たなごころの小説


「いま、君の余命が3分をきったとしたら、どうする?」


 夜も更けたころだというのに、私の六畳一間に居座る男がいた。


 蛍光灯の紐に絡ませるように煙草をくゆらせて、その男は煙を吐く。


「いきなりだね」


 私は読みかけの小説を置いて、彼に向き直った。


「うん。いきなりだ。こんな話に脈絡を用意するなんて無理だからね」


「そうか。……まぁ、君の話はいつも脈絡が無いからいいさ」


 みぎわ正十郎せいじゅうろう。同じアパートに住む大学二回生であり、いつも紺色の着流しを身に着けている。人間総合学科を専攻しているが、人間にはまったく興味を持たずに文字と文字が与える人間の脳への影響についてばかり研究している変人だ。髪は研究者らしからぬもじゃもじゃヘアー。骨のような体躯も相まってか枯れかけの盆栽を思わせる男である。


 アパート近くの古本屋で知り合ってから、互いに部屋を行きかう仲になるにはさほど時間がかからなかった。


「で、俺の余命が3分だったらどうするという話だったか?」


 私は汀からもらった煙草に火を付けながら聞き返した。


 彼はこういった「もし〇〇だったらどうする?」的質問が嫌いだったと記憶している。無人島に一つだけ持って行くとしたら何? とか、地球最後の日に何をする? とかいった質問に対する彼の答えはいつも「その場に立たされるまで分からん」だった。


 枯れかけの盆栽のくせしてニヒルなリアリストを気取る汀にしては珍しい質問だと、私が驚いていると、


「サークルの本棚でこんな本を見つけたんだ」


 と、懐から一冊の冊子を取り出した。


「『余命、3分』。原稿のままだったから軽く装丁しておいたが、短編集にも載っていないみたいなんだ。バックナンバーを漁ってもどこにも載っていないしサークルの先輩に聞いても誰も知らないという。著者も書いていないのだから誰が書いたかも特定できない」


「君のサークルは……ああ、短編小説を書いているところか」


「もじか、だ」


「そうそう、もじかだ」


 私は適当に相づちを打った。


 汀の所属する短編小説愛好サークル『もじか』は短編小説や掌編しょうへん小説を愛する者が集まるサークルである。文化祭のおりにはメンバーが書いた作品を集めた短編集を出版しているが、これがかなり好評で、サークルの活動費のほぼすべてを賄えるくらいの売り上げなのだという。


 汀は、まあ読んでみたまえと、私にその冊子を手渡した。煙草の灰を落としながら受け取るが、ずいふんと薄い冊子である。手書きの原稿用紙にそのまま表紙を付けただけの簡素な作りだった。


「へぇ……。未完成だったのかね。書きかけのまま、完成するビジョンが見えずに放り出したとか」


「いや、最後まで書き上げてあった。おそらく卒業生が書いた掌編小説だろうが、内容がちと奇天烈でな。1人称視点でありながら自身を含めて回りを俯瞰している3人称視点のような文体で、なおかつ漠然としている。読みづらいし、わかりにくい。小説と呼んでいいのかも分からんくらいだ」


 私は流し読みをしながら答えた。


「ふぅん。君の書く小説も全部そんな感じじゃないか」


「バカにするな。私は文字に自由を与えているだけだ。パズルのピースをはめるようにして書き上げられた小説は断固として認めぬ。文字に自由を!」


「うおっ」


 汀がおもむろに右腕を振り上げて叫ぶ。枯れかけの盆栽が発したとは思えぬ喝は窓を通して宵闇に攪拌かくはんされ、澄み渡る街中の大気を揺らし、遠くの山々を震撼させたのち、我が六畳一間の壁をドンドンと鳴らした。


 とうぜん、怒られた。


「夜中に大声を出すんじゃない。周りに迷惑だろう」


「そのようだね」


 しかし、私が眉根を寄せて苦言を呈しても汀は素知らぬ顔である。


「これが小説ならば文字の力をもってして夜を朝にもできるのに。ああ、物理法則とはなんと融通の利かないことか」


「昼夜を問わず迷惑だと思うがな……」


「そういう常識も文字の自由さの前には無力だ。文字はすべてを支配する。全は一なり。文字は全なり!」


「それならまずは、君という人間を書き直してやりたいよ」


 私はため息をついて冊子から顔をあげた。なんてことは無い普通の小説であった。余命の正体が何であるかに焦点が置かれているが、単純なレトリックにより、正体は最後までぼかされたままだ。その一点を除けば、特に不思議の無い平凡な内容だと感じた。


「俺はな、その本は遺書ではないかと思うんだ」


 と、汀が声を低くして言う。


「遺書?」


 私はドキッとした。


「うん。何度か読めば分かることだが、小説の中で描かれている余命の正体は、その小説を読み終えるまでの時間なんだ。つまり、『私』はキャラクターとして描かれているんだよ。本の中のキャラクターが生きていられるのは、読者の脳裏にいる間だけ。書き手である『私』は自身の生涯を省みるために小説として書き残したが、読み切るまでに3分もかからないという事なのだと、俺は思うんだ」


「ずいぶんと飛躍した意見だな。そういうのを妄想っていうんだぜ」


「そうではない。これこそ文字の力だ。文字は3次元の書き手を2次元に収束させる力を持ちうる。つまり、次元の壁を超える力を持つという事だ!」


 汀は妙に勢い込んで断言した。まるでこの短い小説にとり憑かれているような様子である。


 文字の力というのがなんなのか私には分からなかったが、汀の入れ込みようは恐ろしいほどだ。


「もう妄信の域だな……」


 自分の体験や心情を書き残すような最後の文章は教訓ともとれる。死の間際に自分の人生を思い返したが、記憶に残っていることがほとんど無かったために、物語風に脚色して、自分の人生は3分の価値しかないと自虐した。汀はそう考えたらしい。


「つまりは3分で語ることができる人生だったという話だろう。ずいぶんストイックな生き方をしたもんだな」


 一応そう考えれば物語中の描写の矛盾は消えてなくなる。学生の身分から始まり結婚からの出産を経験するまでには何年も経過することは必至。たった3分でこなすには時間の進みを操る力でも持たないかぎり成し得ない事である。


 が、人生を変えるような決断と経験を幾度も乗り越えながら、それを収斂しゅうれんさせた結果『3分』で語り尽くせるというのはむなしい話である。


「なぜそうも落ち着いていられる? これは世紀の大発見だぞ。文字の持つ力をまざまざと見せつけられたのだぞ!」


 汀はやにわに立ち上がると、「レポートにまとめなければ!」と言って部屋を出て行った。


「………あいつはきっと文字に殺されるな」


 私は汀の出て行った後を見送ると、ぼそりと呟いた。

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