真夜中の乾杯

 先の事件によって捕縛された純血派は十名以上、死者はその二倍程度の人数に上った。

 城が攻撃を受けた点を王家は重く受け止め、取り締まりをこれまで以上に強化した。捕縛者に心の魔法を用いることで潜伏する仲間をあぶり出し、捕らえた仲間にまた自白させる。用済みになった純血派は処刑という慈悲を捨てた方策だ。

 反発も起こったが、強気に出る材料は十分に揃っている。批判が考慮されることはなく、王侯貴族に逆らう罪がどれほど重いかあらためて周知される結果となった。


『おかげで心の魔法の使い手が引っ張りだこなのよね』


 年季が明けていないオーレリアは騎士団の要請を断れないし、モニカにも「可能であれば手伝っていただきたい」と話が来た。俺は残念ながら我が強すぎる上に人生経験が足りなくて心の魔法には向いていないので役目は回って来なかった。


 調印式に向かったアルベールは無事に帰ってきた。

 辺境伯家に到着した彼の下にアンリエットから使いが到着。敵対勢力からの攻撃を察知したため掃討したい、との内容に呼応し、共同戦線を張ったらしい。

 別にアルベールが出て行く必要はなかった。むしろ罠だった場合は危険だったわけだが、


『アンリエット様を信用した理由? 勘としか言いようがないな。あの方はお前と同じで、騙し討ちはしても裏切りはしないタイプだろう』


 まあ、暗殺者の件は黙っていたわけだが。知らないと言ったのはギリギリ嘘じゃないし、俺の性格を知っていて送ってくれたのも事実。

 結果的にリヴィエール王国はソレイル王国にさらなる恩を着せることに成功。敵の規模も大きくはなかったため、こちらの連合部隊が十分に注意して挑めば敵ではなかった。

 調印式を潰そうとしたレティシア派は全員処刑、彼らの象徴であるレティシアも短い幽閉を終えてこの世を去ることになった。

 最初から始末しておけばこんなことにならなかった、というのは結果論であり、余計な反乱を起こしてくれたから思い切った一斉処分に踏み切れたというのもある。その分、賠償がさらに上乗せされることになったが。


『いや、もうこれ、わたしが行く前に国庫が空になるんじゃない?』


 実際はレティシア派の溜め込んでいた資産を転用できるので心配はないのだろうが、王の所業に反発した一派のせいで他国がどんどん潤っていくのだから皮肉な話である。

 ただ、アンリエットも「うまいこと反対派を処分しましたね」では済まない。

 裏の意図があったとはいえ俺に誤情報を流したのは事実だし、あの女暗殺者と繋がっていたことも隠していた。この件については正式に抗議を行い、ソレイル側としては謝罪および賠償金の他、俺の嫁入りをもってアンリエットを王族から除外し、俺の側近とすることを表明した。


 調印が成った時点で国王によって「自身の死後はリディアーヌに王位を継承する」と大々的に宣言されたこともあり、前正妃が全面的に傘下に入る形での嫁入り、王位引き継ぎのための準備期間となる。

 教国もこれを支持したので反対派も下手に手が出せなくなった。いや、今までのも十分暴挙なのだが。


 アンリエットとしてはある程度予定調和なんじゃないか、というのが若干不満だが、王族でなくなったアンリエットを王族になった俺がどう扱うかは自由になるわけで、自分の命を賭けた駆け引きと考えるとそれほど嫌いでもない。

 調印式は当初の予定よりもこちらに有利な条件で終了。

 ここまで来るともはや「攻め込んで征服してもいいんだが? 賠償金だけで済ませてやってるんだからうちの公爵令嬢を丁重に扱えよ? これ以上嘘をついたらわかってるだろうな?」というレベル。

 これでもし俺に何かあったらそれこそ戦争する大義名分が立つし、道義的に他国がソレイル側に味方する可能性もぐっと低くなる。


 もちろん、俺が女王になったらリヴィエールとは協調体制を取る。隣国へ嫁ぐのはぶっちゃけ俺の我が儘だが、祖国には輸出入とか色々な面で利益を投げられればと思う。


 輿入れは春を待って行われることに。

 正妃として迎え入れるにはかなり慌ただしいスケジュールだが、公費が許す限り盛大に祝ってくれるらしい。

 もったいないとは言うなかれ。箔付けの意味もあるのだろう。

 王は歳だから長時間の式典とか体力的に辛いだろうし、国民を巻き込んで広めるのが手っ取り早い。


 捕らえた女暗殺者二号だが、心の魔法まで用いた尋問の結果、わかったことがある。


 ──彼女たちは魔法による人体改造の被験者だった。


 平民の孤児を拾ってきては魔法による強化実験を施し、というのを繰り返しているマッドな研究者がいたらしい。顔や声を憶えさせない用心をしていたらしくどんな人物かは記憶していなかったが、少なくとも相当ヤバい奴である。

 成功作、というか生き残った子供を捨てる先は基本的に決まっており、彼女たちはその貴族の下で私兵として教育を受けていた。一定以上の練度に達した者は野に放たれて各地に潜伏し、必要な際に命を受けて『仕事』を行うのが役割だったらしい。

 あの女がバルト家にいたのは武装メイドがいっぱいいて紛れ込みやすかったから、というわけか。

 で、雇い主の失脚を察知して逃走。元いた国に戻って工作員を続けていたと。


『本当、わたしやオーレリアも真っ青のマッド魔法使いね』


 自分の身体に魔石を埋め込んでいたオーレリアの母親だって娘や使用人には手を出していない。改造するだけしてデータを取り終わったらポイ、というのもやばい。何かに利用するためではなくというタイプだ。

 そんなやばい奴がそうそういるわけもない。ソレイル国内の詳しい情報が手に入れば当たりはつけられるだろう。いずれ何らかの対処は必要になる。

 暗殺者を飼ってる奴の方は情報が揃い次第、うちの国からソレイルに厳正な対処を要求する。


『ここまでガタガタの国だもの。わたしが好きにいじっていいわよね? 駄目って言われてもやるけど』


 さて。


 季節は秋。調印式が終わってまだ間もないタイミングで俺の十三歳の誕生パーティーが執り行われた。

 会場は公爵家の屋敷である。

 婚約解消が予定されているのに城を使うのもアレだし、この国で行う最後のパーティーになるかもしれないとあって父が家でやりたがったからだ。

 年々上がっていく知名度のせいで参加者は大量。かなりの広さがある屋敷のホールでさえ手狭に感じるほどだった。俺はそんな中、貴族たちから嵐のような「おめでとう」を聞くことになった。


「隣国へのお嫁入り、誠におめでとうございます」


 タイミング的に「誕生日おめでとう」よりもそっちの方が多かったのは良いのか悪いのか。

 少なくとも、一応まだ婚約者という建前で出席したリオネルはとても不服そうだった。そりゃそうだ。形式的な祝福だとしても「王子より王様の方が格上ですよね!」みたいな空気を出されたらイラっとする。なので空気を読める貴族は失礼にならない言葉を選んでいたが。


「私はお前の誕生日を祝いに来たんだがな」

「心から感謝しております。ですから、そのようなお顔をなさらないでくださいませ」

「不敬な貴族達が悪い。それに」

「それに?」


 リオネルは軽く俺を睨みつけて、


「お前と酒を飲む約束もフイになってしまっただろう」

「あら。憶えていてくださったのですか?」

「忘れるわけがないだろう」


 若干頬が赤い。前に「十二歳から飲み始める」と言っていた通り、今はもう酒を口にしているのだが、だからといってこれはワインのせいではないだろう。


「お前こそ、まさか忘れていたのか?」

「まさか。ちゃんと覚えておりました。その証拠に用意もしてあります」

「用意だと?」

「ええ。リオネルさまのお時間さえよろしければ、ですが」


 未だ賑わう会場の中、俺はもうすぐ婚約者でなくなる男にそっと囁いた。


「パーティーの後、静かな場所でお酒に付き合ってくださいませ」


 その日、リオネルは屋敷に泊っていくことになった。

 もちろん俺の部屋に泊まるわけではないが、お目付け役や使用人同伴の上で二人っきり(?)になることは許された。

 俺の部屋に二人で向かい合って座り、アンナにワインを用意してもらう。


「公爵領産のワインか」

「ええ。あの時のお土産を自分用に一本とっておいたのです」


 自分の前に置かれたのがワイングラスだというのがなんだか不思議な感じだ。前世も含めるとかなり長いこと酒はお預けを喰らっていた。ようやく飲めるのかという感慨と、飲んでもいいのかという奇妙な不安が入り混じって落ち着かなくなる。

 アンナが俺の目を見てにっこりと微笑み、ワインの栓を抜こうとして──うまく行かずに悪戦苦闘し始めた。そうか、俺が初めてなんだからアンナだってあまり経験はないのだ。見かねたセルジュが手伝ってくれて無事に栓は引き抜かれた。

 お手本としてリオネルのグラスにとくとくとワインが注がれ、見様見真似のアンナが俺のグラスにも注いでくれる。

 こつん。

 小さくグラスを打ち合わせて乾杯する。


「リディアーヌの十三歳の誕生日を祝って」

「リオネルさまの前途が明るいことを願って」


 果実の芳醇な香り。葡萄ジュースとはどこか違う口当たりに「おっ?」と思った後、酒の通り抜けた後の喉に熱さを感じる。

 おつまみはナッツとチーズの盛り合わせ。塩気のあるそれらを口にしてから二口目を口に含むと、なるほど、酒に合うという感覚が少し理解できた気がする。

 グラスに残った少しのワインをくいっと飲み干してひと息。


「これは、なかなか良いものですね」

「うむ。口当たりが良い一方で深みもある。女性でも飲みやすかろう」

「ええ、お養母さまも好んでいらっしゃるようです」


 寝起きから少し経った頃、あるいは少し眠くなってきた時に近い感覚が身体を包む。

 本格的な気怠さではないものの、理性という名のリミッターが甘くなって思い切った行動に出てみたくなる。飲み過ぎると文字通り身体に毒だろうが、適量なら思索に耽る助けにもなりそうだ。父がグラス片手に思案していたりするのはそのせいか。


「アンナ、お代わりをちょうだい」

「はい、リディアーヌ様」

「おい、リディアーヌ。初めてなのだろう? 少しペースが早いぞ。後で後悔したくなければ水を飲んでおけ」

「噂に聞く二日酔いですか」


 まだ大丈夫だと思う。というか、その気になればアルコールも中和できるのでお腹いっぱいになるまで飲めるのだが……ここはリオネルの顔を立ててチェイサーを口にしておく。


「次はブランデーを試してみたいですね」

「あれはワインよりもかなり強いぞ。飲むなら心してかかると良い。……と、言っている傍から二杯目を空けようとするんじゃない」

「? このワインは一本しかありませんが、念のため他のお酒も部屋に置いてありますよ。なくなったら新しいのを空ければいいのです」

「そういう事を言っているんじゃない。……おい、アンナ。こいつの限界酒量を憶えて、止められるように訓練しておけ。オーレリアでは面白がりそうだからな」

「か、かしこまりました。ですが、リディアーヌ様の限界を『量』で測れるかどうか……」


 解毒魔法を使ったかどうか、逐一伝えないとわからないだろうからな。むしろ、ある程度飲んだら「魔法を使え」と合図してもらう方が良いかもしれない。


「リオネルさまこそ、あまりお酒が進んでいないのでは? パーティー会場で飲まされ過ぎましたか?」

「それもあるが、私は嗜む程度だからな。どうやらあまり強くないらしい」


 すると、傍に控えているセルジュがふっと笑って、


「殿下はブランデーがあまりお好みではないのですよ。ワインの方が美味い、と専ら赤を飲まれております」

「セルジュ、そういう事をバラすんじゃない。こいつが調子に乗ったらどうする」

「良いではありませんか、リオネルさま。ここは社交の場ではありませんし、好きなように楽しめば良いのです。……というわけでアンナ、三杯目を」

「リディアーヌ様。お注ぎいたしますが、不安になるのでおつまみとお水を召し上がってくださいね?」


 結局、二人でワインボトル一本を空けるのにそう大した時間はかからなかった(ちなみに俺が三分の二近く飲んだ)。

 もう一本開けようとしたらアンナに止められたので仕方なく断念しておく。


『また今度飲みましょう。そうね、明後日……いえ、明日にでも』


 どうやら、アンリエットの指摘通り俺は酒好きらしい。なまじ高くて美味い酒を好きなだけ飲める身分だから余計に困る。肝臓への影響も魔法で消せるわけだが、なるべく酒量は控えるようにしようと思う。たぶんそう心がけていないと際限なく飲む。

 アルコールでほんのり火照った身体がなんだか心地いい。

 ただの氷水も身体に染みわたるような感じがして愛おしくなる。


「ここを離れる前に約束を果たせて良かった」

「リディアーヌ。……本当に行くつもりか?」

「今更何を仰っているのですか。行きますよ。あの国でわたしのやりたいことを実現してきます」


 リオネルはどこか切なげに目を細め、俺に言った。


「少し、外で星を見ないか?」

「安全を考えればお断りするところなのでしょうけれど……少しくらいならお付き合いいたします」

「お互い、ままならない身分に生まれたものだな」


 その夜、二人で見上げた夜空は本当に綺麗だった。

 数日後、城の玉座の間にて俺とリオネルの婚約は正式に解消され、俺は王子の婚約者から隣国の王妃候補になった。

 解消後もリオネルは俺のプレゼントした羊の角のアクセサリーを愛用し続けた。そのせいか、俺たちの繋がりは切れていない──女王の夫となる可能性もあると噂が広がり、彼を軽視する動きは収まった。

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