会談

 会談はその日の夜に実施された。

 国王の仕事が山積みになっていたせいと、話が長くなることが予想できたからだ。

 王族用の会議室に集められたのは錚々たるメンバー。

 国王と王妃、それから第一から第三までの王子。宰相に騎士団長、宮廷魔法士長、俺にセレスティーヌとルフォール侯爵夫人、そしてアンリエット。俺の護衛およびメイドの中にはモニカとオーレリアも含まれている。

 アンリエットの差し出した細い筒を国王が騎士団長経由で受け取り、中身を一読する。


「……これは」


 彼はその後、声を出して書状を読み上げた。

 内容は基本的に俺たちがアンリエットから聞かされたものと同じだ。


「馬鹿な」


 読み終わった直後にリオネルが声を上げた。立ち上がるのはギリギリで我慢したようだが、両の拳はぎゅっと握りしめられ、視線は父親へと真っすぐに向けられている。


「リディアーヌは私の婚約者だ。グレゴール殿下の嘆願を却下した時と変わらない。そうでしょう、父上」


 しかし、この国の王は「いや」と厳かに首を振った。


「グレゴール殿下の話は『要求』であり、ソレイル国王の承認もなければ我が国への補償も不十分だった。しかし、今回は王自らの要請であり、代理人としてアンリエット殿下も来られている。少なくとも『一考に値しない』とはならぬ」

「では、こんな馬鹿な話を受けると……!?」

「受けるか否か。決めるにはまず本人の意思を確認せねばなるまい」


 単なる気の良いおっちゃんではなく、一国の主としての王の瞳が俺に突き刺さる。


「リディアーヌよ。この話をいかに考える?」


 俺は、努めて国王だけに注目しながら答えた。


「またとない良いお話かと存じます。この国にとって十分な利を得られるのであれば是非お受けしたいと」

「リディアーヌ!?」


 リオネルの声はほとんど悲鳴のようだった。


「お前は、私を見捨てて隣国へ赴くというのか?」

「見捨てる、などとは思っておりません。わたしは──」

「ならば何だ!? 二人で良い国を作ろうと約束しただろう!?」


 彼の方を見るのが辛い。いつか聞いたあの言葉は俺にとっても嬉しいものだった。それを思えば、俺の選択はとても不義理だ。

 だからこそ、俺は婚約者である少年に視線を移す。

 らしくないことに指が震えている。それを悟られないように気をつけながらはっきりと答えた。


「もちろん、忘れておりません。ですから作りましょう。わたしたちで素敵な世界を」

「……世界?」


 硬直する少年へと微笑みかけて、


「一つの国だけに留めておくなんて勿体ないではありませんか。一つよりも二つ。二つよりも三つ。一番いいのは世界を変えることです」

「お前、全てを好き放題に変えるつもりか?」

「好き放題とはまでは言いませんが、変化が局所的に留まったのでは単に『流れに乗り遅れる』ことにしかなりません。大きな流れを作り出すことこそが肝要かと」


 しん、と、一瞬の静寂。

 アンリエットがこの機を逃さずに口を開く。


「陛下。よろしければ私は一度退席いたしますが」

「構わぬ。質疑応答が必要になることもあろう」


 この短い間にリオネルは呼吸と思考を整えていた。幾分か冷静になったようだが、今度はぶすっとしたような表情を浮かべて、


「だが、俺との婚約を解消することに変わりはなかろう」

「……それは、本当に申し訳ありません。わたしがお手伝いしなければリオネルさまの王位継承は遠のいてしまいますから」

「それは関係ないだろう。別にお前がいなくても俺は王位を願う」


 この宣言に国王夫妻が嬉しさ半分といった感じの苦笑を浮かべる。アルベールが「何を聞かされているんだ俺たちは」と愚痴り、シャルルは「良いではありませんか」と笑った。


『ええ、まあ、痴話喧嘩よね……』


 しかし、止めるわけにもいかない。

 リオネルには納得してもらいたいし、できる限りの説明をするのが俺の義務だ。

 俺は引き続き少年に向き合う。


「公爵家の後援は関係ない。今更お前にいなくなられても困るのだ」


 真っすぐな気持ちは素直に嬉しい。

 気まぐれに決めた婚約者だっただろうに、俺たちの繋がりはあの頃とは比べものにならないくらい深くなっている。

 小さく息を吸い込んで、


「では、しばらく婚約者は未定で居られてはいかがですか?」

「何?」

「わたしがソレイルに赴くとなれば、ヴァイオレットは同行を希望するでしょう。そうなれば多くのご令嬢──少なくともベアトリスさまは婚約を希望するはずです」

「ヴァイオレットからは既に希望を受けております。リディアーヌ様がこの国を離れるのであれば自分も同行したい、と」


 ルフォール侯爵夫人からお墨付きが出た。つまり、第一夫人内定者と第二夫人候補がいっぺんにいなくなる。王族と縁づきたい令嬢にとってはカモだ。

 そこを敢えて「誰とも婚約するな」と言う。


「わたしが首尾よく女王となり、リオネルさま以外の方が王位に就けなかったその時はソレイルにお招きします。あらためて婚約を結びましょう」

「……それは、女王と王配として、か?」

「ええ。女王と王配として」


 まあ、その場合、おそらく俺とリオネルの子に王位は継がせられない。他の夫を取るか親戚筋を次代に据えるしかなくなるだろうが、そこはそれ。今考えても仕方がないし、俺が血の濃さだけで女王になったら他の王族もこぞって血の濃い血族を作ろうとするだろう。

 俺の在位が続けば血統問題は自然と解決へ向かう。

 と、リオネルが深いため息を吐いた。


「お前、言っている事があまりに自分勝手すぎるぞ。自分が成功して私が失敗する前提で話を進めるな」

「申し訳ございません。今のはただ希望を申し上げただけです。もちろん、リオネルさまには新しい婚約者を選ぶ自由がございます。ベアトリスさまでも構いませんし、シャルロットに求婚なさるのもよろしいかと。他にもきっと良い方が見つかるでしょう」

「いや、だからそれが面倒なのだが……だが、そうか、希望か」


 難しい顔をしていた少年がふっと笑みを浮かべる。

 得意げな、俺を挑発するような笑み。


「そもそも、本当に女王になどなれるのか? いくら陛下が希望しようと他が反発するだろう」

「そこは腕の見せ所でしょう。味方を増やし敵を叩き、自分にとって良い環境に変えていけば良いのです」

「単身奮闘するつもりか。リディアーヌ、そこまでしてお前が行く必要はあるのか?」


 単身ではない。ヴァイオレットもオーレリアもアンナもついて来てくれるのだから百人力だ。……というのはまあ、置いておくとして。


「必要性はわかりませんが、行きたい理由はあります。こそこそとこの国に干渉をしてきている不届き者には目に物を見せてやりたいので」


 アンリエットが自爆魔道具で狙われたあたり、もう確定だろう。

 やられっぱなしのまま俺が終わると思ったら大間違い。狙いやすいように出向いてやるから攻撃して来いという話だ。


「女王の地位があればやりたいことをやり放題ですし。大人しく婚約者として微笑んでいるだけ、なんて性に合わないのです」

「いや、今までも十分やりたい放題だったが……」


 呟いたリオネルは表情を苦笑に変えて「わかった」と答えた。


「仕方ないから納得してやる。お前こそ、もし女王になれなかったら帰って来い。養子縁組ではなく婚姻なのだからそのくらいの自由は利くだろう」

「それこそ簡単に行くかはわかりませんが、良いお話ですね。その時はまた婚約してくださいますか?」

「ふん。新しい婚約者ができていなければ考えてやる。もしできていたら第二夫人以下に格下げだな」


 ああ言えばこう言う。

 俺たちが同レベルかつ低レベルの言い争いを繰り広げ始めたところで、アルベールが制止の声を上げてくれた。


「ほら、そこまでにしておけ。……お前達が言った通り、この話を受けるだけのメリットがあるのか、遺言書の話を信じていいのか話し合う必要があるだろ」

「……お騒がせして申し訳ございませんでした」

「私も、軽率に話を進め過ぎた事をお詫び申し上げます」


 そこから話は俺を嫁入りさせる前提で、そこからどんな利益を引き出せるか、という話になった。


「アンリエット。具体的な補償額についても其方に裁量権がある、と考えて良いか?」

「基本的には問題ございません。私の一存で決めかねないほど補償が高額になるようであれば一度持ち帰らせていただくことになりますが」

「ならば良かろう。……となれば、できる限りの補償を要求したいところだ。リディアーヌに加えてヴァイオレットにオーレリアまで失うとなれば我が国の負担が大きすぎる」


 この国トップの魔法使いはセリアに入れ替わったものの、二位と三位はおそらく俺とオーレリアだ。

 魔道具の製作能力および有事の軍事において大きなマイナスとなるのは間違いない。

 アルベールがくくっと笑って、


「女が何人出て行こうと国への影響はない、と主張する者達も出てくると思いますが」

「高い魔力の持ち主は男女の区別なく有用である。役割分担と絶対的な価値の違いをはき違える愚か者の言など考慮に値せぬ」


 王はあっさりと断言した。


「陛下。リディアーヌはともかく、オーレリア・ルフォールおよびヴァイオレット・ルフォールに関してはこちら側の要求に含まれておりません。貴国が自由意思で差し出す人員にまで補償を求められるのは如何なものでしょうか」


 完全にアウェーな状況にありながらアンリエットも黙ってはいない。少しでも補償内容を緩和しようと口を挟んでくる。


「これはおかしな事を言う。リディアーヌの身の安全、およびソレイル国内での地盤固めのためにも信頼のおける駒は必ず必要になる。其方らが本当にリディアーヌを担ぐつもりだと言うのなら、むしろ十分な人員をそちらで用意するのが筋ではないか?」

「もちろん、我々としても選りすぐりの側近を用意させていただく所存でございますが──」

「であれば、その人員の一覧を頂きましょうか。口だけで『選りすぐりである』と言われたところで納得はできません。一覧が出せないというのであれば、こちら側から出す側近に十分な補償金をいただくのは当然の話では? ああ、もちろん一覧には経歴等の情報も付けていただきたいですね」


 国王の反論にさらに反論しようとすれば、シャルルが笑顔のままに要求を突きつける。

 これはさすがに分が悪いか。

 アンリエットも女としては破格の地位、および交渉能力を持っているが、王の他にアルベールとシャルルまで揃っていては言い負かすのは難しい。ましては今回は向こうがお願いをして引き抜きをかけている立場だ。


「であれば、婚約解消およびリディアーヌの嫁入りに伴う補償に加えて金貨を──」


 結果、アンリエットが口にした金額はかなりのものだった。

 個人や家レベルではなく、国として見た上での「かなり」だ。一部が公爵家に分配されるのを考慮してなお、公共事業の一つくらい起こせるレベル。

 しかし、向こうがいくらまでの出費を覚悟しているかはわからない。こちらには「じゃあやっぱりリディアーヌは嫁入りさせない」という切り札もある。価格交渉もまた腕の見せ所だ。


『というか、わたしとしては向こうの出費は抑えた方がいいのかしら?』


 悩ましいところだが、自分についた値段を値切るのは避けたい。ここは素直に黙っていると、


「そもそも、私としては大事な娘を七十の老人に嫁がせたくないのだが」

「旦那様。公的な場で私人としての発言はお控えいただけますか?」

「そうよお父さま。形だけの結婚なのは明らかなんだから我が儘言わないでちょうだい」


 父がこの期に及んで親馬鹿な発言をしたのでセレスティーヌと一緒に一蹴した。


「……お前達は本当に似てきたな」


 なんだか聞き捨てならないことを言われた気がするが、ここは仕方なくスルーする。

 父には昨日の時点で(アンリエットに許可を取って)保護者として話を通した。その時、彼は当然のように猛反対した。危険すぎるのも苦労が大きいのも事実なので説得には骨が折れた。

 それでもなんとか納得してくれたからこそ、ここでは子供みたいな発言だけで済ませてくれているのだ。地味に傷ついたらしい父のメンタルは後で個別に話をして回復させようと思う。俺だって彼には感謝しているし、離れたくない気持ちもある。


 そうして、話は少しずつ纏まっていった。


 補償は金銭以外の物資による分も含めかなりの内容に。

 決定事項は公文書として二部を発行し、それぞれの国で持つ。正式な調印については後日国境地帯で行われることとなった。ソレイル側の反応によっては調印式の前に契約内容の微調整も行うことになるだろう。

 書記官が丁寧かつ迅速に筆を走らせる中、アンリエットは頷いて、


「では、これで仮の合意としてよろしいでしょうか?」

「待ってください。……アンリエットさま、実はあと一つ、提供していただきたいものがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「何かしら、リディアーヌ。私にできることならなるべく叶えてあげたいけれど」


 俺は微笑む隣国正妃を真っすぐに見据えて告げた。


「欲しいのはわたしの可愛い妹を攫った挙句、どこかへと逃げた女の首よ。貴女ならどこにいるのか知っているんじゃないかしら?」

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