第21話:帰るべきものと帰らざるものと

 一樹が目を覚ますと、そこには気持ち悪いくらい白々しいプレーンな天井が広がっていた。


「ここは、どこだ」


 思わず独白する一樹であったが、答えてくれる人などいるわけがない。そのことに思いが至ると一樹は思わず苦笑する。しかし、ここは明らかに宇宙船ソフィアの船内ではない。そこにはむき出しにされたパイプもなければ、計器類も見当たらない。


「そうか、これが死後の世界というヤツか。果たして俺は天国とやらに行けたのであろうか? 悪いことをした記憶と言えば、みおとデートしている時、柚希ゆずきのことをかわいいなと思ったくらいなはずだ」


「あら、それはありがとう。一樹さん」


 一樹の独り言に返答する聞きなれた声、柚希ゆずきの声だ。一樹は驚きのあまり慌ててベッドから起き上がると、そこには必死に笑いをこらえるしゅう柚希ゆずき夫妻の姿があった。


「か、一樹、おはよう」


 そこまで言うとしゅうは大きな声で笑い始め、柚希ゆずきもつられて大きな声で笑い出し、1人あっけに取られる一樹であった。


「え、なんでしゅう柚希ゆずきがここにいるんだ?」


 一樹はそう言って慌てて辺りを見回すと、そこには違和感だらけの光景が広がっていた。カーテンに囲われたベッド、目の前で椅子に座っているしゅう柚希ゆずき。そして、無味無臭の宇宙船の空気とは異なる、あたたかく、様々さまざまな匂いを含んだ雑味のある空気。


「ちょっと待ってくれ、ここはどこなんだ? これはどういうことなんだ? しゅう


 血相を変えて尋ねる一樹に対し、しゅうは笑顔をみせる。


「ここは地球さ、一樹。みおくんが超高速通信で送ってくれた君の脳内データをすべてクローンに移植したんだ。そして、そのクローンが今の君というわけさ」


「ちょっとまってくれ、しゅう。すると俺はオリジナルではなくクローンというわけか? しかし、クローンは高度な知能を持つことはできないとお前は言っていたじゃないか? 今の俺は高度な知能を持っていないということか?」


 一樹は興奮してベッドから起き上がりしゅうに詰め寄るが、しゅうは一樹の両肩を優しく持ってベッドに寝かしつけると、ゆっくり説明をはじめた。


「大丈夫、一樹。君の体はクローンかもしれないが、魂はオリジナルの一樹に間違いない。俺たちは、4光年先の宇宙から君の魂だけ地球に戻し、クローンに魂を宿したのさ」


「クローンに魂を宿す? どうやって?」


 そう言いかけた一樹は、思わず両手をたたき、思い当たる言葉を口にした。


「ま、まさか、量子テレポーテーション?」


 一樹のこの言葉にしゅうは意外そうな顔を浮かべたものの、すぐに一樹の言葉を肯定した。


「そう、その通り。しかし、4光年も離れていれば、人体そのものを量子テレポーテーションすることは不可能だ。だからみおくんは、君の魂だけを量子テレポーテーションさせて地球に運んできたというわけさ。魂だけを量子もつれさせることによってね」


 しゅうは、自分の説明を聞いても呆然ぼうぜんとしている一樹に対し、大きくため息をつくと、さらに説明を続けた。


「確かに一樹が指摘した通り、クローン技術は脳の情報を完全にコピーすることはできても、人間そのものを再現することはできない。つまり脳の記憶にあることをトレースすることはできても、新しく創造をしたり、応用したりすることはできない。それがクローンの限界だ」


みおくんは、クローンが高度な思考をできない原因を人間だけに宿る『魂』によるものだということを証明していたのさ。一樹が宇宙に旅立つ前、みおくんがミオニウムという素粒子を発見していただろう? そのミオニウムこそ、人の魂を形造る素粒子だったんだ。そして、目に見えず、虚ろで、量子もつれを起こしやすいミオニウムの特性を生かし、みおくんは、ミオニウム、つまり、魂だけを量子テレポーテーションで移動させ、クローンの体に宿す理論を完成させていたんだよ。一樹はそのテクノロジーによって、今ここにいるというわけさ」


「それが証拠に、一樹には宇宙船ソフィアで起きた出来事の記憶があるだろ?  みおくんが一樹の脳内データを取り出したのは宇宙船アナクティシにいた時なのに……。そう、その魂に刻まれた記憶こそが、一樹が一樹である何よりの証拠さ。ただ理論的に可能であったとしても、まさか4光年離れた位置で成功するとは、さすがの俺も思っていなかったんだけどな」


 そう笑顔でいうしゅうの説明を聞いて、ひとまず納得したような顔を浮かべた一樹であったが、すぐに重要な事に気がついた。


しゅうみおは、みおはどうなったんだ?」


 一樹のこの言葉を聞くと、しゅうはとっさに視線をそらし、柚希ゆずきはとっさに視線を下におろした。この尋常じゃない反応をみた一樹は、すぐに一つのことに思いが至る。


 みおは、一樹の乗った宇宙船アナクティシに移動するため、量子もつれを起こすエンタングルメントマットを宇宙船ソフィアで1枚使ったはずだ。そして、みおは、そのシートを宇宙船ソフィアにおいたまま、一樹のいる宇宙船アナクティシに量子テレポーテーションしてきた。


 その後、みおが持ってきた2枚のエンタングルメントマットを使って、みおと一樹は、みおが乗ってきた宇宙船ソフィアに量子テレポーテーションしている。つまり、最後にみおと一樹がいた宇宙船ソフィアには、量子テレポーテーションを可能にするエンタングルメントマットが1枚しか残っていない。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ」


 その事実に気がついた一樹は絶望のあまり大きな声をあげる。つまりみおは、一樹だけでも助けるために、生き残ることのできる最後のチャンスをすべて一樹に差し出したのだ。


 そしてみおは、この決意を言えば一樹が拒否することを知っていたからこそ、ああいう形であの薬を一樹に飲ませたのだ。だから、みおは、最後にあんな言葉を一樹に残したのだ。


 悲愴ひそうと絶望、すべてのおもいが混ざり合った複雑な一樹の叫び声が病室に響き渡る。しゅう柚希ゆずきはその様子を直視することはできず、お互い下を向き、じっと押し黙っているだけであった。

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