隣国からの要請
「お姉様が第二夫人以降だなんておかしいと思います……!」
帰りの馬車内にて、義妹は珍しく本気でご立腹だった。
頬を膨らませてぷんぷん怒る姿はとても可愛い。相手が特にひどかったとはいえ他者に悪意を向けられるようになったのもある種の成長だろうと思いつつ、この子に怒った顔はあまりさせたくないとも感じた。
宥めるためにも苦笑を浮かべて俺は応じる。
「あの歳だもの。夫人の一人や二人いるでしょう。そこまで不思議な話でもないわ。……正直『馬鹿なの?』とは思うけど」
「お姉様だっておかしいと思っていらっしゃるのではありませんか」
まあ、そりゃあ、あいつ馬鹿王子丸出しだったし。
「この国からだとどうしても情報の精度が心配だったけど、思った通り、向こうの王家は相当混沌としているみたいね」
「現国王陛下の在位期間が長すぎたせい……ですか?」
「ええ。七十歳というご高齢にあって未だ王位にあるせいで王族が増えに増えているみたい」
一番上の王子なんか五十近いらしい。
当然、王子にもそれぞれ妻と子供がいる。血の繋がりを基本とした派閥が形成されるのは自然の流れであり、利害が対立している以上、マウント合戦も激しいだろう。
「どうしてもっと早く王位を継承しなかったのでしょう」
「さあ? 王位を譲りたい子供がいないからとか?」
「お姉様、さすがにそれは失礼かと……」
シャルロットの言う通り、実際はそこまで単純でもないだろう。どうしても自分で成し遂げたかった政策があったのかもしれないし、単に権力が惜しかったからかもしれない。
ただ、グレゴールたちの醜態を見てしまった今、あながちありえない話でもない気がする。
「誰に王位を継がせるかってすごく難しいわよね。一人しか選べないうえに取り返しがつかないじゃない?」
「先王の思想が引き継がれない事も歴史的に珍しくないのですよね……」
うちの国にしても現国王は安定路線だが、アルベールとリオネルは別の思想を抱いている。
彼らに関しては(少なくとも見える範囲では)全員国を良くしようと考えているからまだいいが、歴史を紐解けば単に「王様になってやりたい放題やってやるぜ!」とやった王もそう珍しくはない。
好き放題やりたい奴に限って外面は良かったりするので油断はできない。在位期間が長くなればなるほど慎重になり、継承の機を逃してしまうということもある。
「とりあえず、グレゴール殿下には王になって欲しくないわ」
「ええと、それはその……正直、私もそう思います」
しかし、もちろん第二王妃レティシアとしては我が子を王にしたいはず。子の中でも一番見込みがある(言う事を聞いてくれる?)のがグレゴールだからここへ連れてきたのだろう。
あの男が王家の血を濃く引き継いでいるぽっと出の娘──つまり俺を妻とした場合、果たしてどの程度可能性が高まるか。
『もし国王が血の濃さを気にしているのだとしたら、結構大きく変わるかもしれないわね』
後日、グレゴールやレティシアから狩りやお茶会への招待が届いたが、とりあえず全部お断りした。
王子殿下の乱行については俺からも上層部に報告、包み隠さず伝えた上で対応をお願いした。
幸いアンリエットが公正な立場を取ってくれたので話はすんなりと終了。リヴィエール王家からソレイル王家へ正式な抗議が行われた上、グレゴールの帯剣は禁止に。さらにお詫びという形を取って多少の金銭的賠償が行われることとなった。
お詫びの品は俺が要望していいということだったので「カカオの実とチョコレートの製法をください」と言っておいた。
さすがに今は持っていないし量が多くなるからとこれは後日送られてくることに。これを機にこの国でもチョコ関連の菓子作りが発展したらいいと思う。
「リオネルさま。暖かくなってまいりましたし、本日は剣術などいかがですか?」
色々とごたごたしていたのもあってこのところリオネルとの面会は間隔が空きがちだった。
一か月と少しぶりに彼の部屋を訪れ、剣術着の用意があることをアピールすると、意外にもお子様やんちゃ坊主の王子様は「いや」と首を振った。
「止めておこう。それよりチェスでもどうだ?」
「チェスなら前回もいたしましたが……もしかしてリオネルさま、どこか具合が悪いのですか?」
傍に立つセルジュへ視線をやると「私の口からはなんとも」とでも言うような曖昧な笑み。
深刻な話なら教えてくれるはずなのであまり心配はないのだろうが……俺は席を立って婚約者へ近づこうとして、身を庇うような彼の動きに足を止めた。
「馬鹿者。……女なのだから少しは自重しろと言っているのだ」
「リオネルさま? もしかして悪いものでも食べられました?」
「食べていない! 俺だって成長している。色々考えるところもあるのだ!」
ふむ。
若干言い訳めいてはいたものの、嘘ではなさそうな言葉にひとまず納得して席に戻る。
じっと正面から見つめてやると頬を染めて視線を逸らすリオネル。
なんというか、このところ少々様子がおかしい。思い返してみると前回チェスをした時も会話がぎこちなかったような気がする。
俺は俺でセリアの件やら隣国の件やらルフォール侯爵夫人による閨の教育があったりして色々考えることが多かったので若干そわそわしていたのだが。
『ははあ。もしかして「そういうこと」かしら?』
ひとつの推測にたどり着いてにやりと笑う。
「もしかしてリオネルさま。恥ずかしがっていらっしゃいますか?」
「なっ!?」
目を見開いて俺を見返してくる王子様。
「何の根拠があってそんな事を言っている」
「いえ。先ほどからのご様子を見て、わたしと身体的距離が近づくのがお嫌なのかと思いまして。違うと仰るのでしたらそれで良いのですが」
ちらり、と、だんだんと膨らんできている胸に目をやって、
「ねえアンナ、そろそろ剣術着も新調する頃かしら。ドレスと違ってサイズに余裕があまりないものね」
「そ、そうですね。男性の衣装に近いデザインですから、お胸やお尻はきつくなりやすいかと……って」
はっとしたアンナが口をつぐむ。見ればリオネルが頬を赤く染めながら黙り込んでいた。
これは、ビンゴか?
要するに王子様もお年頃ということである。男子だった経験のある俺としては不思議な話でもない。年頃を迎えても紳士なのが変わらないうちの兄の方が希少種なのだ。いくらリオネルと言えど女子にドキドキしたりして当然。
『ヴァイオレットのお母さまからも色々教わっているしね』
さすがにルフォール家の秘伝については教えてくれないものの、夫人の教え方はなかなかに実践的かつ具体的だ。セレスティーヌの方針でもあるのかもしれないが、恋愛においても閨においても女が男を転がしてうまく操るべし、という思想が根本にある。
男の衝動的な欲望なんぞに身を任せていたら身体がいくつあっても足りないから自分でなんとかしろ、というわけだ。実に正しい。
俺はわざとらしく目を伏せて、
「格好良く誘っていただければ、わたしとしても逢引きに応じるのもやぶさかではないのですが」
リオネルは気を取り直したように「ふん」と笑って、
「今更お前とそんな事ができるか。……挑発に乗るとも思うなよ。俺はもう子供ではないのだ」
「? 子供じゃない、とは?」
「それは」
セルジュが「いけない」という顔をする。話の流れで素直に口を開いたリオネルは言わなくていいことまでしっかり喋った。
「ミュレル侯爵夫人が私の教育係についたのだ。彼女から色々と手ほどきをしてもらったお陰で世界が変わった。そのせいか、お前の我が儘も可愛く見える」
「へえ、そうですか」
王家の親戚筋の出で早くに夫を亡くした女性だったか。子育てや家の切り盛りという義務を持っている一方、操を立てるべき相手は既にいないというちょうどいい相手。
淑女教育同様、紳士教育も義務だ。
しかし、そういうことをわざわざ口に出すんじゃない。普通の令嬢だったら泣いて「もう婚約やめます!」とか言い出してもおかしくないぞ。
俺は笑顔で頷いて、
「リオネルさま。本日は盤上演習にいたしましょう。日頃から賽を振って運を消費しておくべきです」
「構わんが、よくわからない理由だな」
演習の流れは適度に国土を富ませつつノリノリで攻めてくるリオネルに対し、防戦に徹しながら資源・物資の拡充を狙う俺という構図になった。
最初はこちらが劣勢だったが、敵地に間諜を送り込み相手の戦力を把握、主要都市で毒を撒く作戦が成功したことで一気に形勢逆転。反撃に出たこちらの軍は次々と相手の都市を制圧していった。
「……おい。お前、ひょっとして怒っているのか?」
「まさか。ただ少し完勝を狙いたくなっただけです」
「やっぱり怒っているんじゃないか」
咎めるように見つめてくるリオネル。顔に出さないようにしていたのにそれを察せるあたり確かに進歩している。
「言っておくが、あくまで教育だぞ。それに」
「それに?」
「お前との婚約だってこのまま続くかわからないだろう」
なんでも、グレゴールが俺とリオネルの婚約を解消させるよう王に嘆願したらしい。
答えは当然No。話にならないとばかりに打ち切りになったらしいが、それでも、他国の王族なら要求する権利はあるのだと思ったらしい。
「グレゴール殿下に求婚されてもわたしは逃げますよ」
「なら、もっと良い相手ならどうだ?」
「相手の好みと出された条件次第ですね」
「お前、そういうところだぞ」
さらに睨まれた。しかし、そんなことを言われても正直困る。
「わたしが色恋に興味を持たないのは良く知っていらっしゃるでしょう」
「ああ、知っている。知っているが、俺だけ余計に悩まされるのは不公平だ」
『あら? それはわたしを手放したくない、ということかしら』
もう少しからかってやろうかと俺は王子の瞳を見返して、
「リオネルさま? わたしは色恋に興味がありませんが、あなたを好いていないと申し上げたことはありませんよ?」
「は? ……ちょっと待てお前、それはどういう事だ」
言うだけ言ってダイスを振りだした俺を立ち上がってまで咎めるリオネル。彼の手が俺の手首を掴もうとしたところでセルジュの咳払い。
仕方なさそうに席に戻った彼に俺は微笑んで告げた。
「ご存じありませんでしたか? 女というのはずるい生き物なのですよ」
騙しているつもりはない。告げたことは全て本心だし、俺の方針もはっきりと表明している。
しかし、俺はふと前世で出会った嫌な女たちのことを思い出した。目的のためなら恋や結婚さえも手段にする。そういう意味では似たようなことをしているのかもしれない。
笑みに自嘲の色が交じるのを感じながら続けて告げる。
「お互いに最善の方法を考えましょう。わたしたちには課せられた義務があるのですから」
王子は若干苦々しい表情で頷いた。
「……そうだな。俺も、俺のために何が必要かもう一度考え直すとしよう」
「ここでならゆっくり話ができそうね」
ソレイル王国第一王妃アンリエットと姪のジャンヌがシルヴェストル公爵家へとやってきた。
先日打ち合わせた商人とのつなぎの件だ。
屋敷には我が家と繋がりのある商人を併せて招き、直接買い付けや注文をしてもらった。ただし、ナタリーを含む職人は呼んでいない。商人が拠点を移すのは手間がかかるが、職人は引き抜かれてしまう可能性があるからだ。
ただし、ファスナーなどの新しい服飾部品は単体での購入も許可した。
もちろん売るのは本人や家族の分くらいまで。本格的な輸入に関しては国家間の交渉になる。特にファスナーは国内にも十分な数が行き渡っていないくらいだ。
……と、そんな用事を十分に済ませた上で、以前の面子にセレスティーヌやアランを加えて向かい合う。
「たとえ他国の要人であろうと、無理に屋敷へ押し入ろうとする者は敵対者とみなします。よほどの事がない限り介入は避けられるでしょう」
セレスティーヌが保証し、カップに手をつける。
アンリエットはひとつ頷いてから話しだした。
「これから話す事は極秘事項よ。話が進むまで誰にも話さないで欲しいの。良いかしら」
「決して口外しないと誓います」
盗聴防止は念入りすぎるくらいに用意してある。それほどまでに用心して話される内容とは、
「リディアーヌ。貴女に我が国へ嫁いで欲しいの」
「……それは」
一瞬反応が遅れる。
予想していなかったわけではない。ただ、現実的には「我が国」ではなく「我が国の誰々」が相手だと思っていた。
人物名を省かれたということは、
「陛下がわたしを第八王妃としてご所望だと?」
「いいえ。陛下は貴女を正妃として迎えたいとお考えよ。もちろん私も同じように考えている」
入れ替わったばかりの序列を再度変更するつもりか。なんとも思い切った采配である。
アランどころかセレスティーヌまで目を見開いていることからもことの重大さがわかる。
「わたしを王族として──たとえばアンリエットさまの養子として迎えるのではなく、この国の貴族という身分のままに陛下へ嫁がせてくださると?」
「ええ。……もちろん、正妃に迎えられるとは言っても『八人目の王妃』には違いない。しかも、子を成す事のできない清い結婚になる。良い条件とばかりも言えないでしょうけれど」
隣国の正妃はちらり、とシャルロットを見てから続けて言った。
「公爵家、および王家への謝礼以外に、リディアーヌ個人にも謝礼を付けるわ。ソレイルの玉座を貴女にあげる。その代わり、国の改革に協力して欲しいの」
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