赤に染めたみおが、申し訳なさそうに右手でほおいていた。


「ちょっと待て、なんでみおがこんなに若いんだ? 宇宙船の中で会った時は、もっと老けて、いや、もっと大人びた感じだったはずだ。今のみおは、俺が宇宙に出発した時の5年前と同じ姿じゃないか?」


 みおの異変に気がついた一樹は思わず大きな声をあげると、みおは照れ臭そうに一樹の質問に答えてみせる。


「いや、だって、やっぱり女は若くないと、一樹だって宇宙に旅立った時の私に会いたいかなぁと思って、しゅうさんに頼んで24歳の体にしてもらったの」


 そんなみおの様子を横目に見ながら、柚希ゆずきが一樹に話しかけた。


「一樹さん、覚えてる? 一樹さんとみおが宇宙船ソフィアに量子テレポーテーションしてきた後、一樹さんが部屋を出ていった時のこと。あの後、みおが一樹さんに老けたって言われたっていって大騒ぎで、私に必死に頼みこんだのよ。もし魂の量子テレポーテーションを試すことになったら、私の戻る体は24歳にしておいてって」


「ちょ、ちょっと、柚希ゆずきひどいじゃない。あの時、絶対に秘密にするって約束したじゃない!」


 そう抗議するみおに対し、柚希ゆずきは軽く舌をだしてごまかしてみせると、和やかな空気が病室を包み込んだ。しかし、一樹だけは、1人事態を深刻にとらえ、厳しい面持ちでみおに質問する。


「なぁ、みお。俺とみおの間には桜花という8歳の子供がいる。このまま普通の生活に戻ったら、みおが桜花を生んだのは16歳の時となる。その時、俺はみおとも知り合っていないし、それどころか俺は、中学生に手を出した救いがたいロリコンとして、これからの人生を生きる事になるのか?」


 そう真面目に思い悩む一樹に対し、柚希ゆずきは笑いながらみおのかわりに返事をする。


「大丈夫よ、一樹さん。みおは戸籍上は33歳のままなんだから。いや、でも、私はみおより9歳も年上になったんだから、これからはみおには柚希ゆずき先輩と呼んでもらわないと困るかな?」


「ちょっと、柚希ゆずき。それはひどいんじゃない?」


 柚希ゆずきの言葉に、みおがすかさず反論したものの、柚希ゆずきはどこ吹く風で「一人で若くなった罰だ。受け入れたまえ」と笑って答えた。


「病室ではお静かに!」


 急に病室内に響く子供の声。一樹とみおがその声の主に視線をむけると、そこには8歳になった桜花が立っていた。


 桜花は、その瞳に意識を取り戻しベッドの上で上体を起こしている一樹を捉えると、一目散に走り寄り、ぎゅっと一樹に抱きついて大きな声でこう言うのであった。


「お帰りなさい、パパ」


と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る