第03話:特殊相対性理論

「そう、それだよ、みお。光速が一定だというのはわかるんだが、それがどう時間に影響するかがわからない」


 一樹は不思議そうな顔を浮かべ、みおにそう質問すると、みおは緩い弧を描く水平線に視線を移し、一樹の質問に質問で返してみせた。


「ねぇ、一樹。1光秒って意味、わかる?」


「光が1秒で進む距離のことだろ?」


 一樹はみおの質問の意図がわからず、不思議そうな表情を浮かべたものの、その質問に素直に答えてみせた。そして、その答えは、みおを満足させるものだったらしく、みおはニコニコ顔で何度も|うなず《うなず》いた。


「そう、1光秒は光が1秒で進む距離、だいたい30万kmね。そして、ここからが大切なんだけど、1秒で光が進む距離が1光秒ではなくて、光が30万km進んだ時間が1秒なの」


 みおのこの一言に、一樹は理解が追いつかない顔をしていたが、みおは構わず話を続ける。


「例えばね、30万km先にまとがあるとするでしょ? そしてそのまとに向けて光を発射する。すると、その光がまとに届く時間が1秒ってことになるでしょ? つまりこれ、時計なのよ。さしずめ光時計といったところね」


 みおはそう言って振り返ると、右手の人差し指を再び一樹にむける。


「さて一樹くん、ここで問題です。この光時計がまとの方向に1秒で1万km動いていたとします。まとに当たるまで光は30万km以上進まなくてはいけないでしょうか?」


 唐突なみおの質問であったが、一樹は嫌な顔ひとつせずこう答えた。


「そりゃ30万km以上進まなくてはいけないに決まっている。なぜならまとが1秒で1万km逃げているんだから、その分だけ、1秒分の1万km分だけ、光は余分に進まなければならない。つまり光は31万km進まないとまとには当たらない」


 一樹のこの答えにみおは人差し指を唇にあてながら少し考えたものの、しばらくしてこう答えた。


「その通り、大正解と言ってあげたいんだけど不正解なのよね。正確には31万km以上、光は進まなければならないんだけど……。でも説明がややこしくなるから、今回は31万kmということで説明するね」


 そう答えたみおの瞳は、今にも踊り出しそうな躍動感で満たされていた。


「30万km先のまとに当たるまでの時間が1秒の定義だから、光時計が止まっている状態で、光が30万km進んでまとに当たった時が1秒。そして、光時計が動いている状態、つまりまとが1秒間に1万km逃げている状態で、光が約31万km進んでまとに当たった時も同じ1秒なの。でも光の速度は一定だから、光時計が動いている時は1秒より時間がかかっていると思わない? これって矛盾していると思わない?」


 みおはそう言うと、もったいぶって、ここで会話を切って見せた。


「でも、ここで考え方を変えて、光速は一定で、時間がゆっくり流れたと考えてみたらどうなると思う? 同じ1秒でも、時間がゆっくり流れた分だけ、光は余分に前に進めると思わない? 30万km以上、進めると思わない? そう、まとが動いている時は時間の進み方が遅くなると考えれば、光時計が止まっている時でも、光時計が動いている時でも、同じ1秒として取り扱うことができるの。つまり、速い速度で移動している時は、時間がゆっくり流れていると考えれば辻褄つじつまがあうのよ。これが特殊相対性理論」


 みおはそういいながら、一樹の隣にそっと寄り添うと、その腕にそっと抱きついた。


「だから時間の長さは一定じゃないの。時間はね、光速によって定義される概念の1つにすぎない。そして愛の深さも、積み重ねた時間によって変わるものじゃない。光速と一緒で、一定で不変なものなの。そう考えると愛って、ほんとステキなものだと思わない?」


 みおはそう言って、自分の頭を一樹の肩にそっとくっつける。


「でも俺は、これからもっともっとみおのことを好きになると思うから、不変ってことは無いと思うんだけどな」


 そう一樹がつぶやくと、みおは抱きついている一樹の腕を下に引っ張り、不満げな表情を見せた。


「なんで、一樹はそういうこというかなぁ。私は、ずっと一樹のことを愛しているのに。光速と同じで、これ以上深く愛することができないくらい愛しているのに。一樹はなんでまだ余力を残しているの?」


 みおは、そこまで言って咳払せきばらいをする。


「いい一樹、あなたの大切な彼女がこんな恥ずかしいことを言っているんだから、こういう時は黙ってうなずくものなの。毎朝、色々な通信デバイスがあなたの脳に大量のデータを送りつけてくるけど、それを当たり前のことだと思って受け取っているでしょ? これはそれと同じことなの」


 みおはそう言ってほおを膨らませると、一樹に怒ったフリをする。


「そうだな、みおが約束の時間を破ったことを誤魔化ごまかさずに、素直に『ごめんなさい』と言えるようになったら、俺も自分の考え方を改めることにしようかな」


 一樹はそう言い返すと、みおと一樹は、お互いに目を合わせて大きな声で笑い始めた。


 雄大な空のキャンバスを巨大な積乱雲がゆったりと泳ぐ、軌道エレベーターの安全を守るドローンの群れが、東から西へ悠然と通りすぎる。そして朝の澄んだ空気と陽の光が、みおと一樹をそっと包み込んでいく。


「ところで、みお。これから俺はみおと違う時間軸を生きる事になるのか? いまだに実感がわかないんだが……」


 一樹は熱帯特有の高い空を見上げながら、ゆっくりとそうつぶやいた。


「そうね。これから一樹は10日間、宇宙という空間だけではなく、地球と違う時間軸も旅することになると思う」


 みおはそう言いながら、一樹が見上げる同じ空を見つめ、寂しそうに笑うのであった。

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